帰ってきたウラシマン

鳥辺野九

ウラシマン・SF

 京都北部、若狭湾に突き出た丹後半島の某砂浜に、国籍不明の大気圏揚陸用小型艇が漂着しているのを地元漁師が発見したのは今から48時間前の事だった。


 急遽駆け付けた宇宙移民局は、同機に搭乗していた一人の男を宇宙移民法違反の現行犯で緊急逮捕した。その国籍不明の男は、たどたどしい日本語で、ウラシマタロウと名乗った。




 ウラシマタロウの48時間の勾留期限が切れるのは目前だ。未だにこの男の身元は判明していない。標準日本語もまともに喋れない男だが、共和国側の工作員だと断定できる要素もなく、それ故にこれ以上勾留しておく理由もなかった。


 宇宙移民局特別捜査官の鬼道然太郎きどうぜんたろうは何か見落とした遺留品はないか、と再び現場の砂浜を訪れていた。


 自称ウラシマタロウが何者であるのか。型式すら登録されていない所属不明の大気圏揚陸小型艇の中にはウラシマタロウの身元を証明できる物はなかった。


 ない、はずがない。鬼道の経験上、不法入国の発覚を恐れて身分証明書をとっさに捨ててしまう違法移民も少なからずいた。それか、どこかに隠したか。鬼道は砂浜を見渡した。この広い砂浜のどこかに埋めてしまえば、他者に発見される恐れもなくなるだろう。


 闇雲にひと気のない砂浜を歩いていると、鬼道のスマートフォンが甲高い警告音を奏でた。二酸化炭素濃度警報だ。


「うるせえよ」


 ポケットからスマートフォンを探り出し、画面へ視線を落とす。二酸化炭素濃度マップへとサイト誘導する文字列が警告音に合わせて踊っている。鬼道はスマートフォンの画面をぞんざいにタップしてアラームを解除した。天気予報では、今日はそれほど二酸化炭素濃度が高くないと言っていたはずだ。それにここは砂浜だ。海風が二酸化炭素を散らしてくれる。


 人類の経済活動により、地球上の二酸化炭素は増え続けていた。近い未来、地球は人が住めなくなるほどの二酸化炭素濃度惑星と化してしまうだろう。


「よしっと、うおっ」


 スマートフォンから顔を上げると、誰もいなかったはずの砂浜に、一人の黒づくめの男が口元に笑みを貼り付けて立っていた。それも驚くほど近くに、真っ黒いサングラスを鬼道へ向けて。


「失礼。宇宙移民局京都支局特別捜査官の鬼道然太郎さんですね?」


 黒づくめの男はわざとらしいほどに抑揚をつけて声をかけてきた。真っ黒い髪はオールバックに撫でつけて、まるで喪服のような黒いスーツに黒いネクタイ。目元を隠す黒いサングラスに鬼道の驚いた顔が映り込んでいた。


「その黒づくめの格好は公安特務六課だな。何の用だ?」


「何だ。知っているのか。なら話が早い。移民局に勾留されているウラシマ氏について聞きたい事がある」


 黒づくめの男は急に笑顔を掻き消して、静かな棒読み口調で切り出した。


「ウラシマ氏は何か持っていなかったか? 彼の所持品はどこにある?」


「捜査協力を求めるならまずは名乗ったらどうだ?」


「これは失礼。お察しの通り、私は公安警察特務六課特別捜査官の富入とみいりだ。で、どうなんだ? ウラシマ氏は片手で持てるくらいの金属の立方体を所持していなかったか?」


 鬼道は思わず溜め息をついて、富入に背中を向けるように海へ振り返った。


「特に所持品はなし。小型揚陸艇に幾つか箱のようなものはあったが、箱と言うよりは確かにただの立方体だったな。フタが開くのかどうかもわからんブツだ」


「そうか。情報提供感謝する。では、失礼」


 不意に姿を消す黒づくめの富入。


「おいおい、ちょっと待て」


 慌てて鬼道は富入の姿を探した。周囲を見れば、黒づくめの姿は鬼道が視線を外した隙にいつの間にか背後に回り込み、そのまま歩み去ろうとしていた。この男はどうやら人の死角を歩くのが得意なようだ。


「何か」


「公安特務六課が動いてるって事は、アレか?」


「ああ、エイリアン・アブダクションの疑いがある」


「マジかよ。長い事やってるが、初めてだ」


 鬼道は大げさに空を仰ぎ見て言った。


「鬼道捜査官の経歴を軽視する訳ではないが、その考え方は浅はか過ぎる。鬼道捜査官が見聞きしていないところでも世界は動いている」


「自称ウラシマタロウって、やっぱあのウラシマタロウさんか?」


 富入は直立不動の姿勢で言う。真正面から鬼道を見据えて、黒いサングラスに沈みゆく太陽を反射させて。


「浦島太郎伝説は知ってるな」


「助けた亀に連れられて、竜宮城でタイやヒラメの踊り食い、酒池肉林の宴三昧だろ?」


「方向性は間違っていない。では聞く。亀が子供にいじめられていたとよく文献には記されているが、数人の子供に負けるほど非力な亀が海底の竜宮城まで大人一人を背負って泳げるものか?」


