ミッシング 4~変わっていくもの

 その日のことは、すっかり笑い話として思い出に残ることになった。

 あのときは僕もどうかしていた。

 好き、でも。愛してる、でもなくて。


「結婚してください」


 だなんて。

 それではあんまりにも順番が違うというものではないだろうか。

 実際、あさひは呆然と僕を見つめていた。


「何か言われるって、思ったけど……まさか、結婚してくれだなんて、ねぇ」


 今、あさひは僕の隣で苦笑している。

 オズ・ゲームは終わりを告げ、僕らは無事、あのマンションの屋上に別れを告げた。

 そしてあれから一ヵ月後の今日、マンションは取り壊される。僕たち四人はそれをこの目で見届けるため、再び集まったのだった。

 マンションの周囲はすっかり鉄柵に覆われ、中では何台もの重機が動いている。

 まるでシロップのかかったかき氷を崩すように、マンションは簡単に壊れていってしまった。


「これで、本当に全部が終わったね」


 あさひが目を細めてその光景に見入っている。少しだけ、寂しそうに。


「四人揃うのも、これで最後かな」


 カカシの言葉に、僕の胸はちくりと痛んだ。

 結局。僕はあの日、あさひに振られてしまった。


「ライオン、あなたのことは好き。だけどあなたといる限り、私は過去を引きずってしまう。不幸せなドロシーを卒業できないままになってしまうから」


 ――だから、あなたと一緒にいることはできないの。

 あさひはきっぱりとそう言い放った。微塵の迷いも、恐れも何もなく。

 悲しいことに、僕にはその言葉の意味が分かってしまった。

 僕が知っている、好きになったあさひは、オズ・ゲームが始まる前のあさひであり、ドロシーなのだ。そしてそれは、現在のあさひとは違う。人間は、変化して成長するものなのだから。

 だから僕はあさひの傍にいられない。今のあさひに、僕の存在は必要ないのだ。……オズ・ゲームを必要としなくなったことと、同じように。

 寂しかった。まるで胸に穴が空いたようだった。

 けれど受け入れなければいけないのだ。誰かを理解するというのは、僕が昔、望んだことは、そういうことなのだから。


 やがて、マンションは完全に姿を消し、僕たちの記憶だけが残される。


 ブリキの傍には、カカシが寄り添っている。彼らは普段まったく接点のない場所で生活しているらしいが、とてもそうは思えないほどの繋がりが透けて見えた。

 彼らは今も、憎しみを愛として繋がっているのだろうか。だとすれば、少しだけ僕は彼らが羨ましい。どんな形であれ、たった一人と自分が決めた誰かと繋がっていられることは、心の奥底を満たしてくれるだろうから。

 僕とあさひは、今日この日で終わりだ。

 ただ――僕もあさひも変わり続けている。またいつか、どこかで道が重なることもあるかもしれない。

 もちろん、そんな瞬間は永遠に訪れないのかもしれないけれど、生憎と僕は夢想家なのだ。

 あさひも、そんな僕の考えはとっくにお見通しらしい。クギを刺すように、


「十年くらい経って、あなたがもっともっといい男になったら、私を養わせてあげてもいいわよ」


 なんて冗談を言ってくれる。まったく、悔しいことこの上ない。あさひは、絶対にそんな日は来ないと、かたく信じているのだ。

 けれど、人間は変わる。

 少なくとも、僕は前の僕ではない。些細な挫折から自分の自惚れを粉々に砕かれて、裸の王様を卒業することができたのだから。

 それに。もしかしたらあさひよりも好きな女の子ができて、結ばれることになるのかもしれない。

 些細なきっかけで、人が簡単に変わってしまうように。

 未来は、誰にも分からないのだ。


「……なぁ、あさひ」

「何、ライオン」


 あさひが、微笑を浮かべて僕を見つめる。


「たまには……僕の名前も、呼んでくれないかな」

「…………」


 あさひが黙り込むのを見て、僕はわずかな勝利に酔いしれる。

 それからしばらく、あさひは僕の顔から目を逸らし続けていた。ブリキとカカシは、興味深そうにちらちらとこっちを見ている。ああ、そういえばこの二人のことも本当の名前で呼ぶべきだろうな。なんだっけ……ええと……。


「…………りひと」


 それは僕の名前だ。

 ……え。

 突然、僕の思考に割り込んできたのは、蚊の鳴くようなあさひの声だった。

 慌ててあさひに視線を移すと。彼女は恥ずかしそうに俯きながら、口の中だけで僕の名前を呼んでいた。


理人りひとって、な、なんか改まって言うと、照れるね……」


 あさひの顔が微かに赤くなっている気がするのは、僕の見間違い……ではないと思いたい。

 心臓の鼓動が限界を突破しそうだ。

 今、気が付いた。僕はひとつ間違っていたのかもしれない。

 あさひが拒絶したのは、昔の僕――オズ・ゲームにおけるライオンなのではないだろうか。その証拠に、あさひは僕をいつもライオン、と呼んでいた。

 もしかしたら。


「……あさひ、やっぱり僕は……」


 まだ、可能性はあるのかもしれない。


 ――僕は、君が好きだよ。あさひ。




 あの日、僕の世界は確かに揺らぎ、崩壊していった。

 けれど、僕の目に映るものは世界のすべてではないし、僕もここで終わるわけではない。

 人間は変わる。

 変わるからこそ、生きていけるのだ。


【了】

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オズのこどもたち youQ @youQ

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