スマホが壊れた!

青樹加奈

本編

 ドアがあかない。何故だ。俺は玄関ドアをドンドンと叩いた。

「おい、あけろ!」

「スマホ ヲ 携帯シテイマセン。スマホ ヲ 携帯シテ下サイ。スマホ ヲ 携帯シテイナイ為 ドア ハ アケラレマセン」

 この部屋というかマンション全体を管理しているコンピューターが無情な返事を返してくる。

「はあ? 何を言ってるんだ? ドアをあけろ。会社に行けないじゃないか!」

「スマホ ヲ 携帯シテイナイ 場合 玄関ドア ハ ヒラキマセン。設定ヲ変更スル場合ハ コントロールパネル ノ 『玄関ドアの設定』カラ変更シテ下サイ」

 そうだ。思い出した。先日、スマホを部屋に忘れて会社に行ったんだ。おかげで、仕事が出来なくて難儀したんだった。だから、スマホを持っていないと玄関ドアがひらかない、部屋から出られない設定に変えたんだった。

 馬鹿な事をしてしまった。

 設定を変えるんじゃなかった。

 まさか、スマホを壊す羽目になるなんて思いもしなかったんだよな。

 俺のスマホは、リンゴ社の最新型、リストバンド式のウェラブルタイプだ。夕べ、酔っぱらってスマホを腕につけたまま寝てしまった。そして今朝、思いっきりあくびをした途端、腕を壁にぶつけてしまい、当たりどころが悪くてスマホを壊してしまったのだ。

 どうしたらいいんだ?

 今日は重要な会議があるんだ。この会議に出なければ、出世は遠いものになる。

「おい、あけろ!」

 いくら叫んでも、コンピューターは設定を変更しろと繰り返すだけだ。

 設定を変えられるなら、とっくの昔に変えている。

 コントロールパネルにはスマホを使わないとアクセス出来ない。スマホさえあればこれほど便利な部屋はないのだが、スマホがなければ何もできない部屋なのだ。

「おい、誰か、ここをあけてくれ!」

 玄関ドアをドンドンと叩きながら大声を出すが、何の返答もない。そういえば、この部屋は完全防音タイプだった。不動産屋が自慢気に「カラオケで大声で歌って頂いても大丈夫ですよ。外にはまったく音が洩れませんから」と言っていたっけ。

 それでも、もしかしたらと思って俺はドアを叩き、大声で助けを呼んだ。

「おおい、誰かあけてくれ!!!」

 ドアノブをガチャガチャガチャと回す。あらん限りの大声で助けを求める。

 しかし、どこからも応答はない。

 俺は玄関をあきらめて、窓に走り寄った。窓をあけてと思ったら、ここは高層階、窓は開かないつくりになっていた。

 窓が開かなくても空気は常に浄化されている。空調が完璧なのだ。

「宇宙船の仕組みを取り入れているんです。放射能も除去する仕組みになっているんですよ」

 とこれまた不動産屋が胸を張って言っていた。

 窓から下を見る。はるか下の方に人影が見える。皆、駅へと急ぎ足で歩いている。誰もこちらを見ようとしない。

 声を限りに叫び、窓を叩くが、誰も気づかない。

 頼む、誰か気づいてくれ。

 祈るような思いで叩き叫ぶが、誰も気が付かない。

 とうとう、疲れ果ててその場に座り込んだ。

 喉が枯れた。水。水が飲みたい。

「オーダー、水。それと、コーヒー、アメリカンで頼む」

 コンピューターが復唱する。それを確認してから、オーケーを出した。

 しばらくして、料理ポッドからピーっという音がした。コーヒーが出来たようだ。

 俺は料理ポッドの蓋を開いて、水とコーヒーを取り出した。まず水で喉を潤し、改めてコーヒーを口に運ぶ。

 いい香りだ。

 そうだ、このマンションに決めたのは、どこよりもうまいコーヒーを淹れてくれるからだった。

 このマンションは家事が自動化されたマンションだ。料理も洗濯も掃除もすべてマンションがやってくれる。料金は家賃に含まれていて、いわゆるオールインクルーシブタイプのマンションなのだ。

