最終話 青春はネバーエンド 6/6

「母さん、僕、今日夕飯食べてくるから」


 翔虎しょうこは玄関で革靴を履きながら居間にいる母親に声を掛けた。


「あらそう。会社の飲み会?」


 見送りに出てきた翔虎の母親が訊いた。


「ううん。なおと食べてくるから」

「そうなの。直ちゃんによろしく言っておいてね」

「わかった。いってきます」

「いってらっしゃい」


 母親に手を振って玄関を出た翔虎は、出勤のためバス停に向かう。高校時代と変わらない風景だが、違っているのは翔虎が制服ではなく背広を着ていることと、直が迎えにこなくなったこと。卒業後、翔虎は就職、直は進学を選択したことで、二人の出勤、通学時間が合わなくなったためだ。翔虎は道路を横断してバス停に立つ。乗車するバスも、東都学園とは反対方向の路線に変わっていた。

 バスを待つ間、翔虎は直にメールを打つ。返事はすぐに返ってきた。


『もちろん忘れてないって。翔虎の受賞記念パーティーだもんね』


 直からの返信に翔虎は微笑み、鞄を開けて中を覗き込む。鞄の底に小さな箱があることを確認して、翔虎はもう一度微笑んだ。



 就業後、翔虎は定時で会社を飛び出し、町の川沿いに建つホテル最上階のレストランに足を運んだ。予約済みの、夜景を一望できる窓際のテーブル席に案内されると、そこにはすでに直の姿があった。二人は軽く手を上げ合う。


「翔虎、おめでとう。かんぱーい」

「ありがとう、直。乾杯」


 二人はワイングラスを打ち合わせた。


「いやー、これで翔虎も本当にミステリ作家かー。何だか感慨深いなー。矢川やがわ先輩に一歩近づいたね」

「いやいや。小さな賞に短編が受賞しただけだからね。作品が雑誌に掲載されるだけで、本を出すとかには、まだまだだから。矢川先輩の足下はおろか、地下数百メートルにも到底及ばないよ」

「でも、凄いじゃん。ねえ、矢川先輩、何て言ってた?」

「まだ感想は聞けてないんだ。矢川先輩、忙しいから」

「そうなんだ。あ、私のところに、南方みなかた――じゃなかった、矢川夫人から電話が来たよ。こころ先輩や、あけみからも」

「僕にも来た。おめでとうって言ってくれたよ。水野みずのくんや文芸部の後輩からもね」

深井ふかい寺川てらかわくんからは?」

「全然。あいつら、本なんて読まないし」

「あはは。ねえ、東学文芸部から二人も作家が輩出されるなんて、凄いね。水野くんも漫画の原作者だし。名門文芸部だね」

「はは」


 翔虎が笑ったところに料理が運ばれてくる。二人の前にコースの前菜が並べられた。会話を続けながら、二人は料理を堪能する。



「翔虎」

「なに?」

「どうかした?」

「な、何が?」

「何だか落ち着きないよ」

「そ、そう、かな?」

「うん」

「はは。まだ受賞の興奮が冷めてないのかも」

「何よそれ」


 直は笑って、


「もう一週間くらい経ってるでしょ」


 切り分けたステーキを口に運んだ。翔虎もぎこちない笑みを浮かべて、ステーキにナイフを入れた。



 受賞記念だから自分が払う、と言って聞かない直を翔虎がなだめて、結局支払いは割り勘で済ませた。

 レストランからの帰り道、二人は夜の町を歩く。繁華街から離れた閑静な住宅地に二人の靴音がこだましていた。


「翔虎、仕事は順調?」

「う、うん。忙しいけれど、何とかやれてるよ」

「私、翔虎は大学に行くとばっかり思ってたから、意外だったな」

「ぎりぎりまで迷ったんだけどね。大学を舞台にしたミステリを書くときは、直に取材すればいいなって思ったし」

「何回か来たよね。でも、まだ大学を舞台にした小説書いてないでしょ」

「そうなんだ。いいアイデアが思い浮かばなくて。それに、できるだけ早く安定した立場になりたいなっても思ってたし」

「何よそれ。若いのに堅実だね」


 直は吹きだした。翔虎も微笑んだが、やはりその笑顔はぎこちなかった。


「……翔虎」

「な、なに?」


 立ち止まった直に名前を呼ばれ、翔虎も足を止める。二人は誰もいない公園に入っていた。直は翔虎に近づき、月明かりに照らされた目を覗き込む。二人に身長差はなかった。


「どうもおかしいな……翔虎、何企んでるの?」

「た、企むとか、そういうんじゃ……」


 言葉を止めた翔虎は鞄に手を入れて、


「ほ、本当は、レストランで言おうと思ってたんだけど……」


 と、少しだけためらうような素振りを見せたが、翔虎は一気に手を引き抜いた。翔虎の手には深い藍色のベルベットの箱が握られている。直に向けて差し出した左手に箱を置き、翔虎は右手で蓋を開けた。

 直の瞳が、そこに現れた環状のものを映し出した。銀色に輝く小さな指輪。


「な……直……」


 ごくりと唾を飲み込んだ翔虎は、


「ぼ、僕と……結婚して下さい」


 両手で支えた箱を差し出して頭を下げた。地面を見たまま翔虎は、


「あ、あのね……受賞できたら、言おうって決めてたんだ。それには、ほら、大学生とか、アルバイトとかじゃダメだろ。きちんとした収入がないと。そのためには、早くから就職するのがいいなって思ってたから……今まで何回も落選し続けてきたけど、受賞したら直にプロポーズするって決めてたから、頑張ってこられたんだ……だから、受賞できたのは、直のおかげだって思ってる」


 俯いた姿勢のまま、翔虎は思いの丈を吐き出した。最後にまた唾を飲み込む。直からの言葉はない。恐る恐るといった様子で、翔虎は頭を上げる。


「……直」


 直の頬に光るものを、月光が煌めかせていた。


「翔虎……」

「な、何……」

「もう一回言って」

「え?」

「ちゃんと、目を見て言って」

「う、うん……」


 翔虎は大きく息を吸うと、


「直、僕と結婚して下さい!」


 直の目をまっすぐに見つめながら口にした。直は顔を伏せて目尻を拭うと、翔虎の目を見て、


「……はい」


 満面の笑みを広げた。


「直……」

「翔虎……」


 直は翔虎の腰に手を回し、翔虎は直の背中を抱き寄せた。



 尾野辺おのべ翔虎、直(旧姓「成岡なるおか」)は結婚し、直の大学卒業を機に二人暮らしを始める。その新居は、二人の実家近くにあるアパートの〈210号室〉


 翔虎は会社勤めを続けながら小説の執筆を続け、直は大学卒業後、共働きをしながら翔虎を支える。

 デビューから数年後、翔虎は作家一本でやっていく自信と決意を固め、勤め先を退職。直も軽いパートに勤務形態を変えた。

 その翌年、待望の第一子出産予定を知った二人は、生まれてくる子供が男児だとわかると、互いに決めていたという名前を同時に発表し合う。翔虎と直、二人の口からは同じ名前が発せられ、その瞬間、二人は見つめ合い、笑いあった。懐かしそうな表情をして、高校生に戻ったような目をして。


 直の出産には翔虎も立ち会った。生まれてきた新しい命。二人の愛の結晶を前に、翔虎と直は改めて子供の名前を口にした。


りょう、よろしく」


 長男、亮を間に挟み、翔虎と直は潤む瞳で見つめ合った。



『錬換武装ディールナイト』完


ご愛読ありがとうございました。

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錬換武装ディールナイト 庵字 @jjmac

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