第4話 私とカノジョの大晦日

 十二月二十六日。私とカノジョはそれぞれの実家へと帰省していた。私達の家は駅一つ分離れているため、久しぶりに私の隣にカノジョが居なかった。

 最早在る事が当たり前と成ったカノジョの温もりが少しばかり恋しい。

 で、今、私は父と母、それに妹のつぐみと共に夕飯タイムである。メニューは母特製のカレーライス。たまねぎたっぷりでとてもマイルドな仕上がりと成っている。ちなみに我らの足元では、我が家の愛猫、ジュゲムが黙々とカリカリを食べている。四ヶ月前より少々ボリュームが増していた。冬毛が伸びたからだろうか?

「兄ちゃん。大学生活はどう?」

 左に座るつぐみが脈絡も無く聞いてきた。こちらへと顔を振り向かせた勢いで、トレードマークのポニーテールが小さく揺れる。

「どうもこうも普通。講義受けて、実験して、レポート書いて、後は寝たり麻雀したりテレビ見たり」

 右手のスプーンでカレーを頬張りながら大学生活を思い返したが、これくらいしかやった事が無い。大学生などこんな物だ。

 つぐみは〝ふーん〟と曖昧に返事をした後、質問を続けた。

「風香さんとの同棲生活はどうなの?」

 瞬間、僅かだが、父と母の体が強張った。

 我が家では私とカノジョの同棲生活はある種のNGワードとなっているのだ。

 それというのも、私がカノジョの彼氏になった時、我が両親は大層反対し、一悶着あった経緯があるためである。

 まあ、最終的には夜を徹して行われた第八回家族会議によって両親が折れたのだが、その話は別にここでしなくても良いだろう。

「……う、うむ。どうだ。風香さんとの共同生活は上手く行っているか?」

 スプーンを止めて父が私を見た。父の右手側に座る母もこちらを見ている。

 考えてみるが、冷静に見て、私とカノジョの同棲生活は良好に進んでいると言って良いはずだ。

「まあそれなりに上手くやっていると思うよ」

「ラブラブー?」

「はいはい、ラブラブ。クリスマスもデートしたよ」

 つぐみの言葉を軽く流し、私は父と母へ言葉を送った。

「心配かけているし、父さんと母さんが俺とカノジョの関係を良く思っていないのも分かる。けど、風香さんとの事は、俺なりにしっかりとやる。だから、大丈夫だよ。多分ね」

「無理はしなくて良いし、何時でも帰って来て良いのよ」

 母がとても心配そうな瞳を私に向けた。

 彼らが私を愛してくれているのは重々理解しているし、まだ二十の若者である私がカノジョと同棲する事に気が気でないのだろう。

「大丈夫。四年間しっかり彼氏やっているんだから。それに結構楽しいし」

 私は家族に笑って見せた。この話題をこれ以上話させないためである。

 カノジョの彼氏と成った毎日はとても大変だが、ちゃんと楽しい時もあるのだ。

「そうか。なら構わん。今日はゆっくりと休め」

「うん。心配掛けてごめん」

 父の言葉に小さく頭を下げた。

 この四年間、私とカノジョの関係を許してくれている家族には頭が上がらない。彼らは何時でも私達を引き剥がしても良いというのに。

「兄ちゃん。後で詳しくラブラブ同棲生活を聞かせてよー」

「……風呂入ったらな」

 左手でヒラヒラとこちらに詰め寄るつぐみを払い、私は再び右手でスプーンを持ち、カレーライスを食べ始めた。

 やはり、母のカレーは最高である。


 夕食を終え、入浴歯磨きその他諸々もきっちりとこなした二十二時、私は壁に背を預けベットに腰掛けながら、ボーっと自室でスマートフォンを弄っていた。

 後少し経てばカノジョから電話が来る予定である。

 雑学のまとめサイトを見ていると、部屋のドアが〝コンコン〟とノックされた。

「兄ちゃんー。入って良いー。兄妹の語らいしようよー」

 つぐみである。夕飯時の言葉は冗談では無かったようだ。

「良いぞー」

 ドアノブに掛けた風鈴がチリンチリンと音を立て、髪を解いた我が妹が現れた。何故かジュゲムを抱えている。

 愛用のピンクのパジャマを着たつぐみはジュゲムを抱えたまま私の右隣へと腰掛けた。

「で、何か話したい事でもあるのか?」

 スマートフォンを脇に置き、ジュゲムを膝に乗せたつぐみを見た。我が家の猫は為すがままに撫でられている。

