第3幕 「非魔法少女宣言」

 一人で道を歩いているともやもやが胸に広がる。

 空にも憂鬱な青が広がっている。私の胸の中と同じように、空虚なのに、飽和されている空。

 行きたくもない授業に顔を出す。

 なぜ、私がそうするかはよくわからない。

 おそらく、みんながそうしているからだろう。

 授業に出ることに対して、信念なんてない。

 得られるものがあったとしても、そんなものは微々たるものだ。

 みんな、多分そうだ。

 何かを得られた気になって、意味もなく笑ったり、怒って。

 みんな同じなんだ。

 魔法使いは、今頃何をしているだろう。

 魔法使いは、なんで私の部屋にとどまっているのだろう。

 多分、みんながそうしているからではない。

 魔法使いには、たぶん何か信念めいたものがあるはずだ。

 だからこそ、こんなことをやってのけられる。

 私とは違うんだ。

 みんなとは違うんだ。

 私は、大学を歩く。

 大学を漫然と歩く。

 今日のお昼は何を食べようかな。

 授業が終わったら図書館にでもいって本を借りて帰ろうかな。

 江戸川乱歩は、もう読み飽きた。久々に江國香織でも読もうかな。

 これから私はどうなるのかな。

 私の言葉は消えていく。

 私の横を多くの人が通り過ぎる。

 個人じゃない。集団としての人。

 集団は、個人を呑みこむ。

 私も、飲み込まれる。

 言葉が消えていく。

 私は立ち止まる。

 流れが通り過ぎていく。

 流れていく。

 私も一緒に流れていく。

 私が、どんどん、消えていく。

 ここは、どこなんだろう。



 家に帰ると、私は真っ直ぐ自分のベッドに向かった。

 そこには、やはり魔法使いが寝転んで漫画を読んでいる。

 その瞳は、どこか空虚ではない。

 なんで、こんな空虚な存在なのに、私とは違う瞳をしているのだろう。

「どいてください」

 私は、静かに言った。

「どいてください」

 もう一度言った。

 魔法使いは、少し驚いたような表情を浮かべながら、ゆっくりとベッドから降りた。

 空っぽになったベッドに、私は自分の身体を放り投げる。

 ばふっ、と私のぱさぱさな身体を布団が包む。

 優しい。

 でも、多分私が欲しいのは優しさじゃない。

 そんなものじゃないんだと思う。

 私は、顔を枕にうずめて、しばらくそのままじっとしていた。

 すると、突然私の携帯電話が鳴り始めた。

 この着信音は電話だ。誰だろう。滅多にかかってくることなんてないのに。

 でも、携帯電話に手を伸ばす気にならない。

 すると、着信音が途切れた。

 それと同時に、魔法使いの言葉が聴こえる。

「はい、はい」

 魔法使いは、私には絶対に使わないような端正な言葉遣いで電話に応対する。

 さすがに、私は身体を持ち上げて魔法使いの方を見た。

「わかりました。ありがとうございます。失礼します」

 魔法使いは、そう言って電話を切った。

 魔法使いの声の余韻が、部屋にまだ残留している。

 あんな声を出すことが出来るんだ、という驚きが、なんで私の電話に勝手に出て会話が成立するんだという疑問よりも大きかった。

 魔法使いは、真っ直ぐどこかを見ている。

 瞳の中に映るものはなんだろう。私には見えない。

「おい」

 魔法使いは口を開いた。

「散歩に行こう」

「うん」

 私は二つ返事で答えた。



 深くなった冬の空気は身体の隅から隅まで染みわたる。

 空気が身体に入り込む感覚がするから、夏よりも冬の方が好きだ。

 冬の河原には、ふんわりとした日差しが降り注ぎ、寒い中ジョギングをしている人たちを照らす。遠くからは電車が鉄橋を渡る音が空気を通して響いてくる。

 私の数歩前を魔法使いは歩いていた。

 早く歩くわけではない。私を導くように歩むわけではない。

 のんびりと、ゆっくりと、自分のペースで歩く。

 私が立ち止まっても、魔法使いは立ち止まらないでどこまでも歩いて行ってしまうかもしれない。そんな淡々とした歩みだった。

 しかし、そんな歩みを突然辞め、斜面に腰を下ろした。

 私も、とりえあず隣に腰を下ろす。

 私たちの間にゆったりとした沈黙が流れる。

 耳に入るのは、車の走る音と、だれかが干した布団を叩く音。

「なんで、俺をあの部屋に泊めておいてくれたんだ」

 魔法使いは静かに口を開いた。

 意外と、自分でも不思議に思っていたのだろうか。

 図々しい人だ。

「初めて私の部屋に来たとき、あなた、私になんて言ったか覚えてますか?」

 こう聞いてみたが、おそらく覚えていないだろう。敵の親玉の名前すらも二転三転してしまうくらいなのだから。

「私にも、魔法を教えてくれるって。あなたが言ったんです」

 唇が震える。

「私も、魔法が使えたら、魔法少女になれるじゃないですか」

 私は何を言っているのだろう。

「魔法少女になれたら、自分が変わるとおもったんです」

 冬の寒さのせいなのだろうか。

「魔法少女にでもならなかったら、こんな陳腐な私は変われないんじゃないかって」

 空は、あくまでも青い。

