夫の非公開ブログ -17- & 嫁からの手紙
「ああ……うん、いただきます」
これ以上悩む素振りを見せていても、嫁にいらない心配をかけるだけだし。まずは食べることにするか。
「あれっ?これって……」
席についた嫁をチラ見してから一人分の朝食プレートを見た俺は、目を丸くして素っ頓狂な第一声を漏らしていた。
メニューはニンジンやキャベツ、パプリカと胸肉らしい鶏肉を煮たトマトスープ。全粒粉の小さなパン、キウィが一個分。それに真っ白なヨーグルト……そう言えばさっき見たこのヨーグルトも、低脂肪のパッケージだったっけ。マグに注いだコーヒーと一緒に出された牛乳も、低脂肪という念の入れようだ。
今までの朝食はホットドッグと小さな菓子パン、ジャムとかソースを入れたちょっと高級なヨーグルトにコーヒーだったのに。今出てきたのは、ダイエットメニューの手本にしたいような健康的なものばっかりだ。
「ん?あ……ひょっとして、結婚記念日の朝くらいは好きなもの食べさせてくれよ!とかって言いたかった?」
手元にまとめて置いてあったスプーンを俺の方に差し出しながら、嫁がちょっと悪戯っぽく笑いかけてくる。多分、俺がうろたえてるように見えたんだろう。
「いや、そんなことは……」
「まあ、結婚してからずっとこんな感じだもんね。そうだなあ……ワンシーズンに一度くらいは、菓子パンも入れてあげてもいいよ?」
「へ?」
……結婚してから、ずっと?
んなバカな。これ、昨日まで俺が食べてた朝飯とは全然--
『あたし、戻ったら……絶対に会いに行くから。病気にさせないために、何だってするんだから。覚悟、しといてよね』
突然、隣に寝てた女子高生嫁の言葉が鮮やかに蘇った。
はっとさせられた。
未来の俺の死因は、不摂生が元の肝臓病……まさか嫁は結婚してからずっと、俺の健康に配慮した食事を作ってくれてたってこと?
しかしそんなこと、将来俺がどうなるのかを知らなきゃ出来ないし、俺がいた時間では少なくとも、このメニューに見覚えはない。
ということは、もしかしてこの世界は。
もしかして、この嫁は……!
「……美味いよ、これ」
だけど俺は、無意識に口に運んだトマトスープの感想を言うことしかできなかった。
俺が時間を超えただなんて実感できなくて、この時間にいた俺の習慣に逆らえなかったんだ。
初めてて食べる、嫁の特製スープ。温かくて優しくて、何だか不思議と懐かしさを感じる味だった。俺にとっては薄いかな、って思えるのに、それでも美味しい。きっとこの時間の俺が、十年間食べ慣れてる味なんだろう。
「んー?昨日と同じ筈なんだけど。週の頭にまとめて作って冷蔵庫に入れて、小出しにしてるだけなんだから」
対する嫁の態度は、あっさりとしたもんだ。食べ方がゆっくりな嫁だが、何とかスープが湯気を立てているうちに全部食べてしまおうと、スプーンを一心に動かし続けている。
……いや俺、多分嫁が知ってる俺と違う俺なんだが。全く気づかないのか?
