第3話ゴッドスピードラブ

 警官を振り切った後、海岸近くまで来た彼らは渋滞から外れ人気のない場所に出た。陽は大きく傾き世界を橙色に焼き染める。走行中、寂しく佇む公衆電話を見つけると一旦停車する。


「ちょっと電話します。ニャニャさんは休んでてください」

「は、はいぃ……きゅ〜」


 時速300kmの走行とその状態で警官との鬼ごっこでニャニャは既にグロッキーであった。主に精神的に。

 自転車から降りて適当な場所に座る。


「もしもし、俺だ──」

(家族かな?)


 電話する彼を見ながら相手に予想をつける。リビングに家族の写真があったのを思い出す。玄関にも女物の靴もあったので一緒に住んでるのだろう。


(あれ?でもそれだったら携帯ですれば……?)


 携帯を貸してもらったこともあるので無いはずはない。しかし彼はわざわざ公衆電話で誰かと話してる。いつの間にかサングラスは外していた。


(誰と話してるんだろう?)

「────、合言葉は『猫はお風呂が苦手にゃん♡』だ。それだけで分かる。じゃあな」


 電話相手にそう伝えると彼は受話器を置いて出てきた。


「誰と話してたんですか?」


 ニャニャは気になって思わず聞いてみた。


「友人ですよ。公衆電話からしか出ない変わり者ですけど」

「そうなんですか」


 それ以上は詮索しなかった。なぜこのタイミングでその友人にかけたのかは気になったが、おそらく何か考えがあってのことだろう。


「何か飲み物を買って来ますね。何がいいですか?」

「あ、お水を」


 分かりました。と言って彼は走って行った。


「はぁ……今日はもう疲れちゃったな……」


 焼けた空を見てポツリと呟く。


「でもこれからライブだからまだ終わりじゃない……!ここで弱音を吐いちゃダメ。リハーサルには間に合わないだろうけど振り付けは覚えてる。絶対に成功させる!ファンのみんなためにも、そして助けてくれたあの人のためにも!」


 だからここで止まってられない!パシンと頬を叩いて気合いを入れる。


「持ってきました!」

「って早っ!?」


 ここまでの道のりに自販機などまばらにしかないはずなのに数分もしないうちに戻ってきた。彼は飲み物を渡すとニャニャの隣に座る。


「飲み物を買いに行くついでに辺りを調べてきました」

「この短時間で!?」

「渋滞とはいえ人も乗ってますし、何より会場の近くですから歩きの人も多い。顔バレの危険性があるので別ルートから会場を目指しましょう」

「まああのスピードは嫌でも目立ちますし……でもそんなところがあるんですか?」

「崖沿いに工事中の道路がありました。そこを使います」

「だ、大丈夫なんでしょうか?」

「任せてください!俺が絶対に守ります!」

「は、はい」


 ドン!と胸を叩いて頼もしく言い切った。しかしニャニャにはどうしても気になることがあった。


「あの、なんでここまでしてくれるんですか?」

「なんで……とは?」

「だって私なんかのために警察に捕まりでもしたら」

「捕まりません」

「でもファンなのに危険な目に合わせて!」

「俺が望んだことです」

「でもっ!」

「ニャニャさんはなぜアイドルになったんですか?」

「えっ」


 この流れでどうしてそんな質問が出るのだろうか。しかしニャニャを見る彼の目は澄んでいて一切の邪念も他意もなかった。本気で聞いている目だった。


「それは…大勢の人を喜ばせたくて。そんなことができる仕事ができらいいなと思ってて…それで」

「知ってます。個人インタビューで聞きました。でも本当だった。本心からの言葉だと、今確実に確信しました。信じていたものが真実になった。僕はそれが堪らなく嬉しい。あなたのファンで良かった」

