冬越しのオオカミ

白石令

冬越しのオオカミ

 むかしむかし、とある山に、一匹のオオカミが棲んでいた。

 小柄な体に、ぼさぼさな黄褐色おうかっしょくの毛、下からめあげるような金の瞳をした、雄のオオカミだった。

 オオカミはいつも一匹で山をうろつき回り、仔ウサギや病気のシカ、木の実などをとって、ひっそりと暮らしていた。


 ある日のこと。

 いつものように一匹で食べものを探していたときである。

 かん高い、奇妙な声が聞こえてきた。


 ……あーん……

 うわぁーん……


 山中に響きわたるのではないかと思うほど、大きな声である。

 オオカミは体を低くし、耳をそばだて、声のほうへじりじりと近づいていった。


 そしてこっそり草のかげから覗きこむと、そこにいたのは人間のこどもであった。

 粗末な身なりにほそっこい体。黒いおかっぱ頭をオオカミのようにぼさぼさにしたまま、火がついたように泣きじゃくっている。


 親とはぐれたのか、見捨てられたのか。どちらにしろ面倒なことである。

 オオカミは人間を食わない。

 こんなに泣きさけばれては獲物が逃げてしまうし、なによりうるさくて狩りに集中できない。オオカミからしてみれば、とても邪魔なのだった。


 オオカミはしばらく悩んだあと、仕方がないのでこどもを村へ帰してやることにした。

 ふもとの村には何度か行ったことがある。人間の食べのこしを漁るつもりだったのだ。だが、人間たちに見つかって追いたてられたため、りたのだった。


 オオカミが姿を見せると、こどもは泣きやみ、その大きな目を見開いた。そのままじいっとオオカミを見つめて動かない。

 オオカミはうるさい泣き声が消えたことにほっとしながら、こどもの着物のすそを噛んだ。


「なにするの」


 オオカミはもちろん答えられなかったので、かわりにぐいぐいと着物を引っぱる。


「来いっていってるの? どこにいくの」


 こどもはよたよたと後をついてきた。

 オオカミは先を走りはじめる。


「まって! そんなにはやく走れないよ」


 オオカミはとてもいらいらした。なんと面倒な生き物だろう。

 それでもまた泣かれては厄介なので、こどもの歩きに合わせながら山をおりていく。


 そうして、どうにか日暮れ頃には村に着くことができた。

 さいわい人の姿はない。夕飯時なので、みな家に帰っているのだ。

 こどもはびっくりして立ちすくんでいた。


「案内してくれたの?」


 オオカミはもちろん答えられなかったので、人間のおとなに見つかる前に、さっと身をひるがえして山へと戻っていった。




 しかし、あくる日。

 オオカミはふたたび泣き声を聞いた。

 昨日と同じようにこっそり近づくと、それはやはりあのこどもだった。

 昨日と同じように、ひとりでわんわんと泣いている。


 こいつは捨て子か、とオオカミはようやく悟った。


 ふもとの村はとても貧しく、毎年かならず食糧が不足する。このこどもは口減らしのために捨てられたのだろう。


 さて、オオカミは困った。


 ふもとの村に連れていくのは簡単である。

 だが口減らしのために捨てられたのなら、帰したところでまた戻ってきてしまう。


 オオカミは考えた。


 考えて、さっとその場から走りさると、キノコや木の実、果物をくわえて戻ってくる。そしてこどもの目の前にぼとりと落とした。

 こどもは昨日と同じように、大きな目をいっぱいに開いてオオカミを見た。


「きのうのオオカミさん?」


 くれるの? とこどもは尋ねたが、もちろんオオカミは答えられなかったので、やはり昨日と同じように、こどもの着物のすそを引っぱった。


「また村につれてってくれるの?」


 こどもは食べものを抱え、あわててオオカミについていく。


「ねえ、オオカミさんは頭がいいんだね。道がわかるの?」


 きょろきょろしながらこどもは話しだした。


「きっと迷子にならないんだね。あたしはね、迷子じゃないんだよ。ここでまっててって、お父ちゃんにいわれたの。だけど戻ってこないんだ。きのうもね、わすれてたんだって。ごめんなって。お父ちゃん、わすれっぽいの」


 こどもはおのれの境遇を理解していないようだった。確かにこのこどもよりは、オオカミのほうが賢いかもしれない。


「でもね、お母ちゃんと兄ちゃんはしっかりしてるんだよ。お父ちゃんがわすれててもね、お母ちゃんがちゃあんと覚えてて、お父ちゃんに言うの。『今日はこれこれをするんじゃなかった?』って」


