最終話 いざ行かん、願いを叶えるために

 一年間の長い眠りから目覚めた魔王は、恐るべき強敵だった。禁断の秘術『数学』をもってしても容易には解けない呪文も放ってきた。そんな時は、トーゴが出してくれるヒントが役に立った。彼女が、こんなに頼れる案内人だなんて今まで気付かなかった。

「11.7平方センチメートル!」

 最後の一撃。魔王が放った呪文の暗黒に侵食された領域の面積を算出し、勇気の光で照らし出す。今までよりも一層強い光が弾ける。宇宙の誕生を目の当たりにしたような渦なす巨大光球が、魔王を呑み込んでゆく。

「見事だ、勇者よ……よくぞ我が呪文を全て打ち破った……だが、覚えておくがいい。貴様には今後、この魔王よりも更に手強い敵が襲い掛かってくるだろう……」

「ああ。知ってるよ」

 魔王が言う『更に手強い敵』については、嫌と言うほど心当たりがあった。できることなら、そいつらとは戦いたくない。

 光の渦はいよいよ大きさを増してゆく。魔王の姿は跡形もなく消え去り、魔王の居城全体すらも光が包み込んだ。

 そして光が収まった後、そこに残っていたのは、純白のサンスガルド城であった。世界は魔王の支配から救い出され、魔法の国サンスガルドに平和が戻ったのだ。


 翌日。魔王の邪気を浄化されて本来の姿を取り戻した王宮では、盛大な祝賀会が催された。今までに見たこともない豪華な御馳走に、楽隊による演奏。そして、五色の光が飛び交う華々しい魔法ショウ。

 先日まで魔王の支配下にあったというのに、一夜にして復興してしまっているのは流石魔法の国である。もっとも何でも魔法で解決できることは良い側面ばかりではなく、魔法の存在はサンスガルドの科学の発展を阻害している。誰もが『算数』すらも知らぬほどに。


「勇者様、一緒に踊って戴けますか?」


 足下を見ると、身の丈40センチぐらいの小さな銀髪の少女。魔王を倒す勇者の案内役という大任を見事に果たした小人族の少女トーゴは、絹織りの上品なドレスを身につけ、そのスカートの裾をつまんで淑やかにお辞儀をした。

「……一緒に踊る。うーん?」

 その表現で良いのか、戸惑いながらも僕はトーゴの手を取り、腰に手を回し、持ち上げた。トーゴの身体は、軽い。ほっそりとした体形なので、たぶん生まれたての赤ん坊よりも軽いだろう。こんな小さな身体で、僕の魔王退治をしっかり支えてくれたのだから、大したものである。

 トーゴを抱えたまま、見よう見まねの動きで舞踏会の輪の中に入ってゆく。僕のステップは出鱈目で、きっと不格好なことだろう。でも、僕は救国の勇者だ。誰も僕のことを笑ったりしないので安心だ。

 果たして、常に相手を抱き上げた状態で踊る小人族とのダンスを「一緒に踊る」と表現するのは合ってるのだろうか。でも、僕と踊るトーゴの表情は心のそこから嬉しそうで、僕はその顔を見るのが楽しくて出鱈目なステップをくるくると、長いこと長いこと踏み続けた。


 勇者とは、魔王を倒す存在である。魔王なき世界に、勇者は不要だ。勇者は、勇者であることをやめなければならない。だが、異世界から勇者として喚ばれた者は、根源的に存在自体が勇者なのだ。

 数日間は、手厚くもてなされた。数週間は、なに不自由なく快適に過ごせた。それ以降は、日に日に居心地が悪くなってきた。

 魔法で全てが動いているこの世界で、魔王を倒す以外に僕ができることは何一つなかった。魔王軍の残党も、魔王なき今となっては王立魔法師団でも容易に掃討可能であった。

 人々は、噂する。


「勇者様は、禁断の秘術を使ったらしい」

「この世界に存在しない術……恐ろしい」

「魔王よりも強大な力。世界に混乱をもたらしかねない」

「いや、むしろ魔王よりも危険だ。この世界の法則を乱す者……」


 勝手な物言いだ、とは思うが気持ちはわかる。過ぎたる力を持つ者を恐れるのは当然のことだろう。平和な世界では、勇者なんてものは不安要素でしかない。だが、これから僕はどうしたら良いのだろうか。