「自分みたいな、普通で、平凡で、陳腐で、大量生産された人間、消えてなくなっちゃいそうだから」

 わがままなんだ。

「わがままなんです。自分が特別でもなんでもないのに、特別でありたいって思っちゃう。人とは何かが違いたいって思っちゃう。そんなことあるはずないのに」

 ただの、わがままなのに。

「わがままだってわかってるけど、やっぱり消えないんです。特別でありたかったんです。だから、魔法少女にでもなれば、特別になれると思った」

 誰とも違う私。

 特別で、格別で、他の人とは比べることが出来ない、私。

「だから、あなたの言葉を飲み込んでしまった。飲み込みたいと、思ってしまった」

 私は、薄く笑う。

「バカみたいですよね。魔法なんて、あるはずないのに」

 特別でありたいという慾望だけが膨らんでいく。

 私自身は、なんの実態もないのに。

 空の青のように、空虚な願望。

 このまま、集団に埋没することが、私のするべきことなのかもしれない。

「普通の何が悪いんだ」

 魔法使いは言った。

「この世に特別な人間なんていない」

 魔法使いは、言った。

「みんな、普通っていう枠組みの中でせこせこ生活しているに過ぎない」

 魔法使いを見る。

 魔法使いの視線は、あくまでも前を向いている。

「そいつが特別かどうかなんて、赤の他人が勝手にしてくる価値づけだろ」

 この人は、何を言っているんだ。

「特別であるかどうかに価値なんてない。お前は魔法少女なんかにならなくてもいいんだ。普通に生きろ。普通に、精一杯、力いっぱい生きろ。人間が出来ることは、それだけだ」

 魔法使いの言葉が、冬の空を満たしていく。

 青が、蒼へとうっすら変わっていく。

 魔法使いは、おもむろに立ち上がる。

 パーカーのポケットに手を突っ込み、前を見る。

 私は座ったまま、その姿をぼーっと見つめるしかできない。

 魔法使いは、再び歩き始める。

 ゆっくりと、まったりとしたスピードで。 

 私は、ただ、遠くなっていく魔法使いの背中を眺めていた。

 その背中を、どこまでも目で追っていた。

 少しだけ、行かないでと思っている自分が、いた。



 それから、魔法使いが私の部屋に帰ってくることはなかった。

 ベッドには、魔法使いの温もりはもうない。

 あれだけ読み漁っていた漫画も、本棚できちんと整列している。

 私はコーヒーを淹れ、こたつに入ろうとしたが、一度コーヒーをこたつに置き、ベッドに寝っころがってみる。

 魔法使いは、毎日ここに寝転がって何を考えていたのだろうか。

 彼にも彼なりの悩みがあったのだろうか。

 あの言葉は、彼が自分なりに悩んだ末での答えだったのだろうか。

 それは、私が超能力者出ない限り、永遠にわからない疑問だ。

 私は、ひとつ寝返りをうってみる。

 すると、ベッドと窓の間に何かが挟まっているのが見えた。

 なんだろうと、手で探ってみる。どうやら何かの冊子のようだ。こんなところに冊子なんておいておいただろうか。

 冊子を掴んで、ぐいっと持ち上げてみる。

 その冊子は、よく見覚えのある、バイト情報誌だった。

 沈黙。

 膠着。

 思考。

 矛盾。

 復活。

 私は、こんなバイト情報誌を持って帰ってきた記憶はない。同時に、この冊子を持ってくるような友人も家には来ない。十中八九、魔法使いのものだろう。

 私は、しばらくバイト情報誌とにらめっこをする。

 いくら睨みつけても、バイト情報誌は沈黙を守り、なんの言葉も発しない。

 私は、ふと窓の外を見る。

 窓の外は、今日も蒼。

 あの空とは違う、空。

 魔法使いが、ただの求職中のホームレスのお兄さんだったのかもしれない。

 ただ、ぼーっと歩いていた私を見て、「あいつの家なら潜り込めるかもしれない」と思っていたのかもしれない。

 そして、私の携帯電話の番号を勝手に使い面接に行き、私の携帯電話で合格の知らせを受けて、この部屋から立ち去ったのかもしれない。

 しかし、そんな事実は私にとってはどうでもいいことだった。

 彼が実際に魔法使いであるかどうかなんて関係ない。

 私の中で、彼は魔法使いならば、それでよいのだ。

 私は、バイト情報誌をベッドに置いて、こたつに入る。

 そうだ、やりかけのジグソーパズルを完成させよう。

 魔法少女なら、魔法をふりかければジグソーパズルなんて一瞬で完成させてしまう。

 でも私は、魔法少女になる必要なんてない。

 私は、こつこつ悩みながら、一枚一枚ゆっくりジグソーパズルを所定の場所にはめ込んでいく。それでいいのだ。私は、私たちは、それでいいのだ。

 私は、ベッドの下に押し込んだ、ほこりまみれになってしまったジグソーパズルを引っ張り出して、こたつの上にどんと置いた。

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非魔法少女宣言 神楽坂 @izumi_kagurazaka

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