 オオカミは耳だけをぴくぴくと動かして話を聞いていた。よくしゃべる生き物である。


「兄ちゃんはね、すっごく頼りになるんだよ。竹トンボをね、みんなで飛ばしてて、あたしだけできなくて、ばかにされたの。そしたら兄ちゃん、おれが教えてやるから泣くなって、やりかたを教えてくれたの」


 話すのに夢中だったのか、こどもは木の根に足をとられて転びかけた。


「お父ちゃんはねえ、お父ちゃんも頼りになるけど、ぶきようなの。竹トンボ飛ばせないんだって。お母ちゃんはじょうずなのにね。――ねえ、オオカミさんには家族はいるの?」


 オオカミは振りかえることなく先を行く。


 そうして道ならぬ道をあるき、山をくだり、ふもとの村まで辿りつくと、オオカミはこどもから離れて身をかくした。すぐには帰らず、物陰からこどもの様子をうかがう。


 家に駆けもどったこどもは、両親に出迎えられた。

 両親はたいそう驚き、母親などは真っ赤に腫れた目から涙をこぼしたが、食べものを抱えて帰ってきた娘によろこんで、ごめんね、きっと神さまだ、などと言い合っていた。


 それを見届けると、オオカミは冷たいねぐらへと帰っていった。




 その日から、オオカミはたびたびその家に食べものを届けるようになった。

 夜、人間が寝静まったあとにこっそりと村の中にはいりこんで、家の前に食べものを置いていくのである。

 むろん、また山にこどもを捨てられては困るからだ。

 オオカミは下手な狩りでほそぼそとおのれの腹を満たすと、山を駆けまわり、人間が食べられそうな恵みを探すのだった。




 そんな日々が続いた、あるとき。

 いつも通り食べものを運んできたオオカミは、ふと好奇心にかられた。

 あのこどもは、どんな顔で食べものを受けとっているのだろうかと。


 それはただの気まぐれだった。視界のかたすみをひらひらと舞う蝶を、なにげなく目で追うような、理由もない遊び心である。

 オオカミは近くのしげみに身をひそめ、朝まで待つことにした。


 やがてあたりが明るくなりはじめ、空が青みを増していく。鳥たちが騒々しく鳴きだした。

 家の中からいろいろな音や声が聞こえてくる。

 がたがたと家の戸が揺れた。

 ひょっこり顔を出したのは、あのこどもであった。


 眠たげに目をこすっていたこどもは、オオカミの持ってきた魚や果物を見つけたとたん、その大きな目を見開いて――笑った。

 それは冬の日の陽だまりのような笑顔だった。

 こどもは食べものを拾いあげると、慌ただしく家の中にもどっていく。


 オオカミは無性に体がうずうずしてきて、いてもたってもいられず、勢いよくしげみから飛びだすと、突風のようにねぐらへと帰っていった。




 オオカミに家族はいない。

 普通、オオカミという生き物は群れで生活するのだが、このオオカミは順位争いに負けて群れを追いだされたのだ。

 一匹では大きな獲物をしとめられないため、いつも空腹で、一匹では巣穴のなかもたまらなく寒い。

 あのこどもの家はきっと温かいのだろうな、とオオカミは思った。




 オオカミはそれからも食べものを運びつづけた。

 夜のあいだにやってきて、朝、こどもが笑うのを確かめてから、村の人間に見つからないよう去っていく。


 こどもは木の実やキノコが好きなようだった。

 魚は平気なようだが、ウサギやネズミなどは好かないらしい。一度持ってきたときは泣きだしてしまい、オオカミはその日一日、狩りにならなかった。


 オオカミはいつも腹を空かせていて、いつも体の内側にすきま風を感じていたのだが、そのこどもの顔を見たときだけは、なぜか胸がふくれ、ふわりと熱くなるのだった。




 やがて実りの秋はすぎ、すべてのものが眠り、凍てつく冬がやってくる。


 北風にちぢこまりながら、オオカミは困りはじめていた。

 山にはもうすっかり食べものがないのである。

 木々はゆるゆると枯れ葉を落とすのみで、キノコも滅多に見つからず、川魚たちは深い場所に移動してしまい手がとどかない。

 一日かけて食べものを探しまわっても、ほとんど採れないことが多くなっていた。


 オオカミは考えた。


 ネズミやウサギやシカなどは駄目だ。あのこどもはきっと泣くだろう。

 もっと探す範囲を広げれば見つかるかもしれない。しかし、それでは他のオオカミたちの縄張りに入ってしまう。たった一匹で入りこんでも、たちまちのうちに撃退されるか殺されるだろう。


