第2話1周目-1 出会い

「……んっ、ん」

 男は、間の抜けたような唸り声を上げて目を覚ました。

 懐かしい夢を見た気がする。

 薄手の布団から出ないまま、男は懐かしく思う。子どもの頃に出たミニ四駆ジャパンカップ。自信満々で出場して予選敗退したのは今でも覚えている。しかも同学年らしき女子に負けたとあっては立つ瀬もない。

 あの子はどうしているだろう、と思ったのはほんの一瞬。そもそも会うことはないだろうし、仮に偶然出会っても、お互い既にいい歳の大人となっているから分かるまいが。

「……っと、今日は出かける日だったな」

 思い出したかのように呟くと、布団を跳ね飛ばすようにして起き上がる。何せ、またまた地方に単身赴任してきたばかり。その最初の休日はやることがあった。

 朝食作って歯磨きして顔洗って用足して。ようやく着替えに取りかかる。

 着替え終わると、机の上に鎮座していた工具箱を引っ掴む。

 夢の出来事が終わってから一度辞めた後、大人になってから再びミニ四駆を再開して約半年と少し。

 単身赴任してきてまずやりたいのは、近くにコースが置いてある模型店があるかどうかを探し、一度見に行くこと。

 ネットで探したところ、かろうじて一件はそれらしき店があるらしい。マシンは整備済み。走らせたいがまあ期待はしない。

 安っぽい賃貸住宅の扉を開けると、アブラゼミが慣らしていない旧型シャーシのような騒音を鳴らしていた。


 目的の模型店は、徒歩10分とネットの道程どうてい計算は表示してくれたが、気温30度では効かないような外を10分も歩くのは、ある意味拷問であろう。

 かといって車で行く程の距離とは言えず、そもそも車内はオーブントースター同然となっているのを想像すると、外を歩くよりもぞっとする。

 軽く汗をかきながら歩き、ようやくそれらしき店に辿り着いたのは、およそ15分後ぐらいだった。道程計算の嘘つきめ、と男は内心毒づく。

 田舎道に面した模型店は、荒れたアスファルトの駐車場が6台分。1階は店舗で2階は住居らしき古風な作りは、いかにも昔からやってます、な雰囲気をかもし出していた。

 正面から見て左隅には古めかしいテントが張られ、ホームセンターで売ってそうな安い柵で囲われている。柵の中には、灰色の物体が地面に敷かれているのが見えた。ごく一般的にしてスタンダードな市販品コース、ジャパンカップ・ジュニアサーキット。

 そこまでは大して驚きも感慨もなかったが、そのさらに奥に視線をやると初めて少し驚く。

 コースの周りには、3人ぐらいの小学生らしき子どもがいるのだが、1人は子どもに囲まれ、1人はそれを見守るように奥の日陰でちょこんと座っているのは、似たような歳のごく若い……女性だった。

「これ、いきなり変な音がしはじめたぁ」

 子どものうち1人が、スイッチを入れたまま子どもの中心にいる女性に突き出す。

「ホントねぇ、でもさっきまでは普通だったのにねっ……瑠貴るき、どう思う?」

「貸してみて麻梨奈まりな

 麻梨奈まりなと呼ばれた女性は、瑠貴るきと呼ばれた座ったままの女性のところへ、子どものマシンを持って行く。スイッチが入ったままのマシンを耳元に当て、目を瞑って音を聞くことコンマ1秒。

「これはね」

 静かにそう言いながらスイッチを切ると、ボディキャッチを外してボディとともに膝上へと置き、電池も抜くとモーターカバーとギアカバーを手際よく取り、それも膝上へ。電池を底面部から外したあたり、ARシャーシだろう。

「モーターのここを見てごらん」

 子どもを呼び寄せた後、モーターを取り出して何か見せている。

「このモーターのピニオンギア、半分しかはまってないでしょう? これが走らせているうちに緩んでしまったから、いきなり噛み合わせが悪い音がするようになったの。だから」

