第3話1周目-2 遠征

 真夏の炎天下、外出は正午までか夕方からか、に限られる。

「気をつけて帰るんだよーっ」

 太陽が頂点からわずかに傾いた頃、子ども達は自転車に飛び乗り、あるいは歩いてそれぞれの帰路につく。帰ったらちょうど昼食の時分、といったところ。

「さてさて、何事もなく無事終了っと……瑠貴るき、それに遙斗はるとくんもお手伝いあんがとねっ」

 タオルで顔を拭きながら、麻梨奈まりなはそれぞれに笑顔を向けたが、そこで表情が突然張り付く。

「そういえばさ、来週は全日本選手権ジャパンカップだったねっ!」

 麻梨奈まりなは、思い出したかのように大きな声を上げると、瑠貴るきに向かって拝むように両手を合わせる。

「ゴメン瑠貴るきっ、来週の土曜は店は盆休みだけど、両親と先祖参りに行かないと……」

「……そうなんだ。でもお盆だし仕方ないね」

 申し訳なさそうに言う麻梨奈まりなに、残念そうに答える瑠貴るき。世間は来週からお盆休みに入る。気候としては、今が一番暑い。

全日本選手権ジャパンカップ?」

 遙斗はるとはおうむ返しに聞き返す。

「そう、来週は夏の全国大会だよっ」

 春夏秋冬を通して行われているミニ四駆の公式大会のうち、夏に行われる全国大会がFDBサマースペシャル・タミヤミニ四駆全日本選手権ジャパンカップ。ようやく遙斗はるとはそのことを思い出した。

瑠貴るきは出場権を持ってるから、どうしても連れてってあげたいけど……」

 いささか元気なさげな麻梨奈まりなを見て、瑠貴るきは作ったように笑顔を向ける。

「そのことは仕方ないわ……それよりせっかくだし、麻梨奈まりな遙斗はるとさんも私の家に来てランチしません? 冷たいもの用意させますので」

「おっ、いいねっ。 じゃあ毎度だけどお邪魔しちゃおうかしらねっ」

 瑠貴るきの提案に即答する麻梨奈まりなだが、遙斗はるとは少し考える。いくら何でも、初対面でいきなり女性の自宅は、丁重ていちょうにお断りしておくのがマナーな気もするのだが、そう考えているうちに、話はホームストレートを驀進ばくしんするマシンのように加速中。

遙斗はるとさんは歩きっぽいけど、私いつものスクーターだし、どうしようか」

「大丈夫、遙斗はるとくんはウチの軽に乗せてくから」

「そう? なら先に行ってるよ」

「りょーかいっ」

 あっという間に会話を終えると、瑠貴るきは荷物を持ち、すたすたとあさっての方へ歩いて行く。

「って返事してないのに行くことになってるし」

 同じく、車のキーを取りに店の入り口へ向かおうとしていた麻梨奈まりなが、くるりと振り向く。

「私の助手席と瑠貴るきの家がそんなにイヤ?」

「いや別にそういうわけでは」

「なら決まりっ。遠慮えんりょすることないって、行けば分かるからっ」

 自他共に認めるところだが、遙斗はるとはあまり口が達者ではない。この炎天下、遙斗はるとには言い返す気力も沸(わ)かなかった。


「手狭だけど我慢ねっ、瑠貴るきの家は十分じゅっぷんぐらいのトコだからっ」

 とっくに生産停止になっている型の軽バンを操りながら、麻梨奈まりなは助手席の遙斗はるとに声をかけた。フロントガラスには、数メートル先を瑠貴るきのスクーターが走っている。シルバーとブラックで塗り分けられた、パイプ調のデザインと太いタイヤがワイルドチックな、なかなか瑠貴るきのイメージに似つかわしくないシロモノである。

「仕入れとかで使ってる車ですかこれ」

「そうだよっ、古いけど、サスペンションが今売ってる軽バンにはないぐらい頑丈でねっ、排ガス規制で車検に引っかかるまでは使いたいねっ……ほら、あの左手のが瑠貴るきの家だよっ」

「……」

 遙斗はるとは、頬に一筋の汗が伝ったのを感じた。

 麻梨奈まりなが右手で差したその先は、とりあえず真っ先に大きな木と囲い柵が目に入った。そしてその奥には、テレビの特番で見るような白亜はくあの豪邸がデンと見えたりする。

 あの家が瑠貴るきの家で間違いないなら、瑠貴るきは紛れもなく、世に「名家めいかのお嬢様」とか「深窓の令嬢」とか、あるいは「セレブ」などと呼ばれている人種に相当するんじゃないかと遙斗はるとは思った。

「さ、ついたよっ」

 大型車2台分以上の幅はある、格子状の門扉が勝手に開くと、瑠貴るきのスクーターはそこに吸い込まれていき、麻梨奈まりな遙斗はるとが乗る軽バンもそれに付いて門をくぐる。

 行けば分かるから、と言った麻梨奈まりなの言葉の意味が、遙斗はるとは少し分かったような気がした。

「お帰りなさいませ、瑠貴るきお嬢様」

 門扉(もんぴ)の方から、家政婦らしき小綺麗な格好の中年の女性がひとり瑠貴るきに歩み寄る。

「ただいま。汗かいたからシャワー浴びるわ。ランチと洗濯は全員分お願い」

「かしこまりました」

 ヘルメットを脱ぎ家政婦に渡しながら、手短に会話する『令嬢・笠宮瑠貴かさみやるき』を、遙斗はるとは車から降りながら見ていた。新倉模型にいた時と一見すると変わりないように見えるが、気配の端々からは別人のようなオーラが伝わる。

