第5話2周目-2 予選の先へ

「よかったですね」

「きみきみ、素晴らしい走りだったじゃない」

 コースから出た後、瑠貴るき朱音あかね、それぞれから声をかけられる。遙斗はるとの左手には、メーカーロゴと通し番号の繊細な刺繍が施された、青色の短く丸い紐が握られていた。1次予選突破証の「タスキ」と呼ばれる紐である。

「ありがとうございます、おかげさまで何とか」

 遙斗はるとは軽く一礼。勝てるという自信はあったが、あそこまで圧勝できると気分もいい。

「1次予選でもトップ3に入るタイムもさることながら、何より見てて気持ちのいい走りをしてたね、キミのマシンは」

 遙斗はるとの背中に、かなり渋いような高いような、特徴のある男の声が掛けられる。

「およっ、まいちん」

 歩いて寄ってきた30代後半ぐらいの男は、遙斗はるとの知らない顔だった。背がやや高い以外はよく会場にいそうな風体だったが、いかにもベテランらしい落ち着きと雰囲気が、他の選手とはやや一線を画していた。

「ああ紹介するわ、この人は舞浜まいはまさんっていう古参のレーサーでね、みんなして『まいちん』って呼んでるんだけど、まぁ選手会長みたいなもんだよね」

 朱音あかねが簡単に紹介すると、舞浜まいはまと呼ばれた男は軽く3回ほど頷く。

「いかにも、本名は舞浜浩三まいはまこうぞうだが呼び方はお任せする……笠宮かさみやさんのことは朱音あかねちゃんから噂を聞いてるけど、キミは初めて会場で見る顔だね」

「初参加ですので……」

「いやいや、あのきれいな走りには、いい雰囲気を感じたよ。このまま明日のステージまで行けるといいね、応援してるよ」

 そうとだけ言うと、舞浜まいはまと名乗った男は颯爽ときびすを返して立ち去ってゆく。

「何だったんでしょう……」

「まいちんに1発で認められるのは大したもんだねー。春は家庭の用事で不参加だったんだけど、元気そうで何よりね」

 朱音あかねはあっけらかんと答えたと思うと、しばらくして横手から今度は小綺麗な格好をした、40代半ばぐらいの女性が3人に寄ってくる。みるみる困った様子の顔になる朱音あかね

「あー、先に言っておくわ。あれ、うちの母親だから」

『えぇ!?』

 驚いた声を上げる瑠貴るき遙斗はると

「数年ぶりに来たけど、レギュレーションやコースは大して変わってないくせに、昔とずいぶん会場の様子は違うわー」

「そりゃそうよ……って、母さんも出場する気で今回は来たの?」

「あらあら、母さんは朱音あかねが産まれる前からミニヨンやってるのよ。さっきいたまいちんが、タスキ取るにも四苦八苦してたヒヨッコの頃から知ってるぐらいだしねー」

 軽い調子で言うと、瑠貴るき遙斗はるとの方へと向き直る。

「若い子が増えたのはいいけど、昔から知ってる顔はめっきりいなくなったわねぇ……まあでも、一通り楽しませてもらおうかしら。今の若い子達の熱意と実力を」


「……ここでゴールイン! 勝ったのは4コース」

 昼食後から始まる2次予選。

 ここでも遙斗はるとのマシンは、1次予選ほどではないにせよ2位以下を突き放し、トップでチェッカーを受けた。これで準決勝進出。

「ホントに薄っぺらですねこの参加券」

 係員から受け取った次のラウンドへの参加券、いわゆる「薄紙うすがみ」を右の掌に乗せてまじまじ見る遙斗はると。ハッキリ言って、オフィス用の普通紙よりもはるかに紙厚が薄い。ちなみに書かれている番号は13番。

「昔からその厚さだったようですよ。

 薄っぺらでも、一度も取れずに引退するレーサーだっていっぱいいるようですから、薄いけど重みはある、な感じでしょうね」

「なるほど」

 遙斗はると瑠貴るきとともにピットスペースへ戻ると、飲みかけのコーラをぐいっと飲む。実にうまい。

 一方、瑠貴るきはマシンボックスではなく、手荷物の方から箱をひとつ取りだし、いそいそと開けて何やらマシンを取り出す。

「次はコンクールデレガンスですし、そろそろ用意しないと……麻梨奈まりなのコンデレマシン、これですよ」

「うわすげ」

 遙斗はるとは思わず感嘆の声を上げる。

 いわゆるバハキング・ジュニアなのだが、砂漠のような砂地ベースに乗せたディオラマになっており、スケールモデルに用いる人形やら小道具を使い、砂漠レース途中の整備風景を作り出していた。バハキング・ジュニア自体も入念に塗装されており、ラリーカー風の仕上げ。ウェザリングの具合も絶妙で、スパイクタイヤがひたすら似合っている。