「ほら、久しぶりに帰ってきたんだし、大学とか風香さんとの同棲生活の話を聞かせてよ。どう風香さんとは上手くやってる?」

「夕飯の時も話しただろ? 上手くやってるよ。毎日一緒に飯食ってるし、同じベットで寝てるし、勉強も教え合ってる。理想的な同棲カップルだと思うよ」

「ふーん。まあ、兄ちゃんが風香さんと付き合って、もう四年目だからねー。さすがに慣れるか。確かもうキスはしたんだよね。どう? やっぱり若い女の唇は格別?」

「酔っ払いかお前は。感想は黙秘する」

 髪を下して、少しだけ大人っぽくなったつぐみはアハハと笑った。

 この明るい口調に私は大分救われている。

 猫の様な妹の物言いが無ければ、この四年間で私の心は荒んでいた。

 つぐみも分かって私をからかっているのだろう。

 ジュゲムの腹へと手を埋めて少しの沈黙を挟み、つぐみが言葉を続けた。

「……もう四年かぁ。長いなぁ。オリンピックと同じ周期だよ。……そろそろ、別れても良い頃だね」

「俺と風香さんはラブラブだよ」

「えー」

 つぐみはジュゲムの喉をゴロゴロとした。

「兄ちゃんはこのまま風香さんと結婚するつもりなの?」

「まあ、そうなっても俺は構わないよ。俺は風香さんを愛しているからね」

「……まったく、本当に兄ちゃんは馬鹿なんだから」

「高校時代学年一位の成績を取った兄に何を言う」

 やれやれ、とつぐみはため息を着いた。

「兄ちゃん。あたしに分かってないフリはしなくて良いんだよ」

「……」

 黒曜石の如き眼に射抜かれ、口を閉じた。

 つぐみの言う通りだ。四年前、私が望月風香の彼氏になった時、唯一私の内面を理解し、支持してくれたのはこの愛しい妹だった。

 きっと、つぐみは私という人間の数少ない理解者なのだ。

 つい眼鏡の位置を替えようと手を伸ばしたが、今眼鏡を掛けていない事を思い出し、息を吐いた。

「ああ、俺は馬鹿なんだよ」

 やれやれと、私は首を振るった。

「でも、兄ちゃんは約束だけは絶対に破らないから、あたしとしては安心だよ。そろそろだよね?」

「……そうだな。そろそろだ。大丈夫、約束は守るさ。兄を信じろ。もう二十歳だ。色々と決めるさ」

 後少しなのだ。後少しで、約束の日なのだ。

 つぐみもその日を待っている。我々にとってあまりに馴染み深い日だ。

 ハッ、とつぐみが一笑した。

「まあ、まだパパ、ママの脛齧りだけどね」

「せっかく兄が格好つけているんだから、そこは黙ってようぜ?」

「ナルシストに格好付けさせるってイラッて来るじゃん?」

「そこは黙っているのが優しさだよ」

「残念、あたしの優しさは痛いのさ」

 ドヤ顔である。超うぜぇ。

 と、そろそろカノジョから電話が来る時間である。

 それをつぐみに伝えると、妹は快活に笑みを作って立ち上がった。もちろんジュゲムを抱えながらで。

「オーケー。兄ちゃん。今日の語らいはここまでにしよう。また、何時か機会があったらしようじゃないか」

「はいよ。お前も勉強とか悩みがあったらこの兄に頼れ。助けはしないが、手伝うよ」

「うん。よろしく。それじゃ、おやすみ」

「おやすみ」

 ジュゲムと共につぐみが部屋から去って程なくして、スマートフォンにカノジョからの着信が来た。

「はい、もしもし――」



 実家へと帰宅した二日後の十二月二十八日。一通のメールが私のスマートフォンへと届いた。

 メールの送り主は沢口光輝というかれこれ十数年の付き合いがある我が親友である。どうやら遊びの誘いの様だ。

 幸いにして本日カノジョと会う予定が無かったため、私はその誘いに乗る事とにした。

 久しぶりに男同士で遊ぶのも良いだろう。


「おーす」

「おう。良く来たな」

 私は小学生の時より通い慣れた沢口家を訪れた。年々大きくなっていく松の木が今日も今日とて堂々と君臨している。そろそろ八メートルに届きそうな高さだ。

 ジャージ姿のまま玄関にて出迎えに来た沢口に連れられ、私達は居間にある炬燵へとモゾモゾと足を入れた。そろそろ今年が終わろうかと言う時期、めっきりと気温が下がったため、この暖かさはありがたい。

