第8話 蜘蛛塚拓馬の愚痴とかそんなの

 ちなみに、ぼくの名前は蜘蛛塚拓馬だ。

 独創的なSFを目指して十五年間書いてきたけど、もうさすがにネタ切れになって、今回は、自分の半生を中心に書いてみた。この作品に書いた内容の、何が真実で、何が虚構かは、知る人ぞ知るであろう。

 ぼくの人生なんて、負け犬の遠吠えみたいなものだけど、少しでもこれを読む人の人生の参考になればと思って書いている。

 ぼくは本当にネットで、世界を幸せにする方法を分析している。周りから、バカだの、死ねだのいわれている。統合失調症の障害者だといわれている。

 ぼくは病人で、病気で退職して以来、職を転々としたけど、ここ数年は無職で、シナリオライターになったことがあることと、小さな小説の賞をもらったことがあるのだけが自慢の負け犬人生だ。正直、自分を負け組だと思う。将来、暮らしのめどがたつ予定がないので、のたれ死ぬ予定である。

 まわりは働けというが、靴を履いて走っただけで、一週間、まともに歩けないくらい足の皮が痛い。社会復帰は絶望的である。

 欝なので、本当にいつも涙を流している。

 もちろん、今、ぼくは創元SF短編賞の原稿を書いているのだけど、受賞する可能性は低い。小説の公募は、一次落ち十五回を超えるのだ。一回だけ、とある賞で審査員特別賞をもらったのは嬉しかったが、その話をすると、ネットの知人が叩く。一円にもならない賞だったからだ。本にもならなかった。

 就職の面接で、シナリオライターになったことを話そうと思った。ずっと、就職活動で、小説を書いていることを黙っていた。小説家になりたいことを黙っていたおれの経歴は、それを知らずに見ると、ただのサボり魔であり、ぐうたらのやる気なしに見えることだろう。職場で、小説家を目指していることを知られたくは絶対にないのだが、ぼくの人生の大半をかけて取り組んできた創作活動が、世間の就職査定で何の評価もされないのだとしたら、勉強ばかりしていたぼくは、ただの社会のゴミクズである。

 元世界の支配者だと風潮しているぼくは、ただの社会不適格者であり、ぼくが世界を幸せにする分析を発表しても、褒めてくれる人は五年間、一人もいなかった。

 ぼくが就職面接で、もう開き直ろう、全部ぶちまけようと、シナリオライターの話から実はずっと十年以上小説を書いていたことを話そうとしたら、面接官が、

「その話はいいから」

 といって、ぼくの話をさえぎった。その時、ぼくは思った。この面接官は、ぼくがシナリオライターになったことを信じていないのではないかと。

 完全にきっかけを失った。ぼくはシナリオライターになって、ちゃんと十六万八千円稼いでいるのであり、それは銀行通帳に『報酬』の名目で書き込まれている。ぼくの人生をかけた成果は、面接官にはどうでもいいことで、それなら、ぼくは自己主張することはないし、職場で会話もできない。

 ぼくは、十年以上にわたり、履歴書に嘘を書きつづけた。志望動機が嘘だ。これがぼくの人生の敗因かもしれない。

「小説家になりたいから、就職したら仕事はちゃんとやるけど、御社を選んだのは、ただの投げやりです。小説家になるまでの時間稼ぎだから、就職先の会社をあまり真剣に選んでいませんでした」

 これが本当の志望動機だ。

 この本当の志望動機を書けば、ぼくは就職面接に受かったかもしれない。だが、再就職のできなかったぼくは、不貞腐れ、身体の虚弱といえるほどに、寝てはネットをするという毎日をくり返した。ぼくが再起するには、半年ぐらいかけて体づくりをして、社会人としての勘をとりもどさないといけないだろう。そもそも、就職の面接官も、ぼくよりずっと若い人材をほしがるだろうし、つまりは、ぼくは社会に必要とされていないのだ。ぼくは落後者だ。

 ネットで自称人事の人が、社会をなめるな、といってきた。数年も働いていない者を雇うほど、どんな中小企業だってあまくはないぞ、と。おまえなんて、絶対に就職面接には受からないといった。

 SF作家になるのが夢だった。だから、創元SF短編賞に応募しつづける。就職面接に受かることは目的ではない。ぼくの目的は、あくまでもSF作家になって、世界の想像力を引き出すことにある。ぼくが生活していけるかは問題ではない。そんな作家は、編集者にも迷惑だろうが、迷惑はかけないつもりだ。ただ、粛々と、原稿を書きつづけるだけであろう。

 ぼくが応募するのは、誰かに褒めてもらいたいからだ。もう当初の目的からズレている。堕落している。ぼくは褒めてもらわなければ、生きていく気力もなく、寝込んでしまうくらいに、弱っているのだ。

 弱い、弱い、ぼくの魂の叫びは、

「誰一人見捨てやしないさ」

 というストルガツキー兄弟の『ストーカー』の主人公の最後のことばである。

 ぼくも何かのことばを読者に伝えなければならない。

 今、思い浮かぶのは、最近、将棋棋士と将棋ソフトが戦っているが、

「もし、将棋の解答が円周率なら、千年後でも将棋ソフトに勝てる」

 である。

 コンピュータがどんなに発達しようが、解答の出ない問題であれば、いつか人に倒されるだろうし、その一回の負けで、コンピュータを征圧できるのではないだろうか。と空想科学作家みたいなことを書いて物語を終える。

 ちなみに、この物語の題名にある不愉快な生物とは、ぼくのことである。


 追記。

 将棋は、二人零和有限確定完全情報ゲームというものらしく、絶対に割り切れるゲームらしい。だから、将棋が円周率のように割り切れない可能性は零である。

 まちがいを指摘してもらったため、訂正を書いておきます。

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不愉快な生物と踊る 木島別弥(旧:へげぞぞ) @tuorua9876

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