「これ、ミニ四駆のコンデレというより、スケールモデルのコンクールみたいな出来映えですね」

「でしょう? マシン単品以上に、コンデレはこういった演出も大事なんだそうですよ……では、作品を置きに行きましょうか」

 瑠貴るきは、昼食後に記入を済ませていたコンクールデレガンス用エントリーカードを遙斗はるとに持ってもらうよう促すと、麻梨奈まりなの作品を両手で抱えるようにして、コース横にあるコンクールデレガンス会場へと向かう。

 受付の前は既に長蛇の列が出来ており、順番に係員へ作品とエントリーカード、コンクールデレガンス予選通過証明書を渡していく。コンクールデレガンスの夏の選手権は、ジャパンカップの地区予選会場で行われるコンクールデレガンスの優秀賞以上に出場権が与えられていた。

 麻梨奈まりなのコンデレマシンに振られたエントリーナンバーは12番。3段式になっている棚の中段に配置された。かつてはレーサーが自由にテーブルへコンデレマシンを配置できたが、場所による有利不利がないよう、現在は係員が配置を決める方式となっている。

「これより、コンクールデレガンス夏の選手権を開始いたします。

 順路に沿ってご観覧いただき、車検場に設けられました投票箱へ、エントリー番号を記入した用紙をご投票ください。

 作品を置いてある棚と仕切りのアクリル板にはお手を触れないよう、また観覧中や投票所へお並びの際、押し合わないようお願いします」

 ウグイス嬢の放送が流れ、コンクールデレガンスが始まった。公平性を期すため、レーサーの投票によって上位から順に最優秀賞1台と優秀賞3台、タミヤ賞4台を選ぶことになる。かつての公式レースのオマケ企画に等しい存在から、メーカー公認の模型コンテスト扱いへと格上げされた格好だ。

 組織票の存在など公平性を欠く問題も多いと囁かれるが、運営スタッフの独断で選んでいた昔よりはマシ、との意見が大勢だったりするらしい。

「へえ……」

 居並ぶ32台の力作を見て、思わず感嘆の声を上げる遙斗はると瑠貴るきは慣れてるせいか、歩きながらも声を上げずじっくりと見る。

「ちょっと、前に進んでくれるかな?」

「あっ、すいません」

 後方から促され、慌てる遙斗はると瑠貴るきはくすくすと笑いながら振り返る。

「これ慣れてないと、なかなかじっくり見れませんよね? 私も最初は、後ろの人に全く同じこと言われましたよ」

 瑠貴るきは右手で遙斗はるとの左手を握り、列の動く速度に遅れないよう遙斗はるとを引っ張り始めた。

 二人は手を恋人繋ぎにしたままコンデレマシンを1通り鑑賞すると、今度はレースの車検場に並び、車検台の上に設けられた投票箱への投票。ひとり1票なので、紙に12の番号を書き箱の中へ。