 オオカミはさらに考えた。


 たくさん食べものがあって、オオカミ一匹でも手に入れられる場所。

 それも人間が食べられるものでなければならない。


 考えて考えて、あっ、とオオカミはひらめいた。


 行商人という、たまに村にやってくる人間が、食べものをたくさん持ち歩いていることを思いだしたのである。


 オオカミは飛ぶように走りだした。

 そして村々をつなぐ山道にやってくると、こっそりと待ちぶせた。


 ざあざあと木枯らしが街道をわたっていく。

 見知らぬ女とこどもが通りすぎていった。あれは行商人ではない。

 汚いいでたちの男がえっちらおっちらと歩いてくる。あれも行商人ではない。


 やがて大きな袋をせおった男がやってきた。

 オオカミは息を詰め、じっと男を観察する。

 そして男が通りすぎた瞬間、一息で飛びかかり、首筋に噛みついた。

 男はシカのように少しばかり暴れたが、すぐにどうと倒れ動かなくなる。


 男はたくさんの食べものを持っていた。イモや、乾燥した肉や、野草である。

 オオカミはちぎった袋の端で食べものを包むと、跳ねるようにこどもの家へ駆けていった。


 今までにない贈り物に、こどもは喜色満面で手をたたいたが、両親はひどくいぶかっていた。




 それからというもの、オオカミは人通りのすくない街道に潜んでは、やってくる行商人を襲うようになった。

 なかには複数の人間と一緒にいたり、屈強な男を連れていたりする者もいたが、オオカミ一匹ではとても敵わないので、ひとりでいる者を狙った。


 やはり人間の好む食べものを持っているのは他ならぬ人間である。こどもの喜びはいちだんと大きくなった。とくに滅多に食べられないお菓子があったときは、そのまま踊りだしかねないほどであった。

 そしてそんなこどもの姿を見ると、オオカミは決まって疲れはてるまで山ではしゃぎ回るのだった。




 ――それは、寒い寒い、くもりの日のことだった。


 その日オオカミは、食べものを探して村の近くをうろついていた。

 最近はひとりでいる人間が減ってしまい、なかなか食べものを手に入れられない。ふたり連れを狙ったこともあったが、ひとりは逃がしてしまったし、とても苦労した。

 もうすぐ日も暮れるので、これ以上街道で待っていても無理だろうと判断したのである。


 とはいえ、人間は暗くなれば家に帰る。村の入り口付近をしばらくうろうろしていたが、誰の姿もなかった。


 そのときである。


 大きな怒鳴り声がして、オオカミは思わず飛びあがり、草むらに逃げこんだ。

 人間に見つかったのだ、とオオカミはおののく。


 しかし、いくら待っても人間の足音は聞こえず、近づいてくる匂いもない。

 おそるおそる顔を出すと、すぐそばにある大きな家から、複数の人間の声が聞こえてきた。

 オオカミは注意ぶかく家に近づき、前足を壁につけて立つと、窓から中の様子をうかがう。


 何人もの男たちが険しい表情で座りこみ、ざわざわと話しあいをしていた。


「隣村の弥彦がやられたんだと」

「もう許しておけねえ」

「このまんまじゃ物売りも来てくれなくなるぞ」

「町に売りにも行けねえ……」

「あのせたオオカミだろう。前にうろついてるのを見たことがあるぞ」


 オオカミはぴくりと耳を動かした。


「おとなしいかと思ってたらとんでもねえ」

「弥彦はこどもが生まれたばかりだってのになぁ……」

「さっさと駆除せんと」

「だが、今はまだ冬眠前のクマがいるんじゃねえか」

「これ以上放置できんだろう。村に入ってきて女子供を襲うかもしれん」

「隣村のやつらにも頼んでみたらどうだ」

「そうだな、それがいい」


 これは厄介なことになった。

 オオカミはさっと頭をひっこめる。


 いったんどこか遠くへ逃げたほうがいいかもしれない。しかし、そうなるとこどもに食べものを届けられなくなってしまう。それに、逃げる最中うっかり他のオオカミの縄張りに入らないとも限らない。

