第二夜

第一世 3

目覚ましの電子音は、いつでも憂鬱と同義だ。

私は重い瞼を開け、ベッドの上に体を起こした。のろのろと鈍重な体を引きずって支度をする。

朝食はいつも通りヨーグルト。制服の着こなしは無難に。

高校までは歩いて三十分だ。

私は殺人事件のニュースを横目に、いつも通り家を出た。



曇り空の街は、通勤通学の人が行き帰しているだけだ。

平穏な光景はうんざりするほど見飽きている。

何も変わらない日常を、けれど変わればいいと願うことだけは飽きなかった。

私は小さく欠伸をかみ殺す。

コーヒーショップから漂うモーニングの香りが心地よく、少しだけ気分が晴れる。



通学路で、友人と出会うことはほとんどない。

学校近くになって見知った顔と会うくらいだ。

この日会ったのは同じクラスの智子で、校門まであと数メートルというところで私を見つけた智子は、軽い足音を立てて駆け寄ってきた。


「おはよ! ゆーちゃん、元気?」

「普通」


智子の元気さは、励まされることもあるけれど、おおむね煩い。

もともと頭が重いこともあって、私は顔を顰めて返した。

彼女の手が肩に触れる。


「今日、テストだよね。わたし、自信ないなー」


親しみをもって触れられた手。

だがその感触や温度は煩わしくて仕方ない。

元々人に触れられるのはあまり好きではないので尚更だ。

私はだが、いつも通り不快を飲み込んで、歩く速度を速めた。

校門が近づく。


「ゆーちゃん、どうしたの?」

「どうもしないよ」

「えー? でも、顔色悪いよ」


智子の、こういうところには散々救われてきた。

クラス替えしてすぐ、友達ができずにいた私に、話しかけてきてくれたのも彼女だ。

智子は誰にでも分け隔てなく、積極的だ。

裏表のないやさしさが人を救う。それが彼女の美点だとわかっている。

ただやたらに触れられたくないと思ってしまうのは、私の狭量だ。


「ゆーちゃん?」


私は智子の伸ばしてくる手を一瞥する。

その手を払おうと左手を上げて――


左手首の、白いシュシュを見た。




「…………」


私は足を止める。

癖のない長い髪が揺れた。

昨日までは、セミロングしかなかった髪。だがそれを、智子は不思議にも思わない。

一房だけの銀髪にも、変わったであろう顔にも、何も言わない。いつもの日常が続いている。

けれどそれは、案内人の言葉を信じるなら―――― 私がそう、望んだからだ。

私は家を出る前に見たニュースを思いだす。



『繁華街で傷害事件? 大量の血液が――――』



夢なんかじゃない。全て現実だ。

私が、触れたいと思ったから、あの三人に触れた。だから肉塊になった。

そんなこと望んでたつもりはない。

でも、どこかで望んでたのかも。あんな風な非日常に、触れてみたいと。

なら私の手一つで―――― 智子もあんな風にしてしまうのだろうか。

そう思うと、溜息もつけなかった。



私は校門を前に足を止める。



「ゆーちゃん、どうしたの?」

「私、帰る」

「え? どうしたの? 具合でも悪いの?」


私はそれに答えない。ただ智子に背を向けて、来た道を戻り始めた。

後ろから、もたついた智子の声が叫ぶ。


「ゆーちゃん! どうしたの!?」

「―――― 智子、今までありがとう」



智子は、いい子だ。

私が非日常に焦がれ、日常に倦んでいたなら、きっといい友達のままでいられただろう。

でももう無理だ。無意識の欲望で智子を壊さないためには、離れるしかない。

別にそれが悲しいわけじゃない。

非日常と友達と、天秤にかけるなら前者を取る。

私は、そういうどうしようもない人間だ。

どうしようもない人間なんだ。

そうであることを、私が望んだ。





自室に戻った私は、ベッドに鞄を投げ捨てる。

汗だくの額をぬぐって、姿見の前に立った。鏡の縁を掴んで叫ぶ。


「私が、私を好きなように変えられるっていうなら!」


鏡の中の、知らない少女が嗤う。


「この世界じゃない、別の世界にいる自分がいい!」


気紛れで、何かを壊してしまわないように。

周りの人間を、殺してしまわないように。

きっと別の世界なら、もっと悔いることなく自由にいられるはずだ。

非日常を、曇りなく楽しめるはずだ。



目を閉じる私に、案内人の声が聞こえる。



『待て、お前は―――― 』



醜悪だ、なんて、とうに知っている。

これが叶わない望みだとしても、そんなことには慣れっこだ。

だから



その瞬間、私の意識は暗転した。




目が覚めた時、私は高い塔の上に一人、立っていた。

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クローズド・アイズ 古宮九時 @nsfyuki

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