「何者にもなれない僕」が下層民からアッパークラスに昇華するまでの軌跡

N

第1話『序章』

 見えている。

 何もかも、見えている。


 雑音が聞こえる。

 俗物共が輪になって、普遍性のない雑談に興じてる。


 この教室にはオーラがない。

 誰からもカリスマを感じない。

 誰一人として大成する奴なんかいやしないだろう。

 ここにいるのは、ソコソコの収入と、ソコソコのセックスの数を誇りながら、笑って死んでゆくような連中ばかり。


 つまり、僕よりも幾分かはマシだってことだ。


 芸能人の話に花を咲かせてる奴を横目に、鼻で笑ってる奴がいる。

 アニメ情報誌を広げてる奴を指さしながら、顔をしかめてる女子がいる。

 恋人の話やらバイト仲間の話やらをして、時間をもてあそぶ奴がいる。

 そうしたクラスメイトたちに軽蔑の一瞥を投げながら、ヘッドフォンで誰も知らないような曲を聴いては悦に浸ってる奴がいる。


 ティーンエイジャーの見本市だ……羨ましいったらありゃしない。どのような動機であれ、何かしらの趣味を持つなり、何かに対し好奇心を抱くなりできる限り、人は僕よりも幸福だ。


 突然、わけもなく「お前等みんな、大好きだ!」と叫びだしたい衝動に駆られるも、抑える。


 シャーペンの先端が、グルグルとノートに渦巻きを描く。おそらくこれは自動書記と呼ばれるもので、霊的な存在かもしくは深層心理に存在する何かが僕にメッセージを伝えようとしているに違いないが、あえて汲み取ってみたところでどうせ「渦巻きっていいよね」とかいう程度の、仕様もない結論しか導き出すことができないに決まってる。それともあれか、鳴門海峡で溺れ死ねとでも言うのか。


 まあ、死ぬっていうのも、アリだよな……とは、思う。何ひとつとして成し遂げられる気がしないもの。才能が欲しいとは言わないけれども、せめて根拠のない自信は欲しかった。


 人は努力をすることで夢だの希望に近づくとは言うけれど、僕はソコソコの努力をした結果「何者にもなれない自分」という絶対の立ち位置を知るハメになった。まるで存在している意味を感じない。二酸化炭素を吐き出して、地球の温暖化をちょっぴり助けるぐらいしかできやしない。


 やる気がないのはもちろんのこと、何に対してやる気を見せれば良いのかも分からない。成功した人たちの言葉に触れてみたところで、所詮は成功するような人の言葉なんだもの。


 僕みたいな未来の欠片も握ることの叶わぬ者の琴線をふるわせてくれる言葉なんか、どこを探してもありゃしない。夢だとか、希望だとか、愛だとか、情熱だとかさ、どれでも良いから一つだけ欲しいよ。それが無理ならば、せめて誰かを恨ませて欲しいよ。相手が親でも教師でも社会でも、何でもいいから反抗したいよ。だけども、僕には理由がないよ。反抗するための理由がないよ。


 誰かの不正を指摘できるほど、真っ当な生き方はしていない。他人のことを「くだらない」なんて言って笑えるほど、崇高なものは持ち合わせちゃいない。人を楽しませることはおろか、自分を喜ばせることすらできないし、何によって自分が喜ぶのかも良く分からない。


 そんな僕には、物語がない。人に伝えられるような、物語がない。ただ在るだけで何者にも干渉せずに息をするだけの僕は、まるで空気だ。いや、誰からも必要とされるぶん、空気の方がまだマシだろうと思う。だけれど、クラスメイトたちは僕を形容する言葉として「空気」を選んだ。


 だから僕も、自らを「空気」と名乗ることにした。


 では、改めて自己紹介をしよう。

 我が名は、空気。何者でもない。


 そして、以下に綴るものは、何者でもない僕が「人に伝えられる物語」を獲得すべく、ない知恵を振り絞って考えた、ドキドキワクワクの純愛ストーリーである。


   ※


 キャシーはロシアンマフィアのドンの愛人で、昼間は小学校の用務員をしていた。しかし、用務員というのも実は名目で、実際は敵対するマフィアのドンの子供の命を狙っていたのだった。


 その日もキャシーは、校庭に生えた雑草を焼却炉に詰め込みながら、6年1組の教室の様子を探っていた。ゆとり教育が行き届いているせいか、誰も授業を聞いていなかったし、先生も授業をしていなかった。


 キャシーは焼却炉から吹き出す黒煙にケホケホとむせながら、つぶやいた。


「なんだか、血生臭いことが起きる予感がするわ」


 キャシーの予感は、的中した。


 突然、教室のドアが勢いよく開かれたかと思うと、廊下からドスを持ったチンピラ風情が駆け込んできて、教師と揉み合いになった。戦闘は長きに渡り、大勢が決すまでにチャイムが2度鳴った。


 その間、泣き叫ぶ子供たち。しかし、ドンの息子だけは黙々と漢字の書き取りを続けていた。キャシーは思った。「さすが、血筋ね」


 そして、教室には血まみれのチンピラだけが取り残された。チンピラは口から泡を吐きながら何かを叫ぼうとしていた。それを見た瞬間、キャシーの胸の奥に、何か熱い感情が沸き起こった。


 それはとても形容しがたいというか、名状しがたい感情だけれど、ありていに言うと、愛だっ


   ※


「おい空気! 何だよ、お前。何書いてんだ?」


 言葉が聞こえて、ノートが奪われ、僕だけのイノセントワールドは無神経なクラスメイトの手の内に握り潰された。


 キャシーの愛は露と消え、チンピラはもう助からない。胸を内側から熱く焼くような感情を必死で押し殺しながら目線を上げると、そこには学級委員長の……周防賢二が立っていた。

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「何者にもなれない僕」が下層民からアッパークラスに昇華するまでの軌跡 N @otsumami21

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