舞憐女子プロレス。大手団体の相次ぐ崩壊後、関西を拠点として作られた。所属レスラーは少ないが、人気ベテラン選手の運営にまで渡る頑張りで、何とか経営を維持している。

 とはいっても、やはり地方巡業は苦しかった。プロモーター不在の中、招待券を配ってもなかなか席は埋まらない。

 がらがらの席の中で、応樹はじっと試合が始まるのを待っていた。パイプ椅子の座り心地は非常に悪い。小さな子供が走り回っている。自分がデビューした頃のキックボクシングの会場に似ており、応樹は微笑んだ。

 新しい団体に古ぼけたリング。忙しく動いているスタッフは、皆レスラーや練習生。お膳立てされたのではない、必死に作られた舞台。

 応樹の胸の中で、もやもやとした何かがうごめいていた。気持ちが高ぶってきた。田舎のすかすかの会場の中で、ただひとり、らんらんと輝く目で空のリングを見つめていた。

 そして、若手同士の試合から興行は幕を開けた。試合内容はお粗末なものだった。以前ならばデビューをさせてもらえないレベルの選手たちだった。それでも、応樹は目を逸らさなかった。そこには、闘いがあると思った。かつて、応樹もそこにいたように、必死に相手に食らいついていく選手たちがいた。

 試合は進んでいく。見慣れた客には物足りなかったし、義理の客には面白くなかった。それでも、応樹にはこみ上げてくるものがあった。誰も、手を抜いていない。誰も、慢心していない。全力。

 そして、残すはメインのみ。暫くの静寂。

 最初に、司が入場して来た。かざりっけのない、青一色のコスチューム。見るからの新人。それでも、堂々と前を見据えていた。

 次々と選手が入ってくるが、司以外の五人はメインイベンターとしての風格を持っていた。名前を知る選手が出てきたので、客席もそれなりの盛り上がりを見せる。

 リングアナによるコール。「長坂司」には拍手もまばらだった。それでも必死に客席にアピールする司。応樹は、熱い視線を送り続けた。

 ゴングが鳴った。司は先発だった。二周りは大きい相手を前に、頬を叩き、気合を入れてから突っ込んでいく。手四つになるが、簡単にロープまで押し込まれてしまう。体力も、技術も、キャリアも、何もかもが違う。ロープブレイクを命じられた相手は、離れ際に司に平手を叩き込んだ。乾いた音と共に、応樹の頬にも乾いた感触が蘇った。

 司は、攻められる一方だった。避けようともしなかった。殺気さえ感じさせる目で、大先輩たちを睨み続けていた。いつの間にか、観客の目も司に釘付けになっていた。やられてもやられても、立ち上がっていく。誰かが言った「立て、司!」そして誰が言った「やり返せ、司!」

 そして、司は渾身の力で反撃した。まずは平手で張り返した。そしてエルボーを打ち込んだ。しかし、全然効いた様子はなかった。それでもエルボーを打ち続けた。そして、打ち返されたエルボーでダウンした。

 それでも、また立ち上がった。何度でも、立ち上がった。

 関節を極められると、うめきながら命綱ロープに手を伸ばした。場外に落とされ、鉄柱にぶつけられ、それでも倒れなかった。二人係ツープラトンの攻撃に、歯を食いしばって耐えた。

 何とか交代タッチし、司の試練は終わった。だが、応樹とてプロレスの掟は知っている。司は、もう一度リングに立たなくてはならない。それが、新人の役目なのだ。

 試合が始まって二十分が経過。再び交代タッチを受けた司は、初めての大技を繰り出した。コーナーからのドロップキック。そして、それは最後の技となった。高々と抱え上げられ、そして投げ落とされた。カウントが三つはいる。司は、役目を果たした。

