最終話 「ヴァイオリン」「硝子」「腕」「笑顔」

 三月。


 年度末で何かと慌ただしい時期であり、みんな旅立っていく別れの季節でもある。

 僕が所属する文芸部部長の地野近子先輩も卒業となる。

 受験については、案の上余裕で志望校に合格したらしいから進路も安泰だろう。


 そんな春の日の放課後の部室。

 卒業目前でお題も出さないと言っていた部長は、暇になったはずだがやはり現れなかった。


 未だ次期部長を決めていないのだが、大丈夫なのだろうか?


 とは言え、あの部長のことだから、唐突に誰かの肩を叩いてあっさり決めてしまうのかもしれない。


 そんなことを思いながら、頃合いを見て部室を施錠して後にする。

 一人だけなのでマイペースにこの部室を使えるのは、ある意味恵まれているとも言えよう。


 下校の途にある校門には、いつものごとく小柄な少女の姿。

 頭の上には鹿撃ち帽。

 近所の名門女子校の制服姿の上にはインバネスコート着用。


 言うまでもなく、僕の幼馴染みの面堂奈子だ。


 ともあれ、何ヶ月も続いたことなので、今更驚きも何もない。

 すっかり慣れた僕は、軽口が言えるぐらいだ。


「出迎え、ご苦労」

「え、ルトニヤクザだったの!」

「極道じゃない!」

「漫遊しないの?」

「ゴクドーくんでもない!」

「ゴドーは待つものだから、辻褄があったね!」

「……まぁ、いい」


 安定の超展開だった。


「それじゃぁ早速、今月のお題に取りかかるか」

「うん、今年度最後の記念すべき四題噺だね!」


 スマホを操作する僕の隣で、嬉しそうな奈子。


 その表情に何とも言えない心地良さを感じながら、僕はお題取り寄せの空メールを送信する。


 そうして決定された今月のお題は、


「ヴァイオリン」「硝子」「腕」「笑顔」


 だった。


「ヴァイオリン! ストラディヴァリウス! ホームズの特技の一つね!」


 奈子が、最初のお題に歓喜する。


 まぁ、その姿から想像が付く通り、彼女が特にリスペクトしているのがホームズだから無理もない。ヴァイオリンも嗜んでるしね。


「でも、そのままじゃ畏れ多くて使えないから、少し捻って…… ヴァイオリンは弦楽器だからそこから導くとして……琴線でも遠からずね!」

「確かに、遠くはないな」


 琴線は要するに弦だから理屈は通る気がしないでもないが、改めて近いかと言われると悩むところというレベルだけれど。


「それじゃぁ、次はガラスだけど、これは色々応用が利くね!」


 言って、何故か僕の顔をじっと見つめる。

 ニコニコと笑顔で。


 思わず、その笑顔に釣られて僕も顔が緩むのを自覚する。

 妙だ。でも、嫌じゃない、そんな気分を味わっていると、奈子が言葉を継ぐ。


「それじゃ、先月と被るけど、ガラスは『チキン』でいいかな」

「チキン? いや、待て。何がどうなってガラスがチキンなんだ?」

「え、ほら、硝子の心臓チキンって言うよね?」

「……なるほど」


 座布団一枚と言った感じだろうか。こういう発想は、やはり勉強になる。


 楽しげな奈子の姿を見るのも心地よいのだから、更にお得だ。


「それで、後のお題だけど……うん、そのままでいいね」

「え? 珍しいな……」


 いつもだと、そのまま使うのは一つあればいい程度だ。

 それを半分もそのまま使うというのは本当に珍しい。


 一体、どうするつもりなのだろう?


「それで、あたしが導き出す御華詩なんだけど……その前に大切な御華詩」


 丁度、人通りの少ない道。

 ブロック塀の側に奈子は立ち止まる。


 僕も、合わせて足を止める。


「ルトニ、あたしは、こうやって月に一度、四題噺に取り組むのが楽しくて仕方がない」

「ああ、楽しんで貰えてるのは僕も嬉しいよ。何しろ、僕の物書きとしての修行に協力して貰っているんだ」

「ううん、そんなことを気にすることはないよ。ルトニがあたしを頼ってくれたことが、嬉しかったから。今まで、そんなことなかったよね?」


 言われて思い出す。


 僕は。

 奈子を幼馴染みとして。

 身近な存在として。

 言うなれば『妹』のように扱ってきた。


 だから、奈子の願いに何でも応じても。

 奈子のために何かしら世話を焼いても。

 僕から奈子に何かを頼んだのは、これが初めてだった。


「だから、月に一度のこの一時があたしにとっては何より大切な時間だった。ルトニの役に立てる、ただそれだけで幸せだから」


 しんみりとした口調で、奈子は語る。


「そして、あたしは必死に暗にルトニに伝えようとしていたことがある」

「え?」


 確かに、あれこれ暗喩どころか無茶な連携のお題消化だったけど、更に裏があったのか?


 言われて見れば、何かがありそうなそんな気もするけれど、やっぱり僕には気付けない。


「そんな訳で、ルトニ、いい加減、目を逸らすのはやめて」


 居住まいを正し、真剣な目で僕を見つめてくる。

 それが意味することは何なのか?


