第4話2周目-1 予選

 開いてる店はコンビニぐらいの時間に早起きしても、既に外は明るかった。

「じゃあ、今日明日とよろしくお願いしますね」

 白色のマキシ丈のワンピースに、空色のタンガリーシャツ。後ろで縛った髪の上にカンカン帽を載せた瑠貴るきは、軽く頭を下げる。

「いえ、こちらこそよろしく」

 遙斗はるとも同じように軽く会釈。こちらは、ギンガムチェックのシャツに黒の7分丈パンツと軽装。

 用意されたハイブリッドバンの後部トランクには、色々な荷物が既に詰め込まれており、最後に瑠貴るき遙斗はるとのマシンボックスを詰め込む。そして瑠貴るきは助手席、遙斗はるとは運転席へ。ルーフのソーラー充電による自動空調が働いているため、エンジンをかけずとも車内は涼しい。

「じゃあ早速行きますよ」

 遙斗はるとはエンジンをかけ、お手伝いさん数人に見送られる中、出発した。

 高速道路を使うとはいえ、会場までは県境を大きく越えてさらに向こう。およそ3時間ぐらいの道のりとなる。

「そういえば、ひとつどうしても疑問に思ってたことがあるんですけど」

 高速に乗ってしばらくしてから、視線は前から離さず問う遙斗はると。お互い遠慮がちでなかなか話が切り出せないようで、これが車中で初めての会話だった。

「何かしら?」

 助手席の瑠貴るきは、問われて遙斗はるとの方を見る。

「どうしてセレブなお嬢様が、自宅でコース作らずに新倉模型へ行ってるんです?」

 そう。

 ジャパンカップ・ジュニアサーキット自体は、ひと組で2万円もしない。笠宮かさみや家の財力と敷地なら、新倉模型にあるコースよりもずっと立派なコースを作るのは、造作もないはずである。

「そうね、みんなそう言うんだけど」

 再び前を向き、少し遠いような目をする瑠貴るき

「私がまだ小さかった頃、ミニ四駆を最初に買って作ったのは、麻梨奈まりなの家に初めて遊びに行ったときのことだったの」

 瑠貴るき麻梨奈まりなが幼稚園から高校まで一緒だったことは、先週笠宮かさみや家で昼食をご馳走になったとき、遙斗はるとは2人から聞いていた。

「だからかな。あそこが原点っていうか、すごく落ち着く感じがしてね……今のコースは元々お店にあったのと、私が個人で買ったのを足したのが半々ぐらいになってますけど」

 いわゆるホームコースというやつなのだろう、と遙斗はるとは思い少し羨ましくなる。復帰してすぐの頃、子どもの頃に通っていた店を訪ねようとしたが、とうの昔に潰れてしまっていた。

「あとは……ううん、何でもないです」

 瑠貴るきは続けようとした言葉を呑み込むように、歯切れ悪く話を切った。遙斗はるとは気にも留めず話題を変える。

「そういえば、笠宮かさみやさんは朝食は食べてこられました?」

「いいえ、朝早かったので胃が受け付けなくて……」

「じゃあ同じですね。もうすぐサービスエリアのようですし、何か食べましょうか」

 そう言っているうちに、2人を乗せた車はサービスエリアの入り口に吸い込まれていく。駐車場の埋まり具合は6割方で、売店棟のすぐ近くに車を止めることができた。

「あの笠宮かさみやさん、サービスエリアで食べ物買ったりとかは……」

「……私、そこまで世間離れしてるつもりはありません」

 瑠貴るきはあからさまにムッとした顔で答えると、無造作にドアを開けて車を降り、さらに車内を覗き込むようにして頭だけ突っ込み、遙斗はるとを悪戯っぽい笑顔で睨め付ける。

「あと、笠宮かさみやさんは堅苦しいので、呼ぶときは瑠貴るきで構いませんから」


「最終予選ってどんな感じなんです?」

 売店棟のレストランスペースで、和食セットの卵焼きをつまみながら、遙斗はると瑠貴るきにレースの様子を聞いていた。何せ5レーンのコースを走らせる大会に出るのは、子どもの時以来となる。楽しみもあるが、それ以上に不安の方が大きい。