 簡単な注文は「オーダー」と命令すればいい。飲み物や食べ物を出してくれる。音楽を流してくれたり、テレビをつけてくれたりする。いたれりつくせりなのだ。

 だが、ちょっと複雑な仕事はスマホを通さないと出来ない。例えば、ショッピングなどがそうだ。テレビショッピングの画面はだせても、注文はスマホからになる。今回のように緊急事態を管理会社に知らせるのもスマホを通さないと出来ない。

 俺は朝食付きの家賃コースを選んでいる。昼間は会社に行っていないし、夜も遅い。夕食をマンションで食べる事がないからだ。飲み物はいつでも自由にオーダー可能だ。人によっては夕食付きのコースを選ぶ人もいるそうだ。そういえば、たまに食べる夕食はもの凄く美味しかったっけ。料金さえ見合えば、夕飯付きのコースにしたい所だが、美味いだけあって料金も高かった。大抵の人は朝食コースをとっていて、たまに追加で夕食を頼むのだそうだ。その方が経済的だった。

 俺はコーヒーを一口すすった。

 会議は諦めざるを得ない。これで、出世が遠のいた。せめて、課長に理由を説明したい。何故、会議に出られなかったか。

 もしかしたら、会社が連絡をくれるかもしれない。無断欠勤なのだから。そしたら、事情を説明してマンションの管理会社に連絡して貰える。

 いや、だめだ。スマホが壊れているんだ。受けようがない。

 事務の北川君が気をきかせて管理会社に連絡してくれたらいいんだが。

 無理だろうなあ。

 大体事務の仕事なんて、ほぼコンピューターがやってくれる。事務職の女の子を雇うのは、目の保養と場を和ませるためだ。営業から帰ってきたら、若くて愛想のいい女の子から「ごくろう様でした」と笑顔で言われたいじゃないか。

 俺の実家はS県の山奥だ。まさか俺がこんな所に閉じ込められているなんて、家族は誰も思わないだろう。

 恋人のアキとは別れたばかりだし。そうなんだよな、アキに振られたのもスマホを忘れたのが原因だった。スマホさえあればアキとのデートをすっぽかす、なんて事にはならなかったんだ。デートの予定はスマホに入っていた。スマホが教えてくれる筈だったんだ。それなのに、あの日に限ってスマホを忘れて。今のウェラブルタイプに変えたのも、絶対に忘れないようにする為だったんだ。それなのに、ウェラブルにしたばっかりにスマホを壊してしまうなんて。

「どうしてこう何もかも裏目に出るんだろうなあ?」

 俺は独り言を言ってため息をついた。

 アキ、どうしているだろう?

 そうだな、スマホに頼らずに君との約束の時間ぐらい覚えておくべきだったんだ。アキが俺に愛想をつかすのも無理はない。そうだ、アキにメールを書こう。君と別れて後悔していると。

 あ、スマホが壊れているんだった。

 いや、この際だ、手書きで書こう。

 しかし、何に書けばいいだろう。昔は紙があったが、ペーパーレスになって久しい。ネットで注文すればいいのだが、スマホがなければ無理だ。

 俺はクローゼットの中を物色した。紙のかわりになるものを探したのだ。だがない。

 衣類をあさっていると、アキと揃いで買ったTシャツが出て来た。胸にシンプルなカモメの絵が描かれている。地色は白で、俺がブルーグレーのカモメ、アキがグレイシャスピンクのカモメだった。アキはあのTシャツをどうしただろう?

