第2幕 「缶蹴り」
生きてるのが はずかしくないのか
何もせずに 生きてるのが
死んでるとは 思わないのか
何もせずに 過ごしてるから
オンリーワンなどくそくらえ
ナンバーワンしか興味はねぇ
天上天下唯我独尊
この俺だけが一等星さ
「うるさい! 他で歌って!」
私たちの隣で歌っていたストリートミュージシャンを千紗は一喝する。
「自分が騒音の元だと思わないのかな。人のふりをみる前に自分のふりみてまず反省してほしいよ、まったく」
千紗と口げんかだけはしたくない。万の言葉で身体をずたずたにされるだろう。
「ああいう人って、よく自分が特別だと思えるよね。どっから自信が湧いてくるんだろう」
「そだね」
私は、辛うじて苦笑いをする。
私たちの乗っている芝生は冷たさを以て私たちを包む。
はやく、春の暖かい芝生の触感を味わいたい。
「で、何よ。話って。片想いでもしたの?」
私は思い切って、行動に出た。
警察に行くような勇気は私にはない。でも、身近にいる千紗だったら話すことができる。そして、自分には甘く、他人には厳しい千紗ならこの事態をどうにか打開できるのでは、と期待を抱いていた。
「実はね」
「うん」
「うちに、魔法使いが棲みついてるの」
一瞬、ぽかんとする千紗。
「寒さで頭やられちゃった?」
千紗は私を真っ白な目で見る。
「いや、ほんとに、魔法使いがうちに棲んじゃって」
「魔法使いって、あの魔法使い?」
「えーっと、そうかな、あの魔法使いかな」
「魔法、使ってるの?」
「えーっと、まぁ、使ってるかな」
「え、ほんとに? なんかの比喩?」
「いや、ほんとに、魔法使い。いや、ほんとというかなんというか」
「え、棲みついてるって、どういうこと?」
「まぁ、うちに勝手に、住んでるっていうか」
「え、犯罪じゃん」
「まぁ、そう、かな」
「そうでしょ! いつから!」
「二週間ちょっと」
「なんで早く言わなかったの!」
ようやく千紗の表情に危機感が帯びてきた。
「え、なにそれ、やばいじゃん。なんでそんなのほほんとしてるの!」
「まぁ、悪い人じゃないみたいだし」
「人の家に勝手に棲みつく人のどこが悪くないのよ! 早く追い出しなさい!」
「でも…」
「普通に生活してるわけ?」
「うん。外出とかもするし。今日も朝起きたら、いなかった。どっかふらふら散歩でもしてるんだと思う」
と言っても、朝早くに魔法使いの姿が見えなかったのは今日が初めてだ。少しだけ胸が痛む私がいる。
「なんでそんな人、部屋に置いてるの?」
千紗は私の顔を覗き込む。
本気で心配している瞳。奥からエネルギーがじんじんと伝わってくる。
「あの人が言ったから」
私は、おそるおそる言う。
「なんて? 脅されたの?」
「いや、違う」
「じゃあ、なんて?」
私は一瞬、躊躇う。
「魔法を、教えてくれるって」
「はぁ?」
私は、慌てて顔を俯ける。
「魔法を? あんた本気?」
私は、何も言えずに細かい芝生の表情に目を向ける。
「まぁいいや。じゃあ私が追い出してあげるから。今日はあたしの部屋に泊まって。明日の朝、一緒に行こう」
「う、うん」
さすが千紗だ。頼りになる友人である。
そして翌日。
魔法使いと対面する千紗。
その異様な光景に、さすがの千紗も愕然としているようだ。
おそらく、千紗も「魔法使い」と聴いて少なくとも黒いローブくらいは着てるだろう、という想像をしていたのかもしれない。しかし、目の前の自称魔法使いはパーカーでジーパンだ。魔法使いとは程遠い姿をしている。
十秒ほど沈黙を経験した後、千紗は私の手を引っ張って急いで部屋から飛び出した。
「ニートじゃん!」
千紗は吐きだすように叫んだ。
「えーっと、一応、魔法使いさん、かな」
「どこがよ! ハリーポッターを想像して来ちゃった私の身にもなってよ!」
やっぱり。予想的中。
「これはすぐに追い出さないとまずいでしょ」
「そう、なのかな」
「だって、完全に、だめでしょ、あれは!」
予想以上に千紗の顔は真剣だ。やはり、これは非常事態らしい。
「とにかく、私が話しつけるから。ついてきて!」
千紗は再び私の手を引いて、部屋の中に入っていく。
再び、千紗と魔法使いは対峙する。
対峙と言っても、視線を向けているのは千紗だけで、魔法使いの方は相も変わらず漫画を読んでいる。二人の視線は絡み合うことはない。
しかし、千紗は怯まない。ひたすらに魔法使いを睨みつける。
「おい、魔法使い」
千紗は口火を切る。
「面貸しな!」
なんとも昭和な文句だった。
どうしてこういうことになってしまっているのだろう。
いつの間にか私は公園の真ん中に立たされている。
家の近くの公園。いつもはこどもたちが元気に遊んでいる公園。
その中に私はいつの間にか立っている。
私の周りには、半径一メートルほどの円が地面に描かれている。
円の中心には、私。
そして、空き缶。
円の中心に、空き缶。
そう、缶けり。
魔法使いが私の部屋を出ていくかどうかを決定する、缶けり対決。
