キリスト教徒への迫害

初代の教皇(法王)になった聖人、ペテロの話。

ペテロはもとの名をシモン、妻があり、ガリラヤという地に住む純真な漁師だった。

シモンは弟のアンデレと共に漁に出かけようと仲間と船に乗り出したが、じっとこちらを見据えている青年に気がついた。そのうち青年はシモンの船に乗り込んできた。

じつは最近、漁が思わしくならずにいたので、今日もダメかもしれないと思っていたのだ。

しかし青年が乗り込むと、こう告げた。

「沖へ行って網をおろしなさい」

「しかし」

 とシモンは言いかけたが、言うとおりにした。

 すると、網がちぎれんばかりに魚を引っ掛けることが出来たのだった。

「大漁だ、大漁だ。先生、ありがとうございます。あなたのお名前を教えてください」

「ナザレのイエス。皆はわたしをキリスト(救い主)と呼ぶがね」

 イエスは静かな微笑をたたえながら答えた。


 それから、イエスはシモン・ペテロの家に行き、妻の母を熱病から救った。

 まずイエスは姑のベッドへ近づくと、治るように命じた。すると熱が引いて姑は元気に起き上がったという。


 そして、シモン・ペテロと弟アンデレは、一緒にイエスの弟子になった。


 ちなみに何人かのシモンがいて、磔刑されるイエスの十字架を運んだのは、別人である。(通行人)


 その際、イエスは嘆いたという。

「わが神、わが神。なぜわたしをお見捨てになるのですか」

 そして息を引き取った。

 民衆がイエスに罵声を浴びせる中で、イエスは神への嘆きを叫んだとされる。

 その心中を考えると、いささか寂しげに思うのだが。

 

 時間が進み、イエスの死後、ユダヤ教の信者であったサウロは弟子たちを迫害するために、ダマスカス地方へ馬を飛ばし、走っていた。

 その途中でイエス(の魂)と出会い、まばゆい閃光に目をやられ、落馬した。

「ああ、どうしよう。目が見えない」

 そのときアナニアという教徒が、盲目のサウロのために祈り、イエスが声をかけたとたんにサウロの目からウロコが落ち、見えるようになった。 

「ありがとうございます、わたしは間違っていた、今ならあなたの声と言葉がよく聞こえてきます、あなたの弟子になりましょう」

 

 このときから、サウロはローマ市民権を得て、パウロと名乗ることを許された。

 そしてまた、この瞬間からパウロの苦難が幕を開ける。


 パウロはペテロら弟子たちとキリスト教がいかに素晴らしい教えかを伝道していた。

 パウロたちが拠点(教会)とするのは常に信者たちの家であった。

 彼はいつも思っていた、自分はイエス自身に洗礼を受けたわけでない。直接の弟子にはなれずにいるという負い目と深い悩みで押しつぶされそうになっていた。

 

 そんな折にパリサイ派(ユダヤ教)の「割礼をしろ」という強制に悩まされる。

(割礼は生まれたばかりの男児の性器に数ミリのキズをつける行為。宗教儀礼)

 パウロは必要性がないことは絶対にしないと拒み続ける。そのことが反感を生み、キリスト教の迫害への道をいっそう強めていくのだった。

 

 余談だが、パウロにはテモテという小姓がいて、溺愛していた。

 ほかにもテトスという少年があったが、パウロはとりわけテモテをそばにおき、テトスらは面白くなかった。

 パウロは他のものに禁じている割礼をテモテにだけ命じていたというから、パウロも人の子ということだろうか。


 パウロは当時金持ちで、大金を得ていたため、総督ペリクスに目をつけられていた。

 パウロの財産があれば、あの財産がほしい。

 人の欲というものは、いつの世でも同じで、底の深いようだ。

 ペリクス総督が赴任してパウロは逮捕され、牢獄に幽閉された。

 幽閉された二年の間、パウロは自費で家を借りたという。


 

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救いと祈り てとら @diary_note_2010

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