猫派と犬派の確執
千松
猫派と犬派の確執
我が国には『サリの友』という職業がある。
主に王家や有力貴族といった高貴な身分の者に仕える職業で、四百年以上前から存在しているそうだから歴史は古い。昔は『サリの染め人』と呼ばれていた。
『サリ』とはご存知の通り、道端でよく見かける雑草のサリだ。初夏に咲く花弁の色が多岐にわたり、染め物に使えるので子供が小遣い稼ぎに集める、あの花だ。
様々な色がある雑草に
『王子(王女)様のペット』と。
***
「だから! 猫がいいって言ってるでしょ!」
それこそ猫のような大きな瞳の美人がテーブルを叩き、目を吊り上げて叫ぶ。
緩いブルネットの巻き毛が引き立つ白い肌。気の強そうな緑がかった金の瞳にバッサバサの長い睫毛。キリリと細くシャープな眉に、艶々のルージュの引かれたぽってりとした唇。
……までは華やかで妖艶な美女といった風情なのだが、如何せん。身長が十歳児並なので毛を逆立てる子猫にしか見えない。ちなみに十歳児ではない。今年十八歳になる、どちらかといえば行き遅れのレディだ。
「猫なんて何の役にも立たないだろう。飼うなら犬に決まってる」
対する胡桃色の髪の青年は冷静だ。机を叩かれた時に揺れて倒れかけた花瓶を素早く支え、安定の悪いそれをキャビネットの上に避難させる。
「失礼しました」と私に頭を下げる様子は勤勉な文官といった風情だが、細身に見えて実はしっかり筋肉がついている事は、重い花瓶をあっさりと片手で支えたことからも伺える。
……ただ、地味。とにかく地味。醜男では無いが男前とは言うには首を傾げてしまう顔立ち。身長も高くもなければ低くも無い。服を脱いで引き締まった筋肉を見せればグラリとくる女性もいるかもしれないが、彼に裸で外をうろつく趣味は無い。
「アン、ちょっと落ち着こうか。ティムもあまり
私がそう言うと、アンジェリカは「だってティムが!」と即座に反論し、ティムは「申し訳ありませんでした」と素直に謝罪する。
全てが対象的なこの二人は、私の……神国マースィ皇太子、カール十七世の『サリの友』だ。
「カールだって犬より猫の方がいいでしょ? 可愛くて品もいいし、きれい好きで鳴き声も愛らしいのよ? 下品で獣臭い犬とは大違いだもの」
「自分の考えを押し付けるな。犬は賢くて主人の命をきちんと守れる素晴らしい生き物だ。気まぐれで餌の時にしか擦り寄ってこない猫が敵うものか」
「猫よ!」「犬だ」とまた角突き合わせる様子に、こめかみを押さえて嘆息する。
皇太子を前に平気でくだらない喧嘩を始めたり、アンのようにタメ口で話しかけたりしても、サリの友が処罰されることは無い。彼らはその職務を自ら返上する時まで、
この職業が作られた細かな経緯は記録に残っていないが、大まかな意義は『権力者の増長を防ぐ為』と言われている。サリの友はその主が幼少の頃に、主より身分の低い同年代の子供の中から選ばれる。主は五日に一度訪ねてくる彼らと共に学び、共に遊び、共に成長する。その中で
しかし、この素晴らしい(?)制度も近年は廃れ、今でもサリの友を子供に与えるのはマースィ王室、つまりは国王陛下ぐらいしかいない。私の生まれた頃に王家でも廃止しようという話は出たのだが、なんだかんだで結局大規模な公募の末、五人のサリの友が私に与えられた。
その内三人は数年前に役目を返上したので、今残っている私のサリの友はアンとティムの二人だけだ。
さすがに私も二十歳を越え、皇太子としての公務があるので以前のように一日中一緒に過ごすという事は出来ない。しかし五日に一度のほんの一刻程だが、気の知れた相手と過ごす休息は悪くない。
それなりにある支配する者としての重圧とストレスを、彼らと過ごす事で解消している自覚はある。それは姉や弟達も同じだったらしく、周囲の者も心得ていて、余程の事が無いかぎり二人と会っている間は誰も邪魔はしない。
