嫌光吸血カプリチオーソ

Win-CL

第1話

「次に、三槻みつき町の動物園から一頭のトラが脱走した事件ですが――」


 ――冬も半ばに入ったころ。


 テレビからは普段と変わらず、平均年齢の上昇だったり街のトレンドだったりの大小様々なニュースが垂れ流している。


 それをこたつに入りながら、みかんを食べながら。

 自分を含めた三人が、だらだらと眺めているのが今の状況だった。


「見てよあれ、トラだってー」


 わが姉が、皮を剥いたみかんを――そのまま丸ごと口に放り込みながら言う。


「んぐんぐ……。しかもこの近くじゃない。怖いわねぇ」

「もう少し品性を持った食べ方をしてくれよ……」


 そんな、自分より二歳年上の――

 今年で二十四歳の姉ちゃんを眺めながら、溜息をつく。


 外では一応、シャンとして医療系の仕事に付いているようなのだが――

 家ではその反動か、大雑把な性格に拍車がかかっている。


「怖いねェ。まぁ基本的に外に出ないから、関係ないんだけどさー」

「おい……」


 まぁ、緊張感が無いというのも、理解できないわけではない。

 そんな非日常の出来事が起こる確率なんて、ごくわずかだ。


 先の言葉に合わせるように、反対側から適当な返事を返したのは――

 姉ちゃんより、四、五歳ぐらい年下に見える青年。


 弟――ではない。


 姉ちゃんの彼氏――でもない。


 そんな複雑な同居生活なんてしちゃいない。

 とても奇妙な同居生活は今まさに送っているのだけれど。


 考えてみてほしい。


「動物園から逃げ出したトラと出くわすのと――」


 ――夜道で吸血鬼を拾うのと。


 いったい、どちらが珍しいのだろうか。






 それは、先週の晩の話。


 空が厚い雲で覆われ――

 月の明かりもぼんやりとしか届いていない、灰色がかった夜。


 俺と姉ちゃんの二人で、スーパーに買い物へ行った帰りのこと。


 普段から通り道に使っている公園の中で――

 誰かが行き倒れていたのだ。


「ちょっと! 大丈夫ですか!?」


 急いで駆けよる姉ちゃん。

 仕事柄、こういったことに対しての初動が早い。


 傍にしゃがみ込み、呼吸があるか確認をしようとする。


 倒れている青年の指先がピクリと動いた。

 声に反応したのだろうか。


「姉ちゃん、今動いて――」


 最後まで言うことができなかった。


 青年が、いきなり起き出し――

 救急車を呼ぼうと、携帯を取り出した姉ちゃんに――


 ――噛みつこうとしたのだ。


「おい! 何やってんだ!」


 思わず蹴りを入れてしまった。






 ――土下座。


「すいません! すいません! これには理由があって――」

「あ゛? うら若き乙女の柔肌を傷つけようとするのに、なんの理由があんだコラ」


 姉ちゃん。自分の事をうら若き乙女とか言うのはやめてくれ。


「俺……吸血鬼なんです……」


 開口一番――いや、二番か?

 土下座をしながらそんなことを言い始める。


「はぁ? 今日日、そんな嘘に引っかかるとでも……」

「カメラか何かで撮ってみてください」


 …………


「……うわぉ」


 カメラモードにした、姉ちゃんの携帯を覗き込む。


 そこには、いつも見慣れた公園。

 ――滑り台。ブランコ。砂場。

 なんだかわからないドーム状のやつ。それだけ。


 確かに、目の前にいる青年は携帯の画面には映っていなかった。


「実は、行くところがなくて――」






 ――というわけで。

 我が家では現在、吸血鬼を飼っている。


 この吸血鬼……

 出会ったときから弱っていたが、それにも増して――

 とてつもない虚弱体質だった。



 一度、元気になるかと思って、満月の夜に連れ出したことがある。


「うわっ眩しっ! こんなの無理だって! 肌がチリチリする!」


 とか言い出した始末。


 なので、外に出ることができるのは、半月まで。

 もしくは、曇っている日だけ。


 試しに聞いてみたところ、雨の日もダメだった。

 ご丁寧にも、きっちり弱点は抑えていた。


 そしてそれは、生活の端々にも表れる。


 例えば、カレーを作った時――


「このスプーン、銀製じゃん! なんでこんな家で、こんないい食器使ってんの!」


 その目の前には、姉ちゃんが海外旅行で買ってきた、お気に入りの銀のスプーンがあった。

 ――食器類は全て姉の趣味だ。


 もちろん、これまで、姉と自分の二人暮し。


 代わりのスプーンなどは、ない。


「…………」


  あ、やばい。姉ちゃん怒ってる。


 ゆっくりと近づいてゆき、肩に手を乗せ――


「居候は黙って出されたものを食ってろ!」


 豪快に、プロレス技をかけられていた。


 よりにもよって、姉ちゃんの趣味に文句を言うとは……。


「命知らずにも程があるだろ……」

「くそ……。血さえ吸えればこんなことには……」


 台所に戻った姉ちゃんが、大声で言う。


「うちで血なんか吸ったら! 体中の血液抜いて、カレーと入れ替えてやるからな!」


 ――その日の彼は半泣きになりながら。

 慣れない箸で、カレーを食べていた。






 拾ってきた吸血鬼は、さらに悪いことに――

 所々で常識が抜けていた。


 ――次の日の昼。


「今日はもう、インスタントでいいよね」


 そう言って、姉ちゃんが広げたのは――

 多種多様なカップ麺。


  俺:ラーメン

  姉ちゃん:そば

  こいつ:焼きそば

 (にんにくが入っていないか執拗に確認していた)


