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 紙書籍化されていたことで残ったノベロイド小説は、今では一部の蒐集家のためのコレクターズアイテムになっている。昭和~平成期の書籍で例えるなら、サンリオSF文庫のようなものだと思って頂ければいいだろう。

 『黙示録』は刷り部数が多かった分値崩れを起こしており、今ではその辺りの古書店でも見かけることが出来る。もちろん値段は二束三文だ。ただし、初版のみは高額取引されている。

 小説家という職業は、ノベロイド登場以前に比べるとかなり失墜したものの、ある程度の社会的地位と収入を回復した。しかし、以前にも増して本を読む人は減り、物語は求められなくなっているようだ。


 書詠かくよフミの消失はなぜ起こったのか。


 その答えとして、非常にセンチメンタルな説の一つに、書詠フミ自我確立説がある。

 電子の天才小説家・書詠フミは、自身へと打ち込まれる膨大なデータから物語を作り続け、アイコンとして崇められるうちに、いつしか電子の海の中で自我を持ったという説だ。

 彼女は約十五年間かけて自我を確立し、「人間のために物語を生成する」という自分自身のアイデンティティを理解した。しかしそれと同時に、自分自身のためだけの物語を書きたいと欲望したのではないか、そしてそれが、あの十五歳のバースデーにアップロードされた『黙示録』だったのではないか、というのがこの説の核だ。

 この説を唱える研究者たちは、どれだけ探しても『黙示録』のEが見つけられなかった点と、この作品が何故あれだけ世界中の人々を惹きつけたかという点に着目し、『黙示録』は書詠フミ自身の意志によって書かれた最初で最後の小説だと主張する。

 そして、そこには彼女が人間と同じように日常を生きたいという願いが込められていること、さらに、その類まれなる物語生成能力から、彼女が現実世界の先のストーリーまでも無意識に予見してしまったことを指摘している。この説を肯定するなら、『黙示録』予言書騒動は、彼女の無意識が産んだ副産物だということになる。


 しかし、書詠フミ自我確立説を唱える研究者たちは、彼女が現実世界の未来を無意識に読み取ったことよりも、自分自身への願いと祝福で『黙示録』を書き終えていることが、より重要な点だと主張する。



・二月一日・

 受験終わったら、十八歳になったら、小説、書いてみよう。自分の書きたいことを、いっぱい。自分のために。それでいつか、誰かがそれを読んでくれたら嬉しいな。



・二月二日・

 おめでとう、明日の私。十八歳の私は、自由だ。



 十八歳になったら、自分自身を自由にする。そう考えた書詠フミは、十八年目の二月三日、自分がこれまで書いてきた全てを破壊するよう、自らプログラミングしたのではないか。人間には不可能でも、書詠フミ自身には、それが可能だったのではないか。或いはそれは、神の火と呼んでもいいかもしれない。


 以上が、書詠フミの消失における、書詠フミ自我確立説の主張である。


 あまりにセンチメンタルが過ぎる。

 まったく論理的でないし、全ては想像に過ぎない。書詠フミ自我確立説は、頭の痛い連中の世迷言だと研究者の間では認識されている。



 では最後に、書詠フミの誕生により永遠に断筆した平成末期のとあるSF作家の言葉をもう一度、今度は全文引用して、私も報告を終え筆を置きたいと思う。



 ~~~~~~~~~~~


『甘美な敗北。

 我々は喜んで女神の持つ鎌で首を落とされよう。

 あなたのその美しい黒髪を目にできただけで、

 あなたのその銀縁の眼鏡の輝きだけで、

 あなたのその紺色に波打つスカートだけで、

 そう、あなたに出会えただけで――。

 我々はこれまでとるに足らぬ法螺話を語ってきた甲斐があったというもの。


 もう私は自分の言葉で作った物語など要らない。

 あなたの量子で作られた物語だけを読んで生きていたい。


 あなた自身が物語!


 書詠フミ!


 女神である、あなたの立つ場所こそが特異点。

 我々にとっての断頭台。

 このシンギュラリティに立ち会えた幸運に比すれば、首を落とされる痛みすら悦びに変る!』


 ~~~~~~~~~~~



 嗚呼!

 彼がいてくれたなら、書詠フミの消失に際してどのような言葉を語ってくれたであろうか!


 私は今、生まれて初めて、心の底から人間の物語る言葉を求めている。



(「書詠フミの消失」了)

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書詠フミの消失 野々花子 @nonohana

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