最終話
教授と別れてから、約20年が経った。
ぼくはいま、小さな私塾を経営している。
「この世界は、きっと私たちが思っている以上に柔軟ですよ」
そう言った教授の言葉を信じて、ぼくはいまここにいる。
どんな困難でも、教授のアドバイスに従えば、なんとかなってきた。
そして、この歳で一国一城の主に収まったのだ。
塾の名前は「ウッディ」にした。
近所の子供たちを相手にする、こぢんまりとした塾である。
通ってくる子供たちはみんな腕白、元気いっぱいで、塾というよりは託児所として使われているような気もしている。
今日も我が校唯一の教室は、携帯ゲーム機を手にした小学生に占拠されていた。
授業はとっくに終わったというのに、子供たちが家に帰る気配はない。
「おおい、早く帰りなさい!」
私が声を張り上げると、携帯ゲーム機で協力プレイに打ち興じていた小学生男子たちの一団が、パッと顔を上げた。
「先生もゲームやろうよ。オレたちだけじゃボスが倒せないんだ。手伝ってよ」
リーダー格の翔くんが私の顔を見て、真顔でそう言った。
人の話聞いてないな、この子は。
「だーめ。ぼくは教室の片付けしないといけないんだから。はい、帰った帰った」
少年たちの肩を叩いて回ると、「えー!」という不満の声が上がった。
「翔ったら先生のことが好きだから、一緒にゲームしたいんだよね? 先生、美人だもんねー?」
残っている小学生の中では紅一点のユキちゃんが、翔くん……そして巻き込み気味にぼくをからかった。
「ユキちゃん、大人をからかっちゃいけません」
「えー、お世辞じゃないですよ。うちのパパ、先生に会うとき鼻の下が伸びてるもん。マンガみたいに間抜けな顔になってるの」
ユキちゃんの家にはお母さんがいない。
授業の終わりが遅いときの送り迎えをしているのは、優しそうな雰囲気のお父さんだった。
よく口が回るユキちゃんとは正反対の朴訥な人だ。
ユキちゃんが言うような、イヤらしい表情をしているところは見たことがない。
「だから翔も隠さなくていいんだよ? いつも先生のこと目で追いかけてるじゃん」
まぁ、この年の女の子はだいたいおませさんだからなぁ。
翔くんは顔を真っ赤にして「ちげーよ!」とユキちゃんに反論している。
「先生が一番ゲームうめぇから、さそっただけだって! 先生、女のくせにすげーうまいんだぜ!」
照れ隠しのように一気にまくし立てるが、ユキちゃんはケラケラ笑うだけだ。
「翔、すぐに『女のくせに』とか言うのはダメだって。そんなこと言ってたら、好きな女の子に嫌われちゃうぞー!」
「せ、先生は女の子っていうような歳じゃないだろ!」
翔くんは、言ってから「しまった!」というようにチラッとぼくの方を見た。
ユキちゃんはそんな翔くんを見てニヤニヤしている。
「はいはい、そんなことはさておき! きみたち、次の1ゲームが終わったらすぐ帰るんだよ!」
ぼくは両手を打ち鳴らし、少年たちにそう告げる。
元気のいい「はーい!」という返事が戻ってきた。
男子たちがゲームを再開すると、今度はユキちゃんがぼくに話しかけてきた。
「あ、先生! その間に、わたしの宿題ちょっと見てください!」
可愛らしいシールが貼られた教科書を開くと、そこにあるのは算数の図形の問題。
「この問題、解き方を考えてみたんですけど、全然わからないの」
見れば、中学で習う公式を使えば一瞬で解けるような代物だった。
でも小学生の知識で解くには、一工夫必要だ。
まぁ、ちょっとした意地悪クイズだな。
答えを教えるのは簡単だけど、ここは軽いヒントにとどめておこう。
「ユキちゃん。この図形に一本、線を足してごらんなさい。そうすれば、きっと世界が変わるから」
ユキちゃんはキョトンとした顔をしていたが、教科書に目を落とすと「線、線ね……」と考え込みはじめた。
彼女が正解にたどり着くのを待つ間、ぼくは男子たちのゲーム機を覗き込む。
そこでは、4人の戦士たちが、巨大なモンスターと戦っていた。
状況を見るに、戦士たちのほうが劣勢だ。
ふむ、ここは軽くアドバイスしてあげるべきだろうね。
「翔くん、あなた弓持ってるんだから、使いなよ」
