ロビイ
「きゅーじゅはーち、きゅーじゅきゅう、ひゃーく」
リボンとショートカットの良く似合う、元気さが有り余ったあげく供給過多となったような女の子は、大きな声を上げて数を数えた後、目に当てた手を除けて、顔を上げた。
しばらく光に目が慣れないのか、目をパチパチさせた後、彼女は辺りを見回した。
おそらく何かを探しているのだろう。草むらを覗いて見たり、滑り台の後ろ側に回ってみたり、木の上を見上げてみたりと、全開の笑顔を発揮しながらあちらこちらへ動き回っていた。
だが、どうやら探し物が見つからないようだった彼女の顔は、次第に不機嫌になっていった。
「むー……」
母譲りのアヒル口の表情をした女の子は、誰に言うわけでもなく一人愚痴った。
「きっと、公園のそとに隠れちゃったのね!そうに決まってるわ!あれだけそれは『はんそく』だっていったのに!」
しかし、彼女の推測とは異なり、女の子のすぐ後ろの岩の陰から、かさりという音が立った。
「あっ!」
彼女がその存在に気がついたときはもう遅かった。
小柄でショートカット、実年齢は分からないが、「少女」と呼ぶにはすこし躊躇うくらいの風貌を備えた女性が、岩陰から立ち上がるや否や、足音も立てずにあっという間に、さっきまで女の子が大きな声を上げ、数を増やしていた場所へ駆けていった。
「待ってえ、有希ちゃんずるいよ!あたしがみつけるまで動かないって約束したじゃなーい!」
小さな女の子もそれを追って一生懸命に走るが、もちろんまだ7歳くらいの小さなその女の子が、所詮歩幅で有希と呼ばれる女性にかなうはずが無い。普通に考えれば当然追いつけないだろう。
しかし有希と呼ばれた女性は、目印のように置かれていた缶の手前10m位のところから、まるでスロー再生をしたかのように、ゆっくりと「走り」つづけた。
一方で女の子はその全速力のスピードのままその女性、有希を追い越し、缶のところまで走りこむと、急ブレーキをかけ、足で缶を叩き伏せた。
「ふっふーん、あたしの勝ちね!とーぜんよね、有希ちゃんなんかにまけないもーん」
体全体をくるっと回して節をつけて歌うように女の子は言い放つと、びしっと年上の女性を指さした。
「……」
その指さされた女性は、少し首を傾げると、つっと誘うようにゆっくり走り出した。
女の子もそれに釣られて、いつの間にか缶けりは鬼ごっこへと変わっていった。
しばらくの時間が過ぎ、エネルギー源が無尽蔵に見えた女の子も、流石に段々息を切らせ出し、どっちが鬼だか良く分からない鬼ごっこは女の子の一言で終わりを迎えた。
「もう……有希ちゃん、止まりなさい!」
やはりビデオの一時停止ボタンを押されたように止まった女性は、即座に女の子の両腕に捕まった。
「にはは……」
満面の笑みを浮かべた女の子は、しかし即座に命令するように言い放った。
「今回もあたしの勝ちだけど、あなたは缶けりのルールを破ったわ!私はまだ有希ちゃんを見つけてなかったし、やっぱり反則にはバツゲームが必要よ!」
無体なことを言い放たれた女性は、表情も変えずに首を軽く横に揺らした。
否定の動作であったのだろうか。
「あの時、私は木の葉を踏んで音を立てた。そのときあなたは私を見つけたはず」
それを聞いて、あっと言う顔をした女の子は、それでも専制君主のように言い放った。
「だからって……バツゲームが軽くなるわけじゃないわよ!いい、私をかたぐるましなさい!」
罪がないのにバツゲームとは理不尽だが、有希と呼ばれる女性はそれを不服とは思わなかったらしく、背中を女の子に向け、かがんだ。
その背中に女の子がよじ登って、しまいに肩まで到達すると、その女性は
上の女の子が落ちないように、ゆっくりと立ち上がった。
「わー、たかーいたかーい!」
「…………」
「いい、あなたは今飛行機、私はパイロットなのよ!わかったら手をのばしなさい!
のばさなくっちゃだめよ、それがつばさなんだから!」
柔らかな髪の毛を操縦桿のように握られた女性は、その命令にも不服を提出せず、命令どおりゆっくりと手を横に広げていった。
女の子は体全体を使って、その「飛行機」をあっちへ、こっちへと誘導していった。
さらにはエンジン音を出すことを「飛行機」に女の子は要求し、その命令にも「飛行機」は単調な”ブルルル”という効果音で応じた。
いつの間にかその「飛行機」は「戦闘機」になったらしく、髪の毛を握った女の子の口からは”びしゅーん”、”ばばばばば”という何やら良く分からないものが飛んでいくようなサウンドエフェクトが追加された。
「もうひとりやっつけた!あとは……ふたり!」
いつのまにやら敵も現れていたらしく、その「戦闘機」と「パイロット」は縦横無尽の働きをした。
「まずいぞ~!エースからかくぶんたいにめいれーい、もう弾がなくなった!