 ならば隠れる場所を探すべきだろうか。しかし、犬を使われてはおしまいだ。


「とにかく、あのオオカミを退治するまでは、ひとりで出歩かねえよう――」

「――ころさないで!」


 ふいにおさない声が割りこんだ。

 オオカミは急いで家のなかを覗く。


 あのこどもだった。

 あのこどもが、ぼろぼろと泣いて、男たちにすがりついている。


「ころさないで! あたしを助けてくれたの! 泣いてたら助けてくれたの! いいオオカミなの!」


 すこし遅れて飛びこんできた母親が、必死にこどもを引き戻そうとする。

 こどもは暴れながらなおも叫んだ。


「いつも食べものを持ってきてくれるのも、きっとあの子なんだよ! 木の実とか、さかなも、栗もくれたし、あと、あと、お菓子もくれたの! わるいオオカミじゃないの! なんでころしちゃうの!?」


 母親は蒼白になっていた。

 話しあいにはこどもの父親も参加している。

 その父親に、男のひとりが不審そうなまなざしを向けた。


「よう、次郎よ。おめえまさか、オオカミを手懐けて、ひとを襲わせてたんじゃねえよなぁ?」

「なんだと!」


 父親が床をたたく。


「とんでもない濡れ衣だ。おい、もう一度言ってみろ。俺が人殺しだと?」

「い、いや、別にそこまでは……そんなに怒るなよ。一応聞いてみただけじゃねえか……」

「確かになぁ――確かに、山の食いもんはありがたかったよ。駄目だと思ったんだ。全員で年は越せないと思ってたんだ。だからありがたかったさ。だがな、だからって、自分たちのためにひとさまの命を奪おうなんて……!」

「次郎、よせ。おまえがそんなことしねえのは皆よく分かってるさ」

「悪かったよ。悪かったって……」


 にわかに荒れた場が、しんと静まりかえる。

 父親が低くちいさな声で言った。


「……、女子供の来るところじゃねえ。早く家に連れていけ」


 母親は青白い顔のままこどもの腕を引いた。


「嫌だよ! おねがい、おねがい、ころさないで! お父ちゃん、助けてあげて! わるいことしたんならあたしも謝るから……! いっしょに謝るからぁ!」

「これ、もうよしなさい……!」

「お父ちゃん、お父ちゃん、ねえ、ゆるしてあげてよ。あたしがお布団よごしたとき、ごめんなさいってしたらゆるしてくれたじゃない。どうしてころしちゃうの。すごく頭がよくて、いい子なんだよ。ころさないでよ、いやだよ、たすけてよぉ……」


 父親はうつむき、歯を食いしばって、ぶるぶると拳をふるわせていた。

 すすり泣くこどもを、母親が抱えあげて連れていく。


 オオカミはまばたきもせずそれを見ていた。ぴんと耳を立て、像のように固まったまま、遠ざかる泣き声を聞く。

 そうしてようやく、オオカミは気がついた。


 ――ああ、雪が降っていたのだ、と。




 数日後。

 近隣の村々の男衆による山狩りがおこなわれ、一匹のオオカミが捕獲された。

 小柄な体に、ぼさぼさな黄褐色おうかっしょくの毛、下からめあげるような金の瞳をした、雄のオオカミだった。


 さんざん人間を襲ったオオカミは、しかし暴れることも牙を剥くこともなく、それどころか唸り声ひとつあげず、ただ静かに人間たちを見つめていた。


 それは、死ぬ間際でさえ。






 むかし、むかし。

 とある山の、ふもとの村に、こんな言い伝えがあった。


 山道を歩いていると、奇妙な足音がついてくる。

 それはどうも犬くらいの獣のようだが、振りかえっても姿はなく、後をつけてくるだけで何もしない。家に着いたり、「ごくろうさん」「送ってくれてありがとう」などと告げたりすると、山のほうへ帰っていく。


 なんとも不気味な足音なのだが、それがついてくると野犬やイノシシなどの危険な獣に遭わなかったので、人々はおそれながらも道の守り神としてありがたがったという。


 その足音は、むかし退治したオオカミが化け物になって、人間に仕返しする機会をねらっているのだとも、ひとを襲ったつぐないとして守っているのだともささやかれたが、本当のところはさだかではない。


 人々はこれを、送り狼、送り犬などと呼んだ。


 送る相手がこどものときは、ぱたぱたと尾を振るような音なども聞こえたそうだが、それについてもさだかではない――

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冬越しのオオカミ 白石令 @hakuseki

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