主の心の安息をもたらすもの。本人が返上するまで……最後まで面倒をみなければならないもの。とくに主の為に何かやらなければならない義務を持たないもの。
サリの友が陰で『ペット』と呼ばれる由縁だ。
「大体ねぇ、あんたは男なんだからいつまでもサリの友やってないで騎士団の方に本腰入れたらどうなの。同期は皆小隊長や、優秀な人は大隊長になってるんでしょう? いつまで平隊員やってるのよ!」
「五日に一度必ず半休を取るんだから、役職が与えられないのは仕方がないだろう。きちんと勤務できるようになれば昇格させると副団長から確約されているよ。アンに心配してもらう必要は無い」
関係の無い話題で攻撃するという女性特有の理不尽をさらりと流されて、アンジェリカは地団太を踏む。十数年も幼馴染をやっていればこの程度の事は朝飯前だ。それにティムは結構賢いのだ。騎士団は脳筋では務まらない。
子供のように癇癪を起こして膨れるアンジェリカは至極可愛いらしい。思わず頬を緩めて愛でていると、笑われたと思ったのか益々膨れる。興奮したからか上気したほっぺ(頬じゃない。これは『ほっぺ』だ)が林檎みたいに真っ赤になっていて……駄目だこの子目茶苦茶可愛い。
サリの友に異性が選ばれるのは珍しい。三つも年下のアンジェリカが選ばれたのは、弟は四人もいるが姉が一人だけで妹のいない私が、ずっと妹を欲しがっていたからだ。
必然的に私も他のサリの友もアンジェリカを猫かわいがりに可愛がり、その結果、彼女の私に対する態度はご覧の通りだ。
本人は皆が甘やかすからこんなに子供っぽく育ってしまったんだと環境の所為にしているが、いくらなんでも他人の成長を止める術なんか知らない。
その背の低さはどう見ても遺伝だし、性格の事なら可愛いからそのままでいい……うん。そのままでいて欲しい。
ティムも恐らく同意見だろう。素っ気ない態度を取ってはいるが、この顔は膨れっ面のアンを愛でている顔だ。見えない尻尾がバタバタ振られているのが、私にだけは見える。
「そもそもお前がいまだにサリの友である事の方がおかしいんだからな。普通、女の場合は十四、五で返上して花嫁修行に入るもんなんだぞ。」
「何よ! あたしが女として問題あるって言いたいわけ!?」
ティム……何故煽る?
いや、わからないでもないがな? アンももう十八になるんだ。そろそろ覚悟を決めないと、痺れを切らした親に問答無用で断れない縁談を持ち込まれかねない。
サリの友は
ティムは私のサリの友として、平民であるにもかかわらず騎士団に入団できたが出世できないでいる。アンだって二年前には掃いて捨てるほどあった縁談も、現在は激減しているはずだ。普通は十代半ばで返上して、自分の将来の肥やしにするものなのだ。
「言っとくけどあたしは料理も掃除も洗濯も、子供の世話だって完璧なんだからね! 兄さんの娘のオシメは兄さんより上手に替えれるし、姉さんが里帰りしたら甥っ子達は真っ先に「遊ぼう!」ってあたしの所へ来るんだからっ」
「それは全部女中の仕事だ……それから、子供と一緒に泥だらけになって遊ぶのはいい加減やめろ」
皇太子の覚えもめでたいサリの友である彼女は、王宮の高級官司でも名のある騎士でも、下級でよければ貴族ですら嫁ぎ先になってもおかしくない立場だ。
生家である商家の奥さんのするような仕事は使用人に任せればいい。彼女に必要なのは貴婦人のマナーと、使用人を上手に使う器量だ。五人のサリの友を何処に出しても恥ずかしくない立派な貴婦人に仕上げて嫁に出した私の姉が、手ぐすね引いて待っているというのにアンは一向に花嫁修行に入る様子を見せない。
「ティムの薄情者! あたしがいなくなったらカールが泣くでしょう! あたしはカールが結婚するまでサリの友やるって決めてるんだからっ」
「お前あと三年も嫁に行かないつもりなのか!?」
ティムが流石に声を荒げる。私はあまりの事に言葉も出ない。