自分が動揺してるときに目の前であんまりにも堂々とされると、却って落ち着かなくなる。だからつい、俺は聞いてしまった。
「あ、あのさ……嫁は……嫁、だよな?」
「へ?」
いきなりな質問に、嫁も思わず手を止めた。
本日二度目のジト目になって、質問をぶつけてくる。
「昨日、変な夢でも見たの?」
「い、いや別に……」
「じゃあ、何か嫌なことでもあった?」
「いやぁ、特には……」
……マズい。嫁、何か疑ってるわ。俺を見る視線の不審さも、度を増してってる。
そりゃ、「別に」「特には」とか、「何でもない」なんて、浮気を隠したくても隠せない人間の常套句だもんな。
俺は誓ってそんなことしない!というかできないし、過去も未来も物理学的にまさしく嫁さんだけ!なんだけど、これはやっぱり落ち着かない。
とにかくやましいところはない俺がビビりながらも視線を受け止めてると、嫁はふっと表情を緩めた。
「……なんかそーいう反応って、会ったばっかりの頃の私を思い出すな」
「え」
予想もしてなかった反応に、今度は俺が手を止めることになる。
「あ、今だからこそ言えるんだけど。私も俺君と初めて会った時は、相当挙動不審だったんだろうなーって。俺君と初めて会ったときに、なんかすごく懐かしくて……でも、あの頃の俺君って生活が乱れてたでしょ?何が何でも健康にさせなきゃ!って気になったの。で、気がついたら食事とかはみんなこうしてた、って感じ」
少しだけ言いにくそうにしてる嫁だけど、しみじみとした響きがあるのがわかる。
俺は……嫁の話の後半で、落とすところだったスプーンが宙で踊りかけるのを止めるのに必死だった。
今日は、俺が二度過ごすことになる十回目の結婚記念日翌日の朝。
だけど今回は、最初の日の追体験じゃない。
嫁が初対面のときに懐かしい感じがしたとか、健康を維持できるようずっとずっと気を使ってたとか……そんなこと、今まで聞いたことがなかった。
もう疑いようがない。
ここは、俺が患うことのない世界。
五年後に待ち受けていた死の運命が、変わっている時間。
俺と俺の幽霊と、そして嫁とが望んでいた世界なんだ--
と、驚きと喜びとが俺の内と外を支配しかかった時だった。目の前の朝食プレートにちょこんと置かれた、トマトスープの鮮やかな赤が飛び込んできたのは。
優しくて、この世界の俺が馴染んでいる穏やかな味は、以前の俺なら物足りなかった筈だ。野菜が多い薄味の料理なんて、あんまり好きじゃなかったんだ。
最初の頃、嫁は俺をこんな感じの料理に馴染ませるのにきっと苦労したに違いない。そして俺は、大好きな嫁が俺の体を気遣ってくれるからだと納得して、受け入れてきたんだ。
そう。
この時間の未来は、俺と嫁とが二人で作り上げたものだからこそ存在できる。
それを壊すか否かは、全てどちらか一人だけにかかってくるんじゃない。
「幸せ」は用意されてるものじゃなく、自分たちが築き上げていくもの……
「って、こんな変なこと言ってごめんね。もう結婚して十年だし、そろそろ話してもいいかなって思ったんだけど……驚くよね、フツー?もう気にしないで、早く食べよう。冷めちゃうから」
「え?あ、ああ……うん」
一皿のスープにこの世界における自分を見つけた気がしていた俺は、嫁が茶化しながら再び食べ出したのにつられ、スープを食べ続けた。
……トマトの酸味に程よい塩味、色々な野菜の甘味と旨味が混ざったスープは、本当に身体に染み渡る美味さだった。口に残る余韻が消えないうちにまた次の一口を味わいながら、ふとリビングを見回してみる。
『問題なんかじゃないもん!あたし、本当にまだ高校生なんだから!』
『呪術や魔術って、ヨーロッパでも古来から系統づけられた学問だよ。古くは錬金術とか黒魔術もあるし、日本じゃ陰陽道に古神道だってあるじゃない。おまじないだって、立派に魔術の一種なんだって!あたしがやったのも日本に昔から伝わってきてるやつみたいだし、とにかく怖いから嫌なの!』
『あ、あの……今日は、失敗ばっかりして……ごめんなさい』
--女子高生嫁と過ごした二週間の日々は、今だ俺の中に鮮烈な体験として残っている。
目を開けていても、その時の嫁の姿がくっきりと描き出せるくらいだ。
このリビングやダイニングでよく喧嘩して、泣いて、笑ったなあ。
で、俺が離婚しないって誓ったのも……このテーブルだったんだ。幽霊が消えた後も、遊園地から帰ってきてここでハーブティーを飲んで、久しぶりに二人で同じベッドで寝て。
遊園地じゃ、俺も嫁も大号泣して疲れてたからなぁ……
『だからさ……未来のオッサンが、もう心配することはないよ。絶対にオッサンの顔も、ここであったことも忘れないから。あたし、絶対に不幸になんてならない。約束する!』
--不幸にならないという、嫁の約束。
だけどそれを守れるかどうかは、俺にも責任がある。
俺たちの幸せは、二人で作るんだ。
あの時の誓いを、俺は絶対に無駄にはしない。
そのためには、自分も幸せにしなきゃならない。俺たちの未来は、一方通行では決して成り立たないものなんだから。
それが俺と嫁との関係……結婚ってものなんだから。
「これ……ホントに旨いよ。うん、旨い」
一気に色々思い出した俺の心からどばーっと溢れたものが目頭に集まって、思わず涙がこぼれそうになる。それをごまかすために、俺はトマトスープをひたすらに頬張った。
「どしたの、本当に?顔赤いけど、熱でもあるんじゃないの?」
突然固まったり、かと思うとがっついたりする俺がよほど普段と違って見えたんだろう。嫁が本心から心配そうな顔をする。
いかん。
嫁に心配かけるんじゃ、元の木阿弥じゃんか!
