ゆうもあ先生にさよなら

「さよなら、ゆうもあ先生」

 大島敦子は持ってきた花束をそっと置いた。


「さよなら、ゆうもあ先生」

 前田優子は涙ながらに口を開いた。


「本当にさよならなんですね。ゆうもあ先生」

 柏木麻里子、渡辺由紀、横山亜紀が俯いた。


「先生の講義は楽しかったです」

 樋口一応が涙声で話す。


「先生は私に読書の喜びを与えてくれました」

 草井君代が囁く。


「先生、漫画ばっかり読んでいる僕にも気を使ってくれてありがとうございました」

 斎藤隆史が頭をさげる。


「有象先生。先生は私のよき理解者でした。それが、こんなことになるなんて」

 服部洋子が辛そうに呟く。


 四月一日付、横浜新聞、広告欄。

『本日、午後二時より神奈川県立大学大講堂にて、有象無蔵元教授のお別れ会を行います。発起人、樋口一角神奈川県立大学学長』


 正面にマイクが置かれ、樋口一角がその前に立ちスピーチを始める。

「有象無蔵先生は長年にわたり、我が大学の文学部教授として、教鞭を振るってくださいました。その間に小説家としても活躍され、その著作『道楽』を始め多くの人気作を記されました。しかし、昨年起きた某元教授を弾劾する大掛かりな学生デモの中心人物となり、その責任を取って教授の職を辞されました。私は彼の才能を惜しみ、客員教授として大学に残るよう依頼いたしました。しかしこの春、あのようなことが起こり、我々は有象先生との永の別れを余儀なくされました。たいへん残念なことであります。ですから、ここに有象先生の功績を惜しみ、お別れの会を開くことになったのでありますが……なんで彼は来ていないんだ!」

 樋口一角学長は急に口調を変えて怒り出した。それに対し、助手の平田くんが、

「十二時には打ち合わせが終わり、吉田さんの運転でこちらに向かう手筈になっていますので、もう直ぐ来ると思いますが……」

 とのんびりとした口調で話す。一体どうなっているんだ?

 そこへ、

「いやあ、遅れてすいません。アシスタントのサトパンさんと食事なんてしちゃったもんだから、こんな時間になってしまいました。本当に、誠に申し訳ございません」

 と汗をかきかき小走りで現れたのは、有象無蔵本人だった。


 この春、有象は低視聴率で打ち切りになった湾岸テレビの『イブニング・河童ですよ』の後継番組、『ワイド・デラックス』のMCに抜擢された。アシスタントはサトパンことフリーになった佐藤綾子で、湾岸テレビの力の入れようがわかる。そうなると、公立大学である、神奈川県立大学の客員教授は勤められない。そこで今日、樋口一角学長の主催で『神奈川県立大学客員教授としての有象無蔵のお別れ会』が開かれることになったのである。


「お忙しくて結構なことですな」

 樋口一角が嫌味を言うが、有象はその言葉を真に受けて、

「ええ、そうなんですよ。忙しくて昼寝もできません。テレビって奴は時間を取られますな。それにこの前『婦人私論』に掲載した『恋する頓珍漢』を加筆・訂正して単行本にして出したら、自分史上最高の売り上げで、なんと十刷五十万部突破しちゃって、サイン会やら握手会だのイベントに引っ張りだこで、弁当を使う暇もありません。この前まで鼻毛を抜いて日々を過ごしていたのに、生活がまるっきり変わってしまいましたわ。わはははは」

 と豪快に笑う。

「で、テレビの視聴率はどうなんですか?」

「これがもう、ウナギのぼりで、まあそう言ったって、前任者が本番中に居眠りこくような河童黄桜ですからねえ。上がって当然です」

「そうですか。それは結構なことですな」

 そう言って樋口一角学長はどっかに行ってしまった。気を悪くしたのであろう。代わりに元有象ゼミ生たちが有象を囲む。

「先生、テレビ見ましたよ。テレビ映りいいですね」

「そうかい? 裕子さんがスタイリストになってくれて着るものを選んでくれるんだ。助かるよ」

「割と、辛口コメントなんですね」

「プロデューサーの注文でね、口調は優しく、コメントは辛辣にしているんだ」

「サトパンってどんな人です?」

「いやー、近くで見るとテレビで見るよりもっと美人だねえ」

「タレントとかに合うんですか?」

「僕はもともとテレビ見ない人だから、あんまりタレントさんを知らないんだけど、ああ、この前、小泉洋だっけ。彼とすれ違ったよ。タレントはオーラが違うね。びっくりしちゃったよ」

「先生もタレントでしょ?」

「違うよ。僕は文化人。小説家で文芸評論家だよ。まあ、評論なんてしたことないけれどね。ははははは」

「先生絶好調。誰かに、足を引っ張られないでくださいね」

「ドキッ。怖いこと言うなあ」

「ところでゆうもあ塾はどうするんですか?」

「君たちが来てくれないから、平田くんと斎藤孔明少年の二人っきりで白熱した議論をやっているよ。あれには私もついていけない」

「開店休業ですね」

「閉店ガラガラだよ」

「うわおー」

 有象は久しぶりに女学生と社会人一年生に囲まれ、盛り上がった。

「あっ、本番まで時間がない。私はこれで失礼するよ」

「先生、頑張って下さい」

「ああ」

 有象は急ぎ足で会場を去った。


「では本番いきます5、4、3、2……」

 A.D.がキューを出す。

(オープニングテーマ)