「えっ、え?」


 彼はニャニャの手をとり両手で握りしめて近づく。


「つまりあなたはファンのために、そしてファンである俺はあなたのために。だから頑張れる。だから恐れない。救われてるんです。あなたに」

「……!」


 顔がさらに近づく。彼に目は依然として澄んでいて純粋であった。


「だから恩返しさせてください。にゃん×2 猫娘 29がいるから、ニャニャさんがいるから、俺は俺の人生が楽しい。ニャニャさんの役に立てるなら俺は立ちたい。俺は一生あなたの味方です」

「……」

「信用してくれますか?」

「……私は──」


 ニャニャがなにか言いかけた瞬間、彼女を抱えて飛び退く。


「!」


 するとすぐその場は銃撃され、公衆電話が蜂の巣にされる。


「な、何が起こったんですか!?」

「あれは」


 撃ってきた方向を見て目を細める。そこには──


『報告、目標健在。鎮圧用特殊ゴム弾とはいえガトリングの銃撃を回避しやがった!本当に人間か!?』


 木々がざわめく。駆動音が響く。茜色の空より黒いシルエットが複数飛来する。


「戦闘ヘリ、警察か。そしてこれはゴム弾……てことはニャニャさんの正体がバレたか」

「なんで冷静なんですか!?ヘリですよヘリ!」

「休憩は終わりです。早く乗って」

「もう本当に無事に辿り着けるのこれ!?」


 遠くからもパトカーのサイレンが聞こえる。追っ手は確実に迫っていた。異種族の問題は非常にデリケートでありまず真っ先に管理局に報告され、管理局側はこれを吟味し、確保の必要性を感じたならば改めて正式に警察に依頼する。この国では警官は異種族関連の事件においては早急な事態解決のために、特殊弾を用いた銃器使用を許可される。死にはしないが骨に罅が入るくらいには激痛である。

 チャリに乗り込むと初速からトップスピードで走り出した。


『目標、自転車に搭乗し時速300kmで海岸方向に移動。繰り返す、目標は海岸方向に移動した。全機、全車輌は海岸方向に向かえ!そしてこれより以後、目標は搭乗物から“ママチャリ”と呼称する!』

(もう一度人混みに紛れるか?いや巻き込みかねないしそれよりも会場も近い。下手に壊されたらフェスが台無しだ)


 何気に会場>>>人命である。


(ここは予定通り崖沿いで行く!追っ手も潰しながらな!)


 ただの逃げではなく戦いながらの逃げを選択した。

 ハンドルを切り林に入る。銃撃からの防御と崖沿いまでのショートカットである。巧みなハンドル捌きと驚異的な動体視力で木々を避け、全くスピードを落とさずに林を抜けた。工事中の崖沿いの道路に飛び出る。ハンドルを右に切る、右は壁面、左は海。この先に会場がある。


「よし。なんとか道路には出られたな」

「……!」


 ニャニャは落ちまいと強く抱きしめる。彼女もまた恐怖と戦っていた。


「お出ましか」


 後方からサイレンの音が近づいてくる。このスピードに追いついてくるのであればただのパトカーではないのは確実である。やがて姿が見えてくる。そして先頭の車輌に見覚えがあった。


