第七話 「唐揚げ」「合唱」「くじびき」「コップ」

 二月。


 例年温暖化が叫ばれる割には冷え込みが一層厳しい昨今。

 受験を控えた三年生は自由登校となっていた。


 あの部長も、先日の初詣以来はポーズだけでも受験勉強に勤しんでいるため、部室には来ていない。


 元々、文芸部の部員は部室に常駐してはいない。

 図書室や思い思いの場所で執筆しているのが常だ。

 通例の四題噺についてあれこれ語ったりするときだけ部室へとやってくる。


 というより。


 思い返せば、作品絡みの集まりがないときにまで部室に常駐していたのは、僕と部長だけだった気もする。


 だが、習慣というものを急に変えるのは難しいものだ。

 僕は、今日も部室で一人、本を読んで過ごししていた。


 部長がいないこともイレギュラーだが、他にもイレギュラーがあった。

 今月は、部長からお題が届いていないのだ。


 つい先程通達があったのだが、部活に顔を出せず評価などが出来ないために、今年度は先月でおしまいということだ。


 そして、来年度からは次期部長なりが引き継いでくれてもいいし、くれなくてもいい、とアバウトな指示が出ている。どれぐらいアバウトかと言えば、次期部長がまだ決まっていない程度にだ。


 そんな訳で、今月と来月は四題噺はお休みとなる。


 とは言え、そんな事情は文芸部員しか知らない話。

 他校の生徒ならなおさらだ。


 だから、部室を出て校門に向かうと、当然のようにいつもの姿があった。


 鹿撃帽にインバネスコートが特徴的な、グルグル眼鏡の小さな姿。


 僕を待つ幼馴染みの少女、面堂奈子だ。


 もう、この光景には、みんな慣れっこだ。

 別段注目を集めることもなく、合流する。


「お待たせ」

「 Everybody 」

「はい? なんですと」


 妙な切り返しに思わず聴き直すと、


「いつでも……」


 新しいパターンか。

 でも、余り露骨に歌詞を口にされるのはまずいという強迫観念があった。


「いや、ポチでも社長でもジゴロでも大佐でもないから」


 だから僕は、先手を打って食い止める。

 迂闊なことをすると、きっとマンモス参る。


「……少しはジゴロを見習って欲しいけどルトニだとそれでも大差ないか」


 意味不明なのはいつものことなのでスルーしつつ、奈子に告げなければいけないことがある。


「そうだ、奈子。今月と来月はお題がない」

「え? そ、そんな……こ、今月だけじゃなくて来月も……」


 奈子は、大袈裟にも見える絶望をその顔に浮かべていた。

 先月、かなり楽しみにしていたようなことを言っていたしな。


 僕の責任ではないとは言え、奈子の哀しい顔は見たくない。

 だけど、不器用な僕には掛ける言葉が浮かばなかった。


 無言の時がしばし過ぎ、奈子が唐突に声を上げる。


「あ、あの乳お化けは何してるの!」


 どうやら、気持ちの持って行き先を部長にしたらしい。

 唐突であろうと何であろうと、気を取り直したなら有り難い。


「ああ、受験勉強をしてるフリ、らしい。どうも、周りが五月蠅いらしいね。余りにもできすぎるがゆえに油断しているように見えるとか」

「ふ~ん、いいご身分ね」


 相変わらず奈子は部長には容赦ない。

 ただ、それでも哀しげな様子よりはずっといい。


「まぁ、あの人は飄々としているようで、その奇矯さゆえに余人に理解されない苦労があるみたいだからね」

「……ルトニはあの乳お化けの凝りそうな肩を持つの?」

「いや、僕が知り得た事実を述べているだけだよ」

「そう……」


 そこから、またしばし言葉が途切れる。

 いや、奈子は一人でブツブツと何かを呟いて思案に耽っいるようだった。


 と。


「パンがないなら眼鏡をかければいいじゃない!」

「いや、それを言うなら『パンがないならケーキを食べればいいじゃない!』だろう」


 突然宣った言葉があんまりにあんまりだったので、即ツッコミを入れる。

 そもそも、奈子は既に眼鏡を掛けているから全く意味がない。


「え、鰤を洗うの?」

「……ああ、確かにケーキは『ブリウォッシュ』とも言われてるけどね」


 面倒な会話になっているが、それは奈子が調子を取り戻した証拠とも言える。

 素直に喜んでおこう。


「で、一体全体何を思い付いたんだ」

「それは……明日までのお楽しみってことにしよ!」

「……そうだな、そろそろ家に着くしな」

「ルトニ、明日は楽しみにしていてね!」


 いつもの分岐路で別れ際、奈子は一転して楽しそうに言い残し、去っていく。



 そうして翌日。

 再び奈子と共に帰宅の道すがら。


「ルトニ! このアドレスに空メールを送ってみて!」


 奈子は言って、一枚のメモを僕に渡す。

 メモの内容は、几帳面なブロック体のアルファベットで示されたメールアドレス。


 言われるがまま、僕はそのアドレスにメールを送信する。


 と、直ぐに返信が来た。


 件名は『お題』。


「唐揚げ」「合唱」「くじびき」「コップ」


 本文には、そんな単語が並んでいた。


「あたしが作ったお題作成プログラム。あのアドレスにメールを送れば、お題が返信されてくる仕組みよ」

「へぇ……」


 僕は素直に感心する。

