第5話
「実は」
虫愛ずるが口を開く。
ゆっくりと丁寧な口調で語られた。
「泥はもう虫たちに運ばせて、手に入れました」
虫愛ずるがいった。
見ると、どす黒くべっとりとした黒い泥が大きな荷台車の上に乗っていた。
「この泥を海に落とせばいいのね」
「そうです」
ぼくと風音は、ごくりとつばを飲み込んだ。緊張する。これに祖国存亡の運命がかかっているのだ。
「うわあ、たいへん。なまずのやつ、もう起きちゃったみたいだよ」
風音が叫んだ。風のうわさで知ったんだ。
樹の上から海を見ると、大きな大きななまずが見えた。やまたのなまずだ。
「開戦です」
虫愛ずるがいった。
虫愛ずるは、虫の知らせを事細かに聞きつづけていた。日の本の情報拠点の二つのうちのひとつ、虫愛ずる。
虫愛ずるの命令により、海男たちがいっせいにやまたのなまずに攻めかかる。幾千隻の船がやまたのなまずに向かって襲いかかって行った。
「急いで泥を」
虫愛ずるがいった。
なんだか、いざとなれば、全部、結局、虫愛ずるが指示を出している。やはり、やまたのなまずに備えて準備してきた年期がちがうのだろう。
やまたのなまずが体を揺らす。
大地震が起こった。
ぐらぐらぐらぐら。ずっと揺れている。樹がずっと揺れている。一分。二分。三分。五分。十分。まだおさまらない。
「これはすごい揺れだぞ」
この大地震で、北海道、本州、四国、九州の四つの島は沈んでしまうのだ。
「早く泥を」
ぼくと風音は虫愛ずるの命じるままに、泥を樹の上から矛で海に向かって落とした。ひゅうるるううと飛んで行って、ぽたっ、ぽたっ、ぽたっ、と泥が海に落ちる。
「すべての船を出しなさい。全住人を新しい島へ移すのです」
虫愛ずるが指示を出す。
やまたのなまずは大地震を起こしながら、こちらに近づいてくる。
「虫愛ずる、あいつを倒せる?」
風音が鋭い声で聞いた。
「できるだけのことはしてます」
虫愛ずるが鋭い声で答える。
風が、暴風が起こった。嵐だ。落雷もしている。風音の全力の攻撃だ。
「くそう、あいつ、雷、落としても死なないの?」
風音が叫んだ。
「わたしのかわいい虫たち、可哀相だけど、みんな、この国のために死んでください。全軍突撃」
虫愛ずるが日の本の全虫をやまたのなまずに襲いかからせた。
果たして、虫の攻撃が効いているのかわからない。だが、何百万匹の虫である。この樹たちに住んでいたすべての虫が襲いかかっているのだ。
だが、それでも、やまたのなまずは死なない。
「くそおっ、日の本の運命もここまでか」
風音が弱音を吐いた。
ぼくは思い出していた。
「あきらめたら、あきらめたら、そこで終わりだよ。昔、日の本存亡の危機には、神が風を吹かせたらしい。きっと勝てる。そう信じてがんばろう」
ぼくは叫んだ。
ぼくの応援などあまりにも無力だけど、せめてもの勇気を与えれたら。絶望を少しでも遠ざけられたら、ほんの少し残された可能性がほんのわずかでものびるじゃないか。
やまたのなまずに突撃した数千隻の戦船は、海男たちが槍をもってやまたのなまずに突きかかっていた。戦ってるんだ。ぼくなんかより、遥かに勇敢で有能な男たちが。
ぼくは何をしているんだ。樹の上で、ただ応援を叫ぶだけしかできないのか。
やまたのなまずは手強かった。
暴風雨に巻き込まれ、落雷を何撃も食らっても、何百万匹の虫に刺されても、何千本の槍を突き刺されても、まだ死ななかった。
「風が、勢いを増してる」
風音が驚きの声をあげた。
新しい手が浮かんだのか? ぼくはわらにでもすがる思いだ。
「今なら使えるかもしれない。風のうわさ最高魔術・神風!」
どごん。
何か、大気がつぶれて爆発した。やまたのなまずはそれを直撃した。
日の本存亡の時、神風が吹く?