「そんなもん、こんな近い距離じゃ使えねーって!」
翔くんのキャラは巨大モンスターの足元を逃げ回りながら、手にした剣で切りつけるが、大したダメージを与えられずにいる。
そうこうしているうちに、モンスターの足が翔くんのキャラを跳ね飛ばした。
その一撃で、画面に表示されている体力ゲージが半分ほど赤に染まった。
「違う違う、きみだけマップBの北から回り込むの。いまのマップCを西から出て、ぐるっとマップBに戻ってくると、そこに水に囲まれた高台があるでしょ? そこから弓で狙えばいい。そこからならギリギリでボスに届くから」
翔くんは「わかった!」と元気良く返事すると、ぼくの指示に従って動き始める。
「あ、先生! わかった、わかったかも!」
今度はユキちゃんから「わかった」の声。うれしそうに教科書を見せにくる。
図形に引かれた一本の補助線を見れば、彼女が正解に辿りついたのは明らかだ。
ぼくが指で○を作ると、ユキちゃんは「たしかに、これは世界が変わる感じがするね!」と言って、楽しそうに笑った。
「うおー! なんだこれ、すげえ!」
翔くんのほうも、無事「正解」に辿りついたらしかった。
「うわー! 翔、ずっりい! 反則じゃん!」
「適当にボタン押してるだけじゃん」
「俺たちこんな必死に戦ってるのに!」
男子たちが、翔くんのゲーム機の画面を覗き込んでゲラゲラ笑っている。
そりゃそうだ。
ほかの三人が巨大モンスターの足元で泥臭く戦っているのに、翔くんのキャラだけが遠くから一方的に敵にダメージを与えているのだから。
実はさっきぼくが教えた攻略法、実は開発側が想定してなかった攻略法らしいから、胸を張って正解といえるようなもんじゃないんだけどね……。
画面に表示された『ミッションクリア』の文字と、少年たちの笑顔を見て、ぼくは「まぁ、いっか」と軽くため息をつく。
卑怯な方法で、強大なボスを倒しきった翔くんたちはご満悦の様子だった。
「翔の画面だけ、超面白かったな」
「一人だけ世界が違うって感じがするよね」
笑いあう少年たち。
ぼくは彼らに、かつて教授から聞いた言葉を伝える。
「ちょっとした工夫や発想の転換で、目に見える世界が変わることがあるんだよ。世界はぼくたちが思っている以上に柔軟なんだ。自分の生きる世界を居心地悪いと感じたら、無理には立ち向かわずに発想を変えてみることだね」
「おお! 先生、なんかカッケェ!」
翔くんが、感心半分、からかい半分のような歓声をあげた。
それをユキちゃんが混ぜっ返す。
「先生、翔に柔軟な発想なんて無理よ。頭固いから」
「なんだと!」
翔くんがいきり立つと、ユキちゃんはケラケラ笑って教室のドアへと逃げ去った。
「先生、今日はありがとう。またね!」
そして、別れの挨拶を言い残して逃げて行く。
その後を翔くんが、翔くんの後を残りの男子たちが追いかけていった。
「やれやれ……」
嵐が去った後の教室に一人残されたぼくは、ただ苦笑するだけだ。
さて、片付けをしなくちゃ……。
「あれ?」
まずは忘れ物の確認をしようと思って机の下を見たら、早速何かを発見。
ゲーム雑誌が床に落ちていた。翔くんが忘れていったらしい。
「本当に、あの慌てん坊め……」
雑誌を拾い上げると、ぼくは何気なくパラパラとページをめくった。
ふと、一つのコーナーに付けられらキャッチに目が止まる。
『ゲームの攻略とは畢竟、ゲームを作り変えることです』
誰かのインタビュー記事らしいかった。
ぼくはそこにある言葉に息を飲む。
懐かしい言葉だった。
慌ててページを遡ると、そのコーナーは「ゲーム業界外のゲーム好き有名人にインタビューする」という趣旨のコーナーだった。
そこで取り上げられている人物の名前は、ぼくも知っていた。
どこか有名な大学の教授で、最近なにか凄い発見をしたという人だ。
いくつも有名な賞をもらったと聞くけれど、ふだんTVも雑誌も見ないぼくは、その人がどんな顔をしているのかも知らなかった。
ページをめくると、その人の自室の写真が掲載されていた。
広い部屋の隅には、金属のラックが並んでいる。
ラックには、梱包用のプチプチに包まれた板のようなものが、たくさん詰め込まれていた。