「! さっきの?」


「追いついたぜェ。ここがテメエの墓場だァ!」

「目標、目視で捉えました!」

「鎮圧開始」


 街で追いかけられた改造パトカーと不良警官であった。他何台も細部は異なるが車輌も警官も、皆一様に似た雰囲気を放つ。


「総長ォ!あれが今回の獲物ですかい?」

「オイオイ、マジかよチャリじゃねえかなめてんだろ?」

「面白え!ぶっち切ってやらぁ!」

「おうよ。取っ捕まるぞ!行くぞテメエら!!」

『うぉっしゃあ!!!』


 どうやら先頭の改造パトカーが頭らしかった。


「先輩、この人たちは!?」

「おう。一緒に修羅場潜った野郎共さ」

「つまり族仲間っすね」

「ドンダケー」

『ヒャッハー!!!』


 そんな話をしていると先に二台が飛び出す。


「オラオラ警察だ警察だァ!」

「とっととお縄につけやガキィ!」


 やがてママチャリの横に並び鎮圧用のショットガン(ゴム弾)を構え、撃ち出した。


「ふんっ!」

「なっ──ぐぼっ!」

「えっ──ぶっ!」


 しかし銃撃の瞬間ママチャリは空中にジャンプして回避し、二台はお互いの弾を受けて気絶し、それぞれガードレールと壁面に激突して沈黙した。


「挟撃は相方と射線が合わないようにするものだ。素人め」


「二人ヤラレタ」

「だ、大丈夫っすかね!?」

「ちゃんと安全面に気をつけて改造してあるから生きてるよ。多分。だが野郎、やるじゃねえか……」


 その身体能力に感嘆せずにはいられない。別な形で出会いたかったと思うくらいに。そう思っていると今度はロボットが口を開く。


「次ハ私ノ番ダ」

「どうするんすか?」

「“ママチャリ”ノ性能ハ驚異的ダ。ソシテ興味深イ。是非サンプルトシテ回収スル」

「なんでもいい!さっさとやれ!」

「了解」


 そう言うとロボットは頭からアンテナを出すとどこかへ発信させる。すると数秒も待たずに猛スピードでいろんな戦闘マシンがやってきた。多脚、飛行、ローラー、様々なロボットが銃器を構えてやってきた。


「我ガ組織ノ科学力ハ世界一!下等ナ人間ナド足元ニモ及バヌ!ヤレ!」


 車の屋根を開けてロボットは身を出すと、ヘリの銃撃を回避するママチャリに向けて一斉射撃を開始した。


「! 今度は戦闘マシンか」


 後方からの銃撃に気づくと今度はそれも考慮して避ける。避け続ける。


「ナラバコレハドウダ!」

『目標ロック。──ファイア』

『弾頭セット。──ファイア』


 弾幕では効果は薄いと判断したロボットは次の指示を飛ばすと追尾ミサイルとロケットランチャーを発射した。


「!」

「チェックダ。ママチャリ」


 表情筋があればニヤリとしたであろうその声色は勝利を確信した。


「ふっ」


 しかしそうは問屋がおろさない。

 ママチャリはその場でスピンしてジャンプすると後輪で飛んできた数機のミサイルを蹴り落とし、電磁波が信管にに作用する前に他のミサイルとロケット弾頭に当て、起爆する前に超高速でその場から離れた。


「ナニ?!」

「マジっすか!?」

「ヒューッ!」


 もはや人間技ではない。超人の域に達した所業である。

 パトカーと戦闘マシンはその場で急停止する。爆炎で相手の姿が見えないからだ。


「おい、上からはどうだ」

「ち、地上から空中のヘリへ!そちらからは“ママチャリ”は見えますか!」


 言われて直ぐ様後輩は無線でヘリに連絡する。


『空中のヘリから地上のパトカーたちへ、目視では姿は確認できない。今赤外線センサーでスキャンしているがこれも爆炎で確認できない状態だ。だが飛び出した様子はない。“ママチャリ”今もそこにいると思われる』


 通信機越しのくぐもった声が全パトカーへ響く。つまり未だ爆炎の向こうにいるということだ。


「テメエら銃を構えろ!まだそこにいるぞ!野郎はやる気かもしれねえ!生身で時速300kmだすバケモンだ、有り得ねえ話じゃねえ!」

『おおおおお!』


 パトカーを降りた警官たちは特殊弾を装填した銃器を構える。


「弾薬装填完了、我々ハ何時デモ撃テル」

「ヘリからも何時でも射撃準備できてるとのことです!」

「来やがれ、出てきた瞬間蜂の巣だァ……!」


 万全の体制で未だ爆炎揺らめく向こうで動くのを待つ。




「ニャニャさん」


 爆発して間もない頃、後ろで怯えていると彼が声をかけてきた。それはこんな恐ろしい状況でなんと優しく、なんと暖かい声だろうか。


「っ……は、はい!」


 思わず上擦って返事する。手が震える、いや全身が震える。まともに話せない。するとハンドルを握っていた彼の手が私の手に触れる。暖かくて大きい、男の人の手だ。その感触を感じているといつの間にか震えは、止まっていた。