 言葉を切ると、モーターを左手に持ち替えて、右手を横に伸ばしておもむろに小型ハンマーを取り出すと、軽くピニオンギアを叩くこと数回。

「これでいいと思うわ。でも、また緩むようならもう交換しないとだめだからね?」

 子どもを見て優しく言いながら、再び手際よく組み立てる。手元を大して見ないでも組み立てる様を見て少し感心する。よほど慣れてないとできない芸当だ。

「はい、どうぞ」

 ボディキャッチをめて、子どもに渡す。子どもは喜んで再びコースへ。

「こらっ! 『瑠貴るきお姉さんありがとうございます』ってお礼言いなさいっ!」

「いいよ麻梨奈まりな、大したことじゃないから」

「でもさっ……?」

 麻梨奈まりなと呼ばれた女性の声が途切れる。気づくと、二人の女性の視線がこちらをしっかり捉えていた。

 一瞬、子どもの声とアブラゼミの声が、空間を支配する。

「お、そこの兄ちゃんもミニヨンやりにきたのかいっ?」

 麻梨奈まりなと呼ばれていた、20歳代半ばとおぼしき女性が、この季節らしいような、威勢のいい声を上げる。

「ええ、まあ、そんなとこですが」

「うーん? でも見ない顔だよねぇ? また瑠貴るきを目当てにどっから遠征にでも来たクチかいっ?」

 すたすたと歩み寄ると、麻梨奈まりなは面白いものを覗き込むように顔を見る。笑顔ではあるが、その目は一瞬前と変わって、微妙に笑ってない。

 麻梨奈まりなの奥、座ったままの瑠貴るきに目をやると、被った白い帽子に手を当て、しかめるように深く被り直す。

「え? いや何だかよく分かりませんが。僕は、先日この辺に引っ越してきたもんで、家から最寄りの模型店なので来てみたんですが……」

 そう言うと、麻梨奈まりな瑠貴るきのいささか警戒した雰囲気が、風船が弾けるように消えてなくなった。

「何だい、じゃあ新しいお仲間さんだねっ。こんな暑いとこ突っ立ってないで、日陰に入りなよっ」

 麻梨奈まりなは、半ば強引に手を引いて、テントの中に招き入れた。


ぷしゅっ、とプルタップが開く音が鳴ると同時に、麻梨奈まりなは左手の冷えたノンカロリーコーラをぐいっとあおる。

「あー、うまっ……私は、新倉麻梨奈にいくらまりなっていうんだよ。で、こっちが」

笠宮瑠貴かさみやるきと申します。よろしくお願いしますね」

 軽く一礼すると、両手に持ったレモン味のサイダーをゆるりと傾けて、湯飲みでお茶でも飲むかのように、こくり、こくりと静かに喉を鳴らして上品に飲む。

「俺は木藤遙斗きとうはるとっていいます。数日前に引っ越してきました」

 名乗ってから、ペットボトル入りのジンジャーエールをぐいっ、とひと飲み。冷えた炭酸の刺激が心地いい。

「あー、暑っ……こんな暑いと、店開けててもお客さん来ないよね」

「店ということは、新倉さんは普段はサービス業で?」

 何気なく麻梨奈まりなに聞いてみた遙斗はるとに、一瞬キョトンとする麻梨奈まりな瑠貴るき

「おー、そういえば言ってなかったねっ」

 そう言うと、麻梨奈まりなは左手の親指を立て、模型店の方を指す。

「ここの店は、あたしと父の2人でやってるのさっ!

 店長は父だけど、まっ、2人しかいないしあたしは自動的に副店長だねっ!」

 心底面白そうに大笑いする麻梨奈まりなの指す指先の向こう、古風な模型店の看板にはデカデカと『新倉模型にいくらもけい』と書かれていることに、遙斗はるとは初めて気づいたのだった。


 太陽が頂点に向かってまっしぐらな時分じぶん、外はますます暑い。

「ホント言うと、今日は月例げつれいレースの日なんだよっ」

 その太陽に何か感染うつされてるのか、麻梨奈まりなの声は時間が経っても元気である。

「でもまっ、このド田舎の小さい店だし、いつも来てくれるのは子ども達いっぱいと瑠貴るきぐらいだねっ!