「シャワー室は3人分ありますので、汗を流していってくださいな。麻梨奈まりなは分かってるからいいでしょうけど、遙斗はるとさん、うちのお手伝いさんに案内させますので、くつろいでくださいね」

 言い終わるかどうかのうちに、家の方からさらに数人の家政婦らしき人が来て、遙斗はるとは思考停止したまま流されるように従っていると、気づいたらシャワー室らしき場所の前に立っていた。

湯浴ゆあみされましたら、下の籠にお客様用の肌着とバスローブがございますので、とりあえずはそれをお召し下さい。今着られているお召し物は、お帰りの頃までに洗濯して乾かしますので、上の籠にお入れください」

「は、はあ……ありがとうございます……」

 一通り説明すると、家政婦はいずこかへと下がっていく。シャワー室の前には遙斗はるとだけが取り残された。

「どこの王国ホテルだよ……」

 驚き半分、呆れ半分で独り言を呟くと、とりあえず服を脱いで遙斗はるとはシャワー室に入った。


「こう暑い日はソーメンに限るよねっ」

 麻梨奈まりなはずるずるっ、と実に旨そうな音を立ててソーメンを喉に流し込む。隣で音ひとつ立てずにお素麺をすする瑠貴るきに比べると、育ちの違いが悲しいほど浮き彫りになっているような感もある。

 シャワーを浴びて着替えた後、通された部屋にあるゴージャスな円卓に並んでいたのは、夏の庶民的食べ物の代表格、きっちり3人分の素麺だった。

 豪勢なものを勝手に期待してた遙斗はるとには拍子抜けだったが、素麺もつゆも料理の鉄人が作ったのか、何だか異様に旨かったりする。しばらく安物の素麺は食べられそうにない。

「でねっ、来週の土日のことなんだけどねっ」

 鉄人級の素麺そうめんを1本残さず平らげた後、麻梨奈まりなは斜め前に座る遙斗はるとに声をかける。円卓を三角形の頂点のように囲んでいるので、3人ともお互いを正面に見ることができた。

「私は行けないもんだから、全日本選手権は遙斗はると君が運転して瑠貴るきといっしょに行って欲しいんだけどね、できるかいっ?」

「できなくはないでしょうが……僕の車じゃ2人は手狭だし、そもそも泊まるところはどうするんです?」

「それについては心配には及びません」

 後ろから声をかけられ、思わず遙斗はるとが振り向くと、アイスコーヒー3人分をトレイに乗せた、初老の男性が立っていた。

「車は当家所有のハイブリッドバンをご用意しますし、向こうでのお泊まりは現地の最高級ホテルを2部屋確保しております。

 ハイブリッドバンには、ナビゲーションも自動料金支払装置も装備してありますので、ご自由にお使いください。ホテルも既に支払いは済ませておりますので」

 物静かに、しかし自信を持って答えると、初老の男性はアイスコーヒーのグラスを3人の前に手際よく置いてゆく。遙斗はるとは本物の執事を初めて見た。

「至れり尽くせりですね……でも、そもそも笠宮かさみやさんはいいんですか? よこしまな気持ちは毛ほどもありませんが、一応余所の男性とふたり旅ですよ?」

 出されたアイスコーヒーを、瑠貴るきはブラックのままストローで1口吸う。

「……別に私は構いませんよ。私は車の運転免許がありませんし。

 あと、土曜はコンクールデレガンスの全国大会と同時に、本大会の最終予選をやる日ですから、遙斗はるとさんも最終予選で上位3名までに残れば、日曜の本大会に出られますよ……私1人で参加はちょっと、ね……」

 最後はやや歯切れが悪そうに言うと、ちらりと麻梨奈まりなの方へ視線を送る。

「……あ、ほら瑠貴るきは見て分かるとおり可愛いでしょ? その邪な気持ちの塊みたいなのが、大会に行くとよく寄ってくるんだよねっ」

 麻梨奈まりなは、出された時点で大量のミルクが入っていたアイス コーヒーを、ちゅーっ、と慌ててストローで啜りつつ、右手で携帯を出して開き数回操作、画面を遙斗はるとに見せる。

「……?」

 呼び出された画像ファイルには、王冠と紅(くれない)マントを装備し、少し照れくさそうにする瑠貴るきが映っていた。可愛い。

「何の画像?」

「大学4年のとき、瑠貴るきが学祭のミスキャンを2連覇した際の」

「ちょっ、ちょっとぉ!? 何恥ずかしいもの見せてるのかな麻梨奈まりなッ!?」

 臆面もなく言う麻梨奈まりなに、耳朶じだまで真っ赤にして叫ぶ瑠貴るき。席を立ち脱兎のごとく遙斗はるとに駆け寄ると、横から麻梨奈まりなの携帯を分捕る。

「こ、これはダメです、もう何年も前の画像なので……見なかったことにしといて下さい」

 消え入りそうな声で言いながら、麻梨奈まりなに携帯を上手投げで投げつける瑠貴るき。それほど勢いはなく、余裕でキャッチする麻梨奈まりな

「あははっ、ごめんごめんっ。

 こんな具合で瑠貴るきは世間的にも美人で通っちゃうもんだから、色々大変だとは思うけど、しっかりついてやってちょうだい。私は、インターネット速報で応援してるからさっ。

 あ、本当に困ったら、瑠貴るきは他の女性のレーサーさんと仲いいし、助け求めればいいから」

 ……助け求めないといかんぐらい、ナンパ多いのか……?

 などと遙斗はるとは思ってしまうが、未だ男性が7割方を占めるだけあって、さもありなんという気はする。ジャパンカップに移動手段に宿舎込み、凄腕の美女レーサーとふたり旅と、至れり尽くせりツアーで行けるのはいいが、やはり世の中うまいだけの話はない、と思う遙斗はるとだった。

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