「さっきの返事、聞いてませんでしたね」


 彼は振り返って私の目を見る。

 返事。彼の言う返事なんて一つしかない。ここまでの経緯を思い返す。どんな危ない目にあっても私をここまで連れて来てくれた。もうすぐそこなのだ、会場は。みんなは。

 私は笑顔にしたい。来てくれた人を、ファンを。

 だから──


「信じます。あなたを信用してます」


 信じよう。頼ろう。この私のために全てに立ち向かうファンを。


「そうですか」


 そう言って彼は微笑む。それがこんな状況でもあるのだけれど、堪らなく頼もしかった。そして彼は私をその場で降ろすと、炎に向き直る。いやその向こう側、警察に向き直ったのだ。


「1分だけ、そこで待っててください。必ず戻ります」

「……はい!」


 戦う気なのだろう。私はもはや何も言わない。決めたのだ、信じると。

 彼は外していたサングラスを再び掛けると、炎の中に消えて行った。




 膠着状態。未だ動けず、動かず。冷や汗が頬を伝う。グリップが手汗で滑る。何機ものヘリの音が空中で共鳴し待つ。彼我の距離は出方を見て約500m。


「……まだか」


 誰かが漏らす。言ってしまえば警官たちが降りたのは愚策だろう。生身で時速300km、銃弾の雨を掻い潜り、ミサイルをはたき落として他のミサイルに誘爆させるバケモノ。追い詰めてるようで本当は先からやられている。ならばこのまま逃げ切るかもしれない。一瞬でトップスピードに至れるなら警官たちが乗る頃には振り切ってるかもしれない。何人かはそう考えてまた乗り込もうとも考えた。だができない。動けない。引き金にかけた指すら。炎の先の謎の威圧感がそうさせてくれない。

 やり合う気だ、とその場にいる全員が悟った。元より現代社会で警官など振り切れるなど至難の技。ならばいっそ倒してしまえばいいと、相手は考えたのかもしれない。

 そしてその刻はやってくる──


「……っ!」


 揺らめく爆炎の向こうから影が見えたかと思うと、影は炎を突き破って超高速で迫る。まるで炎自身が退いたかのように破れ、さらに空気の層が砕かれる。


「ピピッ……時速1300kmオーバー!」

「音速超え!?」

「う、撃てぇ!!」

『うああああああ!!?』


 銃弾のスコールが降り注ぐ。前から、上から。半狂乱になって目前の存在に浴びせかける。が、当たらない。ガトリングの自動照準が追いつかない。音速以上で蛇行する標的に銃口が捉えられない。残像でロックが迷って発射できない。

 不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。


「────」


 銃弾より速く動き、物理法則を超越した彼の目には何が映るのだろうか?それは彼以外知り得ず、彼にしか分からない。

 そして一秒が過ぎた。


「っ…飛んだぁ!?」

「ンだとォ!?」

「ホントニ人間カ!?」


 アスファルトを砕く蹴りは自転車に空中を走らせる。そしてパトカー群の中央のパトカーに両足を着いて、屋根とランプを砕いて着地する。その肩に自転車を担いで。

 全てが静まり返る。その後ろ姿に、その佇まいに、再び息を飲まされる。


「武器を捨てろ。痛い目に逢いたくなければな」


 そこで初めて相手の声を聞く。その声が心に重くのしかかる。そのサングラスの奥を瞳を見たら自分はどうなってしまうのかと恐怖する。


「そいつは無理な相談だなァ」

「総長……!」


 動けない警官たちから一人の男が一人と一機を率いて彼の前に現れる。


「お前は?」

「ほぉ覚えてねえのか?昼間散々コケにしやがったくせによォ」

「……あの時のパトカーか」


 彼はそこで昼間追いかけ回された改造パトカーの人物だと知る。


「でだ。テメエは確かに凄えさ。だがよ、テメエは警察俺らをなめた。俺らにもメンツがある。意地がある。だから絶対に逃がさねえ。その手足ふん縛って独房にぶち込んでやる。覚悟しろ」