「さて、どうかしら……」

 投票後、2人は物販ぶっぱん横の自販機で飲み物を買い、自分のピットへ着席する。あとは投票結果を待つのみ。

 しばらくして、電光掲示板代わりに車検場の横へ設置されている、55インチ液晶テレビに番号が表示された。

 起こるどよめきは、歓喜か嘆息か。

 12番の番号は、並んだ番号の1番下に表示されていた。

「あ、タミヤ賞のようですよ」

 瑠貴るきの声は、普段より1オクターブは高かった。


「あちゃ、タミ賞止まりだったんだー……まあしょうがないねっ、あれは8割方が運だし、ボウズじゃなかっただけおんの字さっ」

 瑠貴るきのスマートフォンの向こうから、割と鮮明な麻梨奈まりなの声が遙斗はるとにも漏れ聞こえてくる。

 係員より受け取ってきた、システム手帳サイズの入賞盾と表彰状、粗品と呼ぶに相応しい記念品を目の前に見ながら、瑠貴るき早速麻梨奈まりなに結果を電話していた。

「うん、それもそうね。明日はこっちに来るの?」

「もちっ、瑠貴るきの活躍見ないとだからねっ、遙斗はるとくんも男だったら絶対予選突破するんだよって伝えといてっ」

 瑠貴るきに伝言されずとも、その元気な声はスピーカーから漏れて遙斗はるとに丸聞こえ。さらにひと言ふた言ほど麻梨奈まりなと話した後、瑠貴るきは電話を終えた。

麻梨奈まりなもああ言ってますし、頑張ってくださいね」

「もちろん」

 遙斗はるとは力強く答えると、コースの方を見やる。

 走りに多少不安を覚えたのか、遙斗はるとはローラーベアリングの洗浄を徹底するとともに、フロントローラーのスラスト角度を1度だけきつめに変更。リアブレーキを調整し終えたところで、呼び出しのアナウンスが流れる。

「では、これよりオープンクラスの準決勝戦を開始いたしますので、選手の方は車検場にお越し下さい」

 本来なら準々決勝の用意もあったらしいが、予想より完走率が低かったためか、2次予選の勝ち上がり人数が25名ちょうどだったため、5人ひと組で準決勝が行われるということだった。

 準決勝といっても、レースの進行は1次・2次予選とさして変わらない。本大会の明日は最初から選手紹介がコールされるらしいが、最終予選日は決勝のみのコールとなる。

「続いて、準決勝の第4試合!」

 いよいよ遙斗はるとの出番が回ってきた。進行は同じでも、会場全体の緊迫感が遙斗はるとにも伝わってくる。慎重にスイッチを入れ、スタート台にマシンを構える。コースは5コース。

 ピィーッ!

 シグナルが青に変わり、5台のマシンが横一線にコースインする。

「全車一斉にスタート……リードを奪ったのは1コースだ、続いてそれを5コースが追い掛ける」

「……っ」

 最初のホームストレートで、抜群の加速を見せた1コースの赤いエアロマンタレイは、遙斗はるとのテラスコーチャーを2台分ほど突き放す。力強くコーナーを駆け抜け、ドラゴンバックとアイガースロープを揺らぎもせず攻略してみせた。これまで予選を戦った相手とは根本的に性能が違う。速いというより、強い。

 その1コースのレーサーを横目で見てみた。

「……あれ?」

 遙斗はるとはやや間の抜けた声を漏らす。その1コースにいるのは……

「あれ、セッティング数年落ちのマシンの走りじゃないわね……びっくりした」

「すごい……」

 スタート台の真横に陣取り、ストップウォッチ片手に開いた口が塞がらない感じの朱音あかねの横で、瑠貴るきがぼそっと言った声が、遙斗はるとの耳へと僅かに届く。

 軽くウェーブのかかった髪をなびかせ、腕を組んで仁王立ちにマシンを見守る姿は、ブランクを微塵も感じさせない。帰ってきた歴戦のレーサーこと、朱音あかねの母親が遙斗はるとの視線の先にいた。

「2周目に突入、徐々に1コースと5コースの2台の争いに絞られてきたか」

 実況の声で我に返った遙斗はるとは、慌ててコースへと視線を戻す。気がつけばマシン3台分ほど離されている。後続3台はさらにその後方。

 再びドラゴンバックを乗り越え、コースを駆け抜ける2台のマシン。2次予選より速度は多少上げてはいるのだが、ストレートで突き放された分を一気に詰めて追いつくまでには至らない。

「ドラゴンもアイガーも、私が独身だったときからやり込んだセクションですもの……基本的な攻略のポイントは、時代が変わっても同じ」

 スロープを抜ける速度はほぼ互角。それでも、軽量級マシン独特の燃費のよさを活かし、4周目でマシン2台分差まで詰め寄るが、なかなか追いつけない展開でファイナルラップ。

 ――だめか。

「最後にインへ入ります、まだ諦めてはだめ!」

 内心あきらめが出始めていた遙斗はるとを励ますように、鈴のの声が横から飛ぶ。横目で見ると、両手を組み祈るような表情でコースを見つめる瑠貴るきの姿。

「接戦のままファイナルラップだ……先頭は変わらず1コースか、おっとレーンチェンジで5コースも差を詰めたぞ、これはまだわからないか」

 立体レーンチェンジと直後の90度カーブを越え、2台分あった差は一気にその半分以下まで詰まる。

 そしてドラゴンバックを越えた後のストレートで、ついに遙斗はるとのテラスコーチャーは深紅しんくのエアロマンタレイをとらえてその前に出た!

