遠山透子の日常

狐夏

発火地点

 ところで私がなぜこんなところにいるかというと、この一通の手紙のせいであるところが大きい。すべてをこの手紙の責任にするつもりはない。だって私がこうやって自分でここまで足を運んでいるのだから。それでもやはりこの手紙がなければこんなところに来ることはきっと生涯なかったことだろう。

 手紙にはこんな感じのことが書かれていた。


『突然のお手紙失礼します。

 私は、○○町の××丁目にある廃病院に閉じ込められています。もしこの手紙を読んでくれた方がいましたら、私を連れ出してください。

 遠山透子』


 しかし、私が足を運んだ番地には、立派に改築された総合病院が立っていた。


「何だよ。いたずらか? それとも被害妄想者からの手紙、とか」

 はじめはヒーロー気取りだったが実際に着いてみれば、なんだただのいたずらかとすっかり気分は変わってしまっていた。

 一応確認だけでもしてみるかと、受付で差出人についてきいてみることにする。

「すみませーん。ちょっと確認したいことがあるんですけど」

 なんだか忙しそうな係の人に声をかける。受付室の奥で何か探し物をしているらしく、私には気付いていないようだ。

「すみませーん。ちょっと聞こえてます?」

「え? あ、ごめんなさい。私ったらまた探し物に夢中になっちゃってて」

 振り返った係員は想像よりも若く、いや服が服なら高校生と言われても気付かれないくらいで、ぱたぱたと受付口までやってきた。

「ごめんなさいね。あまりに人が来ないものだから少しだけ探し物をしてたつもりなんだけど」

「いえ、ちょっとお聞きしたいことがあっただけなので」

 私はそう言って例の手紙をポケットから取り出した。取りだ……。取り、とり――、ない! 家を出るときポケットに入れたはずの手紙がない。

「あ、すみません。手紙を持ってきたはずだったんですが、どこかで落としてきちゃったみたいで」

 私は事情だけでもと思いなおす。

「実は、その手紙でここの番地が書いてあって、それで来たんです。それが廃病院だって書いてあったのに着てみればちゃんとした病院で」

「あぁ、それで確かめに来たんですねぇ」

 係の人、座高が低くてネームプレートは見えなかったが――は、にこにこと話を聞いてくれていた。

「でも、もしかしたらその手紙ってここでなくしたかもしれませんよぉ」

「何でそんなこと言えるんですか? 途中の道端で落としたかもしれないですし」

「いやねぇ、ここの病院って結構物がなくなるんですよぉ」

「はぁ」

 私はさっきこの人が探し物をしている姿を思い出した。

「それでさっきも探し物をしていたんですか?」

「そうそう、そうなのよぉ。私保険証なくしちゃってねぇ」

 重症だ。この人病院で保険証なくしてるよ、しかも取り出す必要性がかなり低いものだよ。

「も、もしかしてドジっ子ってやつですか?」

 初対面ではあったが、ついつい思ったことをそのままきいてしまった。

「いやぁ、たまに言われるけど、そんなことないんですよ。本当にここの患者さんや看護師さんもいろいろ失くし物するんですから」

「はぁ」

 そんなこと言われても、本当かどうかわからない私にはなんとも言えない。

「それで、その手紙がどうしたのかしら」

「あ、そうそう。その手紙の差出人なんですが、ここの患者さんかお勤めの方かと思ってその確認を……」

 あぁ、手紙だけではなかった。肝心の差出人まで私は忘れてしまっていた。

「す、すみません。その差出人の名前、忘れちゃって」

 ハハハと乾いた笑みを浮かべると、

「たぶんねぇ遠山さんじゃないかしら」

 係の人は、言葉の割にあたり前だという顔で言う。

「た、たしかそんな名前だったかと思います」

「そうよねぇ。そうよ」

 係の人は何か納得するように一人頷いている。

「で、その人はここにいるんですか?」

 私は受付口に一歩近寄る。

「お部屋は五階の一〇五号室ね」

「ありがとうござ――」私が言いかけると、

「でも、その部屋空き室だから」

 私の足が止まる。え? いるけど、空き室ってどういうこと?

「だからねぇ、この病院って結構いろんなものがなくなっちゃうのよぉ」

 係の人は口調も変えずににこにこ言う。

「あ、あのぉ。もしかしてその遠山さんって?」

「うーん。半年くらい前だったかしら。なくなっちゃったのよ。まぁ人だからいなくなっちゃったんだけどねぇ」

 いやいや、おかしいでしょ。人が消えてなんで事件になってないのよ。

「警察に探してもらってるんですか?」

「一応ねぇ。ただ、証拠も手掛かりもないから情報待ち状態らしいわよぉ」

 ちょっとしゃべり過ぎちゃったかしら、と付け足すとエレベーターの場所を教えてくれた。

 私はとりあえず、その部屋に行ってみることにした。

 だいたい、手紙をもらったからちょっと来てみただけなのに、なんでこんなとんでも事件の捜査みたいになってんのよ。私は内心、探偵みたいに解決できたりなんかするんじゃなんていう淡い期待をしながら一〇五号室へと向かった。

 チーン。エレベーターの扉が開くと鴬色の廊下が続いている。歩く度、リノリウムのキュッキュッという音が響く。

 ここか。空き室のプレートの下に小さな紙が貼られていて、手書きで遠山透子と書かれてあった。

 ノック、する必要はないか。ドアノブは捻ると、静かにドアは動いた。白い壁に白い床白いカーテンが束ねられ外の景色が映る。ベッドは皺ひとつなくシーツが敷かれてある。本当に誰もいない空き室だった。

 何でこんな奇妙なことになったのだろう。彼女はどこに消えてしまったのか。ただ白い部屋に手掛かりは見当たらず、唯一の手掛かりらしきあの手紙も、今やどこかにいってしまっていた。

 探偵もだめだったかぁ。探偵気分も冷めてきたところで私はそろそろ帰ろうかと思い始めた。目的も果たせず、それどころか迷宮入りレベルの難事件に巻き込まれる始末。そもそも私は遠山透子なんて知らないし関係ないのだ。だから帰ろう。よし帰ろう。

 そう決めて、さっさとエレベーターに乗る。扉が閉じ切る瞬間、隙間から小さな女の子がこっちに手を伸ばして泣いている姿が映った。いや、目の前でではなく、脳裏にそれが浮かんだのだ。

 テレビの見すぎかと思ったが、病院という場所に気持ちが呑まれたらしい。思えば、その場面は中からではなく外から中の少女を見ているようだった気がした。彼女が私に行かないでと言っていたような――。それで彼女は大人に連れていかれて私はただ彼女がそうするのを見ているだけで、――。何だろう。知らないことが次々浮かんでくる。何かの映画で見たシーンだろうか。本で読んだのだろうか。それから彼女はどうなったんだっけ? いや、私はどうしたのだろう。

 チーン。エレベーターが止まる、扉が開く。

 私はそのまま受付を通り過ぎ、――すでに係の人はなくなっていたが、病院を出ると、あの続きを思い出そうとしてもできずにいながら、家へと帰った。


 次の日、一通の手紙が郵便受けに入っていた。だから、私は今日もそこへ足を運んでみることにする。

 遠山透子の記憶を探して――。




Closed―Lost memory will be recovered by ignitions.―

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