箱庭春宵譚~千年椿の恋~

八島清聡

第一輪 よあけのひとみ




 つらつら椿、つらつら見れど、春はまだ来ぬ。

 つらつら椿、つらつら見れど、朝はまだ来ぬ。

  

 ――だけど、いい。

 私は、あしたを知らなくてもいい。

  

  

  

  

 光が届かない薄暗い箱庭は、純白の雪化粧に覆われていた。

 今は冬の盛りだが、ここに生い茂る樹木は、永遠とわなる瑞々みずみずしい緑を保っている。よくわかれた枝は競うように伸び、群れた葉の隙間から白いころもをかぶった赤い花が覗いていた。こぼれるような椿だった。豊かに、清純に咲き誇っている。

 どれも長い時をかけてゆっくり育ち、幹は大人の背丈ほどある。屋敷をぐるりと囲み、幾重にも連なっていた。

 それは椿の林に囲まれた屋敷だった。さして大層な住まいではないのに、椿御殿と呼ばれていた。

 吐く息が凍りつきそうな寒さの中、素足にわらじを履いて庭へ降りた朝未あさまだきは、足指にぎゅっと力を入れた。案の定、地面が凍っている。しっかり踏みしめないと、滑って転んでしまう。

 注意深く歩を進め、庭の椿の前まで来ると、手燭を近づける。まだ咲きかけの小ぶりな花に目を止めた。蝋燭の灯りに照らされた真紅の花弁が、儚げに揺れている。椿は冬から春にかけ、厳しい寒さに耐えて咲く花である。強く、健気に美しい。

 朝未は、ふところに忍ばせたはさみを取り出した。この小ぶりな椿を明るいところで愛でることにする。パチンと小気味よい音が響いた。いさぎよく枝を切り、一輪の椿を手にした。居間に飾るつもりだった。

「朝未、どこにいる」

 屋敷に戻ろうときびすを返したところで、男の声がした。

 低く深い声音に、どこか焦りが滲んでいる。濡縁に立った青年が首を突き出すようにして、外の様子を伺っていた。

「ここよ、長夜ちょうや

 この屋敷で口が利けるのは二人きりと知りながら、彼女は律儀に青年の名を呼んだ。

 長夜と呼ばれた青年は、少女の声に弾かれたように庭に飛び出した。一足飛びに駆け寄ってくると、朝未の肩をさっと抱き寄せた。長夜の手は熱く、細い肩に心地よい熱が染みた。優しい熱だった。

「何をしている。こんな寒い中、外に出るなんて。し気を呼び込んだらどうするんだ」

「そんな、心配しないで。子供じゃないんだから」

 咎める長夜に笑って返しつつも、露出した足は既に寒気に痺れはじめていた。

 箱庭は、常に夜である。冬になれば雪も降り、氷点下となる。人にとっては厳しい環境だった。長夜がいう悪し気とは、病魔のことに他ならない。人を蝕む悪し気は、人でない彼にとっては未知のものだ。だからこそ恐れている。

「何を言う。まだまだ子供だ。お前の生など、私の瞬きにも及ばぬ」

 尚も叱咤する長夜に、朝未は黙って手に持った椿を見せた。庭に出た理由を知って、長夜はふうと息をついた。

「戻るぞ。風邪でも引いたら大騒動だ」

「はい」

 素直に頷きながらも、内心朝未はおかしかった。

 騒動も何も、心配しているのは長夜一人だ。誰が大声あげて騒ぐわけでもないのに、『大騒動』とは大袈裟だ。

 彼はどうにも心配性で過保護にすぎる。二年前に、朝未が風邪をこじらせて死にかけてからは更に顕著になった。屋敷内でのことは何も言わないが、外に出ることに関してはうるさい。朝未には、長夜の心配が嬉しくもあり、こそばゆくもある。

  

 室内に戻ると、アカシが待っていた。

 アカシはこの椿御殿に暮らす従僕で、長夜と同じく人ならざる存在である。からだ全体が、柔らかな白い光に包まれている。

 どんな姿かたちにもなれるが、朝未が成長するに従って、少女の姿を真似るようになった。毎日の着物の色まで真似て、今日は浅葱色のひとえである。 

 本体は土間のかまどに燃える種火で、これが消えるとアカシも消滅してしまうらしい。朝未より長く生きているが、まだ若い精霊で口を利くことができない。感情はあるようで、朝未が微笑むと同じように笑う。朝未が落ち込むと、悲しそうな顔をしている。二人が並ぶと姉妹のように見える。長夜や朝未の言うことを理解するが、複雑な作業はできなかった。

 今現在、アカシの役目は、屋敷の灯りを絶やさぬことである。

 眠ることはまだ覚えないので、四六時中屋敷を歩き回って、油を継ぎ、火を灯して回る。また自分の本体にも、常に薪をくべている。おかげで屋敷内は常に明るく、人界でいう真昼のようだった。おかげで朝未は闇に怯えずに済む。

 アカシも心配していたのか、つつっと寄ってくると朝未の冷えた手を取った。温めようとするのか、指先で優しくさすってくる。

「アカシ、ありがとう」

 朝未が笑いながら礼を言うと、アカシは青い瞳をぱちくりさせた。首を傾げるようにして、朝未の瞳を覗きこんでくる。これは彼女の癖だった。大好きな主人の瞳の色も真似たいのだが、いつも上手くいかない。だから、ことあるごとにしげしげと見てくる。明るい室内だからこそ、鮮やかな色彩がわかるのだった。

 夜の世界であるのに、朝未の瞳には小さな夜明けがあった。

 睫毛の下に深い群青があり、水色に薄らいで、優しい牡丹色に染まっている。

 世にも珍しい東雲しののめ色の瞳だった。

 厳しい寒気と微かな暖気が交じりあって融ける、春の夜明けの色である。

  

 朝未は十四になった。

 その名の通り、いまだに朝を知らない――。

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