第7話 接遇⑦ トイレは宝石のように
16
昨日は本当に最悪だった。
早乙女にイジられるは、店長に笑われるは・・・。
田辺は、いつかコロス。
社会的にコロス。
昨日は丑の刻参りしようと思ったが、ガチャでいい引きに恵まれたので良しとしよう。
それは、いいとして・・・。
時刻は八時。
今日はいつもより三十分早めに出勤した。
早乙女に店内清掃を教えるためだ。
清掃は店の身嗜みだ。
お店(擬人化)も綺麗であればお客様に褒められデレるだろう。
俺は脳内で香織に似た擬人化お店キャラに抱きしめられている妄想を繰り広げながら制服に着替え事務所に向かうと、事務所の扉の前には早乙女が来ていた。
「おはよう」
俺が声をかけると早乙女がジト目で見てくる。
「平川さん・・・遅い」
「悪いな。因みに何分前に来た?」
俺が訊くと人差し指を顎に当て言う。
「十五分前かな」
「・・・・・まぁいいか」
念のため早乙女には俺より十分早くに来るように出勤は八時と伝えておいた。
社会人なら上司や先輩より早く出勤する事が常識になっている。
仕事を教えてもらうのに先輩と同じ時間だとやる気がないと思われてしまう。
それは、本人がやる気があったとしてもだ。
早乙女に普通に伝えて十五分前に来た。
それでも、厳しい人は遅いと言うだろう。
今回は着替えも済んでいるのでとやかく言うつもりはないが・・・
タイムカードを押した後、早乙女と向かい合う。
「これから、トイレ掃除の仕方を教える」
「トイレの?」
早乙女は首を傾げる。
「床のモップがけや外の掃き掃除は覚えただろ?」
「うん、特に外の場合はお店の前だけじゃなくてその左右二軒どなりまで掃くんだよね」
「そうだ、ちゃんと覚えてるな。偉いな早乙女」
「別に・・・仕事だし・・・それだけだよ」
早乙女は頬を染め顔を背ける。
可愛い。
「まぁ、これから先に色々と覚えてくことが多いからな。PDCAとか5W2Hとか」
「なにそれ?」
「ビジネスマネジメントサイクルってやつなんだが、簡単に言えば指示の受け方や報告の仕方だよ」
「昨日の報連相とは違うの?」
「報連相を更に具体的にしたものだな、それがPDCAと5W2H。それよりまずトイレ掃除からだな、それが終わったら教えるよ」
「うん」と早乙女は笑顔で応える。
俺と早乙女がトイレに向かい移動していると横で歩いている早乙女が言う。
「でも、何でトイレは別に教えるの?」
「トイレは掃除の中で一番重要だからだな」
「トイレが?」
早乙女がキョトンとした顔をする。
「本当は販売店より飲食店の方が重要性が増すから、異動してから教えても良かったんだが・・・竹内に何を言われるかわからないからな」
「う、うん・・・それで?」
早乙女が若干引きながら続きを促す。
おい、別に俺は竹内に小言を言われるのが嫌だからじゃないぞ!
俺は咳払いをして言う。
「トイレは誰もが使う場所だ。化粧を直す、用を足すとかな」
「うん」と早乙女が頷く。
「もし、トイレに行って汚かったら嫌だろ?」
「そうだね」
「それにトイレを利用するお客様は沢山いる。一人一人にサービスを心がけるならば
『店に来た』様々なお客様が利用する場所は特に時間をかけて丁寧にやることだ」
「うん・・・わかる気がする」
早乙女は真面目な顔になり頷いた。
17
トイレに着いて、俺は男子トイレに入る。
まずはこっちから教えるか。
だが、何故か早乙女が付いてこようとしない。
俺が後ろを振り返ると男子トイレの入口で立ち止まっていた。
「どうした?」
俺が訊くと早乙女はあたふたしながら言う。
「えっと・・・男子トイレに私が入っていいの?」
「は?」
「男子トイレに入って、私・・・その大丈夫なのかなって・・・」
早乙女は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
いやいや!どんだけ初心なんだコイツ。
明治時代か!