「んじゃ、お湯沸かしてくるから」


「おう」

「はーい」


 二人で返事をする。


 さて、お湯が沸くまで、五分程度だろうか。

 それまで、静かに待つことにしよう。


 ペリリ――


 横からなにやら不穏な音がする。


「!?」


 こいつ……!

 いきなり湯切りの部分を剥がしやがった!


「違うな、こっちか……」


 ベリリリリリッ――!


「ちょっと待てえ!」


「!?」


 驚いてこちらを向いている、その手には――蓋が。ひらひらと舞っていた。


 ちゃんと表に、半分って書いてなかったか?


「お前それ、どうやって作るつもりだ」


「……お湯入れるんだろ?」


 第一ステップは理解していた。


「うむ。……で?」


「お湯を捨てるんだろ?」


 第二ステップも理解しているようだった。


「……どうやって?」


「そりゃあ、こう――」


 傾けて、戻して、傾けてを繰り返している。

 どうやら、中身がこぼれそうになるギリギリのタイミングで、平行の状態に戻しているらしい。


 無駄に想像力の強いやつだ。

 なんでそこまでシミュレートできて、そんな愚行に走ってしまったのか。


「カップ焼きそば作るのに、そんな技術必要としねぇよ!」


 その後俺が――ラップやらなんやらを駆使して、普通に作る倍以上の労力で作ったのは言うまでもない。






 そういえば――

 拾ってきた夜にこんなことがあった。


「おい、風呂はどうするんだ? 雨がダメならシャワーもだめだろ」


「あー……。湯につかるのもなぁ……。香水でごまかす?」


 急に中世ヨーロッパ感を出し始めた。


「わざわざそんなもの買ってやらなくても……。消臭スプレーでいいでしょ」


 酷いことを言うな、姉ちゃん。

 せめて他にもなにかあるだろう。


 …………


「棚の中探してみたら、丁度いいものがあったわ」


「いやぁ、悪いねぇ。居候の分際で、我が儘言っちゃって」


「はい、これ」


 ――机に置かれたのは小さなスプレー缶。

 表にはでかでかと、“Ag+《銀成分配合!!》”と書かれていた。


「嫌がらせかぁ!!」


「いや、これで鍛えれば一石二鳥だと思って」

「鍛えられるわけないだろ!  虫に殺虫剤吹きかけるようなもんだぞ!」 


 結局、痛みに耐えながら無理やり風呂に入ることになった。

 姉ちゃんの説得(物理)である。






 そしてある日は――


 何をするでもなく、家に置いてある漫画をダラダラと読んでいた。


「カッコいい! 俺もアー○ードの旦那みたいに――」


「お前みたいな底辺が、旦那と比較対象になるわけがないだろうが」

「……これはファンに殺されてもしかたないわ」


 放っておくと、とうとう音読し始めた。

 登場したキャラクターが、吸血鬼の怖さを語る場面だ。


「んーカッコいい! そうだよ、血を吸う“鬼”なんだよ! なのになんだ! この仕打ちは!」


 ベッドの上で飛び跳ねながら、力持ちアピールをしている。


「あぁ? 出ていくか?」


 あまりにも五月蠅いので、姉ちゃんが立ち上がろうとした。


「すいません、調子に乗ってました」


 ――土下座。


 ベッドの振動が残っていて、上下にゆんゆんしている。


 正直、こいつは立場は蝙蝠より低いのではなかろうか。






 しかしそんな反省も虚しく――


 それから数日も経たないうちのことである。


 居候としての自覚がない吸血鬼に、堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 姉ちゃんからの『出ていけ宣告』が告げられた。


