こんぱすいもうと
「お兄ちゃんっ!」
ノックもなしに僕の部屋に妹の鈴蘭が飛び込んできた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ!」
「騒々しいわ! 聞こえてるから大声出すなよ」
落ち着け、と宥めるように鈴蘭の頭をぽんぽんと叩きながら僕は言う。
鈴蘭は学校から帰ってきたばかりなのか、制服を着て鞄を背負ったままだった。
「一体なんだ?」
「えっとね、ちょっと命令があるの」
「命令っ!?」
さらっと命令とか出される関係だったか?
僕は妹に命令されるような兄だっただろうか?
「あ、ごめん、間違えた。お願いがあるの!」
「うん、ああ、お願いね」
良かった。僕の兄としての威厳が知らぬ間に地に落ちていたのかと思ってしまったじゃないか。
「どんなお願いだ? きけるものならきいてやるよ」
「えっと、ええっと……」
少し言いづらそうに鈴蘭は口ごもる。
鈴蘭は数瞬、言葉を飲み込んでから言い放った。
「お兄ちゃんに家から出て行って欲しいのっ!」
「なんだ、そんなお願いか。――ってそんな願いがきけるか!!」
「きゃぅっ」
つい大声に大声で返してしまった僕だが、悪いことをしたとは思わない。家を出て行けと言われりゃ誰だって声を荒げると思うんだ。
僕の声にびっくりしたのか、目をぎゅっとつむって身体を緊張させる鈴蘭。
僕が黙っていると、鈴蘭は恐る恐る目を開けて僕を睨むように見上げた。
「命令じゃなくてお願いなんだよ? 何で聞いてくれないの!?」
「そこは問題じゃねえ。内容が問題なんだよ。これは一体全体、どういう意図の願いなんだよ」
「だから、明日お兄ちゃんに家を出て行って欲しいの」
「……明日?」
どういうことか、落ち着いて(鈴蘭を落ち着かせたわけだが)話を聞いてみると、つまりこういうことらしい。
明日、家に友達を呼んで『お茶会』をするから、その間だけ僕に外出をしていて欲しい、とのこと。
言葉足らずもいいところだった。
「お茶会ねえ」
お茶会。
ティーパーティー。
なんつーか、可愛らしい企画をするもんだな。
今どきの小学生って、こんな感じだったっけか。もう少しすれている印象があったんだが、でもそれはそれ、何と言っても小学生だ。
「ね、いいでしょ?」
「ああ、別に僕が外出するのはいいんだが、外出する必要があるのか?」
そこが気になった。僕の住む家は、狭いことはない。それは僕の部屋があることからも明白だ。当然、鈴蘭の部屋だってある。だから、友達とお茶会をするからといって、僕が家を出る必要はないように思われた。
自分の部屋で勝手にすればいいだけなのだ。
「うんっ、出てって!」
元気いっぱいに真摯に返事をする鈴蘭だった。
「何故に?」
「うーんっと、邪魔だから?」
「疑問系なのでその発言は許すが、それこそ何故だ? 別に僕はお前の邪魔をすることはないぞ」
挨拶くらいはするだろうけど。そう言うと鈴蘭はぶんぶんと壊れた機械のように頭を振った。
鈴蘭の腰まで伸びたポニーテイルが僕の腕に当たる。
痛い痛い、痛いわっ!
「だめっ!」
「なんでだよ?」
「だって、恥ずかしいんだもんっ!」
「なにがだ?」
「お兄ちゃんを見せるのが!」
「それはいくらなんでも酷くないか!! 友達に見せるのも恥ずかしいくらいの兄だったのか僕は!?」
「あう……、ごめん、間違えた。お兄ちゃんに見せるのが、恥ずかしいんだよ……」
「む?」
お兄ちゃん『に』見せるのが恥ずかしい、か。
思考中。
……一体なにを?
なにを見せたくないのか、鈴蘭に聞いてみたけれど、教えてくれなかった。頑固として口を割らない鈴蘭につられてか、僕も恥ずかしげもなく頑なに理由を聞き出そうとした。
これがいけなかった。
最初は俯き気味にううぅ~と唸り声をあげて僕を威嚇していただけの鈴蘭だったが、僕の執拗な質問攻めにいつしか顔を上げ、持ち前の丸いほっぺを徐々に膨らませていった。比喩でもなく、それは風船を膨らませていくかのようだった。そして限界を迎えたのか、風船はあっけなく割れる。
鈴蘭はキレた。
そりゃもう暴れた。
しまいにゃ怪我をした(これは僕がだ)。
涙目で鞄を振り回し、次には鞄の中のものを投げつけてきて、最後には筆箱の中身も投げつけてきた。
筆箱の中身。
消しゴムに鉛筆にシャーペンにマーカーに定規にコンパス。
コンパス!