 帰り支度を始める人々。だが、応樹はじっと、動かなかった。司から、目を逸らさなかった。頬が、さらにひりひりと痛んでいた。



 試合の三日前、応樹は血を吐き出した。

 他に、吐き出すものがなくなっていたのだ。

「応樹っ」

 リング脇でうずくまる応樹の下に駆け寄った森澤は、大きく眉をしかめた。応樹が、笑っていたのである。

「おい、どうしたんだ」

 応樹は、血の付いた右手を森澤の方へと差し出した。

「悔しいでしょう、Clemencyは。あいつには、この苦しみがない」

 森澤は、言葉を失い、ただただ赤いものを見つめていた。応樹は、かまわず笑い続けていた。



 試合当日。この日の興行は、ロボット格闘技For Futureにとって、苦しい出だしとなった。

 会場は超満員。しかし、全く盛り上がらない。誰もが、ロボット同士の対決を漫然と眺めていた。

 テレビ中継も、メインまでどうつなぐかという課題に四苦八苦することになった。試合と試合の間は常にメインの煽りで埋めていた。「人類対ロボット、最初の戦争。」 大会のコピーが繰り返し絶叫となっていた。

 応樹は、控え室でいつも以上に静かにしていた。極力体も動かさない。セコンドも黙っていた。

 時間は淡々と過ぎていく。いつも以上に、ロボットたちは無機質に試合をこなしていた。彼らをメンテナンスする人間のほうに、気合が入らなかったためである。

 ついに、セミファイナルが始まった。応樹は専用のプロテクターを装着し、シャドーを繰り返していた。いつもより、目が細くなっていた。そして、試合はすぐに終わったようで、会場全体が息を呑む音で揺れていた。

 応樹は唇を噛み、汗を拭った。森澤に目を向け、笑いかけた。

「楽しめそうです」

 一向は、長い道のりをそれぞれの思いで歩んでいった。会場への門をくぐったとき、聞こえたのは歓声や怒声と呼べるものではなかった。音だった。何かが鳴り響いていた。応樹はそれを震えだと思った。怖いからなのか、心地よいからなのか。応樹は知るつもりもなかったが、確かに人々は、人々の心は震えていた。

 既に、Clemencyクレメンシーはリングの上にいた。ロープにもたれかかり、会場をゆっくりと見渡していた。セコンドにはいつものようにJimが控えていたし、最前席リングサイドには貝塚の姿もあった。応樹には彼らの様子をしっかりと捉えることができ、そして感情を動かされることがなかった。初めて柔道家と戦ったときと同じように、ただ、敵がいるとさえ思えばよかった。応樹は、鏡を見るときのように、水を飲むときのように、自然と花道を歩んでいった。観客は応樹の様子を見て、心の内に大きな安堵を抱いた。詳しく言い表すことは困難だったが、応樹とClemencyは別の種類のものだと、確信させられたのである。

 空間は独立していた。ロープをくぐり、リングに立った瞬間から、世界は応樹とClemencyだけのものになっていた。他のものは全て舞台装置で、これまでのことは全て他愛ない書物の一節に過ぎなかった。応樹はClemencyを上から下まで嘗め回すように見た。無機物でできたロボットの中にも、筋肉が、神経が、そして心臓が見て取れた。そして、Clemencyのレンズこそが、最も注意を惹かれる対象だった。かつてffのリングで対峙したときよりも、強烈で、澄み渡っていた。応樹は、強く拳を握り締めた。

 準備が全て整い、震えは震撼になった。二人の格闘家はどちらからともなく歩み寄り、右の拳をあわせた。ゴングの重く乾いた音が、会場の外側へ、そしてリングの内側へと鳴り響いた。



 試合が開始されて、一番最初に目を丸くしたのはJimだった。セコンド陣やファンも次第に驚きを共有していった。

 Clemencyが、全くJimに似ていなかったのである。構え、佇まい、雰囲気。全てを入力インプットしたはずである親の手を離れ、Clemencyは自分らしい格好スタイルで応樹の前に立っているのである。貝塚はその様子を微笑みながら眺めていたが、Jimは心の内のざわめきを無視することができなかった。まるで突然自分の手足が勝手に動き出したかのような恐怖。臓器が自己主張を始めたかのような戦慄。どれほど洗練されようとも、格闘家としての枠組みは不可侵だと信じていたのに。