 俺は疲れ果ててベッドに横になった。そのまま眠ったらしい。起きたら夜になっていた。しわだらけになったワイシャツを着替える。この状況を打開出来ない限り、スーツを着る事はないだろう。

「ゴ在宅ノヨウデスガ、夕食 ハ イカガイタシマショウ? 本日 ノ メインメニュー ハ 国産和牛ヘレステーキ、温野菜添エ ト ナッテオリマス」

 俺は即座に注文した。飢えて死ぬわけには行かない。

 夕食はとても美味しかった。半分ヤケになって頼んだワインがこれまた絶賛したいほどのうまさだった。一人で食べる食事は、大抵味気ないものだが、それを補って余りあるうまさだった。


 俺は閉じ込められたまま、数日を過した。

 脱出出来ないか、いろいろ試した。スマホの修理に挑戦したり、空調のカバーを外してダクトを通れないかとやってみたり。ダクトが細すぎて絶対無理だったが。

 シャワー室の排水口を塞いで水をあふれさせ、下の人から管理会社に連絡させるというのはどうだろう? 水漏れは一大事だ。きっと管理会社に連絡を取るだろう。

 俺はタオルをぎゅうぎゅうと排水口に押し込んだ。裸になってシャワーの下に立つ。しかしお湯がでない。このシャワーには取手がない。シャワーの下に立てば、人を感知して自動的にお湯が出る仕組みだ。湯温や水量は、コンピューターに指示して調整する。

「オーダー、お湯! お湯を出せ! お湯を出すんだ!」

「排水口ニ異常ガ見ツカリマシタ。排水口ヲ塞イデイル物ヲ取リ除イテ下サイ。出来ナイ場合ハ当方ニテ処理シマス。シャワー室カラ出テ下サイ」

 コンピューターの無情な声が響き渡る。俺は仕方なくタオルを引き抜いた。

 やはり自力での脱出は不可能なのだ。外に助けを求めるしかない。なんてマンションだ。

 俺は古いワイシャツを裂いて、「SOS」の文字を作り米粒を使って窓に貼付けた。誰か気づいてくれ、祈るような思いだ。

 ただ問題は、誰かが気づいたとしても、そいつが覗き魔のような反社会的な人間だった場合だ。その場合は警察に通報してはくれないだろう。

 善良な人間がたまたま気がついてくれるよう祈るしかなかった。

 出来る事を総てやってしまうと、後は食べて寝る生活だった。

 食料と飲み物はマンションが供給してくれる。テレビもある。狭い部屋だが、運動も可能だ。

 誰とも話さず、食べては寝る生活。

 だが、人とはおかしな物で、数日経つと俺は今の境遇を悪くないと思い始めていた。むしろ、食べて寝ての生活が快適に思えて来た。怠惰だと言われるかもしれないが、俺は自分の意志でここにいる訳じゃない。閉じ込められたんだ。自分の意志で怠け者の生活を送っているわけじゃない。ここから出られさえしたら、俺は誰より働き者だ。

「働きたい、だが、働けないんだ。俺は悪くない。悪くないんだ!」

 誰にともなく、俺は言い訳を言っていた。

 こうなったら、ヤケだ。ヤケ酒だ。俺は酒を注文した。フランス、ボルドー産の高級ワインだ。酔ってしまえば、何もかも忘れられる。




 翌朝、突然の大音響で目が覚めた。

「今スグ、退居シテクダサイ。総テノ、サービス ヲ 停止致シマス。スグニ、退居シナサイ」

 俺は何がなんだか、わからなかった。ベッドの上で、唖然と座り込む。

 どこからともなくロボットアームが出て来て、襟首を掴まれた。ベッドから引きずり出される。

「やめろ! なんだこれは? 一体、どうなっている?」

 玄関ドアが開いて、部屋の外に放り出された。俺の目の前でドアがバタンと閉まる。

「おい、開けろ! 部屋に入れろ!」

 あれ?

 俺は部屋の外に出ようとしてたんじゃ?

 出られて良かったんじゃね?