麻梨奈まりなと行った近畿地区予選は、参加人数制限がありましたので、ぴったし2500人でしたけど」

 瑠貴るきは、洋食セットのバターロールをそっと千切りながら答える。なお、夏の全日本選手権ジャパンカップは、ここ数年は最終予選に参加人数の制限枠を設けていない。近畿地区予選は会場の収容能力の都合で、人数制限枠があったということだった。

「ジュニアクラスとオープンクラスに分かれていて、私達が出られるのはオープンクラス。コースはそれぞれ別ですから、間違える心配はないですよ。

 百番単位で区切って呼び出されますから、聞き漏らさないようにしてくださいね。2回は1次予選のチャンスがあるはずです」

 優雅な手つきでマーガリンを塗り、パンを口に運ぶ瑠貴るき。お手頃価格なはずの朝の洋食セットが、遙斗はるとにはやたら高級そうに見えた。冷製スープを1口飲み、瑠貴るきは再び話を続ける。

「1次予選を勝つと、通過証明のタスキっていう紐がもらえるので、無くさないようにしてくださいね。2次予選に出れなくなっちゃいますから。

 2次予選を勝つと次は準決勝ですが、タスキじゃなくて決勝参加券っていうチケットがもらえます。みんな薄紙うすがみって言ってます。

 準決勝前には、ジュニアとオープンの各コースとも少しコースをメンテナンスします。その作業の間に、コンクールデレガンスをやってですね、それが終わったら各クラスの準決勝です」

「……結構長い道のりですね」

 遙斗はるとは味噌汁を啜り、海苔で巻いた白米を口に運びながら感想を述べた。決勝を含めると、最低でも4戦はしないといけないことになる。

「準決勝を勝つと、ピットに戻ってのセッティング変更はできないですから注意してくださいね。

 準決勝を勝って、決勝で3位以内に入ればめでたしめでたし。日曜日の本大会に出られるわけです。終了時間は大体18時ぐらいかな?」

 すらすらと説明を終えると、瑠貴るきは残りのバターロールをもぐもぐする。ゆっくり食べているように見えて、食事の進み具合は何故か瑠貴るきの方が早かった。

 別に瑠貴るきが早食いなわけではない。遙斗はるとが食事の手をあまり動かしていないだけなのだが、そのことに本人は気づいていないのである。

「私は、1ヶ月前の地区予選で優勝してるので最終予選は出ませんから、外野から応援してますね」

「でも笠……ええと、瑠貴るきさん。出ないなら何で今日から会場に行くんです?」

 遙斗はるとは食事の手が止まっていたことに気づき、ペースを早めながら瑠貴るきに聞く。自分のために前日から行くのだったら申し訳ない気分だが、微笑を浮かべる瑠貴るきの答えは、遙斗はるとの予想とは違っていた。

「コンクールデレガンスの全国大会、麻梨奈まりなが気合い入ってたから……作品預かってるし、代理とはいえ出ないわけにはいかないでしょ?」


「結構混んでますね」

 会場となるイベントセンターに着き、ハイブリッドバンを臨時駐車場に止めて。

 2人で必要な荷物を持って正門付近まで行くと、開門直後にもかかわらず長蛇の列ができていた。

「人は多めみたいですね。暑いですし、とりあえず早く入場してしまいましょう」

 遙斗はると瑠貴るきは、軍隊アリのように延々と伸びる列に並んで混じる。先頭は曲がり角で見えないが、ざっと100メートルぐらいの長さといったところ。

 入り口でオープンクラスの運営協力費として500円を支払い、公的な身分証明書を提示。身分証明書に記載されている氏名を入力してエントリーシートが発行される、という煩わしい仕組みが長蛇の列の原因だった。

 ペラ紙1枚のエントリーシートを配り、左手にスタンプを押すだけだった昔と比べて、水際での参加者の管理は徹底されている。過去、悪質な不正エントリーがいかに横行したかの証左でもあった。

「隅の方のテーブルは、まだ空いてるようですね」

 広大なピットスペースには、レース場を囲うように大量の長 テーブルとパイプ椅子が配置されている。無事にエントリーを済ませた2人は、そのピットスペースの隅の方に対面して座る。