 そう言って男は警棒を突きつけ啖呵を切った。


「ロック完了。他全機モキサマヲ捉エタ」

「お、お縄を頂戴しやがれ!」


 武装を展開したロボットも、引き腰で震える後輩も逃げようとはしなかった。


「そうだ!俺らをなめんじゃねえ!」

「テメエなんざウチのカミさんより怖かねえ!」

「やれるもんならやってみろやオラァ!」


 そしてその勇気は他の者たちにも伝わっていく。誰一人その場から逃げようとはせず、立ち向かうことを決めた。


「いい奴らだろう?俺の仲間は?」

「……ああ」


 その言葉に彼は静かに肯定した。


「ンじゃあまあ話し合いは終わりだ。覚悟はいいかクソガキ?」

「いいだろう。来い!」


 全員が一斉に銃を構える。もはや恐れはなく、不屈の闘志が目に宿る。


「ぶっ放せぇええええ!!!」


 撃ちまくる。弾が続く限り何度でもスライドを引く、何度でも引き金を引く、何度でも銃火が噴く。逃げ場はないパトカーの屋根にいるならば同士討ちもない。自転車を担いだ状態で何ができる。


「────」


 だが彼は普通ではない。人間ではあれどその所業は人間ではない。

 彼はその自転車のハンドルを片手で持つと──


「おおおおおおお!!!」


 力の限りぶん回した。ただそれだけ。だが

 まるでそこに球場の壁があるかのように錯覚するほど自転車をぶん回した。そしてそれは弾丸を全てはたき落とすだけに留まらず、風圧で自動車をひっぺ返すほどに強力であった。