どごん、どごん、どごん、どごん。大気の爆発は、連続してやまたのなまずを攻撃する。
「わたしも、今なら使えるかもしれなません。虫の知らせ最高魔術・神虫!」
空に、見たこともない巨大な光り輝く虫が現れた。その虫は、蝶のようであり、蜂のようであり、甲虫のようでもあった。なんだか、見たこともない虫だ。
神虫がやまたのなまずに突撃する。
ずぼっ。
神虫の針はやまたのなまずの体を背中から腹へ貫いた。
死んだ。やまたのなまずは死んだ。恐るべき荒ぶる神だった。
倒した。
やっつけた。
日の本を破壊せんとした恐るべき怪物を倒したのだ。
ぼくと風音の落とした泥は、新しい島になり、そこに樹が生えた。新しい島は、急速に大きくなり、それらは、もとの本州、北海道、四国、九州と同じくらいの大きさになった。形は変わっていたけど。
新世界創造だ。
日の本の死と再生だ。
今から、新しく生まれ変わるんだ。
ぼくはその瞬間を目にしているんだ。
「急いで船に乗るんだ」
ぼくは風音の手をとり、船に引き寄せる。
「風が泣いている」
風音がいった。
「こんな悲しい風の声を聞くのは初めて」
そういって、風音は涙を流した。
「虫も泣いていますね」
そういって、虫愛ずるも悲しんでいるようだった。
高天が原はどうか。
ぼくは空を見た。太陽はどこだ。あっちだ。太陽に雲がかかって見える。太陽に黄金の雲がかかっている。あれが高天が原か。
日の本存亡の時に姿を現したんだ。
この大事に、たった二人の女の子では国を背負わすのに荷が重すぎる。神々が動いているのだ。日の本中の神社の神が、山霊が移住に力を貸していた。
日の本が沈む。
本州が沈む。
北海道が沈む。
四国が沈む。
九州が沈む。
四つの島が沈む。
四つの島は、やまたのなまずの起こした大地震の余震ですべて海に沈んでしまった。
残ったのは新しい島々だけだ。
神々の力が働いたのか、移住は速やかに行われ、成功した。新しい島にも、すぐに新しい樹がみるみる大きく背を伸ばして育っていった。
ぼくらはそこに移り住んだ。
何の力がどう働いたのかわからない。逃げ遅れて海に沈んだ人々が、生きたまま新しい島に打ち上げられた。
「八百万の神々がみんな動いている。八百万の神々がみんな移住に協力しているみたい。風はもうあたしのいうことを聞かない。神に完全に従っている」
「虫もよ」
ぼくは、風を感じ、虫を目で追った。
人々が大勢、新しい島で新しい暮らしの準備を始めた。
「そりゃ、今こそ頑張り時だぜよ」
「おおともさ」
呼び声に掛け声。喧噪賑やかな建国祭りだ。
「神州不滅、万歳。神州不滅、万歳。神州不滅、万歳」
ぼくの知らないところで、ぼくの知らない頑張りをしてきた人たちが、頑張ってなかった人たちも力を合わせて、大合唱していた。
「神州不滅、万歳。神州不滅、万歳。神州不滅、万歳」
ぼくも万歳三唱して、祭りに飛び込んでいった。
風音と虫愛ずるも一緒だ。
ああ、日の本存亡の危機を乗り越えたんだ。
島作りという日の本の最初にして最終奥義で。
風と虫と、そして、泥が、この国を救った。
風、虫、そして、泥 木島別弥(旧:へげぞぞ) @tuorua9876
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