「久しぶりだな。前に会ったのは夏休みか?」

「そうだな。学校とかで忙しかったし。沢口は学校どうなんだよ? 上手くやってる?」

 沢口は我らの実家の近くにある工学系の大学に通っており、最近歯車の模型を作ったという話を聞いた。

「製図とかマジで面倒くさい。0.1ミリの誤差ぐらい手書きなんだから許容してくれても良いと思わん?」

「いや、俺理論系の学部だから製図の事とか分からん。まあ、車とかで事故が起きたらヤバイし、しょうがないだろう」

「まあ、分かるんだけどな。そう言う立花は学校どうよ?」

「板書で手が腱鞘炎に成りそうなのを除けば概ね良好。授業は大体分かるし、クラスメイトとも上手くやってるからね」

「お前、あの時から滅茶苦茶勉強頑張ったもんなー」

 沢口が懐かしむように眼を細めた。

 きっと私達が高校生の時を思い出しているのだろう。

「あの時は勉強するしか考えられなかったからな。おかげで学年一位取ったし、志望校には受かったしね」

「まあ、何だかんだ、月一ぐらいで俺達遊んでたがな」

「そういやそうだな」

「どうだ? 久しぶりに?」

 沢口は炬燵近くに置かれた液晶テレビに付けられたゲーム機を指差した。

「良いね」

 沢口は体を捻ってゲーム機を起動し、テレビ画面に私達が見慣れた格闘ゲームのオープニング画面が映る。

 昔は指が痛くなるほどやったゲームである。

「じゃあ、負けた方がジュース奢るって事で」

「了解」

 沢口の提案に頷いて、私達はコントローラーを握った。

 見慣れた眼鏡の縁が映る視界は中々に良好である。


 七戦ほどして三勝四敗で私の負けと成ったため、私と沢口は古ゲーム屋物色兼勝者への賞品を買う為に外へと出ていた。

 大晦日近くの空気は何処か静かである。

 しばし歩いて私達は目的の古ゲーム屋へ着いた。

「おお、立花、このゲーム安いぞ」

 沢口はそう言って携帯ゲームの長方形のパッケージを持ってきた。どうやらRPGであるらしく、ファンタジー調の男女が向かい合って立っている。値段は百八十円。見てみると新品は五千円。一体何があって四パーセント以下の値段になったのだろうか。

「ここまで安いと地雷にしか見えないな」

「もしかしたら神ゲーかもよ?」

「高確率で紙ゲーだろうよ」

 この様な安すぎて地雷にしか見えないゲームをやるのが沢口の趣味の一つだ。彼が言うにはチープな内容の中に楽しみを見つけるのが楽しいらしい。

 一通り店内を物色した後、私のお目当てのゲームは無かったので、私達は古ゲーム屋を後にした。沢口の左手にはビニール袋があり、百八十円で購入した戦利品が入っている。来週には彼なりの感想を聞けるはずだ。