「いけ」

 遙斗はるとの静かな気合いとともに、2台はスロープへと突入する。逆転した遙斗はるとのマシンは車体1台分ほどのリードを奪っているが、アイガースロープはアウトコースを走るだけに、勝負はまだ分からない。

「このスロープが最後の勝負だ……先にスロープを降りてきたのは、これはほぼ同時か、さあ先にゴールするのは」

 二台はほぼ同時に水平になっているスタート台の下へと吸い込まれ、半呼吸遅れてチェッカーフラッグが振られる。

「……どっちだろう」

「同着だったようにも見えたんだけど……」

 周囲がざわめく中、スタート台の係員は慌てて実況席へと行き、モニターでリプレイを確認。どうやら映像判定らしい。

 大型液晶テレビにもリプレイが映し出され……

 係員の掌はいっぱいに開かれ、5本の指が示されると、今日一番のベストマッチに大きな歓声と拍手が沸き起こった。


「もう、本当にどきどきしましたよ」

「バンパー半分もない僅差なんて、なかなかない名勝負ね!」

「ありがとうございます」

 コース脇で第五試合の結果を待つ遙斗はるとに、瑠貴るき朱音あかねが声をかけた。決勝は公開車検となるため、ピットには戻らずそのまま決勝戦が行われる。

「素晴らしい勝負を見せてもらったよ」

「もうちょっとだったけどねぇ……電池が最後までたなかったわね。勝負事だから仕方ないけど、久しぶりに楽しませてもらったわよ。お見事」

 女子ユニット2人のすぐ後ろから、年齢的に渋い男女の声が遙斗はるとに向けられた。

「いえ、運とコース取りがよかっただけです」

 舞浜まいはま朱音あかねの母親に向かい、遙斗はるとは謙遜したように言う。

「公式で勝つってね、何よりそこが大事なのよ。よく覚えておきなさい」

「その通り、マシンは完璧でもツキがなければ勝てないものだからな……そこがモータースポーツ本来の醍醐味でもあるが」

 したり顔で悟ったような台詞を決めて舞浜まいはまが頷くと同時に、第5試合が終わり係員が遙斗はるとを含めた決勝進出者を呼びに来た。

「決勝は緊張すると思いますが、レース自体はそれまでと同じ運びですから、落ち着いてくださいね」

「頑張るんだよー」

「自信を持って臨めば必ずマシンは応えるはず。応援しているぞ」

「ほらほら、ぼーっとしてないで早く行きなさい」

 4人からそれぞれに言葉をかけられる遙斗はると。しかしいよいよ決勝、と思うだけで体が金縛りにあったように緊張してくる。足を動かそうにも動かない。

「あ、こりゃ相当緊張してるわ。心臓小さいなー」

 朱音あかねが呆れたように言う。その言葉が終わるや否や、瑠貴るきは意を決したようにカンカン帽を取り朱音あかねの方へ押しつけると、遙斗はるとの左肩を掴み、無理矢理自分の方へと振り向かせた。

遙斗はるとさん、おまじないしてさしあげます」

 優しく言いながら、瑠貴るき遙斗はるとの額に己の額を合わせる。その刹那、遙斗はるとは回りの音がサッと途絶えたように感じた。

「なんとかなるから」

 目を瞑った瑠貴るきの、控えめな桜色の唇が動く。そのスローモーションのような唇の動きひとつひとつが遙斗はると双眸そうぼうへと入るたび、己を縛っていた緊張の糸がするすると解けていくように感じた。

「さ、いってらっしゃい」

 瞳を開いた瑠貴るきが、額を遙斗はるとから突き放すように離すと、遙斗はるとの世界に再び音が戻ってきた。

 しかし、それまでの緊張が嘘のように消え、心は妙に落ち着いていた。いける。

「うん、いってきます」

 遙斗はるとは力強く瑠貴るき達に頷くと、車検場へと歩を進めた。

 準決勝は全レースで勝ち上がりがあったため、5人で決勝が行われる。それぞれのマシンを確認し、違反がないかをお互いチェック。

「それぞれ、異議はありませんね?」

『はい』

 係員の問いかけに、5人全員が同じ答えを返す。係員は頷くと、新品の乾電池を順に手渡し、5人は支給された電池に積み換えた。

「それでは、これより決勝戦を始めます。皆様、盛大な拍手で入場選手をお迎えください。1コース……」

 以前は、入場コールは直前に本名か選手名を書いて申請する形式だったが、何かしら社会生活上の支障が考えられるなど、選手名を希望する特別な理由がない限りは、エントリーシートに記載した本名にて呼び出しが行われる。