もちろん発案は千紗。
千紗は私と魔法使いを外に引きずりだし、公園にやってくると、ゴミ箱から空き缶を拾い上げ、「これで決着をつけましょう!」と叫び、空き缶を地面に突き立てた。
「夏希が空き缶を守って、私が先に缶を蹴ったらあなたは夏希の部屋に出ていく。あなたが先に蹴ったらこれからもあなたは夏希の部屋に住んでいい。これでどう?」
どうもこうもない。私の意見を通さずに勝手に決めないで欲しい。
「いいだろう」
意外にノリがいい魔法使いにも困る。
大体、出ていくか出ていかないの缶けり対決なら、私と魔法使いの一対一の対決の方がいいのではないか? 大体、千紗の加担をすればいいわけだから、千紗が蹴りに来たときは私は何もしなければそれだけで勝負はついてしまう。しかし、千紗に「真剣にやりなさいよ!」と釘を刺されてしまったので、手を抜くわけにもいかない。千紗も突然の事態にどうしていいかわからなくなっているのだろう。
「じゃあ数えるよー」
といっても、缶けりなんて、やるのは何年ぶりになるのだろう。小学生の頃はたまに近所の友達とやっていた。そういえば、私も小学生の頃は活発に動いていた子どもだった。こんなにうだつが上がらなくなってしまったのはいつのころからだろう。やはり、高校の時に友人関係をこじらせて部活をやめたことがいけなかったのだろうか。間違いなくあのあたりから人間関係を形成することが億劫になり始めた。でも、人間関係を形成することと、私がしょうもなくなってしまったことに因果関係なんてあるんだろうか。
「さーんじゅ」
数え終わるのと同時に、かんっ、と個気味良い金属音が公園に響いた。
後ろを振り向くと、そこにはすでに魔法使いが立っていた。
かんっ、ともう一度金属音がする。音のする方向を見てみると、今ここにあったはずのアルミ缶が転がっていた。
「缶に背中を向けるな」
魔法使いが、ニヒルな笑みを浮かべながら言う。
奇しくも、私が初めて見た魔法使いの笑顔であり、今までで一番魔法使いっぽい台詞だった。
「ちょっと夏希! ちゃんと缶守りなさいよ!」
木の陰に隠れていた千紗がこっちに走りながら叫ぶ。
「あ、ごめん」
「今のはなし! まだこの子の心の準備が出来てなかっただけだから! 次が本番! いい? 夏希、ちゃんとやりなさいよ!」
そう言って、千紗は空き缶を再び円の中心に置いた。
「缶に背中向けたらだめだからね! ちゃんと缶を視界にいれながら数えなさいよ!」
千紗と魔法使いは再び散り散りになる。
私は、缶を足で踏みつけながら数を数える。
「いーち、にーい…」
周りの気配を窺う。足音は聴こえない。
「さんじゅう!」
そう告げると同時に、私の足の下にあった缶がすこんっと蹴られた。
視線を向けると、やはりそこには魔法使いが。
「鈍いんだな」
笑っている。やはり笑っている。楽しいのだろうか。
「ちょっと夏希!」
千紗が怒号をまき散らしながらこちらに寄ってくる。
あぁ、これはなんなんだろう。どういう瞬間なんだろうか。
「いやー、完敗だったわ! 強いね、あなた」
千紗はにこやかに言った。
太陽は傾き、すっかり西の地平線に返る支度を始めている。
「久々に体動かしてすっきりしちゃった。結構缶けりも楽しいね」
千紗のにこやかな笑顔は普段も見られるものだが、魔法使いの方も、心なしか表情がすっきりとしている。
「勝負だから仕方ないね。夏希の部屋に住んでもいいよ」
だから、決定権は千紗にはないのだが。
「夏希も久々に体動かして楽しかったでしょ?」
「うん。まぁ」
実際、久々に汗を流して悪い気はしなかった。部屋に籠るか、大学で暇な時間を過ごすかのみが生活の要素になってしまうと、どうしても自分に閉じこもってしまう。
「多分だけど、この魔法使いさんは悪い人じゃないよ」
「どうして?」
「悪い人は、こんな一生懸命缶けりをやらないから」
千紗は、自信満々に言ってのけた。
何の根拠にもなってないが、不思議と納得させられてしまう、千紗の言葉。
本当に屁理屈では彼女には勝てない。
「でも、夏希に変なことしたらただじゃおかないからね。すぐにすっ飛んできて、あなたを二度と缶けり出来ない身体にするから。覚悟しておいてね」
「わかった」
魔法使いは、静かに答えた。
これは、まさか一件落着なのだろうか?
期待された事態の打破、これにて終焉を迎え、結局魔法使いは私の部屋に棲みついたままになってしまうのだろうか? おそらくそうなるのだろう。ここで「やっぱり出ていってほしい」と言ってしまったら、今までの清々しい汗が台無しになってしまう、気がする。
「じゃあ、私は帰るね。しっかり仲良くやりなさいよ」
千紗は、魔法使いに右手を差し出す。
魔法使いは、千紗の右手を自らの右手で受け入れ、固く握手をした。
なんだ、この友情譚は。
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