「営業時間ならともかく、トイレ掃除なんだから恥ずかしがってたら掃除できないぞ」
「・・・・・・わかった」
キリッとした顔を作って早乙女は顔を上げる。
まだ赤いが・・・・。
早乙女と共にトイレの洗面台の前に立つ。
「まず、トイレ掃除の前に鏡を綺麗にしよう。鏡は『たすき』で拭く」
俺はそう言って、洗面台の下の戸棚から折りたたまれたタスキを取り出す。
「タスキ?タオルとかじゃなくて?ペーパータオルとかもあるし・・・」
「タオルだと毛羽がつくだろ。それに、実はペーパータオルだと固すぎて鏡の表面に小さな傷が付いてしまうんだ。そこに脂やゴミが入ると幾ら磨いても取れなくなる」
「そうなの?」
「あぁ」と俺は頷て言う「よく鏡を掃除していると白いモヤができるんだが、これは表面の傷に脂やゴミが入ってしまい水蒸気を弾く事で曇って見えてしまうんだ。そうなると一度洗剤や重曹を使って磨かないと綺麗にならない」
「うん」
「だから、毛羽が付かず傷付けない柔さのタスキが一番いいんだよ」
「そうなんだ」
「手本を見せるから女子トイレの時は早乙女がやれよ」
「わかった」
俺は、鏡の右端から上から下にの動きで拭いていく。
「水垢とかもあるから丁寧に拭くように」
「うん」
「拭き終えたら、一度別の角度から見るんだ。右から見る。左から見る。遠くから見る」
俺は鏡を右から左から見た後に数歩下がり見た。
「これで、汚れやモヤがないか、水垢の拭き残しが無いか調べる」
「わかった」と早乙女は頷いた。
「洗面所周りは簡単だ。まず、ペーパータオルで周りを拭きつつ髪の毛や埃を拭き取る。その後に濡らした雑巾で拭き上げて完了だ」
「わかった」
「あとは補充のチェック。ペーパータオルはあるか?液体石鹸はあるか?芳香剤の残りはあるか?あぶらとり紙はあるか?男子トイレにはあまり無いが女子トイレにはアメニティは更にある。化粧に使う綿棒やナプキンだな」
「どうしてそんなにあるの?」
早乙女はアメニティの多さに驚いたのか訊いてくる。
「勿論、お客様の為だよ。今では接客業において快適で綺麗なトイレは必須条件だ。そして、お客様への「おもてなし」を考えるなら、これぐらいはないと満足どころか感動はしない」
「うん、そうだね。『お客様を満足』させる為だからね」
早乙女は頷いて答える。
「違うな。お客様を満足させるのは上から目線だ。『お客様が満足』する為だよ」
早乙女は少し目を見開いたあと、自分の言い方に気付いたのかシュンとした。
「うん、わかった」
「まぁ、次からは気をつけよう。次に行くぞ、便器の掃除だ」
俺は個室の洋便器の前にしゃがみ、後ろで早乙女が見ている。
「まず、トイレ用洗剤を吹きかけ雑巾で拭き掃除をする」
「うん」
「掃除の基本は上から順にだ。タンクを拭いて、トイレカバーとウォシュレット操作の部分を拭く。次にカバーと便座、便器の掃除。便器は真後ろ以外は拭いてくれ」
「うん」
「次にブラシで、中を掃除する。よく見落としがあるのがフチの奥側だ。便座の死角になっているから立っていると見えないが、しゃがんで掃除すると汚れているのが見つかりやすい」
俺はブラシを持って、便器の中を掃除する。
「縁の部分は裏まで掃除すること、見えない部分を怠ると臭いや不衛生の原因になるからな」
「わかった」
「小便器も同じだ。一応、業者が入って尿石とかは取ってくれるが、それ以外は自分達でやる事。あと、綺麗にしておくと業者とも良い関係で保っていられるしな」
「どうして?」
「人の口には戸を立てられないってこと」
「?」と早乙女は首を傾げた。
可愛い。
「次にトイレットペーパーの補充があるかのチェック。男子トイレは3つあればいい。」
俺は便器の横にあるラックにトイレットペーパーが3つあるのを確認し、ホルダーに設置されたトイレットペーパーを三角折りにする。
「どうして三角に折るの?」
「2つの説があるな。この三角折りはファイヤーホールドという名前があるんだが、消防士が急いで用をたす時にこうなっていると早く済むから、というもの」
「もう1つは?」
「ホテルで三角折りは清掃済を意味していて、清潔であるアピールからだな」
「へぇー。でも、お客様が使用したらどうするの?」
「そのために、一時間ごとにトイレチェックがあるんだ。簡単ではあるが、清掃と備品のチェック。つまりだ、三角折りは俺達がトイレチェックと清潔なトイレを守っているんだと言う主張になる。確かに一時間ごとだから、全てのお客様に常に完全に清潔なトイレを利用させられるとは限らないが、それでもトイレペーパー以外のところで評価して頂くしかないんだ。俺たちは、トイレは宝石のように綺麗にかがやかせていますってね」
「そうなんだ」と早乙女は納得したのか頷いて答える。
「だから、トイレチェックの後は必ず三角折りだ。ちゃんと清潔なトイレを守ってるので安心して下さいと伝えるために」
「わかった」
俺は、そのあと小便器も同じ要領で掃除をする。
「あとは、水を流してデッキブラシで掃除。水はけで水を排水口に流して終了だが、先に女子トイレの掃除をしよう。早乙女、頼むぞ」
そう言うと早乙女は、気合の入った顔をして、
「わかりました」と言った。
女子トイレの清掃も終わり、床の掃除も終えた。
あとは、新たにPDCAと5W2Hについて教えてやろう。
俺はキメ顔をつくり脳内でそう言った。
Service Expert サービス エキスパート 河上利雄 @kawakami1040
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