「コースレイアウトは、それほど凝ってるわけではなさそうですね。スピードレースになるかも」

 ピットボックスを開けながら、コースの方を見やる瑠貴るきにつられ、遙斗はるともコースの方に目を向ける。

 ジュニアクラス用に1セット、オープンクラス用に2セット用意してある関係か、それぞれのコース自体はさほど長いものではなく、上から見るとおう字型に近い形をしている。中盤で大昔はヒルクライムと呼ばれ、今はドラゴンバックと呼ばれている丘のようなセクションが、ショートストレートを挟んで2つ連結されており、駱駝らくだの背中のような様相を見せているのが特徴的だった。レーンチェンジは立体交差型。おう字のへこんでる部分はU字のテーブルトップになっている。ジュニアサーキットのテーブルトップより高さがある、アイガースロープだ。

 直線が多くスピードに乗りやすいレーンチェンジに、2連結のドラゴンバックとU字アイガースロープ。さらに、アイガースロープ直後の90度カーブは、曲面ではなく平面を組み合わせたような形で、マシンを左右に揺さぶり不安定さを誘発するデジタルカーブとなっている。

 遙斗はるとにはかなり難易度の高いコースに見えるのだが、瑠貴るきの見立ては違っているようだ。

「今では割と平均的な難易度ですね。グレードアップパーツの、衝撃吸収タイヤが開発されるまでは、かなり難しいレイアウトだったようですけど」

 ミニ四駆に採用されているのは、通常はノーマルゴムやシリコン製のムクのタイヤなのだが、スロープの着地で全く跳ねないという謳い文句の、特殊衝撃吸収ゴム製のタイヤは、恐ろしく高価ながら確かな効果があった。第2次ブーム時代のショック吸収タイヤとは違い、特殊ゴム専門メーカーと共同開発した新素材と複合構造を採用することで、根本的な部分から超衝撃吸収性を追求したことが違っていた。

「フロントが、2つ目のドラゴンバックに引っかかりさえしなければ、確かに問題はなさそうですがね」

「越えるのはいいの。スピードがどうかっていうのをお忘れのようね」

 声は背中から聞こえてきた。

「あ、後町あとまちさん。ごきげんよう」

 瑠貴るきは優雅に立ち上がると、ぺこりと軽く頭を下げる。

 遙斗はるとが振り返ると、さすがに少女と呼ぶには歳が行き過ぎている、大学生ぐらいの年齢の女性が立っていた。

「ごきげんよう、瑠貴るきっち……って、今日は麻梨奈まりなっちじゃなくて、男連れなんだ。ははぁさては」

「違いますから。こちらは、木藤遙斗きとうはるとさん。新倉模型の新しい常連さん」

 言葉を遮るようにピシッと言うと、瑠貴るき遙斗はるとの方に視線を向け、右手を後町あとまちと呼ばれた女性の方に向ける。

「紹介しますね遙斗はるとさん。この方は、後町朱音あとまちあかねさんと言って、ジャパンカップ東海北陸地区予選の優勝者なんですよ」

朱音あかねでいいわ。今日は出ないけど、もし明日対戦することになったらお手柔らかに」

 左手を差し出す朱音あかね。よろしく、と短く返事して握手する遙斗はると

朱音あかねは少し離れたところに、地元組と一緒にいるから。笠宮かさみやさん達もまた顔見せに来てちょうだい」

 言い残すや否や、あっさりときびすを返す朱音あかね。すぐに他のテーブルへ移動し、同じように挨拶をしていた。

「あの人は顔が広いですから……彼女の周囲の人も強いですよ。気を引き締めてくださいね」


 広いピットスペースも、レース開始時間のだいぶ前には既に人で埋まっていた。この予選が最後のチャンスだけに、参加者も多い。

「では、エントリー番号200番までの選手、車検場へお越し下さい」

 ウグイス嬢のマイクを通じた声が、スピーカーを通して会場内にこだました。深夜に録画で一部始終を放送する地元ケーブルテレビ局と、ライブ配信しているインターネット中継のために実況席が設けられているので、司会進行と選手呼び出しは別々に行われている。複数台のカメラを使い、さながら冬季競技のスキークロス中継によく似たアングルで映像は配信される。

