星の涙に想う人【短編】

和瀬きの

見上げた空に輝くもの

 冬の夜空は、空気が澄んでいて美しい。見上げれば、無数の星たちが返事をするかのように瞬くのだ。

 うっかり目を閉じてしまえば、彼らの会話を聞き逃してしまう。


 これほどまでに美しい夜空を眺める機会など、都会ではなかった。



 ◇ ◇ ◇



 田舎者と馬鹿にされながらも頑張ってきた一流企業。親孝行のつもりで、大学を出て就職。そして十年以上働き、すでに三十四歳。


 やっと地に足が着いたと思っていた矢先、父が帰らぬ人となった。

 自分の知らないところで病気になり、この間やってきた寒波にやられて体調を崩して肺炎に。そして、そのまま逝ってしまった。


大和ひろかず、父さんに会いに来て』


 亡くなる前、電話で久しぶりに聞いた母の声は、どことなく掠れていて驚いた。本当に母なのかと聞き返そうと思ったほどだ。


 仕事を抱えていた俺は、すぐに行けなかった。三日分の仕事を一日で終わらせ、残ったものは教育中の後輩に任せてきた。


 連絡を受けてから二日。

 やっと帰ってきた地元の田舎町。あまり電車がこないと知っていたから、都会から車で走った。


 自宅に着いたのは夜。

 その日は月のない真っ暗な夜。だから、俺は嫌な予感がしたのだ。


『満月の日は赤子が産まれる。逆に新月には亡くなる者が多いんだ』


 そう、父が言っていたのを思い出す。

 チャイムを鳴らしても出てくることのない母親。だから、確信した。


 間に合わなかった。


 いつの間にか焦りは消え、冷静になる。

 明かりのついた奥の和室へ向かう。途中、廊下が軋む音に俺は足を止めた。変わらない家の様子に、変わってしまった自分自身を思う。


 都会という空気に触れ、田舎者と馬鹿にされることを嫌い、都会人として振舞う。その結果、冷たい仕事人間になっていた。


 両親に連絡することさえやめて――。


『父さん』

『大和!』


 襖を開けた先に、母と医者がいた。

 席を立った母の向こうに、年老いた父親が眠っている。


 後から聞いた話だ。

 父は病院に行くことを拒んだらしい。自分の死期を悟って、見慣れたこの和室で穏やかに逝きたいと願ったのだと言う。


 父らしい言葉だ。決して病院は嫌いではない。ただ、知らぬ場所で一生を終えるよりも、思い出のある自分の家で逝きたい。


 いつだったか、子供の頃に言っていた記憶がある。変わらない想いを父は持っていた。

 曲がらない、真っ直ぐな人だ。


『ありがとう、父さん』


 間に合わなくて、ごめん。


 心の中で言いながら、その手を取ればまだ温かい。揺すれば起きるような気がして、少なくなった髪を撫でてやる。

 でも、顔の一部はすでに冷たくなっていることに、もう目を開けないのだとわかる。


『伝えたいことがあったんだよ』


 言葉にしようとすれば、抑えていた何かが俺を無言にしてしまう。代わりに出てきたのは涙で、子供みたいに嗚咽をもらしていた。


『お父さん、見てください。あなたの言った通り、大和は立派な社会人になっていましたよ。スーツの似合ういい男になりましたよ。あなたに、そっくりな……っ』


 いつの間にか隣に来ていた母が、笑いながら話しかける。いつも、どんな時にも強い母。子供の頃から変わらない。とても優しい母だ。



 ◇ ◇ ◇



 沢山の人に愛され、見送られた父の葬儀は終わった。


 俺の知っている実家が、途端に大きく広く見える。人が一人いなくなるだけで、こんなにも違うものかと苦しくなる。


 その日の夜。

 食事を済ませてから、俺は庭に出ていた。都会では見えない星の数々に、誘われたのかもしれない。


「星座とかわからないけど」


 父がよく、星のことを話してくれた。覚えていないことは悔やまれるが、当時小学生だった俺には難しすぎたのだ。


 それでも、覚えていることはあった。


『人は死んだら星になるんだ』


 そんなことがあってたまるかと、俺は嘘だと父に言った。死んだら星になるなんて空が埋まってしまうだろう、と。


『星にだって寿命があるんだ。星が死んだらどうなると思う?』


 父は笑いながら、おとぎ話を聞かせるように柔らかい口調で話す。笑うとくしゃっと皺が刻まれる目元が、より父の目を細く見せる。


『生まれ変わるんだよ、新しい命として』

『父さんの作り話だろ?』

『ま、違いない。でもな』


 父は淋しそうな目を輝き続ける星に向ける。


 この時は気づかなかったが、今ならわかる。あれは父の大事な人。つまり、俺の祖父を想っていたんじゃないか。そう。あれは祖父の一周忌の後に聞いた話だ。


『そう思えば、突然、別れがきても頑張れると思わないか?』


 今まで忘れていた。覚えていたはずだった。こうして失ってから気づくなんて、本当に何をしていたんだろう。


 俺は親孝行をしているつもりで、全く逆のことをしていたのか。今更、気づくなんて――。


「父さん」


 呼べば星は瞬く。父が言っていたように、亡くなった人がそこにいる。そんな気分になった。

 同時に責められているようで怖くなる。


「ごめん、急に連絡しなくなって。俺、必死だった。馬鹿みたいに必死だった」


 星空が大きすぎて、俺には偉大なものに見えた。父が好きだった星は、とんでもない魅力を持っている。まるで神に対峙しているようで、身体が動かない。


「ごめん、本当に」


 見上げれば、答えてくれるものだと思った。だから待っていたんだ。雲さえない、今日という日に聞いてみたい、と。


 星は何も言わない。ただ、雫をこぼすように一つ、強い光を放って落ちていった。


「え?」

「ラッキーだったわね。大和」

「母さん」


 いつの間にいたのか、後ろに母が立っていた。


「今日は流星群が見られるって」


 そう母が説明する間にも、また流れ星が落ちていく。


「父さんが言っていたわ。流れ星は、悲しみを持って行ってくれるからって」


 人が抱えきれない悲しみを代わりに大地に落としてくれる。前を向いて歩けるように助けてくれる。だから、たまに見られる流れ星は儚い。


 そう言って母は優しく笑う。


「星の涙なんですって。本当にロマンチックな父さん」


 時間が経つにつれ、次々と流れていく星の涙。俺はいつの間にか見れなくなって、ぼやけた景色の向こうに父の姿を見ていた。


「父さん、あなたが帰ってこないのは上手くいってるからだって自慢してたわよ」


 俺は気づいていなかった。


 偉大な両親に愛され、育てられた。真っ直ぐな父と、強い母に育てられた。こんなにも嬉しいことはない。


「星の涙……」


 父のように真っ直ぐに、母のように強く生きていきたい。


 俺は改めて思うことが出来た。

 本当に幸せ者だ。


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