作戦をちゅうだん、この場所から宇宙へとてったいする!」
「戦闘機」から「宇宙船」へとランクアップした彼女は、効果音を”ブルルルル”から”ゴゴゴゴゴ”という効果音に
変えると、一気にスピードを上げて……でも大事な「パイロット」を落とさないように……
「宇宙空間」たる小高い丘の上まで一気に「最大船速」で「撤退」した。
頂上までたどり着くと、さっきまで「宇宙船」だった女性は、ゆっくりと女の子を小高い丘の頂上に下ろした。
「あー、すてきだったあ!」
100ワットの笑みを浮かべた女の子は、上気した顔をさわやかな風に当てていた。
その女の子の顔を、それとは正反対な無表情で……でもどこか愛おしそうに……女性は見つめていた。
「そうだ、ねえねえ、有希ちゃん、『お話』聞きたい?」
「…………」
女性は少し首を下げた。
それを同意の意と受け取った女の子は、昨日父親から聞いたばかりの童話を、
彼女流にアレンジして、あちこちにいくつかの筋を付け加えて話し始めた。
「むかーしむかし、といってもそんなに昔のことじゃないわ、
でも洗濯機がないくらいには昔のことね、あるところにお爺さんと……」
女性はやはり無表情だが、なんとなく興味深そうにも見える表情を浮かべながら、
彼女の話を聞いていた。どうやら女の子の話も佳境に至ったようだ。
「……イヌとサルとキジと、それにライオンとトラとゾウと、宇宙人、未来人、超能力者を連れたももたろうは、まだ日がのぼりきらないよあけまえに、鬼が島に『きしゅう』をしかけました……」
そんなに大部隊が乗る船で奇襲も無いだろうけれど、女の子的にはこれくらいしないと「鬼退治」なんて出来ないようだ。
「『げげぇー!なにやつだおまえらは』!みはりの鬼が……」
彼女の話の中、一大合戦が開かれようとする正にそのとき、公園の外から車のクラクション音が聞こえてきた。
***
「あっちゃーん、それに有希ー!おまたせー!」
いつも思うんだが、『あ』で始まるから『あっちゃん』って言うのはいささか単純過ぎないか。
まあ一家を支えているのに一向に外れそうに無い俺の『キョン』よりは数千段マシだと言えるが。
と……ハンドルを握り、クラクションを鳴らした俺は割と益体もないことを考えていた。
今日も不思議探索とやらに車を駆り出され、仕事に疲れた体を休めるべく会社によって制定された休日は、妻がそれを言い出した瞬間に光の速さで今日も消え去った。
車を安全なところに駐車した俺は、先に飛び出していったハルヒの後をゆったりと追いかけて公園に入ると、母娘ハイテンションコンビがたかいたかいを繰り返しているのを確認しつつ、少し成長したのと服装以外はあまり外見上変化も無い長門の所に向かった。
「悪かったな、また娘の面倒を見させてさ」
何か用事があるたびに長門に面倒を見させようとするハルヒもどうかと思うが、それに一応の同意をした俺も、きっちりとした筋は通す必要があるだろう。
「いい」
長門の表情に、少し笑みらしきものが浮かんだのを長門の表情専門家たる俺は見逃さなかった。
「私も楽しかったから」
いつものやり取りだ。長門は案外子供の面倒を見るのが好きらしい。
俺たちの子供が生まれるまで、長門がそんなことをするなんて発想が思いつかなかったが……
まあ妹とも仲良くしていたし、長門なら何でも直ぐこなしそうでもある。
と、言うより長門に不可能事が有るのかどうか、怪しいものだと俺は今でも思っている。
「あー、また何かあるとき、ハルヒはお前に頼むかもしれんが……」
「大丈夫」
「なんだったら妹にでも……」
「大丈夫」
真っ直ぐに見つめる長門の無表情な目は、明らかなプレッシャーを俺に感じさせた。
「大丈夫」
「……そうか」
「そう」
こんな風に押し切られるのも、いつものやり取りの内だ。
「あのねー、キョン君、今日も有希ちゃんに缶けりで勝ったんだよ~!」
娘よ……頼むから『お父さん』と呼んでくれ。妹……いや、おばさんの真似をするな。お父さんは悲しいぞ。
それに年上に向かってちゃん付けとは何ですか。
「いーじゃない、ねー有希ちゃん!それでね、飛行機ごっこもしたんだから!」
ああ、それは良かったな。
まあ長門なら本気でやればさぞやリアルなシュミレーションをしてくれただろうが。
「それでね、それでね……」
さんざっぱら二人で遊び倒した割に、ペースもテンションも落ちない愛娘と
それを世界一の宝物のように後ろから抱きかかえている妻を眺めながら、
俺は横に居る長門は今何を思っているのかとぼんやり考えていた。
まあおそらく……俺と同じく、『幸せ』ってものを感じてるんじゃないだろうか。
そうだと良い。そうであって欲しい。
ワンセンテニアル・ユキなど 逢坂ソフナ @sophnuts
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