フクシマに積もる雪

黒井羊太

福島の雪ちゃんのお話

 雪ちゃんの故郷が「フクシマ」と呼ばれるようになって、もう何度目も雪が降り積もり、融けていきました。

 でも、あの日降り積もった『雪』は、あの日のまま消える事なく――


 雪の降る夜に生まれたから、雪ちゃんと名付けられた女の子。元気いっぱい、野菜農家の娘さん。大好きなパパとママとお爺ちゃんと暮らしています。そうそう、それから、パパに買ってもらった、牛のぬいぐるみのモーちゃん!とっても可愛いね。

 雪ちゃんは買ってもらって以来、いつもどこへ行くにも、モーちゃんを手放しません。


 雪ちゃんはいつも不思議でした。

 テレビの中では「東北の人と絆を!」って言っている優しい人でいっぱいなのに、パパの野菜はちっとも売れません。危険だからって言われるけれど、パパはいつも真面目に作っています。安全の為に検査もいっぱいしています。でも、買ってもらえません。

「奴ら、福島って名前を出すだけで、ササーッと居なくなる。『震災、大変だったでしょう?』だってよ。今まさに、誰にも野菜を買ってもらえんで大変だってのに。

奴らは、俺たちの町の場所だって知らない。原発から何十キロ離れてるか説明しても、『でも福島県産なんでしょ?』の一言だ。ふざけやがって」

 パパはお酒を飲んでは零していました。

 雪ちゃんは知っています。パパが時々、夜中に誰もいない所で声を殺して泣いているのを。

 今日も雪はふわふわ、降り積もります。


 雪ちゃんはいつも不思議でした。

 テレビの中の人は、どれだけフクシマが不幸かを取り上げ、涙を流しています。でもきっと、彼らの食卓に、パパの野菜が並ぶ事はありません。

 ママに聞いてみた事があります。

「あの人達って、どんなお仕事しているの?」

 ママは答えました。

「人の不幸を哀れんでみせて、同情している自分を売り込む仕事をしているのよ。それで儲けたお金で、美味しいご飯を食べているのよ。私達が不幸である程、彼らは幸せなの。だから、私達は『不幸でなきゃダメ』なのよ」

 雪ちゃんにはちょっと難しすぎました。

 今日も雪はひらひら、降り積もります。


 雪ちゃんは、いつも不思議でした。

 雪ちゃんの町へ来る人たちは皆、白い防護服を身につけて、誰が誰だか分からない状態でした。

 一度話しかけてみた事もあったけど、「可哀想に」と言って、パパとママに文句を言いに行きました。雪ちゃんにはそれが何故か、分かりませんでした。

 後々パパから聞いたんだけど、あの人達はフクシマに住むと原発から溢れる放射能のせいで、漏れなく鼻血を流して死ぬんだと言って回っているそうです。じゃあ、福島に住んでいる私はもう死んでいるの?毎日鼻血を流さない私は福島の人じゃないの?雪ちゃんにはよく分かりませんでした。

 今日も雪はしんしん、降り積もります。


 雪ちゃんはいつも不思議でした。

何故、あの人達は「福島」の事を「フクシマ」と呼ぶんだろうって。お爺ちゃんに聞いてみたら、こんな風に答えてくれました。

「奴らにとっては、他人事なのさ。遠い世界の、違う国での出来事だと思いたいんだろう。

あの日、雪と一緒に降り積もった放射能は、人の心の中にもしっかりと降り積もってしまった。融けて無くなってしまえばそれっきりなんだが、それまでは重たくのし掛かる。

しかしな、雪よ。人間生きていれば、辛い時期もある。耐えなければならない時期もある。それが抜けてしまえば、案外それまでが何でもなかったように上手くいく物だ。だから、今が辛いからって簡単に投げ出したりしたらいかんぞ。お前の名前は、そういう意味があるんだ。分かるか?」

 雪ちゃんにはちょっと早い話でした。

 今日も雪は滾々と降り積もっていきます。


 雪ちゃんはいつも不思議でした。

 ママへ取材の人たちが来たけれど、いっつも同じ質問ばっかり。

「どれだけ不幸なのか」「子どもがいるのに何故引っ越さないのか」「補助金目当てか」「野菜を作るなんて止めてしまえ」「日本中に放射能を振りまく気か」

 ママはいつも気丈に答えてました。

「不幸ではない」「子どもも元気に遊んでいます」「違います」「止めません、私たちは福島県の野菜農家です」「全ての野菜について測定し、問題のない野菜のみを流通させてます」

