習作・夢中悪夢

取根林檎

短編

今、目の前には青い空と、緑の野原が四方何十キロと広がっていた。太陽が痛いほど強く照り付ける。

 ここはどこだ? いつの間にこんなところにいるんだろう。なんでこんなところにいるんだ? そんな疑問が、顔を撫でるような風と共に浮かんだ。

周りを見渡そうと、遠くを注視する。しかし野原が地平線のように続くだけで何もない。ただ空には大きな一匹の金魚が、何もとらわれず優雅に泳いでいるだけだった。何だここは? 何もない青々と生い茂った草木が風で揺れているだけの空間だ。後は雲ひとつない快晴、ああ、いや一つだけ、空に金魚が泳いでいた。

金魚? 何故金魚が空で泳いでいるんだ? いったいどうやって? 想像を超えた目の前の現象に男はしかめっ面をした。

様々な疑問が考えついたが、とりあえず空で泳ぐ金魚に直接聞いてみることにした。

「やい、金魚! お前はなぜ空にいる? そこで何をしている?」声を張り上げ聞いてみた。意外にも言葉は通じ、金魚は下方にいる男に気づいたのか目があった。

「俺か? 俺は水の中で泳ぎたいのだが水がどこにもない。―――今はこうして宙に浮きつつ、苦しみながら泳ぐしかないのだ。———お前、神だろう? どの様なものでも創れる創造神だ。お前ならきっと、水を作れる」

そうか、私は創造神だったのか。金魚の言葉に、男は何も疑問を持たなかった。それならこの広い野原を自由に使える。まだ何も描かれていないキャンバスのように、自由に世界を創ることができる。

「ああ、もちろんだとも。俺が神だと、ここが新しい世界だと、知らしてくれたお前のためにも、大きな湖を作ってやろう」

そう言って彼は地面を蹴って宙に浮き、両手を広げ、目を閉じて念じた。すると緑の地面から水がコポコポと湧き出し、水が爆発的に噴き出し始めた。それは水たまりへ、池へ、そうして数分とかからずに、野原に広大な湖が現れた。金魚は湖が出来上がったことが解ると、空から重力をなくしたように横になって勢いよく落ちてきた。水しぶきが手を広げた男を冷やしにかかる。

男は今までに無い優越感を感じていた。空を飛んだり、水を沸かせたり、様々なことができるのだ。そうだ、思い出した。自分は神だったのだ。

この力で自分の思い通りに、なんでもできる。山を造り海を創り空を飛ぶこともいとも容易くできるのだ。普通の人間とは違う。そうと分かった男は電光石火のごとく動いた。

まず初めに男は森を創った。男が念じれば、様々な植物、様々な果実、様々な動物が何もなかった場所から出来上がる。森の中で昔食べた美味しい赤身の果実を一つもぎ取り、口に入れる。甘味と酸味が口に広がる。動物たちが近くで獲物を追いかけ、捕食した。なんとも神らしい、と自己陶酔する。

小一時間、その森で戯れていたが、飽きたのか手を広げその森を一瞬で潰した。そうして男は森のあった場所に国を作った。家や街が何もなかったかのように広がっていく。男は今いる自分の近くに家を創った。男が昔住んでいたものと同じだ。中にはふかふかの高級ベッドと羽毛布団がひかれていた。彼はそれに飛び込むと顔に何度も顔に摺り寄せる。気が付くと横には自分の好きだった女が一緒に寝ていた。

「ねぇ、外に出ましょう。ほら、他の人たちが待ってるわ」そう言って女は起き上がると、彼の腕をとり家から外に連れ出していく。他の人? そんなモノいただろうか? 男は少し怪訝な顔をしたが、外には大勢の人間が彼に向って手を振っていた。男ら二人の服装も高級な服装に代わっており、少し安心したような顔で男は外に出る。男は群衆の中に引き込まれ、胴上げをされた。担がれるまま街を練り歩く。この世界では自分が神なのだ。誰もが男を讃え、褒め、敬い、頭を垂れていた。嫌味も忌避もしない。慈愛に満ちていた。大勢の人間の上を担がれていく。すごい、まるで夢みたいだ。彼は顔をくしゃくしゃにして笑い、月が沈み日が昇るまで騒いだ。

 今までになく爽快で楽しい。いくら騒ごうが疲れることもない。彼はそうやって街を練り歩いていくのだった。




普段は日の光を遮っているはずなのに、生ぬるい日差しと、ほんの少しの怠惰と、胃の痛くなるような空腹感で男は目を覚ました。あんなに楽しかった世界はどこに行ったのだろう? あんなにいた大勢の歓声は何だったのだろう? 周りを見回してみると、段ボールとブルーシートで作られた今にも壊れそうな、形容できない壁と、何日も洗ってないような黄ばんだ服、そして小さなタオル掛けだけしかない。まるでホームレスのようだった。立ち上がり外に出てみても朝霧の公園が目に飛び込んでくるだけであり、あれだけみた野原も金魚も湖も、街も女も金もベッドも家もパレードを見る人間も何もなかった。

 とたんに男は不安に駆られた。すぐに憤りと恐怖に変わった。夢の女め、何が外に出ようだ、誰も待ってくれる人などいないじゃ無いか。

あんなに心躍るような世界から、また生きることすら厳しい現実に戻りたくはなかった。手と足が震える。彼の顔が色を失っていく。すぐにもあの夢の中に戻りたくなった。

彼はゆっくりと再び目を閉じる。こうしてまた自分が何者にも縛られない世界へ、他の人間に認められる舞台へ向かおう。何も食べずに、朧げな薄い意識の中で再び男は夢の中に飛び込んでいった。

これがもう一週間続いていた。



数日後、街の外れにある高速道の高架下で、不審な匂いのする小屋の様なものの中から、瘦せこけながら毛布に包まり、笑顔を浮かべながら死んでいる男の姿があったという。


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習作・夢中悪夢 取根林檎 @toruneringo

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