非魔法少女宣言
神楽坂
第1幕 「自称魔法使い」
我が家に魔法使いが住み着いてから二週間が経過する。
こう言うととても幻想的な雰囲気が出て、何か物語が始まるのではないかという期待感に包まれるが、現実は必ずしもそうはならない。
今までの人類史における魔法使いの物語において、上はパーカー、下はシーパンといういでたちの魔法使いはおそらく稀な存在であろう。そして、そのラフな魔法使いが私のベッドを占領し、寝転がり、漫画を貪り読んでいるという状況も稀なのではないだろうか。
顔も、西洋風のかけらも見当たらない真日本人。おそらく、この男を見て「この人は魔法使いだ!」と自信を持って言える人はおそらくこの世には存在しない。「定職についてないバカ息子」とでも表現されてしまうのがオチだろう。
しかし、彼は私の部屋を訪れた時に確かに言ったのだ。自分が魔法使いだと。
私も最初は彼が何を言っているのか理解にするのに時間を要した。
二週間前、私がジグソーパズルに飽きて不貞寝している時の話。彼が部屋のインターホンを鳴らした時に発した言葉は、「すいません、お届けものです」というものだったからだ。私は「通販でなんか買ったっけな」ととぼけたことを考えながら不用意にドアを開けてしまい、そのままするりと偽宅配業者の家宅侵入を許してしまった。
この時点でこの男は魔法使いであるという肩書きを詐称するという立派な嘘をついている。魔法使いならば魔法でもなんでも使って侵入すればいいじゃないか。いや、魔法使いでも最低限のモラルは持つべきだと思うが。
宅配業者として侵入してきた男は、あっという間に私の部屋に鎮座している炬燵に入りこみ、一つ溜息をついてみせた。まだ状況が把握できていない私は玄関で突っ立ってそんな男の様子を漫然と眺めていたが、これは緊急事態だということを認識し、急いで部屋に向かった。
最初は恐怖もあってなんて声を掛けていいかもわからなかった。私がかけるべきなのは尋問なのか、罵詈雑言なのか、私の頭にある薄っぺらい辞書をぺらぺらめくっていると、炬燵の中の男は口を開いた。
「まぁ落ち着きなさい」
今考えているとなんであんなに上から物を言ってきたのだろう。ここは私の部屋だし、私が落ち着いていないのはあなたが急に侵入してきたからだ、と反論したかったが、うまく言葉を紡げなかった。
仕方なく、私は正座をして正体不明の男と対面した。
男は、私をまっすぐ見る。
仕方なく、私も男の視線を合わせる。
そして、こう言ったのだ。
「俺は、魔法使いだ」
突然こんなことを言われると人間は「はぁ」という中途半端な相槌しか打てないものだ。「そんなわけないでしょ」「この世に魔法使いなんているはずない」などという返答も考えられるが、当時のすっかり動転していた私にはそんな気のきいた言葉を発することは出来なかった。
「お前に頼みがある」
男は荘厳な雰囲気をまとわせながら言った。
「はい」
私も思わず返事をしてしまった。
「この家に、しばらく置いてほしい」
「はぁ」
私の短い人生の中で最も大きい失敗を挙げるなら、この申し出を強く断らなかったことかもしれない。相変わらず中途半端な相槌を打ってしまったがために、魔法使いには了承したと解釈され、今の結果に行きついてしまった。魔法使いは私の一人暮らしの城にのさばって、フィクションにありついている。
もちろん、これは不法行為と言えば不法行為だ。警察につきだすことも可能だ。というより、そうすることが自然なはずだ。しかし、そのことに踏み切れない自分がいる。
私はコーヒーを飲みつつ、こたつに入り、魔法使いの気配を横顔で感じている。魔法使いに対する恋愛感情は全くない。異性として魅力は感じないし、一日中漫画を読んでいるという冗長な生活態度も尊敬できるものではない。
ただ、彼を追い出せない私がいる。
あくまで静かな部屋に、私と魔法使いは住んでいる。
「あの」
私は言葉を発してみる。
普段は魔法使いとあまり言葉を交わさない。交わすべき言葉は私たちの間にはないからだ。いや、私の中には彼にぶつけるべき言葉は山ほどあるのだが。
私の言葉に対して、魔法使いは反応を示さない。彼の視線は漫画に吸い寄せられたままだ。
「あの」
「なんだ。聴こえてる」
魔法使いは漫画を見たままに返事をする。家主に対してなんという態度を取るのだろう。