あたしはそれで十分だけど、今日は久しぶりに瑠貴るきの本気が拝めるかなって、ちょっと期待してるよ遙斗はるとくんっ」

 ぽんっ、といきなり背中を叩かれる遙斗はると

 ――瑠貴るきの本気。

 すぐに遙斗はるとは合点がいった。先程聞いたところ、麻梨奈まりなは近県でもちょっとは名が知れたモデラーらしいが、レースはやらないらしい。

 つまるところ、この場にいる大人で瑠貴るきの相手ができるのは、見たところ似たような歳の遙斗はるとだけであり、いつもは本気でやらない、つまり子どもでは太刀打ちできないほど瑠貴るきは強いということでもあった。

 遙斗はるとは改めてコースを見る。

 ジャパンカップ・ジュニアサーキット、ざっと4組分といったところか。『ここからスタート☆』と、丸っこい字で適当にダンボール箱に書いてある場所から右は、カーブを多く使いうまいこと組んである。

 そして左側は、途中にコース色が緑色のパーツがあり、その緑色が灰色の90度カーブと、ストレートパーツ4枚分を挟んでいる。高さ11センチのアップダウンセクション、テーブルトップだ。

 テーブルトップ下りの着地点には、安っぽい人工芝が敷かれており、着地点の芝を抜けカーブひとつ曲がってスタート位置に戻る。地味だがそれなりの技術を要求される、テクニカル・コースである。

「子どもたちの大会が始まる前にやりましょう」

 振り返ると、瑠貴るきがボディを開けて電池を入れるところだった。見たところ、ボディは白をベースに金色のエングレービングを施したイグレスか。白色のVSシャーシは、材質強化型シャーシである。

 組み方は無駄がなくシンプル。フロントバンパー・リアステーともに既存のカーボンプレートで強化してあるが、さらにその上をフロントバンパーとリアステーの上部を覆うように、プレートやウェイトが覆っている。

 遙斗はるとも工具箱を開けて、マシンを取り出し早速電池を入れようとする。お互い、同じメーカーのアルカリ電池を用いるのは、選手権ではその電池しか使えなくなっているからである。

「おおっ、テラスコーチャーとはなかなか渋いねっ」

 感心したような声の麻梨奈まりなの視線の先には、濃紺をベースに銀や赤文字を散りばめたデザインのテラスコーチャー。カーボン混合材製のスーパー2シャーシをベースに、組み方に無駄はなく、見た目は割とシンプルである。

「では、早速始めましょう。よろしくお願いしますね」

 瑠貴るきはゆっくりと立ち上がり、コースの方へ歩いて行く。

 長く綺麗に切りそろえられた黒髪に、整った顔立ち。白磁色の華奢な身体を、白いワンピースと白い帽子で包み込んでいる姿は、どこかの深窓の令嬢といっても違和感がない。真夏の太陽の熱で、そのまま溶けてしまいそうな錯覚を覚えるほど、儚くも可憐な雰囲気があった。単刀直入に言えば、この場に似合わないほどの……美女である。

「あ、こちらこそ、よろしくどうぞ」

 見とれていたのも一瞬、遙斗はると瑠貴るきの声に応えると、スタート位置に向かう。

「3周勝負だからねっ」

 同じくスタート位置に来た麻梨奈まりなが、掌を見せるように真っ直ぐ左手を伸ばす。それを確認し、遙斗はると瑠貴るきはスイッチを入れ、遙斗はるとはインコース、瑠貴るきはアウトコースにマシンを構える。双方とも、駆動音からギアの噛み合う音はわずか、ほとんどモーター音しかしない。

「用意……スタートっ」

 麻梨奈まりなの声とともに、2台のマシンが同時にコースイン。横一線で前半のコーナーセクションへ入る。

「はええ!」

 周囲の子ども達の驚いた声。2台ともあっという間に後半のテクニカルセクションへ。ここまでは、瑠貴るきの方が僅かに速い。

 一般的には、遙斗はるとのスーパー2シャーシよりも、瑠貴るきのVSシャーシの方がやや小回りが効くのは確かである。しかしそれを差し引いても、瑠貴るきのマシンのコーナーワークは群を抜いていた。