俺は一気食いしようとしていた全粒粉のパンを食べる速度を落とし、ゆっくりと噛んでから胃に収めた。
「いや、大丈夫だから!食欲あるんだし……ごちそうさま」
「ならいいけど……じゃあ、下げるね」
「俺もやるよ」
そして赤くなりかけてる熱い目をこすりながら、食器を片付けようとする嫁と一緒に立ち上がる。
嫁がカウンターに運ぶ食器を俺がキッチンのシンクへ下げ、そのまま洗い物を開始する。何も言わなくても二人でやる日常の協力作業の間は無言だけど、ちっとも重苦しくなかった。
心地よい沈黙の中で俺は皿洗いをし、傍らで嫁がせっせと牛乳や調味料をしまってゴミを纏める。
「なあ、嫁……」
「んー?」
ゴミを片付け終わったパジャマ姿の嫁の背に、俺は何とはなしに声をかけた。
「俺さ……俺、嫁のことが世界で一番大切だから。だから絶対に不幸になんかしないし、俺も不幸になんかならないって約束するよ。二人でこれからも……ずっと、一緒に生きていきたいんだ」
「何、急に?そんなの、当たり前じゃん」
きょとんとしつつも嫁は言い、その後笑いながら頷いた。
「でも、お互い不幸にならないってのは賛成かな。幸せって、二人で協力して作っていくもんだもんね。それに……私だって、旦那さんのことは大事にしたいから」
自分はこんな台詞柄じゃないけど、結婚記念日だから言っちゃうZE!なノリなんだろう。嫁は俺の言葉に賛成しながら、素直に自分の気持ちを足してきてくれる。
その笑顔は別の時間にいた嫁と同じように、俺の心を揺さぶってくる。
ああ、やっぱり……いとおしい。
嫁にそのまま衝動的に抱きつきたくなったけど、しかし!台所洗剤にまみれた手でそんなことはしないのが、大人の男ってもんだ!
だから俺は、落ち着いて手を洗い流してからタオルで拭いて。
改めて嫁に言ったんだ。
「ありがと。これからも、よろしくな」
「うん……ずっと、ね」
今更ながらに照れたらしく、嫁が困ったように笑って頬を指先でこちょこちょと掻いた。
その左手の薬指に、小さなブルーダイヤをあしらった結婚指輪が輝いていた。
傷がつくのが嫌だからと、普段の嫁はつけていないプラチナの指輪。この時間に生きてきた嫁は、そんなことないんだろうか?ちょっと気になる。
けどまあ、いいか。
嫁はきっと、俺の知らない一面をまだまだたくさん持っているはずだ。その細かいことを見つけていくのも結婚の楽しみの一つなんだし、誰かのことを知り尽くしたなんて思うのはおこがましい。
いや、それ以上に勿体ない!
……それは、女子高生嫁が身体を何度も張って教えてくれたことの一つだ。
どこかに新しい発見があって、新鮮で。だけどそれを当たり前だと思わないこと。
お互い相手と、自分の中に楽しさを持って生活する。
俺は必ず、嫁と一緒にそんな日々を送って見せるんだ!