「あのー、よろしかったら」
「なんだ」
「魔法を見せてほしいのですが」
彼は沈黙する。
「またか」
彼はためいきをついて漫画をぱたりと閉じる。
「この前もみせてやったじゃないか」
私は思わず恐縮する。
仕方ないな、と言わんばかりの表情でベッドから降り、彼は炬燵に入る。
「えんぴつと十円玉」
彼は朴訥とした声で言う。私は言われたとおりにその二つの品を彼の前に置いた。彼は面倒くさそうに鉛筆と十円玉を手に取る。
「はい、では手のひらの十円玉をよく見ててくださーい」
彼は左の手のひらに十円玉を乗せ、右手でえんぴつの先を持つ。そして、えんぴつで十円玉を差す。そして右手を振り上げて、また降り下して元に戻す。
「いーち」
彼は数を数え、もう一度同じ動作をする。
「にー」
そして、もう一度同じ動作をする。
「さん」
と、言った時には右手に持っていた鉛筆がもう消えていた。私が十円玉から目を離して顔をあげると、鉛筆は魔法使いの耳にちょこんと乗っていた。魔法使いと目が合う。彼は、視線を手のひらに落とす。
私もつられて視線を手のひらに落としてみると、十円玉の姿はすでにそこにはなかった。
一連の動作を終え、満足したように鉛筆を炬燵の上に置き、再び自分の居場所であるベッドの上に寝転び、漫画を読み始めた。
これは手品であって魔法ではない。この程度の手品だったら私にだってできる。
しかも、もうこの手品を見たのは二週間で五回目だ。私が最初に魔法を見せてくれと言った時から同じ手品を毎回繰り返している。こんな初歩的な手品を、何回も何回も、堂々とやってのける彼の根性がギネスブックものだ。毎回、どうだ、やってやったぞという表情を私に投げかけてくる。ある意味、新鮮で斬新だ。二週間の間、私が大学に行っている間に新しい手品でも考えているのかと期待している私も私だ。今回で諦めることにしよう。
しかし、私がどれだけ彼のことを疑っても、彼は魔法使いとしての自信を失ってはいない。手品をしているときの表情がそれを物語っている。
私は、魔法使いと同棲をしている。
それは木枯らしが吹き荒れる、冬の日の出来事だった。
*
「甘いものってなんでこんなにおいしいんだろう」
千紗はシュークリームを頬張りながら言う。
「人間って体に悪いものはまずく感じるって言うじゃん。だったら太るものは一番まずく感じてほしい。どうして都合よく人間って進化しないのかな」
千紗のへ理屈は当代第一だ。正当化と自己擁護が生きがい。そんな千紗との会話はいつもエンターテインメント性に富んでいる。
「生まれるのが五百年早かったかな。私が太るのは進化の遅さのせいだよね、うん」
千紗はそう言ってシュークリームの最後の一口を頬張った。もぐもぐと口を一生懸命に口を動かす姿はなかなかキュートだ。
「てことはまずいものをたくさん食べればいいんじゃない?」
「まずいものなんて食べたくないよ。まずいもの食べるなら太る方がまし」
「八方ふさがりだね」
大学のベンチに座って二人で話すのは日課だ。友人が少ない私にとっては、このコミュニケーションは大事な刺激になっている。千紗も人よりも余計に世話焼きなために、教室で浮いていた私の面倒もよく見てくれる。
「そうそう。実は夏希に見せたいものがあるんだ」
千紗はにこやかに言う。
「なに?」
千紗はうふふ、と含み笑いをして私を上目遣いで見る。
「ではこちらを用意しまーす」
そういって、千紗は鞄の中からえんぴつと十円玉を取り出した。
デジャヴ。
「じゃあこの十円玉をよくみててくださーい」
千紗はそう言って左の手のひらに十円玉を乗せ、右手でえんぴつの先を持つ。
こういう時って人間はどういう顔をすればいいのだろう。新鮮にわくわくした表情を作ろうとするとかえって不自然になる。だからといって、無表情にいるのはもっと危険だ。そうして私はやはり中途半端な表情になる。
「えっ、なになに?」
見え透いた嘘を言う。
「よーくみててくださいねー。いーち」
千紗はえんぴつを振り上げ、降り下ろす。
「にーい」
もう一度降り下ろす。
これから起こることはわかりすぎるほどわかっている。
「さんっ」
降り下ろした右手に、えんぴつは握られていなかった。
「わっ」
下手すぎる自らの驚きの声に、私の顔はぼうっと熱くなった。我ながら下手すぎる。