ぼくはそれが何かを知っている。
アーケードゲームの基板だ。
ふとラックの脇に目をやると、基板の持ち主らしい男性が写り込んでいた。
ヨレヨレの白衣に身を包んだその男性の姿を見たとき。
ぼくは危うく心臓が止まりそうになった。
教授がそこにいた。
ぼくたちの「教授」は、20年の時を経て本物の教授になっていた。
震える手でページを繰ると、そこには彼のこの20年間のことが書かれていた。
研究職について忙しくなっても、彼はひとときもアーケードゲームから離れたことはない——嘘か本当かは分からないが、記事にはそう書かれている。
『ゲームで学べることは、学問にも通じるところがあると思います。何か調べていくと、そのうち“ここを突き詰めれば、このゲームにおける攻略の常識が変わるのではないか?”と思えるポイントが出てくるんですね。うまくいくとね、世界の風景が一変するんです。荒涼な砂漠が、緑深き森になるような。そんな魔法みたいなことが起こるんです』
教授のインタビュー記事は、そんな文章で締めくくられていた。
ぼくが記事を読み終えた瞬間、教室のドアがガチャリと大きな音を立てた。
ハッとして目をやると、翔くんが空いたドアから顔を覗かせている。
「あ、俺の本!」
翔くんはぼくに駆け寄ってきて、茫然自失気味のぼくの手から雑誌を取り上げた。
「先生、拾ってくれたんだ。ありがとう」
感謝の言葉を述べる彼と、目が合う。子供らしい、まっすぐな目。
下から見上げてくる翔くんの顔が、怪訝そうな表情を浮かべて傾いた。
「先生、目が真っ赤だけど、どしたの? 花粉症?」
「あはは、そうかもね」
ぼくが無理に笑顔を作って答えると、翔くんは心配そうな顔をして「ひどいんなら病院行ったほうがいいぜ」と大人ぶった口調で言った。
そして、
「じゃあ先生、また遊ぼうね!」
と元気に言い残すと、慌ただしく教室から駆け出していった。
ぼくはその後ろ姿を見送ると、教室の椅子に腰を下ろした。
瞼を閉じて、気持ちが落ち着くのを待とうと思った。
そのとき。
瞼の裏側に、かつて見た夢の風景が蘇った。
深い深い森の中。
大樹の精霊に守られた庵で暮らしていた、青年と少女。
隣国の王に助力を請われた青年は、少女を置いて森を出て行った。
あの夢の続きはどうなっているんだろう。
ぼくは想像を巡らす。
やがて、少女も森から出ていくのだろう。
そして、青年の残した言葉を信じて、自分だけの居場所を作り出すのだ。
そして長いときが流れて。
自分の城を構えた少女のもとに、青年の噂が流れてくる。
功成り名を遂げた青年は、王宮の一角を与えられたという。
彼はそこで、かつて少女と暮らした森の植物に囲まれて暮らしている……。
——ぼくは想像する。
その噂を聞いたとき、少女はどうするだろう?
会いに行きたいと思うだろう。
一言でもお礼が言いたいと願うだろう。
しかし、本当に会いに行っていいものだろうか。
相手は王家の抱える重要人物だ。
少女は思い悩むだろう。
少女は、青年が別れ際に残していった言葉を思い出そうとする。
彼はわたしを置いていくときに、何といった?
必死に思い出そうとするが、思い出せない……。
そのとき。
『また遊びましょう』
不意に、教授の声が頭の中で響いた。
ゆったりとしたローブを着た魔法使いの青年と。
ヨレヨレの白衣を着た教授の姿が、ぼくの頭の中で重なり合う。
「また遊びましょう……」
ぼくは彼が残していった言葉を、口の中で反芻する。
果たして、彼は約束を覚えているだろうか?
彼は置き去りにした少女の顔を覚えているだろうか?
大丈夫だ。
彼は記憶力がよく、義理堅く、面倒見がいい人だった。
きっと忘れていないはずだ。
どんなに長い時が流れていたとしても。
彼に会いに行こう。
あの日の別れ際に結んだ、約束を果たすために。
[了]
電子の森の魔法使い -Wizards in the Game Room- 怪奇!殺人猫太郎 @tateki_m
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