この作品は架空のインターネット社会史を記述するモキュメンタリーですが、この作品の中で記述されている事件は実在する事物とフィクションの部分が巧妙に絡み合っていて、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、境界線が曖昧です。実在する部分もgoogleやwikipediaなどのメジャーなものと、恒心教や淫夢などのネットのディープな部分が混ざり合っています。真面目なノンフィクション文体の中に、唐突に「ホモコースト」が登場する、そのギャップは本作独自のものです。実在人物も、現在生存している人物を勝手に殺していたりと、フリー素材のような扱いを受けていて、読者に倫理観への挑戦を仕掛けているのではないかと思うほど。これらの要素が合わさった結果、この作品を読むことによって、渾然一体としたネットの混沌を擬似的に追体験することができます。
惜しむらくは、2018年の作品なので、AIとインターネットといった最新技術や時事ネタが題材なのも相まって、内容が少し古びてしまっていることです。安倍晋三元総理銃撃事件やSyamu_Game復活を経ていない時代の作品だということを考慮する必要があります。しかしこの作品の輝きはいささかも失せていないと思います。時代のアングラな潮流を真空パックした近未来は、月日が流れるにつれてかえって新鮮に映るでしょう。
およそ下等で下品な、とされるネットの掃きだめ……2ch、アスキーアート、ニコニコ発の例のアレ、やる夫、ハセカラ……そしてそれに関わる、あるいは関わりたくないと忌避する人々……
それらが一つのif技術の分岐により今から想定可能な、また不可能な方向へとカタストロフへの道を突き進む、現代の科学技術および理論の延長線上にある例のアレ、を描いたSFです。
原作読者としても改めてレビューを書かせていただきました。
もとになった「下等な」世界を知るものが不幸か幸福かは読者に委ねます。
2020.7.3追記
ちょっと突っ込んだネタバレレビューを近況ノートの方に書きました。
https://kakuyomu.jp/users/sophnuts/news/1177354054908678702
ネタバレなので作品を読んでから踏むのを推奨します。
グーグルがあり、ウィキペディアがあり、淫夢民やハセカラ民すらいる世界。我々が知っている通りのネット。
それが、「2017年、AIが実用化」というイフ要素の導入により、異形のパラレルワールドへと変貌する。でも変貌した後の世界も、グーグルがあって5chがあって、明らかに地続きで、現実味にあふれた世界……
じゃあ、我々が生きている現実も、どこか別の時代、別の世界の人にとってはSFそのものかも? 我々はすごい世界に生きているな?
……と感じさせてくれる、世界の見え方が変わる小説。
赤野工作「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」は、知っての通りの傑作SFですが、この作品は、ある意味アレと同じような衝撃を与えてくれます。正統後継者であり、発展型であるともいえます。
こんなSFの書き方があったのか、という感じです。
追記
その後、8話で完結してしまい、「これで終わりなら、私の読みたかったものではないな」と、評価を下方修正しました。