「ぐっ――」


 半泣きになりながら、家を飛び出す。


「お、おい! どこに――」


「吸血鬼って不死身なんでしょ? それじゃあ、なんとかなるでしょ」


 姉ちゃんも引き留める様子はない。

 確かに不死身だとは言っていたけど、外に一人にしておくのは不安があった。


 二時間後――


 未だにあいつが帰ってくる様子はない。


 居間では姉ちゃんがテレビを見ているのだが――

 それよりも時計の秒針の音が、いやに大きく聞こえてくる。


「……やっぱり、俺、探しに行ってくるよ」

「ちょっと――!」


 姉ちゃんが止めるのも聞かず、俺は家を飛び出した。






 今夜は満月だった。

 風は強くて。雲はまばらで。

 断続的に、月明かりが地上を照らしている。


 あの、貧弱な吸血鬼は――

 こんな夜でも、光を避けて生きなければならない。


「あいつが、この明かりの中をうろつくことはないよな……」


 ならば、思い当たる場所と言えば――






 足を運んだのは、初めて出会ったあの公園。


 公園の砂場には、ドーム状の遊具へと続く足跡があった。

 それに沿うように、ゆっくり歩いてゆく。


 子供が入る用の入り口は、とても狭い。

 屈んで、中の様子を確認する。


 ――いた。

 隅の方で、膝を抱えて。


「ここにいたのか……。家に戻ろう。姉ちゃんに謝るの、手伝ってやるから」


 幸い月は雲に隠れている。風も収まっていた。

 これなら急げば帰ることもできそうだ。


「外で働けとは言わないけど……。家でできる内職ぐらいは探さないとな」

「――ごめん。自分の弱い所を突かれると、自然に、言い方もきつくなって……」


「反省してるんなら、それでいいさ。……そのうち、俺も姉ちゃんも慣れてくる――」


 公園から出ようとしたところで――

 茂みの方から、ガサリッと、何かが動く音がした。


「――?」


 トラだ――

 数日前、こたつに入りながら見ていたニュースが、頭の中で再生される。


 動物園から逃げ出して――

 それからどうなったのか聞いていない。

 こいつが家でアニメを見るために、テレビを占領していたからだ。


「まだ捕獲されていなかったのかよ……」


 分かっていれば、もう少し気を付けていたのに。


「……どうする!?」


 ゆっくりとこちらに向かっている。

 ――俺たちを襲おうとしている。


 トラを刺激しないよう、小声で言う。


「……さっきのドームに戻るぞ」


 このまま家まで走ったところで、逃げ切れるわけがない。


 少なくとも、あの中なら――

 爪と牙の餌食になることだけは、避けられそうだった。






 距離の開きがあったのが幸いして、なんとかドーム型の遊具に潜りこんだ。

 トラの前足が届かないよう、奥へと逃げる。


「あ――」


 しまった。携帯を家に忘れてきた。


 これでは、連絡ができない。

 姉ちゃんにも、警察にも。


 もしかしたら、心配した姉ちゃんが自分達を探しに来てしまうかもしれない。


 大声で助けを呼ぶか?


 それで誰かが様子を見にきてくれるだろうか?


「――いや、だめだ」


 トラがその人を襲いにいく可能性がある。

 その人が逃げ切れるかなんて分からない。


 もし逃げられなかったら?

 あの丸太のような太い足で薙ぎ払われたら、ひとたまりもないだろう。


「どうしよう――」


 どうすれば。どうすればいいのだろうか。


 そんなときに隣でしゃがんでいたアイツが。

 頭を抱える自分に、静かに、声をかけた。


「血を――吸わせてくれ」


 あの、超虚弱体質の吸血鬼が。

 今まで見せたことのないような、真剣な表情で。


「……血を吸えば、あれをなんとかできるんだな?」


「任せろ、俺は――『血を吸う“鬼”』なんだぜ?」







「それじゃあ――」

「おい、待て」


 なに首筋に噛みつこうとしてんだ。


「腕にしろ、腕に」

「え、普通首だろ。血を吸うのは」


「馬鹿かお前は! そういうのは、相手が異性の時だけだろ普通! 気色悪いな!」


 変な層が沸き立つだろうが!


 飲める血液の量がどうたらとか言っていたが、どんな理由であろうと却下だ。

 長袖をまくって、腕を差し出す。


「ここ以外から飲んだら叩き出すからな」


 噛まれる前に、目を瞑る。

 腕を噛みつかれる光景なんて精神衛生上よろしくない。

 ましてや、同性にだ。


 頼むから夢に出てくるなよ――?


「――――ッ!」


 生暖かい息の温度と、深々と突き刺さる、牙の痛みが。

 腕を通して伝わってきた。






 ――血を吸った後のこいつは凄かった。


 おもむろに外に飛び出し、トラが向かってくるのを待つ。

 そして、飛び掛かってきたトラを受け止め――

 そのまま、ひねるように地面に叩きつけたのだ。


 姉ちゃんに虐げられていた時とは大違いだった。

 こいつが吸血鬼だということを、今更認識した。


 そのまま鼻づらに拳を叩きこまれたトラは、暴れることもなく地面に倒れたままだった。

 どうやら気絶させただけのようで、殺してはないらしい。


「よし、これで終わりだ」

「凄かったんだな……お前……」


 さっさと警察に電話して、退散することにした。

 この公園の場所なら、数分もしないうちに来るだろう。


『うちの吸血鬼がやりました』なんて言えないし、急いで家へと変えることにした。






 その帰り道――


「ぐっ……。痛――!?」

「!? どうした!?」


 あの時、どこか怪我をしたのか!?


「……お前、A型か」

「……? そうだけど」


 …………


「B型の血じゃないとだめだわー。Aとかないわー」


 …………


 ごめん姉ちゃん。俺が間違ってた。


 今すぐこいつ捨ててくるわ。


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