 確かに奈子はそっち方面も得意だが、昨日の今日でそんなプログラムを作ってしまうとは。


「これなら、ほぼ条件は同じでしょ。あんな乳お化けがいなくても、必要な時にお題が提供されるよ!」

「そうだな……でも、奈子が作ったんなら何が出るか解ってるんじゃないのか?」

「ううん。大量の単語からランダムに抽出してるから、何が出るかはあたしも解らないからね。条件は全く同じだよ」

「そうか、なら、いつものように、奈子の考えた四題噺を聞かせて貰おうか」

「うん!」


 今まで見たこともないほどに顔を輝かせて、奈子は応じる。


 見慣れたはずのその顔に、なぜだか妙に心を掻き乱さる。

 いや、まぁ、今月のイレギュラーな状況に対する動転だろう。


 そんな僕の心の動きなど知る由もなく、奈子はいつも通りにお題の解釈を始める。


「『唐揚げ』と言えば鶏が定番、鶏と言えばケンタッキーだからフォスターの歌でいいね!」

「フォスター?」

「CMで流れてるでしょ? The sun shines bright in the old Kentucky home ……」


 先月の部長に対抗しているのか、歌い始める。

 奈子も歌は得意だ。安定した澄んだ声である。

 思わず、しばし聞き入ってしまう。


「なるほど、その歌か」

「気付くのが遅いよ! やっぱりゆとりだね!」

「いや、すぐに解ったけど久々に奈子の歌声を聴いたから少し耳を傾けていただけだよ」

「え、そ、そんな、きゅ、急に何を……」


 なぜか、奈子は顔を真っ赤にしてどもる。

 珍しく素直に褒めたから照れているのかも知れない。


「え、えっと、次は『くじびき』。くじびきと言えば、運試し、当たり、外れ、そして、アンバランス」

「いや、最後おかしいから!」

「どちらにしようかな天の神様の云う通り♪」

「それはまぁ、定番のフレーズだな」

「二人のハ……」

「それは余計だ!」


 奈子が余計なことを言いそうになったことを察して、かぶせて遮る。


 ともあれ、昨日の挨拶から始まって、今月の裏のテーマは歌か。

 しかも偶然かお題に合唱とか入ってるし。


「恋もゆ……」

「憧れとかはどうでもいい。もう『アンバランス』でいいから、話を進めろ!」


 どんどんブッ込んでくる奈子に歯止めをかけるために、強引に促す。


「ノリ悪いね、ルトニ」


 僕の気を知ってか知らずか、不機嫌そうにため息をついて奈子。

 だが、僕の願いは通じたのか、次のお題に移ってくれた。


「まぁ、いっか。次の『コップ』は一見すると飲み物を注ぐ方に行きそうだけど、ここはやっぱり警察ね!」

「ロボコップ!」

「うん、それでいいね! じゃぁ、『ロボ』で」

「簡単だな」

「捻るばかりが能じゃないからね! ということで、『合唱』はそのまま使うよ! 何か、昨日今日と歌がテーマっぽくなってるしね!」


 歌がテーマというのは、奈子も感じていたらしい。

 まぁ、そこまでが奈子の仕込みかもしれないが、本当か嘘かは神のみぞ知る。


「そんな訳で、あたしがこれらのお題から導き出すのは『文化祭の出し物でケンタッキーの我が家を合唱したけれども指揮者がガチガチに緊張してしまってロボットみたいな動きになってしまって会場の笑いも誘いつつ歌い手も笑いをこらえたりして所々抜け落ちてアンバランスな演奏になったけれどそれはそれで微笑ましい思い出深いいい演奏となった御華詩』ね」

「珍しく、ハートフルだな」

「ステーション?」

「いや、それはラジオ番組」

「 Alright! 」

「それはハートキャッチプリキュア!」

「うん、ハートキャッチだね!」

「???」


 僕が応じられないでいると、またまた奈子は溜息を吐く。

 最近、こういうやり取りが増えたな。

 一体全体奈子が何を考えているかは解りようもないけれど。


 そうこうしている内に、いつもの分かれ道。


「それじゃぁ、ルトニまた明日ね!」

「ああ、また明日」


 毎日のように登下校するのにもすっかり慣れてしまっていた僕は、当たり前に応じる。


 こうして、今月もお題をこなすことができた。


 奈子の発想は、本当に勉強になる。

 僕は、元々奈子を利用しているような後ろめたさを心の奥に感じていた。

 でも、先月、奈子も楽しんでくれていたことを知ることができた。


 そうしてあのとき、泣いている奈子を観て強く思ったのだ。

 どんな形であれ、奈子が悲しむ姿は見たくない。


 たとえどんなに面倒くさい奴であっても。

 奈子が大切な幼馴染みであることは、間違いがない事実だから。


 だから、今月はまたお題を楽しむ奈子の姿を見ることができて、心底嬉しかった。


 これからも、もっともっと楽しませたい。

 奈子の笑顔を見ていると、僕も幸せな気分になるから。


 長い付き合いだが、こういう気持ちは始めてかも知れない。

 だからなんだと問われても、僕は答えを持ってはいないのだけれど。


 といったところで、今月はこれにてお開き。


 来月はどうなるのか、今の僕には全く予想は付かない。


 でも。

 未来は不確定だからこそ面白いのだ。


 だから勝手に、僕は奈子に楽しんで貰える未来を夢想して頬を緩ませていた。

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