終
いつものように、朝から応樹はジムに来ていた。だが、いつものようにテーブルの上に置かれているはずのスポーツ新聞が見当たらなかった。
最上階まで上がると、練習生の一人がマシンに隠れるようにして新聞を読んでいるのが見えた。
「おっはよ」
「わ、お、おはようございます」
「珍しいじゃん、こんなに早くから」
「いや、昨日つぶれちゃいまして、家に帰れなかったんす」
「そういや、お前んち遠かったっけ」
応樹は、身をかがめて記事を覗き込んだ。
「あ、だめっす!」
練習生は応樹に新聞を見せまいとして体をひねったが、応樹はひょいと新聞を取り上げた。
「今日は俺一色かなー……う……」
応樹は声を失い、体を硬直させた。その記事から、視線を全く動かせなくなってしまった。
〈Clemency、即日解体〉
右手だけが、小刻みに震えていた。
昨日、Clemencyの敗戦を受け、Jimは次のように発表した。
「Clemencyは最強の名を目指すために製造され、そして育成されてきました。私が教えることはもうないし、私が教えたからこそ負けました。もう、彼の存在意義は失われました。このことは、試合前から決めていたことです」
応樹たちが祝勝会をしている間に、既にことは実行されていた。データを抜かれたClemencyは、磁力処理によって
「馬鹿な」
やっと声を絞り出し、テレビへと走った。いくつかチャンネルを回すと、貝塚の顔が出現した。
「まことに遺憾です。これはロボットの権利を蔑ろにすることであり、また健闘をたたえあった二人に対する侮辱でもあります」
応樹はジムを飛び出すと、闇雲に走り回った。どこに向かおうとしているのか、自分では全くわからなかったが、気が付くと都市公園の中にいた。早朝のラジオ体操をしていた年寄りたちが、怪訝そうな顔で応樹を見つめている。応樹は、裸足で新聞を持ったまま走っていたのである。
応樹は立ち止まり、四方八方を見渡した。何も見付からないが、何を探しているのかもわからなかった。
「Clemency……」
戦友の名は、空の彼方へと消えていった。
「死ねーっ!」
司の叫びが響き渡った。抱えあげられた
「やった!」
司は右手を高々と突き上げた。祝福の拍手が沸き起こっている。
ベルトを巻かれた後、リングを下りた司を、応樹は通路で待っていた。
「よくやった」
「うん。これもご指導のおかげです」
司は、左手を差し出した。応樹も、左手を出した。二人は、固い握手を交わした。
「ま、俺は何回も防衛したからな。まだまだスタートラインってとこかな」
「そうですね。応樹さんを追い抜けるよう頑張ります」
応樹は、目を細めて笑った。未だに痛む頬を左手で押さえる間も、右手は小刻みに震え続けていた。
「今から行きましょうか」
「え、色々あるんじゃないのか」
「いいんです、チャンピオンは偉いから、わがまましていいって言ってました」
二人は会場を出ると、都市交通に乗り込んだ。途中何回か乗り換え、一時間ほど。更に三十分ほど歩き、小さなビルの事務所に到着した。
「よっ、Clemency」
電話の前にちょこんと座ったロボットに対し、応樹は右手を上げた。ロボットは、ゆっくりと首を回して、二人を確認した。
「ヒサシブリダナ、オウジュ」
「私もいるよー」
「アア、スマナイ、ツカサ」
司はバッグからチャンピオンベルトを取り出し、ロボットに見えるように掲げて見せた。
「今日ね、ベルト獲ったの。チャンピオンになったんだよ」
「ソレハスゴイ。ワタシニハソウゾウモデキナイコトダナア」
応樹は目を伏せ、司はその肩に手を置いた。
「デモツカサ、サイキンハロボットモツヨイカラネ。イツカニンゲントシアイヲシテ、カツナンテコトモアルカモネ」
「そうね。そういうこともあるかもね」
震える応樹の右手が、少しだけ握られていた。しかし応樹はそのことに気が付かないまま、心をも震わせ続けていた。
≪完≫
前人未到のハイキック 清水らくは @shimizurakuha
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