私の婚約者である隣国の姫はまだ十四歳で、私と釣り合う歳になってからということで婚姻は三年後に予定されている。その頃にはアンジェリカは二十一歳。貴族社会どころか市井ですら、誰からも見向きされない立派な行き遅れだ。
「好きでもない人の所へお嫁になんて行けなくてもいいもの。小さな家で猫を飼って、針仕事をしたり近所の子供に勉強を教えたりして暮らすのよ。サリの友で貰った給金はしっかり貯金してあるし、贅沢さえしなければ充分暮らしていけるわ」
……そうなのだ。アンジェリカは商家の娘だけあって、見た目とは違い計算高くて生活力はあるのだ。
皇太子のサリの友として普通の婦女子では受けられないような教育も受けている。貴婦人としての振る舞いは覚束ないが、むしろ貴族子息としての心構えや礼儀の方に馴染みが深い。息子に彼女の教えを受けられるとなれば、上流階級を相手にする裕福な商人などは両手を上げて歓迎するだろう。
頭が痛い。仮にも皇太子のサリの友が、お針子や家庭教師をして、結婚もせずに細々と生活する。否定はしない。人の幸せは千差万別だ。そういう生活に幸せを感じる者もいるだろう。
否定はしないが……親や私以上に口煩い、絶対に黙ってはいないだろう男が私の隣には、いる。
「栄えあるカール皇太子殿下のサリの友が、お針子だと? ふざけてるのか? 今まで妹のように可愛がってもらってきた殿下の好意に後ろ足で砂をかける気か、この馬鹿猫!」
「猫のトイレみたいに言わないでよ! カールに砂かけたりしないわよ!」
私は猫の汚物か。
「猫が砂をかける時は前足だ! 猫好きのくせにそんな事も知らないのか!」
それは今はどうでもいい。
「うっ……やりっぱなしの犬好きに言われたくないわよ! この融通の効かない忠犬!」
アンジェリカ、意味がわからない。
心の中でツッコミを入れながら冷めて不味い茶を啜る。盛大に脱線しながら白熱していく舌戦に、私は早々に匙を投げて傍観を決め込んだ。逃げたと言うことなかれ。こうなったら二人とも私の言うことなんか聞いちゃいない。経験則だ。
「何よ! 適当に妥協してさっさと相手見つけろって言うの?」
「そうは言ってない。少しは考えろと言ってるんだ」
「考えようがないわよ! そもそもあたしの周りの男が極上すぎるのよ。どの求婚者もカボチャにしか見えないんだからっ」
「極上の男って……まさかおまえカール殿下に懸想してるのか!?」
「「そんなわけないわよ(だろう)、この馬鹿犬!」」
思わずアンと一緒に怒鳴ってしまった。同時にティムの頭をぶん殴ると、アンジェリカがぐっと親指を立てる。
「アンの周りで極上の男といったら殿下でしょう」
叩かれた後頭部をさすりながら不服そうに言う鈍感男に、溜息しか出ない。
その忠誠心と盲目的な私への好意は嬉しい(かどうかちょっと微妙な所だけどまあ嬉しい……?)が、私にとってアンジェリカは妹だ。
ちょっとグラリとくることはあっても、妹だ。七つも年下の姫との婚約を承諾したのは少しアンに似てたからという、誰にも話していない秘密の理由があったとしても(※この秘密は墓場まで持っていくので誰にも話さないでください)、妹だ。
「馬鹿犬、馬鹿犬、馬鹿犬……っ」
「アンジェリカ、今度来た時にはお前の好きな無花果のパイとエッグタルトを用意しておいてやる。耐えろ」
涙目で私を見上げて「ありがとう」と珍しく素直に頷くアンの頭を、よしよしと撫でる。ティムは不服そうに口をへの字にしたが、私がやることなので文句は言わない。お前は少しそこで反省していろ。
「絶対、絶対、あたしは犬は飼わないわ。思い出してストレスで死ぬ。猫よ。猫を飼うのよ」
ティムはブツブツと低く怨嗟の声を上げるアンジェリカを暫く睨んでいたが、ぼそりと小さな声で呟く。
「……犬がいい」
まだ言うか。
「猫は一匹で手一杯だ。犬がいい」
…………おっ?