 だが、Jim以外の観衆はすぐにClemencyの格好スタイルなど気にしなくなっていた。むしろ、多くの者は心のどこかでそれを予想していたぐらいだった。Clemencyは既に、規定されたロボットとしての枠をはみ出し始めている。しかし、ロボットとして生まれた以上、ロボット以外の何物でもない。名目と内実の乖離を、人々はそのまま受け止め始めていた。問題は今戦っているどちらが強いかであり、人間がどこまで強いかということだった。

 応樹も、純粋にClemencyの姿勢を見つめることができていた。自分との対戦に向けて、練習し、考え、そして強くなっただろうと思った。応樹は頬の痛みを思い出していた。自分も強くなったはずであると暗示をかけた。

 応樹が打撃を狙っているのに対し、Clemencyはタックルの機会チャンスを狙っていた。お互いに間合いに気をつけ、なかなか触れ合うことすらできなかった。それでも消極的だとか、面白くないとか、誰もそうは思わなかった。一瞬で、全てが決まってしまうかもしれないのだ。人類が、ロボットに敗北する瞬間が来てしまうかもしれないのだ。結果が全てだった。

 最初に仕掛けたのは応樹のほうだった。左のローキックを出す。Clemencyは膝を立てガードした。唾を飲む音で地鳴りがした。

 いつもとは違う感触に、少しだけ応樹は戸惑った。顔色がないため、どれだけ効いているのかは想像するしかない。痛みを感じない以上、強さが全てだった。設計者が唸るだけの衝撃を与えなければならなかった。そして、それはまだ誰も、どのロボットも成し遂げていないことだった。

 Clemencyは次第に圧力プレッシャーをかけ、応樹を狭い方へと押しやっていった。そして最初のタックルが、応樹の腰を襲った。応樹は強く足を踏ん張り、コーナーを背にして耐えた。倒されることはなかったが、跳ね返すこともできなかった。二十秒ほどがそのまますぎ、そして、レフェリーがブレイクをかけた。

 再び対峙したとき、応樹はにやりと笑った。Clemencyはその不自然さに一瞬動きを止め、ガードを固くした。そして、次の応樹の攻撃が繰り出された瞬間、会場から音が消え去ってしまった。Clemencyはよろめき、そして応樹は同じ攻撃を繰り出し続けた。

 Clemencyは股間を何度も蹴り上げられ、危険ファースト信号サインを少なからず上昇させた。テレビの解説席では、慌ててルールの確認がされていた。急所攻撃は反則となっているが、Clemencyの、ロボットの急所に関しては明文化されていなかった。そして実際、ロボットの股間は急所ではなかった。

「盲点ですね。人間にとって急所であるため、Jimも股間への攻撃の対処は入力しなかったんですね」

 解説席に座ったffの主催者は、実に楽しそうだった。

 しかし応樹は、ぱったりと攻撃をやめてしまった。

「あとは、逃げ切れば俺の勝ちだぜ」

 唇の端をあげ、応樹は手招きをした。

「もう、対応できただろ。お前はそういう奴だ」

 そして、観衆は確かに見た。Clemencyが、笑ったのである。

「いい顔してるよ」

 応樹は、顔を引き締まらせた。

 もはや、Clemencyの顔は自由自在だった。実際にはどの部分も動いてはいない。それでも、怒り、喜び、憂い、そして焦り。全てがそのレンズマイクスピーカーからにじみ出ていた。そのことに一番驚いているのはJimであり、一番はしゃいでいるのが貝塚だった。

 応樹とClemencyは、向かい合ったままあまり動かなくなった。試合開始から五分が過ぎていた。10分2ラウンド制、既に四分の一が過ぎている。格闘家、芸能人、ロボット解放主義者、多くの人々が、完全に試合にのめりこんでいた。そして人々の罪のない好奇心は、予想外の何かを期待してやまなかった。このまま応樹が逃げ切ってしまうのは、平凡すぎる。

 そして、ロボットの魂は人々を裏切らなかった。6分30秒、Clemencyの左足が、大きく振り上げられた。右手を上げてガードした応樹だったが、キックの重たさと、そしてプロテクター越しの衝撃という違和感が、そのバランスを崩させた。

