第5話 流浪する墓地

 元々はソーラー電源で半永久的に高高度を飛び続ける気象観測用の飛行機だったと聞いている。今はタワーから補助的にマイクロ波を受信してエネルギー供給を受ける半動力船となっているため、AIがタワーを周回するように作り替えられている。受動態ではおかしい。AIが自らをそう作り替えた。今はAIですらなく、受肉もしなかったので、精神体そのものが飛行機の一部になって、条件を満たさないから生物とは言えないが、自ら考え、自ら飛び続ける未知の存在として、空中を漂っている。これを墓地として使うようになったのはそれほど大昔ではないが、理由が言い伝えられるほど最近でもない。ゼロが聞いているのは、乗組員の遺族が、スカイダイビングで取り付いて、中に献花をしてAIのプラグラムを修正したということだった。ただし、乗組員の遺族にITに長けたものがあまりおらず、そもそも花をもらう側の元乗組員(故人)が一族の中で突出してITリテラシーが高かったことを鑑みると、この説は成立できないレベルのいち諸説に過ぎないことがわかる。しかし、ゼロはまだそのことには気づいていない。それで、ゼロがこの〈流浪する墓地〉に乗り込むのはこれで5回めだった。


 ゼロがここに祀ったのは、かつて親友として肩を組んだ男だったが、バウンダリーロストの断層に巻き込まれて存在を失ったものだ。男はもう名前も失われたし、記録も残っていない。ゼロも油断すると実態のないおぼろげな記憶となって、いつか空想上の生物と認識し直してしまうかもしれなかった。こうして墓地に祀ることで、存在の痕跡の縮退からは逃れて「名前も顔も忘れたかつての親友」という定義だけは残すことができた。しかし、この飛行機が墜ちてしまったら、その先のことはわからない。しかし、その先にはもう悼む側の人間も誰も残っていないかもしれないから、考えるだけ時間の無駄なのだろうと思う。バウンダリーロストは覚悟のない人間にも、動物にも、概念にも分け隔てなく襲いかかり、理不尽に掻き乱し、不条理に破壊していく。痕跡が残せるなんて、まさしく奇跡的なこのなのだ。


 名前も遺影もなにもない存在を、ゼロはシートに突き刺したナイフで表現した。どうしてそのナイフが彼を示すことになるのかゼロにも思い出せなくなっていたが、インフィニティがそれでいいと認めたことで、そのナイフは名もなき顔のない戦士の墓標となった。機内には至るところに傷や撃ち込みがあり、それが誰かの思い出のアンカーやクサビになっているのだった。今日はゼロたち以外には誰も訪れていなかった。供物倉庫が機体後部にあり、これは艦載機の離発着にも使われた巨大なホールなのだが、そこで、コンビーフを2箱ほど持ち出して、上部甲板に係留した〈キニア〉の小さなバゲッジに押し込んだ。小型船がゆえの重量バランスの乱れが気になるが、帰りは風のままにタワーに戻れば済むのであるから、考えるのをやめた。おそらく操舵に上腕二頭筋を当てれば、無事にどこかのポートにたどりつけるだろう。できれば第⑥階層だとうれしい。


 クッカーとストーブをリュックから取り出す。上部甲板は少し風が強いが、飛行機は浮遊力場を発生させながらゆっくりした速度で徘徊しているから、天候が穏やかなら、ピクニックだってできる。せっかくコンビーフが手に入ったのだから、こういう眺めのいいところで味わうのもオツではないか。

 ゆでたポテト(厚めにスライス)をオリーブオイルをまぶしてフライパンに乗せ、コンビーフをほぐして混ぜる。ちょいカリっとしたあたりで卵を落とす。2つ落とす。薬瓶に仕込んだ塩コショウをワイルドに振りかける。ポテトを包んできたアルミホイルを上にかぶせて蒸し焼きにする。上から焼き冷ましのトーストを乗せて軽く炙る。

「できたぞ」

 上部甲板の端っこで地上をのぞき込んでいたインフィニティが飛んで戻ってきた。トーストの上に、コンビーフポテトエッグを乗せて、皿においてやった。

「いただきまっす」

 この女の一番いいところは、飯を食うこの顔だ。たまらない顔で食べる。この顔が俺の性欲を引っ張り出す。だから、食後にどうしても抱いてしまう。ここは流石に寒いからやれないけど、なんなら下の、いや、墓地だよここは。じっと見ていたら、インフィニティが何かを思い出したようだ。

「思い出した」

「何を」

「大きくてデカくて邪魔なの」

「ああ、それか」

「ファルス」

「おい」

 インフィニティはニヤリとして、残りのトーストを口にほおばって、バリバリと噛み砕いた。俺も自分のコンビーフポテトエッグトーストにかぶりついた。全部飲み込んでから逃げるインフィニティを追いかけた。

「下ネタじゃねえか!」

 ゼロは、⑤分後に笑いすぎて倒れたインフィニティを捕まえて、①時間後に出航した。無事に家までたどり着けたから、ふたりに罰は当たらなかったようだ。

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NeST 波野發作 @hassac

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