「4コース、木藤遙斗きとうはると選手!」

 コースの周囲からは、盛大にとはいかないまでも、まんべんなく拍手が起きる。遙斗はるとはやや硬い表情でスタート台まで歩を進めた。

「FDBサマースペシャル・タミヤミニ四駆全日本選手権ジャパンカップ、最終予選決勝戦!」

 赤いシグナルにともり、スタート台が斜め45度に傾けられる。

「全車、スイッチオン」

 スターターの声とともに、五台のマシンのスイッチが入り、スタート台に構えられた。

 ピィーッ!

「決勝戦、全車一斉に綺麗なスタート……これは横一線、接戦になりそうだ」

 スターティングの技術はほぼ互角なのか、綺麗に横一線にコースインすると、ホームストレートもほぼ横一線のまま立体レーンチェンジに入る。

 ドラゴンバック、スロープでもほとんど差がつかずに2周目へ入るが、ここでも大きな差は付かず3周目へ。3位までは明日の本大会への出場権を得られるが、決勝は5人なので2人は脱落することになる。僅差の接戦に、会場の緊張感もさらに高まってゆく。

「接戦ね……遙斗はるとくん以外は提灯ちょうちん系が2台にサスが2台、どれもいい走りしてるわね」

 朱音あかねがストップウォッチを片手に唸る。瑠貴るきは準決勝と同様、手を組んで祈るように見つめる。その後ろで黙して見つめる朱音あかねの母親と舞浜まいはま

 提灯とはマスダンパーの1種であり、考案から長い年月が経過して今や旧態依然といっていい技術ではあったが、ボディ一体型の低位置取付ヒクオ・ノリオなどバリエーションが多く、また制御効果が比較的高いため、陳腐化した今でもシャフトドライブシャーシのマシンにはよく用いられている。衝撃吸収タイヤも絶対の効果ではないのだ。

「4周目に突入……おっと3コースがコースアウト、残るは4台」

 やはりドラゴンバック周辺の継ぎ目の悪さが祟ってか、1台が斜めに弾かれる。5台同時に侵入する分、それぞれのマシンにかかる衝撃も大きい。

「いよいよファイナルラップ! これはどうも、最後まで勝負の行方は分かりそうにない」

 ほぼ互角のまま立体レーンチェンジへ。ここでマシン1台分前に出ていた、1コースのライジングエッジがレーンチェンジで減速、変わってすぐ後ろにつけていた遙斗はるとのテラスコーチャーが先頭に出る。

「よしっ、先頭取ったわね」

「ここだな」

「そうね。ドラゴンできちんとリードを広げられれば」

「……お願い……」

 四人の声が交錯する中、ドラゴンバックの継ぎ目で引っかかり、ライジングエッジはさらに大きく減速。マシン1台から2台分ほど後方にいた、2コースと5コースの集団に吸収される。

「さあ最後のスロープだ……あっと、先頭の4コースが下りでバランスを崩した!」

『!!』

 うまくアイガースロープ直後のデジタルカーブを抜けたかと思われたが、最後にバランスを崩し、テラスコーチャーは横へと横転!

 かろうじてひっくり返るのは免れ、慣性によりサイドローラーで横立ちとなり前には進んでいるが、再び2台を突き放した1コースのライジングエッジが、後ろからみるみるテラスコーチャーを追い詰める。ゴールまであとストレート1枚半。

「戻れッ!!」

「もどってーっ!!」

 遙斗はると瑠貴るき、2人の声が木霊こだまする。

 そして、その声に応えるかのように、慣性で進んでいたテラスコーチャーは再び横へと転がり、4輪のタイヤで白いコースの路面をしっかり掴んだ!

『おおっ!?』

「もどったッ!」

「やったっ!」

 会場のどよめき、朱音あかねの驚愕、瑠貴るきの歓喜……3つの声が入り混じる中、再び力強く走り出そうとするテラスコーチャー。

 スロープを下って、猛然とした加速で迫ろうとするライジングエッジだったが、こちらもスロープの着地でバランスを崩し、やはり横倒しになる。

「おっと、1コースも横転! サイドローラーで前には進んでいるが、そこから最後に残った2コースがやってきたぞ! ここで4コースが再び元に戻ったが、果たして逃げ切れるか」

 5コースがスロープ登りでコースアウトしたため、残った2コースのエアロアバンテが、後ろから加速しつつもスロープを無事着地し、ライジングエッジをかわしてテラスコーチャーに迫り来た!