「うわあああ!?」

「ぐええええ!?」

「ちくしょお!!」


 当然人間ごときの体重が持つわけもなくゴミのように吹っ飛ばされる。


「全員伏セロ!ミサイル発射!」


 ロボットが他の戦闘マシンと共にミサイルを発射する。四方八方からミサイルが彼に迫る。


「ッ!」


 しかし当たる直前に自転車ではじき返し何本かは戦闘マシンに、そしてもう何本かは──


『何っ!バカな!?』

『制御不能!制御不能!』

『落ちる?!うわあああ!』


 全戦闘ヘリの垂直尾翼に当てたのだった。戦闘ヘリは全て海中に没し、海の藻屑となった。


「死んではいないだろう。殺人罪なんてごめんだ。で、残弾はゼロだが……まだやるか?」


 落ちて行くヘリをバックに再び担いで警官に問いかける。


「マサカ数エテタノカ!?アレダケノ数ヲ!?」

「うっそ……?」

「野郎…上等だァ!」


 男はショットガンを地面に叩きつけると拳を鳴らす。何人かの警官も立ち上がる。


「テメエなんざコイツで十分だあああああああ!!」

『おおおおおおお!!!』


 そして決して退くことはなく彼に立ち向かって行くのだった。




「どうか無事でいて……!」


 この炎の向こうがどうなっているか分からない。激しい音が私の不安を煽る。だが信じるしかない。必ず戻ると言った彼のことを。

 そして、炎の熱気を肌で感じながら待っていると炎の向こうから大きな影が見えて来る。

 それは──


「ジャスト1分。お待たせしました」

「っ……はい!おかえりなさい!」


 60秒待ち焦がれた彼の姿だった。






「この崖を下ればすぐ会場です」

「もう何をしようと疑問を持たなくなりました」

「Pさんはなんと?」

「入口付近で待ってると」


 崖先まで来て一度ニャニャのプロデューサーに電話する。あとは目の前の崖を下れば全てが終わる。


「あっ待ってください!───そ、そんな!?」

「どうしました?」

「入口付近に警察の車輌が集まってるみたいなんです。特殊部隊みたいな人たちもいて……入場者の顔も調べてるみたいで…どうしましょう……」

「感付かれたか。他に入口はありませんか?」

「聞いてみます。あの何処か入れる場所は───ダメみたいです……全て塞がれてるみたいです」

「そうですか……いや、まだ敵は俺たちの目的が会場とは分からないと思うが……」

「ここまで来たのに……」


 目前にして届かない歯痒さを感じる。


(何か手はあるはずだ。考えろ、考えろ。諦めるな)


 次の手を考えて思案する。ここまで来たならば諦める選択などしない。

 そう考えていると──


「お困りですかな隊長殿?」


 ふと背後から声をかけられる。振り向くとそこにはママチャリに跨り法被を着た初老の男性がいた。いやそれだけではない。


「来ましたぜ隊長!」

「いいとこ全部持って行かないでくださいよ!」

「うわっニャニャたんだ!モノホンだ!?」

「うっそマジかよ!?」


 続々とママチャリに跨った法被の軍団が現れる。


「お前ら……!」

「知り合いですか?」


 彼はその者たちを知っていた。顔が途端に歓喜の表情に変わる。


「我ら、『にゃん×2 猫娘 29親衛隊』全員ただいま御前に揃いました」

「ああ、よく来てくれたみんな!」

「はっはっは、当然ですよ隊長」

「えっ隊長?」


 ニャニャは何が何だか分からないでいた。


「同志の集まりですよ。俺なんかが頭だけど」

「何をおっしゃられます隊長!親衛隊の隊長は、隊長以外に考えられません!」

「そうですよ!」

「んだんだ!」


 そう言って皆口々に彼を讃え始める。そこに初老の男性が割って入る。


「『猫はお風呂が苦手にゃん♡』、これは『にゃん×2 猫娘 29』の楽曲において現実に打ちのめされてもなお足掻くことを歌った曲。そして我ら親衛隊の間では危機に瀕していることの合言葉。伝達屋を介して伝える程とは、事態は余程重く急を要するということですな?」

「ああ、さすがだな軍曹」

「お聞かせ願えますか?」

「もちろんだ。みんなも聞いてくれ」


 そして彼は親衛隊に事の経緯を語った。


「……成る程。大方予想通りですな」

「さすが軍曹、全て見抜いていたか。なぜここが分かったかも納得がいくよ」

「はっはっは、恐縮です」

「いやそれもう予知というレベルでは?」


 軍曹という男は実は超能力者なのではないかと思い始めたニャニャであった。実際目の前に人外の男がいるわけだし。


「進言いたします」

「聞こう」


 そして軍曹はすぐに策を編み出した。


「現在17:47、フェスの開始は18:00、終了は23:00の5時間。出場50組の中で『にゃん×2 猫娘 29』は17組目。諸々見積もって時間が1時間以上もあります。加えて会場は目と鼻の先、間に合う事は容易いでしょう」


 軍曹の言葉に全員が聞き入る。


「しかし警察が入り口で検問中、他の入り口は全て配置されている」


 控えめに見て手詰まり。どこにも入れる予知などない。


「ここで会場の構造をお伝えしましょう。ステージは海をバックに大きく配置され野外ステージとなっております。海はおそらく夜に花火でも上げるのでしょう。観客席は砂浜。自由に座れる。海岸沿いの道路からでも鑑賞は可能。ステージ直前は予約席。実に普遍的です。海岸入り口は実質ゲートでありそこでは警察が検問中、ゲートを抜けると屋台が多数並びステージまで繋がっています。道路側から見てステージから左は関係者以外立ち入り禁止のエリア。様々な異種族系アイドルが控えている事でしょう」