「じゃあ立花。あそこで俺にジュースを謙譲したまえ」

「次は俺が勝つからな」

 大仰にドヤ顔をする沢口をあしらって、私達は目に付いたコンビニへと入った。


 沢口がお望みの缶コーラと私が飲む為のミルクティーを買い、私達はそのままデパート近くの界隈を歩く事にした。

 時刻は既に夕飯時、そろそろ今日は解散の時刻である。

「ここら辺も随分変わったな。区画整理だっけ?」

「ああ。そういや立花は知ってるか? 定食屋の一二三堂も閉店だ」

「マジか。あそこの鯖の味噌煮定食美味しかったのに」

 私達が小学生の頃あった古本屋やラーメン屋などが随分と閉店し、化粧品店やアパートなどに変わっていて、食屋や玩具屋は区画整理でマンションに成っていく。

 時の流れは一方通行で、全ての物が変化し続ける事は分かっているが、こうも幼い頃より慣れ親しんだ風景が変わっていくのは寂しいものだ。

 コーラを一口飲んで沢口は空に向かって息を吐いた。

「この街と同じ様に、俺達も随分変わったよなぁ」

 私もミルクティーを一口飲んだ。暖かさが胃へと落ちていくのが伝わる。

「ああ、変わったな。中学生の時の俺が今の俺を見たら吃驚するだろうな」

「確かに」

 私の言葉に沢口は頷いた。

 古くから私を良く知る彼なら、その変貌振りを良く理解している事だろう。

 しばらく懐かしむ様に私達は無言で歩いていたが、区画整理をしているショベルカーが見えた辺りで、沢口が足を止めた。

「なあ、立花。そろそろ、〝戻って〟良いんじゃないか?」

「…………」

 何も言わず、沢口を見た。彼の眼は酷く真剣で、つい私は先日のつぐみとの会話を思い出した。

「お前は充分頑張ったよ。お前ほど望月さんを愛している奴はこの世界に居ないだろうさ。だがな、もう四年だぞ? 四年間、俺達の生きて来た二十五パーセントだ。立花、そろそろ〝言って〟良いんじゃないのか?」

 沢口の視線が私の左手へと注がれた。

 ああ、沢口よ。我が親友よ。お前はこんなにも俺の事を考えてくれるのか。

 沢口光輝は人に干渉しない人間である。それは親友である私も例外では無い。これは彼なりのルールであり、犯してはならない一線なのだ。

 彼と友人となって早十二年。私と彼は一度もこの一線を越えた事は無かった。

 我々は仮に互いが苦しい状況に追い込まれていたとしても、決して互いを助けようとはしなかったし、それ故に我々は親友だった。

 だから、今の沢口の言葉は彼なりの質問であって懇願ではない事を私は理解していた。

 つまり、沢口は今、改めて確認をしようとしているのだ。

 私が一体どういう選択をするつもりなのかを。

 つぐみに言った言葉を繰り返した。

「大丈夫だ。そろそろ終わらせるから。具体的に言うなら、二十二歳になったら終らせようと思っている」

「……そうか。なら、俺からはもう何も言わない。すまんな、踏み込んだ事言って」

 さすが親友。今の言葉の意味を正確に読み取ってくれたようだ。重畳である。

「良いさ」


「んじゃ、今日は帰るよ。また遊ぼう」

「ああ、またな」

 一通り辺りを物色して沢口家の門の前で、私達は短く言葉を交わし、解散した。

 沢口家に背を向けて、帰宅しようと歩いている私の頭の中ではつぐみと沢口に言った言葉がグルグルとループしていた。

 そろそろ全ての決着をつけねば成らない。

 物語はピリオドを打って初めて報われるのだ。

「まあ、やれるだけやるか」

 呟きながら、何となく眼鏡を外した。


 眼鏡の縁が消えた視界は、

 相も変わらず鮮明だった。



 十二月三十一日。大晦日となった。

 時刻は十九時。デートが終った私達はその足で望月家を訪れていた。

 今日はここで年越し蕎麦をご馳走に成り、その後初詣を見に行く予定なのだ。

「やあ、良く来たね」

 カノジョの父、悠太郎さんが朗らかに笑いながら私を出迎えてくれた。台所から昆布出汁の匂いが漂ってくるので、カノジョの母の玲子さんは台所に居るのだろう。

「どうも。今年もご馳走になります」

 悠太郎さんに会釈をして、その後玲子さんにも挨拶をした。エプロン姿の玲子さんは『いらっしゃーい。自信作だから楽しみにしていてねー』と彼女らしい間延びした声で笑う。

「飛鳥。私の部屋に行きましょう」

「うん」

 カノジョに連れられて、四年前より訪れるようになった二階のカノジョの部屋へと私達は足を踏み入れた。

 全体的に緑色が多いカノジョの部屋は綺麗に整頓されているが、ベットに堂々と置かれた大きな――私の腰の高さほどある――熊のヌイグルミ(通称ボブ)が相変わらず眼を引く。

「蕎麦が出来るまで後少しだけど、何をしてましょうか?」

 座布団を床に敷いて私達は座り、空いた少しの時間をどう潰すか話し、結果、ポーカーをする事となった。

 もう少し他にやる事は無かったのかと思わなくも無いが、これはこれで立花飛鳥と望月風香らしい。


 五戦し、二勝二敗一引き分けと成った頃、一階から玲子さんの声が響いた。

蕎麦が出来た様だ。

 一階に下りてみると、テーブルには玲子さん特製の鴨出汁年越し蕎麦が四人分置かれていて、その匂いに私とカノジョは感服した。この匂いは美味しいに違いない。玲子さんは調理師免許を持つほどの腕前であり、その味は折り紙つきである。