それは幸いにして僕の耳をかすっただけだったが、僕にとっては銃弾と何ら変わりなかった。死の羽音が聞こえたような気がしたくらいだ。
鈴蘭はひとしきり暴れたらすっきりしたのか、そそくさと自分で投げ出したものを鞄に詰めて僕の部屋を出ていった。恐怖に打ちひしがれていた(つまりコンパスに)僕は、鈴蘭を止めることもできず呆然とその姿を眺めていただけだ。
残ったのは、情けない兄の姿だった。
いや、本当に手加減を知らない子供の癇癪は怖いんだって。
それに、僕には鈴蘭の暴挙は止められないのだ。歳が結構離れた僕等なので、僕が本気で止めようと思えば、簡単にはいかないまでも力で止めることは可能だ。
だが、それはできない。力で押さえつけたなんてことが親にばれたりしたら、僕が怒られるだろうことは明白だったからだ。
両親は、鈴蘭にべた惚れだった。二人は子供に女の子が欲しいとずっとずっと切望していたらしい。そんな最中に僕という男の子が生まれ、そして数年後に鈴蘭という女の子が生まれた。一度絶望を見て、その後希望を得たとき人間は、至極の歓喜に震えることだろう。(最近、叔父に聞いたのだが、両親は鈴蘭が生まれたときは感激で涙を流し、僕が生まれたときは悲劇に涙を流したらしい。僕が泣きたいわ)
その反動というか影響というか自然の摂理というか、結果がこれだ。
鈴蘭には、誰も逆らえない。
逆らおうものなら、他の従者に殺される。
鈴蘭は、完膚無きまでに独裁者だった。
「……はあ、なんかつかれたな」
そう呟いて、僕は床に転がった。
しかし、冗談じゃ済まないんだよな。
鈴蘭のこの性格、その性質、独裁者のような我儘さ。
こんな人間に育ってしまい、大丈夫なんだろうか。
兄として、妹の将来が心配になってしまう。
「……お茶会か。ということは友達はいるんだよな」
友達はいるのなら、そこまで心配することもないのか。
でも、友達にまで、あんな不遜で横暴な態度を取っていないとも限らない。
やっぱり、心配だ。
次の日。
昨日の喧嘩――というより一方的な暴力――から僕と鈴蘭はほとんど話しておらず、鈴蘭も僕に今日出ていくように言うことはなかったので、僕は自室にこもって本を読んでいた。
そして鈴蘭は昨日言っていたとおり、友達を家に連れて帰ってきた。
数分後、隣の鈴蘭の部屋からきゃっきゃきゃっきゃと笑い声が聞こえてくる。
姦しいどころの騒ぎではなかったが、何故だか僕はその騒音を安心して聞き入ってしまった。
嬉しそうな声。
楽しそうな音。
騒がしいくらいに奇麗な音色だった。
その音の中には、鈴蘭の笑い声も含まれている。
「心配することもなかったのかもな」
一人、僕は呟いた。
どうやら鈴蘭は、家では独裁者でも、外ではそうではないようだ。
「ああ、なんだ。そういうことなのか……?」
唐突に思い至る。
昨日、鈴蘭が僕に見せたくなかったもの。
見せたら恥ずかしいもの。
それは、こんな風に友達と普通に笑い合う姿だったのだろう。
家族の中の自分。
学校の中の自分。
私人と公人。
違う姿なのは当り前だ。そんなことは、ちょっと大きくなれば誰だって気付く。そして、それは当り前ゆえに、なにも気にする必要がないことにも気付くものだ。
でも、僕も子供の時は、親に友達とはしゃいでいる姿を見られるのは、妙な恥ずかしさがあったものだ。逆も然り。友達に親と何かしているところを見られるのは、恥ずかしかった。
なんか、そんなことも忘れてたんだな、僕は。
鈴蘭は鈴蘭であって、なんの変哲もない、普通の子供なんだ。
家族である僕に、自分を見られたくなかっただけなんだ。
そんな歪な自尊心を子供っぽいと一笑に伏すことは簡単だったけれど、
僕には、できそうもなかった。
妹たちの謳歌 いより @iorito
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