「コウちゃん!」

 え? 俺は振り向いた。

「アキ? 一体どうして?」

 見知らぬ男と課長、そしてアキが立っていた。




 一階ロビーで見知らぬ男が説明してくれた。

「私、こちらのマンションの管理人でございます。この度は大変、申し訳ありませんでした。このような事故が起きるとは想定していなかったものですから」

 玄関ドアをスマホを携帯しないと開かないように設定した後に、スマホが壊れる場合だ。

「このマンションでは、病気や事故によって倒れた場合ですと、緊急事態という事でお客様の玄関ドアは開くように出来ているのですが、お客様はそういう状態ではなかったですし、当方としましては、料理や飲み物の値段を上げるしかなかったのです」

 は? どういう意味だ?

「コウちゃん、あのね、私のマンションからコウちゃんの部屋が見えるの。私、時々コウちゃんの部屋の窓をね、見てたの」

「え? 覗いてたのか?」

「違う、違う。覗いてた訳じゃないの。ただ、コウちゃんの姿が見えないかなって思って見てたの。中まで見てないわ。ていうか、見えないし。だけど、コウちゃん、朝、カーテン開けるでしょう。その時、コウちゃんの姿がちらっと見えるのよ。私、コウちゃんが、今日も元気なんだって思うと嬉しくて。

 でも、私達別れたでしょう? コウちゃんがデートをすっぽかしたからだけど、でも、もしかしたら、他に女が出来たからあっさり別れたのかなって思って、現場を抑えてやりたくて久しぶりにコウちゃんの部屋を見たのよ。そしたら、『SOS』って」

 課長がアキの後を引き取って説明してくれた。

「彼女が会社に連絡をくれてね。私も君が無断欠勤をするような男じゃないと思っていたが、スマホにかけても繋がらないし、どうしたらいいのか迷っていた所だったんだ。そしたら、窓に『SOS』って書いてあるっていうだろう。それで、マンションを管理している会社に連絡して、やっと君が閉じ込められているとわかったんだ」

「でも、どうやって開けたんです?」

 三人は顔を見合わせた。管理人がおずおずと口を開いた。

「このマンションには強制退居機能がついております」

「は? 強制退居機能?」

「はい、家賃が払えなかった場合、強制的にお客様を退居させる機能です。それを発動するようにしました。お客様が注文する夕食や飲み物の値段を上げ、引落そうとすると残高が足りないようにしたのです。もし、お客様の銀行残高が高額だった場合、何年もかかるかもしれないと思いましたが、上司の方のお話ですと、年収から考えてそれはないだろうという事で……。今回のお食事代は総て私共で負担させて頂きます」

「つまり、薄給だったから助かった、というわけか?」

 管理人が顔を赤らめて下を向いた。気の毒そうにうなづく。

「いいじゃない、助かったんだから」

 アキが含み笑いをしながら、俺をとりなす。課長も下を向いて笑っている。

「なんて失礼なマンションなんだ! 引っ越してやる。こんなマンション、出て行ってやる!」

 俺は思い切り叫んでいた。

 マンションの管理会社がお詫びにと小さな一戸建ての家を用意してくれた。都心からは遠くなったが、何と言っても一戸建てだ。会社にも復帰出来た。俺はアキと結婚してこの一戸建てに住むことになった。

 管理会社は全自動タイプの家にしましょうかと言ってくれたが、もちろん断った。

 全自動なんて、何が起るかわからない。おまけにスマホでコントロールするタイプだというのだ。

「でも、料理とか洗濯とか、家事を家がやってくれたら楽なのに」とアキが拗ねたように言う。

「何を言ってる。君は全自動の家に住むんだよ」

「え?」

「家事は俺が全部やってやるさ、奥様!」

「まあ!」

 とびきりの笑顔を浮かべた花嫁を抱き上げ、俺は玄関ドアをあけた。


(了)

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