 遙斗はるとのマシンも、空転時間が優に1分を超えるローラーを搭載するだけに、コーナーワークにはそれなりの自信がある。そのためコーナーの多い前半セクションで、多少なりとも差を付けるのが遙斗はるとの目論見だったが、まさか逆にリードされるのは計算外だった。瑠貴るきは想像以上に手強い。そのままスロープに突入する2台。

「あら」

「なに」

 瑠貴るきの感嘆の声と、遙斗はるとの驚きの声が交錯する。

 スロープを上がり着地しようと落下軌道に入った瞬間、フロントバンパーとリアバンパーの上部にある、補強と思っていたウェイトとマルチプレートが、蝶番(ちょうつがい)のように上へと開いた!

 着地すると同時に、その開いた箇所も再び元通り閉じ、着地の衝撃を吸収。瑠貴るきのマシンは何事もなかったかのような綺麗な着地を披露し、テーブルトップのストレートを駆けてゆく。

 さりげなくついていたウェイトや補強プレートがすべて、小型の衝撃吸収用カウンターウェイト、いわゆるマスダンパーだったことに遙斗はるとは驚く。前後を均等に衝撃吸収する上、上下左右のストロークが大きく安定している分、通常のマスダンパーに比べても効果が高いようだった。

 遙斗はるとのマシンは、低重心とブレーキ制御がメインのマシンである。必要最小限まで絞り込んだ装備による徹底した軽量化で、抜群の加速性能を武器に減速によるロスを補う。低重心化と確実に水平飛翔させる絶妙な車体バランスにより着地を安定させ、マスダンパーは後部に、こちらも均等可動タイプのスクエア型をひとつ装備するのみだ。

 瑠貴るきは、確実に減速する遙斗はるとのマシンから瞬時にコンセプトを察した。テーブルトップを攻略するには減速が一番確実な方法だが、ブレーキ減速によるロスは普通看過できるものではない。しかし車体重量と小径タイヤによる足回りの軽さのアドバンテージは、減速から回復して再加速するまでの時間、いわゆる立ち上がりを他のマシンより早くできる大きな利点がある。

 実際、減速の大きさの違いでリードを許した遙斗はるとのマシンは、素晴らしい加速で一気に瑠貴るきのマシンとの差を詰めにかかっていた。

「1周目は瑠貴るきが取ったねっ!」

 しかし、完全に差を詰めるには至らず、およそ車体1台分の差をつけて瑠貴るきのマシンがスタート位置を駆け抜ける。

 僅差の好勝負だったが、2周目も1周目と似たような展開。差が車体1台半に広がる。しかし、3周目は遙斗はるとの方がコースの短いイン側。まだ行方は分からなかった。

「追いつかれた」

 瑠貴るきの桜色の唇から、変わらぬ調子で言葉が漏れる。スタートしてすぐの位置にある立体レーンチェンジで、遙斗はるとのマシンがイン側、瑠貴るきのマシンがアウト側にレーンを変えると、距離の短い遙斗はるとのマシンが瑠貴るきのマシンの横に並んだ。

「よし」

 さらにインコースの利を生かし、遙斗はるとのマシンは車体半分程度のリードを奪い逆転、テーブルトップに侵入する。

 減速して侵入する遙斗はるとのマシン。

 一瞬遅れて侵入し、花びらを開くように華麗に舞う瑠貴るきのマシン。

 先に着地したのは……純白のマシンであった。

「空中で抜いたっ!?」

 麻梨奈まりなの少し興奮するような声。侵入速度が速い分、瑠貴るきのマシンの方が飛翔速度が速く、距離が長い。まさに空中で抜いたように周囲は見えただろう。

 そのまま僅かなリードを保ち、瑠貴るきのマシンは先にゴールを駆け抜けた。

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