「こんばんは『ワイド・デラックス』有象無蔵です」

「アシスタントの佐藤綾子です」

「佐藤さん、今日も美人ですねえ。たまにはブサイクの日も作らないと奥様方にひがまれますよ」

「ブサイクの日を作ったら男性視聴者からクレームがきます」

「いいますねえ。さすがフリーアナウンサー。私はただのフリーター」

「ちゃんとしたベストセラー作家ですよ」

「でもねえ、あの本、加筆の際に官能シーンを入れちゃったら、モデルの女性から内容証明の手紙がきちゃったんです」

「まあ」

「裁判ざたになったら、取材される側になっちゃいます」

「そうですね。そうしたら独占取材させてください」

「いいですよ。でもその時はMC分とインタビュー分と両方ギャラくださいね」

「まあ強欲」

「と、冗談はここまでにして最初にニュースをお送りします。報道センターの伊藤さん」

「はい、カット」

 A.D.の声が入る。

「サトパンさん、いつも絶妙の返し、ありがとうございます」

「有象さんこそ、きわどいコメントありがとうございます。勉強になります」

「私は素人ですよ。番組が盛り上がるのは全てサトパンさんのおかげです」

「お世辞でも嬉しいわ」

「本気ですよ。お礼にお食事でも」

「今日のお昼、ごちそうになったばかりですよ」

「あなたのためならいくらでもおごります」

「まあ」


 番組終了後、有象と佐藤綾子は一緒に食事をした。ここで有象の悪い癖が出た。佐藤綾子を口説いたのである。そして、あろうことかOKを勝ち取ったのである。ホテルに入る二人。日頃の鬱憤がたまっていた佐藤綾子は乱れに乱れ、有象も持っているテクニックを存分に使い、佐藤綾子を何回も昇天させた。


 五月に入っても番組は絶好調。ついに、ジャパンテレビの『ニュースエブリディ』の視聴率を抜かした。プロデューサーは大喜びで、番組終了後に慰労会を開いた。有象はしこたま酒を飲み、佐藤綾子と嘲りあった。それを見ていたA.D.たちは、

「あの二人、怪しくないか?」

「よく二人で食事に行っているみたいだし」

 と噂話で盛り上がった。

 それを聞いたプロデューサーは慌てた。そして有象に、

「共演者に手を出すのはご法度ですよ」

と釘を刺した。

 しかし、その諫言は手遅れだった。有象はお台場近くの高級賃貸マンションを借り、佐藤綾子と半同棲生活をしていたのだ。


 その日、有象は久しぶりに自分の家に帰った。何かがおかしかった。そうだ、裕子さんも明美も吉田も、平田くんもいない。真っ暗で一人っきりの豪邸ほど怖いものはない。

「おーい」

 叫んでみても返事はない。有象は急速に寂しくなった。裕子さんのスマホに電話をかけてみる。

「有象だが」

——あら、お珍しい。

「酔っているのか」

——人はお酒を飲むと酔うものよ。

「どこにいるんだ?」

——いいところ。

「今日は家なんだ。早く帰ってきてくれ」

——前はそんな命令口調じゃなかったわ。

「すまない。帰ってきてください」

——いいわよ。

 裕子さんはあっという間に出てきた。家のどこかに隠れていたのだ。

「裕子さん」

 抱きしめようとする有象。しかし、裕子さんは、

「人気のアナウンサーさんには勝てないわ」

 と言って拒絶する。

「あれは、遊びだ」

「何十万もする、マンションを借りて? 豪華な遊びね」

「ちょっとハメを外してしまったんだ」

「そう」

「そうだ。いや、そうです」

「じゃあ、抱いて」

「はい」

 有象は裕子さんをベッドまで抱えて歩き、静かに寝かせると、優しく服を脱がそうとした。

「着たままでいいわ」

 裕子さんは言い、下着だけを自分で脱いだ。

「寂しかったわ」

 押し殺すような声で裕子さんは言い、

「もう、婆やには疲れたわ」

 と口にした。

「もう寂しい思いはさせない」

 有象は言うと裕子さんと愛し合った。

「事実婚でいいかい?」

 有象は聞いた。

「一緒にいられればそれでいい」

 裕子さんは答えた。


 有象が突然『ワイド・デラックス』を降板したいと言い出したのでプロデューサーは仰天した。

「なんでですか? 視聴率も絶好調。あなたの人気もうなぎのぼりですよ」

「もう、疲れてしまったんだ。私は暇が好きなんだ」

「そんな、馬鹿げている」

「私と佐藤さんのスキャンダルが今週の週刊夏冬に出る」

「ええっ、ダメだって言ったじゃないですか。共演者との恋愛は!」

「我慢できなかった。今日、佐藤さんの事務所の人が来て彼女を連れて帰った。

私を潰すと言っていた」

「ひゃー、そりゃ、もう駄目だ。後任には誰を持って来ればいいんだ」

 プロデューサーは頭を抱えた。


 半年後、有象の家ではささやかな結婚披露パーティーが開かれていた。有象と裕子さんの事実婚のパーティーだ。結婚恐怖症の有象がここまでのことをしたのは裕子さんがそれだけ大事な人と気付いたからだ。でも籍は入れない。そこまでは体が震えてできない。それだけは謝って勘弁してもらった。初婚の時についた心の傷は今も癒えない。


 その結婚初夜、裕子さんはぽつりと言った。

「あなたが沢山の女性と関係を持っていることは知っているわ。これからも少しくらいなら許してあげる。でもね……」

「なんだい?」

「明美と寝たら、あなたを殺すわ」

 有象は自分の命の短いことを悟った。

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