 そして、テラスコーチャーとエアロアバンテは、同時にゴール台の下へと吸い込まれる。

『どっちだ……?』

 会場がさらに大きくどよめく。スタート台の係員は実況席のモニターへ。会場の液晶テレビにはリプレイが表示される。

「これは……」

「負けたかな」

 スタート台の係員が示した指は……2本だった。

 リプレイ画面は、わずかローラー半分の差で、ゴールラインをエアロアバンテの方が早く切っている瞬間を映し出していた。


 素晴らしい接戦に対する大きな拍手に送られながら、遙斗はるとは肩を落として瑠貴るき達の元へと戻ってきた。

「惜しかったですね……また明日がありますし、頑張りましょう」

「そうそう、予選は出場権取るのが目的みたいなもんだから、3位以上の順位並びは正直あんまし関係ないもの。おめでとうだよ!」

 瑠貴るき朱音あかねに励まされるが、遙斗はるとの悔しさはおさまらない。

「どう、楽しかったでしょ?」

「うむ、このシチュは楽しくないという方がおかしいだろうな」

「え……?」

 満面の笑みで、意外な問いかけをしてきたのは、朱音あかねの母親と舞浜まいはまだった。勝負事だけに、やはり負けたのは悔しいものなのだが、楽しかったかとは一体どういうことなのか。

 舞浜まいはまは続けた。

「勝って大金が手に入るわけでもない。そして、負けて失うものは何もない。

 そりゃ勝てば名誉や賞状は得られるだろうが、プロスポーツや五輪の選手みたいな『生活に関わる名誉』ではなく、所詮は『趣味の名誉』に過ぎんのだ」

「もちろん真剣に挑むのは一番大切なことだけど、ミニ四駆はアマチュアスポーツの世界だから楽しんだもん勝ち。一時の勝った負けたでムキになっても損するだけよ。レースできることを存分に楽しんで、そして決勝の舞台に立てることを感謝して喜ばないとね」

 朱音あかねの母親が舞浜まいはまの言葉を引き継ぐと、視線を奥にやった。

「見なさい、あの子を。ああなってはいけないわね」

 視線の先には、遙斗はるとと似たような年齢だろうか。笑顔ひとつ無く、ただふて腐れるのみ。ひとり3位の表彰を待つライジングエッジの持ち主の男がいた。

「準優勝は、木藤遙斗きとうはると選手です。表彰台にどうぞ」

 アナウンスで我に返ると、遙斗はるとは慌てて振り返り、表彰台へと歩を進める。

「おめでとうござます。木藤きとう選手には明日行われます、FDBサマースペシャル・タミヤミニ四駆全日本選手権ジャパンカップ・オープンクラスチャンピオン決定戦への出場参加券と、賞状・記念品が贈呈されます」

 表彰台の端へ登った遙斗はるとに、初老の男性が歩み寄ると、遙斗はるとへ大判で厚手の賞状と小さな箱、そして小さなレター封筒を渡した。封筒の中身が明日の本大会への案内状と参加券らしい。

「最後まで目が離せない、いいレースをありがとう」

 初老の男は遙斗はるとにそう声をかけると、会場からは大きな拍手が起きた。

 遙斗はるとはありがとうございます、と返すと目を上げ、会場を見た。

 少しだけ高い位置にいる自分に、大人と子ども、会場中の視線が集まっていた。

 ――ああ、そうだ。

 遙斗はるとは思う。子どもの頃、地方の田舎に住んでいた遙斗はるとは、ずっと離れた会場で開催される公式レースに出場したのは、3度きりしかなかった。

 そして、その3度はすべてよく覚えている。この白いコースで走らせることができる。その喜びでいっぱいだったから。

 子どもの頃に感じていた、そのささやかな喜びを、遙斗はるとはあの少女の姿とともに、表彰台の端で噛み締めていた。

 ――レースできること存分に楽しんで、そして決勝の舞台に立てることを感謝して喜ばないとね。

 朱音あかねの母親が行った言葉の意味が、遙斗はるとにはようやく分かったような気がした。

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