【短編】想いよ、届け

紙男

【短編】想いよ、届け

 いざ思いの丈をつづろうとすると、なかなかペンが進まないのものなのだと、初めて知った。


 桃色のイメージは溢れんばかりに浮かんでくる。爽やかで甘い香り。耳に残る優しい声。そして華のような笑顔。思い出すだけで顔がニヤけて、心も身体もふわふわと浮かんでしまう。


 だが、それらを言葉として表現できないのが本当に辛い。僕の言いたいのはそんな平べったいものじゃないんだ! と紙を散り破り、髪を掻き乱す。こんなことなら現代文の授業をもっとまじめに受けておけばよかった。あと習字も。


 ペンを取って早一週間が経った。町の文房具で買った便箋びんせん二冊をほぼ使いきり、ようやく、納得のいくもの書き上がった。


 よし、行こう。


 手紙をリュックにしまって外へ飛び出す。溢れる思いをエネルギーに、全力で自転車を漕いだ。


 走り続けることおよそ二十分、町外れにある雑木林に到着した。滴る汗を拭きながら草むらに自転車を隠した後、奥へと進む。そしてようやく、ここに辿り着く。


 郵便ポストが凄然せいぜんと立っている。その円柱状の物体は、長年雨に汚されたせいか、赤黒く変色していた。それはある種の神々しさを放っているようにも思えた。そう思える所以ゆえんが、このポストにはある。


 手紙を手に、ポストと対峙する。目測で5m程の距離を開けた。高さ数cm、幅十数cmの投函口とうかんぐちが、針の穴よりも小さく感じられた。


 失敗を恐れてはいけない。深く呼吸をし、よく狙いを定め、手紙を――


「あっ、K君……!」


 前につんのめって、転びそうになった。聞き覚えがあるこの声。いや、聞き間違えるはずがない。振り返れば案の定、その人が居た。


「Mさん……?!」


 ぼくの想い人、Mさん。学年でも随一の才色兼備で名が通っている。また彼女の描いた油絵は、県内のコンクールの“一般の部”で何度も優秀な賞を受賞していた。


 Mさんとは、実は小学校からの幼馴染おさななじみだったりする。が、同じクラス、同じ委員会になったことがあっても、まともな会話ができたことはほとんどなかった。


 そんなぼくが彼女へ想いを寄せているのは、正直ただの憧れにすぎないのだろう。それでもMさんへの想いが色褪いろあせることはなかった。


「こ、こんなところで、奇遇だね! ハハハ」


 平静を装うとしたが、声が震えてしまった。


 Mさんはバツの悪そうな顔をして、言う。


「K君も、ここの噂聞いて来たんだよね? ゴメン、邪魔しちゃって」


「えっ、な、何の話かな?」


「そのポストに向かって、離れたところから手紙を投げ入れることができると、その想いが必ず相手に届くって噂」


「へーそうなんだ。知らなかった」


「手に持ってるの、手紙だよね?」


 とっさに手を後に回したが、もはや後の祭りだった。その様子を見られ、Mさんに失笑された。屈託のない、いつまでも変わらない笑い方。恥ずかしいはずなのに、むしろ清々しい。


「あっ、ゴメンね、笑ったら失礼だよね」


「いいや、Mさんになら、別に気にしないよ」


「そんな! むしろ笑われるのは私のほうだよ」


「えっ? それってつまり――」


「うん、私は噂を信じてここに来たんだ」


「そ、そうなんだ……!」


 これは、まさか、もしかして、もしかして――!!


「部活の先輩なんだけどね」


 僕の今の気持ちを擬音語で示すとすれば、それは『ガーン!』だ。


「入部した時は特に何とも思ってなかったんだけど、文化祭用の展示の手伝いで夜遅くまで作業したりとか、スランプになった時に真剣にアドバイスしてくれたりしている内に、なんか、いいなぁって思っちゃって……」


 あぁ、僕も美術部に入ればよかった。通知票の成績はいつも『2』だけど、それでもまだ、何かきっかけがあったかもしれないのに。それなのに――


「K君」


「へっ!? は、はい!」


「こんなこと、ホントなら頼んじゃ悪いと思うんだけどね……。私、上手くできるか不安だから、K君、そこで見ててくれないかな?」


 そんなこと言われて「NO」って言えるヤツがいたら「正気か?!」と問いただしたい。


 草木の臭いに紛れ、柑橘かんきつ系匂いが微かにする。Mさんの髪の匂いだ。いつもならトキメキで胸が破裂しそうになる。だが、今は別物ものが邪魔をしていて、それが入る余地はない。


 Mさんは僕の手の届く範囲にいる。しかしぼくのことは眼中にない。5m程離れているポストを、更には想い人の面影をじっと見つめている。胸に太い釘を打たれているような気分だ。


 Mさんは目を閉じた。深く、深く呼吸をした。チャンスは一度きり。


 投げた。フリスビーの要領で、曲げていた細い腕が素早くしなやかに伸び、手紙から手が離れる。充分な回転を得たのであろう手紙は、ポストへ向けて真っ直ぐに飛んだ。


 行ける! と思った刹那、一陣の風が吹き抜けた。


 手紙は風にあおられ、舞い上がった。ぼくらのハラハラと見つめる視線をまるで意に介さず、優雅に降下して、ポストの上に着地した。


 名状しがたい空気が立ち込める。しばらく何も喋れず、動けず、ただ時間だけが過ぎた。


 沈黙を破ったのはMさんの溜め息だ。


「まぁ、所詮しょせん噂だしね。結局、自分で先輩に告白しなくちゃいけないことは変わりないんだし。こんなところに来てる暇あったら、先輩にアプローチしろって話だよね。アハハ……」


 乾いた笑い声が響く。無理をして笑っていることは明白だ。


「K君、色々とありがと。このことは、二人だけの秘密ね」


 そう言って、Mさんはホストに近づいていく。そして手紙に手を伸ばそうとする。


「え?」


 Mさんのキョトンとした顔が、すぐ近くにある。息遣いが聞こえるくらいの距離だ。


「Mさん!」


「は、はい!」


「ポスト、入ったよ! これで先輩に想いが伝わるよ!」


「えっ、えっと……正確には入ったんじゃなくって、K君が入れたんだよね?」


「そんな細かいこと気にしなくていいんだ! 気持ちの問題だよ、こんなの! 所詮噂なんだから、入ったって事実だけを信じればいいんだよ! もっと自分の気持ちに勇気を持って!」


 こんなに大声で、かつ早口で喋ったのは、本当に久しぶりだ。それもMさんを相手に。自分で自分が信じられなかった。


 ややあって、Mさんは破顔した。僕もつられて笑った。悶々もんもんとした気持ちは、このとき一度、綺麗に吹っ切れた。



「ねぇ、これ見て」


 ソファの隣に座った妻が一枚の紙を差し出した。クシャクシャに丸められていたのであろうそれを、四つ折から開いて中を読む。


「どうしたの、これ?」


「今日部屋の掃除してたらね、机の下に転がってたの。最近そわそわしたりボーっとしたりしてたからもしかしてって思ってたけど、あの子もすっかり年頃だね」


 わが子の成長を喜ぶのは、親としては当然だろう。しかし父親としては複雑気分だ。一方で、自分自身のセピア色の思い出が蘇り、暖かな気持ちにもなった。


「そう言えばさ」


「ん?」


「あの手紙、結局どうしたの? っていうか、誰宛だったの?」


「えっ、何の話かなぁ?」


 妻はあの頃と変わらない表情を浮かべた。

 


<了>

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