ベランダの花
狐夏
ベランダの花
俺のとなりの家にはいわゆる幼馴染というやつが住んでいて、毎朝どこから入ってくるのか勝手に起こしに来やがる。まぁお袋に起こされるよりかはうざくないけれど、寝起きに来られるというのはまた違った意味で困るのだが――。
珍しくその日は目覚ましに起こされ静かな朝を迎えた。こういう日もときたまある。
カーテンを開ける。眩しさの中、うちと隣家のベランダの間に幼馴染が死んでいた。
「あー非常に残念な話だが、今朝I沢が亡くなった、――。一分間の黙とう」
朝礼前には学校中でI沢のことは知れ渡っていた。自殺か他殺かに話題は振動したまま休み時間の花となった。そして花といえば、I沢の机にはドラマで見たことのあるあの花瓶が供えられている。水も換える必要のない百均の造花だ。
「なーなー、お前はどっちだと思うよ?」
彼女の話題は無論俺にも振られる。
「知らねえよ。くだらない」
実にくだらなかった。わかったからといってI沢が生き返るわけでもなかろう。
「俺は他殺だと思ってるんだ」と、そいつは小声で続ける。
「知ってたか? I沢、お前のこと好きだったんだぜ」
ドキリ、とはしなかった。そうだとしてもいいかもしれない、そう思っていたのだろうか。なんせ毎朝のように起こしに来ては一緒に登校する間だ。それも小中高とずっと、――。
「あれ、驚かないの?」
こいつは普段何を見ていたのだろうか。あれだけ俺の後をついてきては、他の男も勘違いするだろうに。
「知ってたし」
噂というものはどこでどう捻じれるかわからないもので、人の想像力というものの恐ろしさを感じる。
「ねえ、あれ」
廊下を歩けばひそひそとされ、教室では他学年や他のクラスからこそこそ覗きに来られる。どこでそうなったのか、誰がそう言い出したのかはわからないけれども、犯人は俺らしい。それも自殺の原因であるか、直接であるかという2説にわかれ尾ひれを増やしているようだった。
放課後、職員室に呼ばれた俺は、辛いと思うが気にするなとだけ言われ体裁は整えられたようだ。
家に帰ると警察が訪ねていて、この度は心中お察ししますが、と枕詞のようにして事故ということで調査を続けていきますと幕を下ろす文句を置いていった。お役所仕事はこの一件だけではないのだろう。そう言うと彼らは重い音を腰からさせ軽くドアを閉めていった。
翌日、通夜もそこそこに明くると葬儀はひそやかに行われた。親族のみということで学校関係者も同級生も弔問客にはいなかった。この中で唯一、学校代表という肩書を受けて、またI沢の母からの申し出を受けて唯一俺だけが部外者だった。
初めての葬式はテレビで見たものと同じで、坊さんは同じ頁を読み続け、大人たちは慣れた手つきで焼香を済ませていく。ただよく知った顔写真の壇上にあることだけがドラマとは唯一違い、非現実的な違和感を湧き立たせていた。笑っている写真と眠っているこいつ、どちらが本物なのだろうか。いや、どちらもあいつではなかった。
他の弔問客と一緒に帰ろうとするところをI沢の母に呼び止められた。
「今日はありがとうね。あの子も喜んでいるわ」
ところでと、
「明日、うちに来てくれないかしら」
そう言われ、はいと返事はしたものの、行く理由もなくなった家に行くというのは不思議な気分であった。訪ねるべき人も、手を合わせる位牌もまだない家に行くのだから、それはやはり不思議であった。
遺品整理。仕度をしながら浮かんだのはそれだった。あいつの部屋は行き慣れてはいたが本人不在でということは初めてだ。
そして予想通り、部屋で母親から渡されたのが、彼女の日記帳だった。分厚い日記帳は10年日記と表されており、おそらく3653ページあるに違いなかった。友達とのこと、家族とのこと、その合間合間に俺のことが記された日記は、まさに彼女そのものだった。
「あの子はね、」そこまで言うと床へ崩れるように泣き出してしまった。
薄暗い部屋で、すすり泣きと立ち尽くす俺。あいつのいない部屋に西日がひどく眩しかった。
こうしている間にも、噂はどこかで広がり、教室には花瓶が供えられている。あいつは、もうここにしかいないとわかると、俺は、悲しいという言葉をやっと飲み込めたような気がしている。
―了―
ベランダの花 狐夏 @konats_showsets
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