顔を上げると、にこやかな千紗の耳にえんぴつが。
「あぁっ」
恥の上塗り。
「えへへー」
千紗は照れたように笑う。
私はひしゃげたプルタブのような表情のまま、視線を手のひらに落とした。
その手のひらには、まだ十円玉が残っていた。
「あっ」
千紗も視線を落とす。
「あっ」千紗は驚く。
「えっ?」私は顔を上げる。
「えっ?」千紗も顔を上げる。
私たちの間に、酸っぱい沈黙が横たわった。
*
家に帰ってくると、部屋の鍵が閉まっていた。
私が出て行く時は、鍵を部屋の机に置いておく。魔法使いが部屋を出る時には、扉に施錠し、ドアの近くに隠しておく。どうせ、こんなちんけな学生アパートに盗みに入るバカな泥棒はいやしない。最初は魔法使いに鍵を預けるのも憚られたが、警戒心を持つのにも疲れてしまったため、自由にさせてしまっている。取られて困るものといったら冷蔵庫くらいだ。
私は隠し場所である鉢植えの裏側を探り、鍵を取り出す。
扉をあけると、やはり魔法使いの気配はしなかった。一体どこへ行っているのやら。
鞄を置き、手を洗い、ひとまずコーヒーを淹れ、かじかんだ手を解凍する。
魔法使いの目的は一体なんだろう。
大体、魔法使いである、という仮定に立つのもばかばかしい。彼が魔法使いでないことは火を見るよりも明らかだ。魔法使いらしいところ、というものは私もよくわからないが、碌に魔法も使えない。手品で火でも起こして見せたらもう少し信憑性は増すのだが、それすらもしない。
でも、だとしたら彼は何者なのだろうか。
魔法使いでないとしたら、彼は何者で、なんのために私の家で日がな一日漫画を貪り読んでいるのだろうか。
たとえば、彼は刑事で、容疑者の張り込みをするために私の部屋に滞在している。魔法使いだという設定よりかははるかに現実味を帯びている。辻褄が合うし、窓際のベッドにずっと寝転がって居るのにも合点がいく。しかし、それならば正式な手続きを踏んで私の部屋を使用するだろう。刑事が宅配業者のフリをして私の部屋に押し入るはずがない。
だとしたら、他にどんな可能性があるだろう。
と、考えていると、玄関の扉ががちゃりと開いた。
魔法使いは、ふてぶてしい表情を浮かべながら部屋に入り、またごろんとベッドに寝転ぶ。
「あの」
私は、再び意を決して声をかけてみる。
「なんだ」
「あのー、魔法の世界の話をまた聴きたいんですけど」
私は、なんで自分がこんなおどおどしなければならないんだろう、と不思議に思いながら、その不思議を隠しながら魔法使いと会話をする。
「魔法の世界の話?」
「あの、あなたが来た日にしてくれた、魔法の国のお話、というか」
「あー、なんで」
「いや、聴きたいなぁって思って」
そういうと、やはり、仕方ないなぁという表情を浮かべながら炬燵に入る。
「えーっと、確か、魔法の国が危ないんですよね」
「うん」
「それで、人間の国に来て、助けてくれる人を探しにきた、と」
「うん」
魔法使いはただただ無愛想に、一貫して無愛想にうなずく。
「敵の親玉の名前、なんでしたっけ」
「えーと、プロキオン」
「私が最初に聴いたのはアルデバランだったんですけど…」
「あー、それそれ」
「親友の名前は?」
「えーと、アンチョビ」
「カラスミだった気が…」
「そうそう」
「そもそも魔法の国の名前はなんでしたっけ」
「…なんだったっけ」
「ウエノの森?」
「そうそう、それそれ。わかってんじゃん。わかってるならきくなよ」
そう吐き捨てて、魔法使いは再びベッドに戻った。
二週間前に自分で言った設定すらも忘却の彼方だ。こんな危機感のない魔法使いがいるものなのか。嘘をつくなら最後までつき通してほしい。しかし、ここまであっけらかんとされると逆に物申しにくいものだ。
このままではいけないのだろうか。さすがに行動を起こさなければならないのだろうか。
しかし、私の胸になにかがつかえている。
そのつかえが、私の行動を抑制する。
これは、チャンスなのかもしれない、と私の中で声が起こる。
そんなはずない。そんなわけない。
私は自分にそう言い聞かせた。
魔法使いをふと見ると、漫画を横に置いてすやすやと眠っていた。
まったく、良い御身分である。
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