「亀にもよるんじゃねえ?」


「そうだ。では、その亀が、実は大気圏揚陸小型艇だとしたら?」


 鬼道は48時間前にこの目で確認した所属不明の小型艇を思い浮かべた。小型、と言えども大気圏突入が可能な4トントラックほどの大きさの宇宙航行艇だ。それを子供達が棒切れで突き回し、石つぶてを浴びせかける。シュールな絵が脳裏に浮かんだ。


「意味がわからん」


「考え方を変える必要がある。亀をいじめていた子供達を止めたのではなく、子供達により亀の中に連れ込まれたのだ、と」


 富入がサングラスをくいっと正して続けた。


「その場合、子供達とは一般で言う少年少女ではなくなる。彼らは、リトルグレイだ」


 リトルグレイ。子供くらいの背丈の小型宇宙人だ。全身が銀色で、吊り上がった目玉が大きいのが特徴だ。宇宙人のステレオタイプと言ってもいいだろう。


「リトルグレイはウラシマ氏を誘拐し、外宇宙へと飛び去った。そしてタイやヒラメを踊り食いしたかは不明だが、竜宮城へたどり着き、何かを受け取り、そして地球へ還ってきたのだ」


「竜宮城って、どこに行ってきたんだ?」


 鬼道は穏やかな海を眺めた。夕日が海に溶け出すような淡い色合いで浮いている。


「所属不明機の大気圏突入コースから航路を割り出してみたところ、おおいぬ座アルファ星方面と算出された」


「シリウスだ。10光年は離れてるぞ」


「詳しいな」


 富入は少々驚いたと言った顔を見せ、しかしすぐに無表情に戻り棒読み口調でシリウス航路の説明を続けた。


「彼らの恒星系間航行技術では一年もあれば太陽シリウス間を往復できる。しかし光速以上の速度で走るウラシマ氏にとっての一年は、地球上での我々には五百年と言う膨大な時間となる」


「特殊相対性理論か。つまり何だ? あのウラシマさんは五百年前の時代からやって来たウラシマさんって訳か?」


「あくまでも仮説だが」


 道理で標準日本語が通じない訳だ。鬼道は額に手をやり、スマートフォンを取り出して移民局へ電話を繋ごうとした。


「勾留期間を延長させないと。ウラシマさんを野放しにするのはまだ早い」


「ウラシマ氏はどうでもいい。問題はシリウス星系から持ち帰った立方体だ。それはテラフォーミング装置である可能性が高い」


 富入が初めて語気を荒げた。鬼道はスマートフォンを操作する手を止めて富入に聞いた。テラフォーミング装置だって?


「彼らは地球を彼らの住み良い星へと改造しようとしているのだ。ウラシマ氏はそれに利用されている。ウラシマ氏を解き放てば、きっとテラフォーミング装置を作動させて、この地球を……」


 そこまで言いかけて、富入は絶句した。鬼道も言葉を失い、スマートフォンを持った手をだらりと垂らした。


 遠くに、白いキノコ雲が見えた。


 宇宙移民局京都支局がある方角だ。音もなく、もうもうと湧き上がる巨大な白いキノコ雲。まるで夏の日に見た入道雲のようだ。


「テラフォーミングが、始まってしまったか」


 富入が抑揚のない声で言った。


「あれは何だ? 核爆発か?」


 鬼道は思わず後退りしながら富入に尋ねた。白いキノコ雲はどんどん大きくなり、夕暮れの空に浮かぶオレンジ色した浮雲を吹き飛ばす勢いで空を覆おうとしていた。


「酸素だ」


 富入が言う。


「酸素は元来生物にとって猛毒だ。活性酸素は生物の細胞組織を酸化させてしまう。シリウス星系の奴らにとっては高濃度酸素環境の方が何かと都合がいいのだ」


「地球は、人類はどうなるんだ?」


「活性酸素により細胞の老化が促進される。老いるんだよ。凄まじいスピードで」


「まさに浦島太郎伝説の玉手箱かよ。これが奴らのテラフォーミングか」


「地球上の二酸化炭素を分解して大量の酸素を作り出すんだ。まもなく、地球は人が住めなくなるほどの高濃度酸素惑星となるだろう」


 ふと、鬼道は先程鳴ったスマートフォンのアラームを思い出した。二酸化炭素濃度警報だ。


「……でも、今の地球は二酸化炭素濃度が高過ぎるから、かえって人類にとって好都合なんじゃねえか?」


「えっ」


「様子見でいいんじゃねえ?」


「いいのか?」


「いいんじゃねえ?」


 白いキノコ雲が心なしか薄くなったように思えたのは、きっと夕陽のせいだけではないだろう。

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