 でも、どんなに真面目に答えても、帰ってくるのは同じ質問。何回も、何十回も、何百回も。

 その内ママは、ノイローゼになって、納屋で首を括ってしまいました。それを聞いた取材の人たちは、「フクシマの悲劇」と囃し立て、三日で忘れられました。

 パパはその日以来、今まで以上に言葉少なになり、取材を受けなくなりました。

 雪はとうとう根雪になりそうです。


 ある日パパは激怒しました。

『基準値超えの野菜流通!』の記事を見たからです。

 パパはその人の所へ行き、ひどく殴りつけたそうです。それはもう、殺すぐらい。

「お前みたいな身勝手な奴がいるから、いつまで経っても福島の物が危険だなんて言われるんだ!」とパパは叫んでいたそうです。

 そのままパパは、警察に捕まってしまいました。大きなニュースになって、皆大喜び。

 根雪になった雪が、人々の心にどっかりと居座ります。


 今家にいるのは、雪ちゃんとお爺ちゃんだけです。お爺ちゃんも、随分と疲れ切った顔をしていました。そんな状態でも、パパの事で色々やらなければならないので、家にはあまり居ないようになってしまいました。


 パパもママもお爺ちゃんも、悪い事は何もしてません。でも、誰も助けてはくれませんでした。

 家に誰もいない冬。こんな冬は雪ちゃんにとって初めての冬でした。

 外では滾々と雪が降り、この地域にしては珍しく積もり始めています。5センチ、10センチ、30センチ。例年にない積雪は更に続きます。

 雪ちゃんはある日、激しく怒りました。

「こんなのって、ひどすぎる!」

 パパが捕まったのも、ママが自殺したのも、お爺ちゃんが疲れてるのも、誰も悪くないのに!絶対おかしいもん!

 ……でも、誰に怒ればいいの?

 雪ちゃんは考えました。全部の出来事は、原発の事故から始まっている。そうか、全部原発が悪いんだ!だったら、あたしがやっつけてやる!

 雪ちゃんはいつものようにモーちゃんを抱いて、一人雪道を出かけました。寒くないように、きちんと防寒着の前を閉め、その方向へと歩き出しました。

 あぁ、なんて愚かな雪ちゃん。怒りの矛先が見当違いです。それに、子どもが一人行った所でどうなるものでもないでしょうに。でも雪ちゃんには、他にどうすればいいのか、全く分かりませんでした。

 パパとママの思い出のある道を行き過ぎ、来た事のない道へ入り、段々と人気のない世界へ踏み込んでいきます。

 雪ちゃんは休み休み進みます。

「大きな通りは危ないから一人で行ってはダメよ」。ママの言いつけをしっかり守って進みます。

 それでも子どもの体力ですから、何キロも進まない内に雪ちゃんは疲れてしまい、足下が覚束なくなってしまいました。右へフラフラ、左へフラフラ。

 と、雪ちゃんは見えなかった氷に足を取られ、足を踏み外して道の外へ。ザザーッと滑って、数メートル下の、雪のしっかり積もった田んぼへ落ちてしまいました。

 ずっぽりと頭まで埋まってしまった雪ちゃん。可哀想に、深く嵌りすぎてしまったのと、すっかり疲れてしまっていたので、抜け出す事は叶いません。

 人通りの無い道です。誰も助けに来ません。雪ちゃんの体を覆う雪は、容赦なく雪ちゃんの体温を吸い取っていきます。誰にも知られる事なく、雪ちゃんはそのまま眠るように息を引き取りました。


 お爺ちゃんは涙を流しながら近所を探し歩きました。

「雪―! 雪―! 出てきておくれ! お前まで居なくなったら、俺は何の為に生きているんだ……」

でも雪ちゃんはそんな所には居ません。遠くの場所の、雪の中ですから、春まで見つかる事もありません。

 雪が融ける頃には、きっと雪ちゃんは見つかるでしょう。でもそれは、いつになるのでしょうか。いつになったら、皆の心に積もった雪は融けるのでしょうか。それは誰にも分かりません。

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フクシマに積もる雪 黒井羊太 @kurohitsuji

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