地獄の沙汰も“酒”次第

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地獄の沙汰も“酒”次第

 ――死ぬほど酒が好きだ。



 朝から晩まで、暇さえあれば酒を飲んで生きてきた。




 仙人と名乗るやつから、酒の種というものを貰って――

 極上の酒を浴びる程飲もうと思っていたのに。



 それなのに、その帰る道中で――

 馬に撥ねられて死んでしまうとは。



 確かに道の真ん中に出てしまったのは、悪かったかもしれない。

 でも仕方ないではないか、酔っ払っていたのだから。



「このままじゃ、死んでも死にきれねぇ」



 ぐちぐちと呟きながら、訳も分からず人の波に沿って歩く。

 ある程度進んだところで、閻魔大王の前まで来ていた。



「お前は生前、酒を呑んで遊んでばかりいたな。誰かの役に立とうとすら考えずに生きてきたお前は、問答無用で地獄行きである」



 即決だった。言い訳の一つすら言わせてもらえなかった。

 言い訳できることが、一つもなかったことは置いておく。



 地獄行きだけは勘弁してほしいと必死に抵抗するも――

 部下の鬼たちに敵うわけもなく。



 あっという間に、地獄である。



 その目に映るのは――

 針山、釜茹で、炎の絨毯。

 獰猛な獣に、断崖絶壁、刀の雨。



 まるで、責め苦の見本市。

 といっても当たり前だろう。ここは地獄なのだから。



「ほら、早く進めぇ! 全ての地獄が終わるまでは転生なぞさせんぞ!」



 後ろから、金棒でせっつかれる。



 文句を言うわけにもいかず――

 一番最初に向かわされたのは、釜茹で地獄だった。



 上から眺めるとこれまた怖い。

 立ち上る湯気が、むせるような熱さだったため尚更なおさらだ。



 流石にこんな光景を見せつけられては。

 ――酔いもめるわけで。



 ガタガタと震えずにはいられなかった。

 熱い釜の上にもかかわらず、寒気がしてくる。

 身体を温めようと、思わず懐に手を入れてしまう。



 ――すると指先に、なにか固いものが当たる感触があった。



 取り出してみると――

 生前、仙人からもらった“酒の種”である。



「こりゃあたまげた……。こんなとこまで、持ってきちまったのか」



「トロトロするんじゃないっ! 後ろをつっかえさせるな!」



 ――ドンっと背中を押された。


 鬼の力で。

 当然、耐えられるわけがない。


 その衝撃で、倒れてしまう。


 頭から窯へ突っ込むことは何とか避けたが――

 酒の種が、手の中からポロリと落ちてしまった。



 ぐつぐつと煮えたぎっている――釜の中へと。



 すると、みるみるうちに嗅ぎ慣れた――

 いや、これまで嗅いだことのないぐらいの。


 とびきり極上の酒の香りがしてくる。

 香りで分かる。間違いなく、極上の酒だ。


 刀の良さはさっぱり分からんが、酒の良さだけは分かる。

 そんな自分が太鼓判を押すほどの。



 こんな状況でも、よだれが出てきてしまった。



「燗を付けるにしては、熱過ぎるはずだが」



 飛びきり燗なんてどころの話ではない。


 その証拠に――

 香りは今もなお、どんどん飛んでくる。



 試しに手ですくって飲んでみる。

 熱い、熱いのだが――

 この匂いを嗅いでいると、そんなことすらどうでもよく思えてくるのだ。



「こりゃあ美味い! 流石は、仙人が用意したもんだ」



 無心になって飛び込んだ。

 すくっては飲み、すくっては飲み―― 



 そうしてると、匂いに誘われたのだろう。

 他の地獄からもたくさんの亡者が集まってきた。



 誰もかれもが、極上の酒を味わおうとして群がる。

 熱さに構うことなく、釜を揺らす。


 右へ、左へ、前へ、後ろへ。


 遂には釜が台から外れてしまい、大きく傾いてしまった。

 その勢いで、釜から投げ出されてしまう。



 そして中身も――こぼれて辺りに広がっていく。


  広がっていく――


  広がっていく――



 が、止まる気配が一向にない。


 地獄の釜だからなのだろうか。

 中の酒は幾ら流れ出ても減ることがなかった。

 何とも不思議な窯である。



 何とか、起き上がって周りを見回すと――

 釜をぐるりと囲むように、亡者が集まっていた。



 最初に見たときの数十倍はいるだろう。

 それはもう、地獄中の亡者が集まったのではないかというぐらい。



 酒の匂いが亡者を狂わせ――



 押し合い、圧し合いしながら匂いの元へと群がってゆく。

 まるで蜘蛛の糸に群がるかのように。


 流れ続ける酒を、一口でもと飲もうとする。




 いよいよ地獄は収拾がつかなくなってきた。



 鬼たちはといえば――

 釜から溢れ出す酒を。それに群がる亡者たちを。

 どかそうとするのに手いっぱいらしい。


 地獄の責め苦を味わってきた亡者たちだ。

 鬼に張り倒されて怯むことはあっても、引くことはなかった。


 

 このまま、騒ぎが収まるまで待つという選択肢はない。


 今のうちに、地獄から逃げ出すことにした。



 亡者の波に逆らうように――

 ここに来たときにくぐった、地獄の入り口へと向かう。



 番をしていた鬼たちもいない。

 どうやら持ち場を離れて、亡者を抑えに向かったらしい。



 誰にも捕まることなく。誰にも見つかることなく。

 運よく地獄を抜け出すことができた。



 ――しかし、黄泉の国の道など全く分からない。

 酔っぱらったままの頭では、普段の帰路すら危ういというのに。



 どうしたものかと考えながら、そのまま進んでゆくと――

 突然、景色が変わる。



 おどろおどろしい黒々とした世界から――

 まるで太陽の下にいるかのような、山吹色の世界に。



「……おや、ここはどこだ? とても綺麗な場所に出たが……」



 あてもなく彷徨さまよっていると、声をかけられた。

 とても美しい女性が、泉のほとりから。



「極楽にようこそ、新しく来た方ですね」



 誘われるように、近づいていくと。

 眼が飛び出るような、美女、美女、美女――



「こちらで極楽の――極上の酒を」

「好きなだけ飲んで愉しみましょう?」


 そう言って、なみなみ酒が注がれた酒器を差し出す。




「うほぉ、ここでも酒が飲めるのか!」



 まさに、極楽。

 こんな美女たちに囲まれて! こんな美しい風景の中で!

 好きなだけ酒が飲めるだなんて!



 このまま死んでもいいとさえ思った。

 既に死んでいるのだが。



 もちろんと言わんばかりに酒器を受け取る。



 そして、ぐいっと。

 景気よく一気に飲み干して一言――











「ううむ、地獄で飲んだ酒の方が格別に美味かったな」






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