その仮説は、かなしいけれど、起こり得る。

俺も似たようなことを考えていた。

涼宮ハルヒの憂鬱シリーズは、ハルヒ的な少女が、SOS団の面々が何か隠し事をしているんだと無意識に察している(何しろ、アレを事前にああ出来るくらいだから)けれど、それを突きつけられないというジレンマから、どこか自分に似ている他人の物語として読みたいという願望の発露である、という仮説だ。

結果として彼女の願望は叶い、おそらく願いが充足されたからこそ、物語の続きは書かれないがしかし、それでは待ち続ける俺たちは一体、どうしたらいいのか。

答えはどこにもない。
ただ目の絵には茫漠たる荒野が、広がっているだけだ。