「よしっ」

 それはClemencyの声だった。今まで誰も見たことのない、誰もしたことのない、ハイキックからの素早いタックルが繰り出された。応樹はマットに倒され、Clemencyはその上からかぶさった。場内が、どよめきと歓声に包まれた。攻防が、生まれたのである。

 グラウンドテクニックではClemencyに分があると言われていた。入力したJim自身が関節技の得意な選手だったし、Clemencyの規格はグラウンドに適しているとされていた。だが、実際には応樹はこれまで負けたことがない。グラウンドでの防御は一流であるとされているのである。

 応樹は足をClemencyの胴に巻きつけ、ガードの体勢を維持していた。Clemencyも無理には動かず、顔や腹にこつこつと拳を落としていった。

「応樹、慌てるな」

 森澤の声に、応樹は顎だけ動かして応えた。そして、下から手を出していった。動きのある膠着状態のまま、二分が過ぎた時だった。応樹が下から出した右手を、Clemencyは掴みとった。振りほどこうとする応樹。しかしClemencyは執拗にその手を握り続けた。応樹は、次第に気がついていった。Clemencyの手に触れられることにより、自らの手が次第にむずがゆくなっているのだ。普段試合中には絶対に触れることのない金属や樹脂の感触が、奥底からの嫌悪感を呼び起こしている。応樹は、少なからず戦慄した。Clemencyは、自らがロボットであることを武器にし始めていたのである。

 二度目のゴングが鳴った。1ラウンド終了の合図である。二人の格闘家は、しっかりとした足取りで自陣のコーナーに戻っていった。



「応樹、どうだ」

「手強いですよ」

 インターバルの間、応樹はずっと目を閉じていた。森澤の問いかけにも、顔を動かさずに答えていた。頭の中では、Clemencyの動きが回想リプレイされていた。ぞっとする右手の感触を、心の中で消化しようと努力した。そして、短い休息は過ぎていった。

「決めてきます」

 応樹は、右手を振りながらリングの中央へと赴いていった。

 再び対峙したClemencyからは、温度が伝わってこなくなっていた。ロボットがどれほど疲労するものか、応樹には知ることができない。一方の応樹は、額から、肩から、汗を垂れ流している。

「気持ちいいんだぜ」

 そう言って、応樹は汗を拭った。第2ラウンドの、ゴングが鳴った。

 様子を見ることなく、応樹は小刻みにローキックを放っていった。こつん、かつん、と乾いた音が鳴り響く。効いているのか、誰の目にもわからない。蹴っている応樹のほうが、むしろ痛いのではないかと思われるほどだった。それでも応樹は腿の裏を蹴り続けた。これまでの、人間同士の試合なら決め手になる攻撃だった。キックボクシング時代にはこれだけで相手を倒してきたし、総合格闘技の舞台でも一級品の武器として機能してきた。だが、ロボットではどうなのか、それは謎だった。この戦いは、初めてのケースなのだ。

 Clemencyの危険信号は平行線を辿るばかりである。Clemencyの体は危険を感じていないのである。それでも応樹は蹴り続けた。どこからか掛け声がかかった。応樹は更に蹴った。掛け声の合唱が起こった。会場が一体となって、応樹のリズムを作り上げていた。受け止めるClemencyさえも、リズムを作り出す機関の一部となってしまった。

 Jimが叫び声をあげるが、少なくとも応樹の耳までは届かなかった。応樹は流れに身を委ね、ローキックを放ち続けた。効いているかどうかに関係なく、応樹の心は昂ぶってきた。  Clemencyが、二歩後ろに引いた。そして、応樹の左足が、突然軌道を変えた。ローに集中させておいてのハイキック、まさに布石どおりである、しかし……

「No!!」

 Jimの甲高い悲鳴が、会場を引き裂いた。何が起こったのか、そもそも何かが起こったのか、すぐには誰もわからなかった。大きく振り上げられた応樹の足は、Clemencyの頭上を越えていった。Clemencyはしっかりと立っている。それなのに、一人、Jimが頭を抱えている。