無意識のうちに頷いた俺の目に飛び込んできたのは、リビングに射し込んでくる眩しい朝の光で、二人の結婚指輪が放つ優しい輝きだった。
そのきらめきに俺はいてもたってもいられず、俺はスマホを取り上げた。
電話の相手はもちろん、口の悪い独身貴族様の悪友たるS。
今の気持ちをどうしても、誰かに伝えたい。
俺の子供じみた欲を受け止めてくれる相手は、こいつをおいて他にいなかったんだ。
「Sか?……え、今起きた?悪い悪い。いや、暫く会ってないし、どうしてるかと……先月のお前の結婚式?俺が代表でスピーチ?そそそ、そうだっけ?あ、っと、最近どうも歳みたいでさ、ちょっと物忘れが……んなわけないだろ!俺は嫁の誕生日も結婚記念日も、ちゃんと覚えてるよ。けどそうか、お前もとうとう新婚さんなんだな。ま、結婚生活についちゃあ俺が先輩なんだから、何でも相談してくれよ……ああ、もう十年なんだよ……」
俺の顔はきっと、デレデレに笑っていたと思う。
けれど嫁は、ソファーでのろけ話を垂れ流す俺を今日ばかりは許してくれてるみたいだった。
許すというか……「仕方ないなぁ、もう」って言いたげに笑ってるのが聞こえるような、そんな印象。
そして俺は、そんな嫁がソファーの下にふと視線を向けるのを視界の隅で見ていた。
落ち着いていて、だけどピュアさを感じさせる瞳の先には--綺麗にラッピングされた包みの入ったプレゼント用の紙袋。
が、あった気がすることにしておこう。
俺がそれを渡されて喜ぶ顔を誰よりも見たいと思ってることを、俺は知ってるから。
そんな嫁の姿が、俺の何よりも大切な宝だから。
俺は本当に、この人と結婚して良かった。
今この時に導いてくれた女子高生嫁に、心からもう一度伝えたい。
--ありがとう、と……
★嫁から夫への手紙★
十回目の結婚記念日、無事に過ごせることを嬉しく思います。
このベルトは、私からのプレゼント(新しいのが欲しいって言ってたよね?)。
前よりも痩せたから、穴は前のとこよりずれるのかな?本革のいいやつだから、大事に使ってね。
普段は言えないことも、文字にすると言えるから書くことにします。
私には、俺君に知っておいてもらいたかったことが二つあったりするんだ。
順番に書いていくね。
まず一つ目。
高校の頃、不思議な夢を見たんだ。
細かいことはもうあんまり覚えてないんだけど、ちょうど今の歳くらいの俺君が出てくる夢。目が覚めたとき、何が何でも、あの人を健康な身体のままでいさせなきゃ!って思ったんだよね。
夢に出てきた人のことはずーっと気になってたんだけど、いざそっくりな人に会ったら……びっくりするよね?やっぱり。あ、そっくりって言っても、実際の俺君はもうちょっと若かったけど。
それから最近になって、やっぱり不思議な夢を見たよ。
もう一人の私が出てきて、お礼を言ってくる夢。
「ありがとう。俺君の運命を変えられたのは、やっぱり過去の私だったんだ……」
って、本当に嬉しそうに。でも、泣きながら言ってくるの。
夢の解釈なんて学説によってそれぞれだし、本当の意味なんてわからないけど……もしかしたら、未来の私がどこかで俺君が危険に晒されたことを知って、過去の自分に何かを願ったんじゃないかって気がするんだ。
過去の自分なら、きっと俺君を助けられるって思って。
まぁそれがどれぐらい過去なのかとか、結局その危険が何なのかもわからないわけだし、あんまりにもオカルトな話だから、軽く流してくれれば嬉しいけど。
これが、知っておいて欲しかったことの一つ。
それと、もう一つ。
いつも私のことを大切にしてくれて、ありがとう。
毎年、結婚した日を二人でお祝いできるといいね。
夫君のこと、多分……俺君が私を想ってくれてるのと同じくらい、愛しています。
これからもずっと、ずっと、よろしくね!
嫁より
嫁が女子高生になりました。 日吉舞 @mai_hiyoshi
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