 そうだ、トーゴはどうしたのだろうか。祝賀会以来、長いこと彼女に会っていない。案内人の役目を終えた彼女には、戻るべき日常があったはずだ。トーゴに会いたい。そう思った僕はトーゴの故郷、タシザーンの村へと向かった。


「勇者様、今さら何の御用でしょうか? 魔王を倒し、私の役目は終わりました。もはや勇者様にお会いする必要はありません」

 僕の背丈ぐらいの小さな家の、小さな扉越しにトーゴは冷たい言葉を言い放った。その声を聴いて、僕はひと安心した。声が、震えている。何か僕に隠し事をしている声だ。

「トーゴ、教えてくれないか。どうして町の人たちは僕にわざと冷たい態度を取るのか。なんで君は、僕の前から逃げるように姿を消してしまったのか」

「……町で勇者様が耳にされた通りです。禁断の秘術を使う勇者様は、この世界に居てはいけない存在なのです」

「だからと言って、そんなに冷たい態度を取らなくてもいいじゃないか。魔王を倒した時、あんなに喜んでくれたじゃないか」

「勇者様がいけないのです。勇者様はこの世界から旅立ち、新たな冒険に出なきゃいけないんです。勇者様が自分からそうしないなら、私たちは、どんなことをしてでも勇者様が旅立ちたくなるようにしなきゃならないんです」

「でも……」

「でもじゃありません! どうしても元の世界に帰らないのなら、私たちはもっと酷いことをしますよ? だから……お願いです。私たちのことを、本当に嫌いになる前に、この世界から出ていってください!」

 トーゴの叫びは徐々に悲痛さを帯びてきた。その剣幕に、僕はとても困ってしまった。

「でも……どうやって帰ればいいのかわからないんだ」

「えええっ……?」

 小さな扉をばたりと開いてトーゴが飛び出してきた。久し振りに見るトーゴの顔。その銀色のまつげは、しっとりと濡れていた。


「あの……勇者様、帰りかたを案内するのを忘れてて、本当にごめんなさい」

 どうやら、山頂の神社で祈れば、いつでも元の世界に戻れたらしい。

 小さな山のふもとでは、勇者が帰還するとの報を受けた人々が魔法の国サンスガルドのあちこちから集まって、非礼を詫びるやら改めて礼を述べるやら大騒ぎだった。

「いや、いいんだ。僕も大切なことを忘れてたみたいだし。君との旅と、魔王との戦いで思い出すことができたみたいだ」

 僕はトーゴに御礼を言って、銀色の髪をぽんと軽く撫でる。トーゴは、僕の手に両手を添えて、誇らしげに笑った。

 そして僕は、鳥居も狛犬も賽銭箱もない小さな神社に手を合わせて祈った。


 元の世界に戻してください。


 ふと気が付くと、僕は山頂の神社ではなく、自分の部屋のベッドの中にいた。

 慌てて飛び起きて、シャッターを開けてベランダに出る。あの山の位置なら、家の二階からでも見えるはずだ。だけど、住宅街の町並みを見回しても、そんな山は見当たらなかった。

 部屋に戻り、勉強机の引き出しを開く。

 中には伝説の2B剣、という名前のつけられた鉛筆。ヒキザーンの町で出題される特別問題をクリアした時に貰える努力賞の景品だ。今ではもう短くなってしまって使いにくい。

 そして、更に奥の方から小さな箱を引っ張り出す。箱には魔法の国サンスガルド全土のイラスト地図が描かれている。そして、明るい笑顔で走り回るトーゴと、憎らしげな表情をした魔王の姿。魔王の顔は、今見てみると不思議なことにどことなく優しそうにも見えた。


「朝御飯よー! 早くしないと学校に遅れるからねー!」

 一階の台所から、母さんが呼ぶ声。

「はーい! いま行くよー!」

 階下の母さんに答えてから、僕はもう一度、自分に言い聞かせるように、小さな声で、でも力強く言った。


「学校に、行くよ」

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もう一度、サンスガルドに 港河真里 @homarine

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