 応樹は、横目でJimの悶える姿を見て、酸素の足りない頭を高速で回転させた。そして、一つの仮説を作り上げた。馬鹿馬鹿しいが、確信の持てる仮説を。

 応樹は、再び同じ軌道でハイキックを放った。Clemencyが動くまでもなく、やはり応樹の足は頭上を越えていく。応樹はしかし、力強く左足を着地させた。そしてClemencyの眼を睨み付けた。

「あっ」

 森澤が、声を漏らした。

「見たことある」

 観客の誰かが、言葉にした。

「くたばれ、Jim!!」

 応樹は叫び、左の拳を振り上げた。Clemencyは、全く動かない。ガードの間をすり抜け、応樹の拳はClemencyの頭部に直撃した。Clemencyは、何の抵抗もなく、マットに倒れていった。

 レフェリーがダウンを申告する。しかし、危険信号には何の反応もなかった。そして、Clemency自身も、ただただ倒れていると言った様子で、言うなれば呆然としている状態だった。ただ一人、Jimだけがいつまでも取り乱していた。

 ファイブカウントで、Clemencyは立ち上がった。歩き始めたばかりの赤ん坊のように、ふらふらとしていた。だが、応樹は何も仕掛けなかった。ただ、こう言った。

「今のは、Jimのせいだ。気にするな」

 Clemencyにはその言葉の意味がわからなかったが、格闘技に詳しい者達は思い出し始めていた。かつてJim Simonsがベルトに挑戦し、完膚なきまでに叩きつぶされた試合があった。そのときの敗因こそが、王者の放った鋭いハイキックだったのである。その試合が、そのハイキックがトラウマとなり、Jimは現役を退くことになった、と言われてきた。

「Jimは、こわくて入力できなかったんだろうな、同じようなハイキックを」

「柏木、いい気になるな」

 低く重たい声が、Clemencyの口から吐き出された。人々は聞き耳を立てるため、精一杯沈黙した。

「対策は、今自分で入力した」

「そうこなくっちゃ」

 言うなり、応樹は更にハイキックを繰り出した。Clemencyは体勢を低くし、一歩前に踏み出した。応樹も足を引き寄せるなりガードを固めた。Clemencyのタックルは、押しつぶされた。応樹はその身を引き離し、Clemencyが立ち上がるのを待った。

 そのあと、二人には何の好機も訪れなかった。応樹の打撃も、Clemencyのタックルも、相手に見切られてしまった。それでも会場は盛り上がっていた。試合が終わったとき、二人の格闘家に向けられたのは、大観衆の温かい拍手だった。

 判定の結果は、3-0で柏木応樹。どちらからともなく歩み寄り、二人は握手を交わした。

 Jimは控え室に運ばれ、貝塚の姿は消えていた。そしてClemencyは、それらの人々を探そうともせず、応樹から目を逸らさなかった。

「また、頼む」

「ああ。いつでも」

 二人は、再び握手を交わした。



「ヒーローですね」

 午前三時。延々と続く祝勝会を抜け出した二人は、明るさの絶えない新宿の街を並んで歩いていた。

「燃え尽きたよ」

 応樹は右手をひらひらと振って見せた。そしてその手を見て、司は目を丸くした。

「応樹さん、それ……」

「ロボットとやるのは酷だよ。次は、ないことを願うね」

 応樹の右手の甲は、どす黒くにじんでいた。そして、手のひらはずっと中途半端に開いたまま固まっていた。

「早く治療しないと!」

「もう見てもらったよ。ただ、初めてのことだから原因不明、治療方法も不明だって言われた」

 応樹はうつむきながら、唇の端を吊り上げた。そして、右手をポケットに突っ込む。

「どっちにしろ、しばらく休むかな」

 司は応樹の前に立ち、彼の右の頬をつねった。

「格闘家は、常に臨戦態勢でいてくださいよ」

 二人は、控えめに笑い続けた。そして、今度は応樹が司の前に立つと、深々と頭を下げた。

「ありがとう」

「ちょっ、ちょっと、待ってくださいよ」

「色々教えてもらったよ。おかげで、勝てたのかも」

「えーと、じゃあ、そういうことで」

 こうして、応樹の長い一日は終わった。

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