遙斗はるとさん、188番ですから行かないと」

 瑠貴るきに声をかけられ、マシンの調子を見ていた遙斗はるとは顔を上げた。既にメンテナンスも電池交換も済ませている。あとは初戦に臨むのみ。

「では行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい……私も見に行きますけど」

 マシンを持ち、遙斗はるとはオープンクラスの列に並ぶ。瑠貴るきはスタート台を正面に見える場所、仁王立ちする朱音あかねの横にちょこんと陣取る。なるほどナンパの心配はなさそうだった。

 順調に列は捌け、いよいよ遙斗はるとの番が回ってきた。最低地上高、全幅、全高、モーター、バッテリー種別、ローラー枚数、マスダンパー配置の検査を無事クリアし、エントリーシートにチェックマークが入る。マシン上部に貼られたレーン番号シールは3番。

「よかった、3コースなら悪くないわ」

「ええ、今日の鬼門は1コースだしね。大して名の知れた選手もいない組に入ったし、練習通りの走りならいけそうね彼」

 瑠貴るき朱音あかねはコースを見たまま頷(うなず)き合う。

 前の組のレースが終わり、遙斗はるとの組が一番前に押し出された。

 強いライト、レッドランプがともったシグナル、ぐるりと取り囲んだ観衆。フリーコースでの練習とはまるで違うその雰囲気が、遙斗はるとの足の裏から感覚を奪ってゆく。地に足が付かない、この感覚は実に久しぶりだった。

「スイッチオン」

 スタート台の制御ハンドルを持ったスターターが、5人の選手に促す。スイッチを入れ、斜め45度にセットされた青色のコース上に、マシンを構える。五台のモーター音が唸りを上げる。

 ごくり、と誰かの喉の音が鳴ったと思った刹那。

 ピィーッ!

 けたたましい音とともに、シグナルが赤から青に変わる。

 ――シグナルスタートには、ちょっとしたコツがあるんですよ。

 練習走行直後に言われた、瑠貴るきのアドバイスを忠実に守った遙斗はるとのテラスコーチャーは、素晴らしいスタートダッシュで一気に先頭を奪った!

「1次予選スタート! 3コースがいいスタートを切った、これは速いぞ」

 スタートの直線で一気の後続を突き放し、90度カーブを綺麗に曲がる。

 関門となる高速立体レーンチェンジはまだ中盤。レーンチェンジの橋桁の下をくぐり、もうひとつ90度カーブを曲がると、このコース最大の関門、ドラゴンバックが控える。

「先頭がドラゴンバックに突入、ひとつめ、ふたつめも……うまく越えた3コース」

 遙斗はるとのマシンはブレーキを使い、うまく減速させるのはいつもと同じだが、今回は後方重量をより増加させ、着地時にややフロントが上を向くようにセッティングしてある。2つ目のドラゴンバックの斜面に対し、フロントが引っかからないように侵入して越えてゆく作戦が功を奏した格好だ。

 ドラゴンバックを越え、さらにふたつの90度カーブを過ぎると、今度はU字型に組まれたアイガースロープ。ここもブレーキングでうまく制御して難なくクリアし、1周目を終えて後方とは約ストレート3枚分の差をつけた。

「2周目、3コースが順調に後続との差を広げているぞ」

 ストレートの加速力は、車重が軽い分だけ他のマシンに勝っているのか、ドラゴンバックやアイガースロープでの減速でやや詰められる差も、ホームストレートで広げることができている。

 加速するごとにコースアウトの不安は増えるが、3周目のレーンチェンジとドラゴンバックも、やや不安定になりながら何とか越えて5周目。

「ファイナルラップに突入……依然トップは3コース、続いて5コースと二コースが追い掛ける! 4コースはだいぶ遅れたか」

 既に1コースは序盤でコースアウトしていた。どうやら1コースのドラゴンバック付近は、フェンスの噛み合わせがよくないらしい。

 速度が乗って一番不安が大きくなる、5周目のドラゴンバックも見事クリア。後続2台はドラゴンバックを一気に飛び越えようとする作戦が裏目に出てコースアウトし、勝負あり。遙斗はるとのテラスコーチャーはアイガースロープを無事越えて、自分のレーンに戻ってきた。

「ここで3コースがゴールイン!」

 司会の声とともに、スターターが手に持ったフラッグを振る。遙斗はるとは、静かに右の握り拳をぐっと握った。

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