 そこまで言って軍曹は大仰に手を広げる。


「さて諸君私の左手には何が見えるかな?」


 全員が左を向く。そこに広がるのは、海。


「……軍曹!ってことは!」

「おや、幸いしましたな。我らがこのまま進むと控室でございます」

「しかし警官はどうするですか隊長?」

「そうですよ!入り口全部塞がれてるんでしょう?それにいくら目の前とはいえ、ここを下ってもそれなりに距離があるし異種族侵入防止の高電圧高硬度防壁、電磁防御フィールド発生装置や対空迎撃用ウェポンシステムだってあるんですよ!?」

「そ、そうだった……ってそんなに!?」


 そうだ。一番な重要な事が解決してない。それどころか控え室はアイドルたちの身を守るために鉄壁の防御態勢だった。しかしそこでも軍曹が妙案を告げる。


「入り口ならばあるではありませんか。大きなところが」

『?』


 その言葉に全員が疑問符をあげる。そして軍曹は上を指差す。


「空です」

「っ!そうか!」

「いやそうかじゃないでしょう!?飛ぶ気ですか!?」

「できないとでも?」

「うっ」


 目の前の人物のせいで否定できないニャニャであった。


「っていやいやいやいや!?だから侵入者排除のための武装システムがあるんですってば!」

「心得ております。しかし他に手はありません」

「雨天ライブで雷に打たれた時に比べれば電気マッサージですよ」

「さらっと何言ってるんですか」

「ですがおそらく警察は逃げ込んだことを考慮して内部にもいることでしょう」

「蹴散らすさ。俺たちで」

「愚問でしたな」

「聞いたかみんな。俺たちは今からこの崖を駆け下り上空から会場へ侵入する。ニャニャさん、一応関係者に連絡しといてください」

「は、はい!」

「命を賭けるとしたらここだ!いくぞ!」

『おおおおおおお!!!』

「隊長その前にこちらを」


 駆け下りようとしたところで軍曹から法被と鉢巻きを渡される。


「これは……!」

「妹様より許可をもらいご自宅から持って参りました。この運命の瞬間、それなりに相応しい格好が良いでしょう」

「……先生には敵わねえな」

「今は軍曹です」

「いけね、そうだった」

「しかしいつも気弱なのに、事にゃん×2 猫娘 29に関しては超人的なお方ですな」

「それはみんなも同じだろ?」


 そして彼は法被を着込み、そのひたいに鉢巻きを巻く。


「連絡つきました!かなり混乱してますけど……」

「無理もないでしょうな」

「時間がない。説明は後だ」

「ニャニャ様はこれを着てください。耐熱絶縁スーツです。都合一着だけですがあなたが着る以外にありません」

「は、はい……あの、あなた方はやはり……」

「はい、このままでございます」

「そうですか……」

「問題ありませんよ。ニャニャさん」


 眼下に見えるは終着点


「俺たちには熱いハートがありますから」


 走るは我が愛のため


「お前ら。俺は『にゃん×2 猫娘 29』が好きだ。この後ろに乗るニャニャさんが好きだ」


 理由などそれで十分


「お前らにも推しがいるだろう。そうだ、彼女たちは素晴らしい。だが28人ではダメだ。29人ではないとダメなんだ。一人も欠けてはならないんだ」


 ゆえに走ろう、己が愛のために


「当たり前っすよ隊長!」

「俺らはみんな『にゃん×2 猫娘 29』を愛してます!」

「行きましょう!」

「まるで一ノ谷の戦いですな」

「馬じゃなくてチャリだけどな」

「隊長殿、我らにゃん×2 猫娘 29親衛隊全員覚悟できました!ご命令を」


 喝采を、我らの愛に喝采を


「総員、ベルを鳴らせえ!」


 祝福しよう今この瞬間を


「このママチャリに続けえええええええええええええ!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』


 疾走せよ、愛の限り



「信じてます。みなさん!」


 そして彼らは走り出した。



 アイドルを乗せて時速300㎞(チャリ) 完

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アイドルを乗せて時速300㎞(チャリ) 事故りライダー(ママチャリ) @zikori_rider645

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