 解らない。


 否。


 心のどこかで解ることを拒否している。

 そんな気がしないでもない。


「……ルトニ、逃げ道を奪うよ!」


 僕が迷っていると、大きく息を吸い込んで、力強く奈子は宣言する。


「あたしは、ルトニのことが大好き! それが、伝えたかったことだよ!」

「!」


 真正面から目を合わせて告げられた言葉に、僕は返す言葉が無い。


 ずっと、目を逸らし続けてきた。

 今の奈子との幼馴染みとしての関係が心地よいから。


 幼い頃から、近すぎる隣に奈子という女の子がいたから、恋愛沙汰もよく解らず。

 そっち方面を完全に遮断していた。


 確かに、それは『目を逸らして』いたのだろう。


 奈子の名前と同じように、面倒だから。


 でも、こうして決定的な言葉を告げられるとつくづく思う。


 ああ、僕はチキンだった。


 心の琴線を固めて動かさないことで、距離を保っていた。


 今まで、奈子はその気持ちを何度も僕に気付かせようとして。

 それでも、僕は頑なに気付かなくて。


 だから、奈子はストレートに言葉にした。

 二人の間に僕が一方的に作った壁を、ぶちこわすために。


 そこまでされて、今更、気付いた。


 彼女の涙は見たくなくて。

 彼女の笑顔が嬉しくて。


 最近感じていた居心地の良さは、心の奥底で既に根付いていたモノに起因していたのだ。


「……そうか、僕も、奈子が大好きだったのか」


 自覚を示す僕の言葉に、奈子は静かに涙を流す。

 顔は満面の笑みだ。

 感極まってのモノなのだろう。


 そうして、彼女は今月のお題の結果を告げる。


「チキンで鈍感であろうとすることで恋愛から目を逸らしていた男の子の心の琴線にようやく触れて喜んだ女の子が笑顔で腕を絡める御華詩、ね」


 言って、僕に笑顔で腕を絡めてくる奈子。


 なるほど、最初からこれを狙っていたのか。


 今年度最後は、虚構と現実の交錯のメタミステリか。


 流石だな。


 素直に感心する。


 そうして、二人、腕を組んで歩き出すと、


「おめでとう、奈子君」


 どこからともなく声がした。


「……出たわね、ちちでかこさん」

「ご挨拶だね、面堂奈子君」


 いつものように変な仇名で呼ぶ奈子と、今回は正しい名前で呼ぶ部長が対照的だった。

 因みに、また、ブロック塀の上から登場である。


「いやいや、面白い物語だった。僕の創作意欲をかき立てる、ね」


 言いながら、僕達の前に飛び降りてくる。


「どういう意味?」


 奈子が険のある声で問い返す。


「何、君たちを見ていると余りにももどかしいのでね。少し焚きつけてみたということだ」

「! そ、それって……」


 奈子は、愕然とした表情を浮かべている。


 一方で今の僕も、その意味が理解できた。


「趣味悪いですね」

「ああ、それは否定しない。でも、そもそも君の鈍さが招いた事態じゃないかな、潮陽君?」

「それは……その通りですね」


 こちらも否定できない。


「ならば、二人素直になる切っ掛けを作った点ぐらいは感謝しても罰が当たらないんじゃないかな?」

「確かに正論ですけど、それは詭弁でしょう?」


 僕は、納得が行かずに食い下がる。だが、


「ありがとうございました」


 奈子が、素直に頭を下げていた。


「やり方はともかく、本当に切っ掛けを貰ったことは感謝しています、地出さん」

「ふ、ふむ、急に素直になられると、気恥ずかしいモノだな……」


 言葉通りに居心地悪そうにする。

 そんな先輩を見て、ニヤリとする奈子。


 どうも、こういう反応を狙っていたらしい。


「まぁ、ともかくだ、上手くいってよかった。改めて祝福するよ」


 言って、ぱちぱちと拍手。

 それは、部長の本心なのだろう。


 今度は、僕と奈子が照れる番だった。


 拍手を終えると、部長は唐突に僕の肩を叩く。


「あ、それと、潮陽君。君を次期部長に任命するよ。こうやって、自分の可能性を広げようとするような人物こそ、僕の後継者に相応しいと思うからね」

「え! 僕はまだ一年ですよ! 二年の先輩が居るでしょう?」

「何を言っている。僕もこれぐらいの時期に部長に任命されてそこから二年ほど職務を全うしたのだ。大丈夫、僕の信じる君を信じろ!」


 両肩を掴み、真っ直ぐに僕の目を見詰めて部長。

 真剣そのものの表情だ。


 スクエア眼鏡越しの瞳の奥に宿る光は、彼女の僕への評価が嘘や誤魔化しではないということを雄弁に語っていた。


 そこまでされては、どうしようもない。


「解りました」


 僕は、覚悟を決めて応じる。

 奇しくも、今朝予想した通りに肩を叩いて(?)部長を決めた訳だ。想定内ではあるしね。

 それに、どの道この人が言い出したことが覆る訳もない。


 部長、いや、地野先輩は、僕が受け入れたことに満足そうに頷くと、


「では、お二人さん、お幸せに」


 捨て台詞を残して、軽やかにブロック塀の上に飛び乗り駆け抜ける。

 やはり、出鱈目に高スペックな人だ。


 そんな訳で、これが僕と奈子が織りなした四題噺を巡る御華詩の一つの区切りだった。


 未だ、奈子との関係性の変化に対する実感がない。


 それでも、この腕に伝わってくる彼女の体温を、今までよりもずっと大切なモノだと感じられる。


 こうして、『春』が訪れた。


 奈子のように、ダブルミーニングで。

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面堂奈子の屁理屈四題噺 ktr @ktr

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