めったに自分の本心を明かす事の無いティムのささやかな揺らぎに、私は少し期待する。どういう意味だそれ。もうちょっと勇気出してみろヘタレ!
「手のかかる我が儘な猫は一匹で充分だ。他の猫を可愛がる気になんかなれない。犬の素晴らしさにいい加減気付け、馬鹿猫」
……ティムにしては頑張った。それは認めよう。
だが、そんな遠回しな表現にアンが気付くと思ってるのか? アンジェリカはお前以上に鈍感なんだぞ!
「猫もあたしも馬鹿じゃない! 自分の感情に素直で気位が高いだけよ。主に尻尾振るだけの犬なんて、絶対飼うもんかあぁ~~~~!」
案の定、単に馬鹿にされたと思った彼女は激昂する。
「猫よ!」「犬だ!」と再び始まる舌戦に、私は長い溜息をついてこめかみを抑えた。
ティムの態度が煮え切らない理由に心当たりはある。
彼は自分の事には鈍感だが、私の感情には聡い。私が一時期、なんとかアンジェリカを正妃に出来ないものかと本気で悩んでいたのに、彼だけが感づいた。アンの心がどこにあるかに気付いたので、私はこの初恋を早々に諦めたのだが、ティムは未だにその事にこだわっている。
私は常々「アンを嫁に出すならティムのような男がいい」「あいつが嫁ぎ損ねたらお前が引き取れ」と、冗談めかして言っているのだが、ティムは「アンジェリカにはもっと素晴らしい男性が釣り合いますよ」と寂しそうに笑うだけだった。
やめてくれ。彼女を側室や愛人ににする気はさらさら無い。お前だってアンを日陰者にするのは我慢ならないくせに。
「酷い! 私悪くないよねカール!」
舌戦に負けたアンが泣きついて来る。ティムに口で勝った事なんて数える程しか無いのでいつもの事だ。って何だこれ柔らかいぞおい抱きつくな! あたってる……当たってるから!
「アン、離れて。もう少し淑女らしい振る舞いが出来るようになろうか?」
無理に引き剥がさずやんわりと注意するのは、アンを逆上させない為であって他意は無い。ないったら無い。
浮気じゃない。ただの兄妹のスキンシップ。私は父上みたいに側室何人も作ったりしないで貴女だけを大事にするからねと、遠い空の下の幼い婚約者に誓う。
言い訳じゃない。信じて。
ティムの顔が怖い。主をそんな顔で睨む事が出来るんならこの状況を何とか……待てこら、なんで二人で私の頭を取り合うんだ!?
私の頭を抱えたままぎゃあぎゃあと言い合う二人を見ながら、サリの友って忍耐力を養う為にあるのかもしれないとぼんやり思う。理不尽に対する耐性がなんでこんなに養われるんだ。これでも一応この国の次期国王なんだぞ!?
犬も食わない喧嘩を繰り広げる二人を恨めしく見上げるが、既にお互いしか目に入っていないので相手にしてもらえない。アンとの距離の近さに頬を染めるティムの、固い腕の感触にげんなりする。
私じゃなくてアンジェリカを抱きしめて引き剥がせよこのヘタレ!
いい加減その猫に鈴をつけろ!
※ペットは責任を持って、最後まで面倒を見ましょう。
猫派と犬派の確執 千松 @senmatsu
★で称える
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