「お母さん、美味しそうね」

「美味しいのよー」

 カノジョと玲子さんのやり取りを聞きつつ、私達はテーブルへと腰掛けた。私の右隣にカノジョが座り、私の向かいに勇太郎さん、その左手側に玲子さんという順番だ。

 悠太郎さんが軽く咳払いをして、口を開いた。

「では、今年も一年お疲れ様でした。いただきます」

 これに我々も続き、いざ年越し蕎麦を口にした。

 左手で箸を持ち、蕎麦を一口啜る。

 やはり美味い。


 玲子さん特製鴨出汁年越し蕎麦に舌鼓を打ちながら食事を終え、私達は食器を片付けた食卓でこの一年の事を思い返していた。

「今年も色々あったね。飛鳥君と風香がこうして仲良く出来て僕も嬉しいよ」

「ほんとねー。あなた達が付き合ってもう随分経つ物ねー。飛鳥君には家の娘が迷惑をかけて申し訳ないわー」

「お母さん。それどういう意味かしら? わたしは飛鳥に迷惑かけてないけれど? ねえ飛鳥?」

「黙秘します。まあ、今年も俺は良い彼氏をやれていたと思うよ。うん」

 わいわいと望月家で過去を振り返るに、今年も私は彼氏をしっかりとやり切れていたと思う。

 中々に幸せであった。

 一年の思い出を話していたら、ふと、悠太郎さんが私に聞いてきた。

「そう言えば、飛鳥君。君はもうお酒を飲めるんだっけ?」

 彼の質問にはカノジョが答えた。

「飛鳥はまだ十九よ。誕生日は来月の十一日」

「そうなの。まあ良いや。飛鳥君。男同士の話をしようじゃないか」

「お父さん。わたし達そろそろ出発なんだけど?」

 時刻は十時を回った所、確かに後三十分もすれば私とカノジョは近所にある大国主神社へと行くだろう。この神社はここら一体にある全神社の中で最も大きい神社であるため、早くから行かねば並ぶ事に成ってしまうのだ。

「まあまあ、すぐに終るから。風香はお母さんとガールズトークしていなさい」

「お母さんはガールじゃ――」

「風香? ガールズトークしましょー。ええ、ガールズよー」

 カノジョは玲子さんとガールズトークを始めてしまい、私は悠太郎さんに二階の望月家夫婦の寝室へと連れられた。

 寝室に入るや否や、悠太郎さんは深く息を吐いてこちらを見た。

「……ふう。悪いね、急に。どうしても話しておきたくてね」

「まあ良いですよ。じゃあ俺達はボーイズトークをしましょう」

 この言葉を皮切りに、私と悠太郎さんの顔から笑顔が消えた。

「そろそろ四年だね。君が風香の彼氏に成って」

「はい。長続きしていますね」

 私達は何処かに座る事はせず、立ったままダブルベットの前で向かい合っていた。

「うん。僕もそう思う。君は本当に良くやってくれていると思っているよ。でも、毎年言っているけれど、何時でも〝止めて〟良いんだからね?」

「おじさんは自分が風香さんの彼氏でいるのが御不満ですか?」

 悠太郎さんは大仰に反応した。

「いやいや、そうじゃない。君が風香の彼氏をしてくれなかったら僕達一家がどうなっていた事か。想像するだけでゾッとするよ。だけどね、君一人を犠牲にして、僕達は心苦しいのさ」

「自分は犠牲に成ったつもりは無いです」

 あの時の私は犠牲に成ったつもりは無かった。

 望月風香の彼氏になる事が一番の解決策だと思っただけである。

 悠太郎さんは数秒口を閉じた。

「……君は風香の事を愛しているんだね?」

「どうでしょうね。ただ、カノジョのためなら全てを捧げても良いと思っていますよ」

 私は言い切った。その覚悟があったから、今、カノジョの彼氏をやっているのだ。

……実際はただの自己陶酔なのかもしれないが。

 私はつぐみと沢口に話した内容を悠太郎さんにも言う事にした。

「でも、悠太郎さん。俺は二十二歳に成る日、全てを終らせようと思っています」

「二十二歳? ……ああ、なるほど。うん。分かった」

 彼もまた正確に私の言っている意味を読み取ってくれた。理解が早いと助かる。

 一度溜めた息を吐いて、悠太郎さんは私を見た。

「本音を言うなら、君がこのまま何も打ち明けないで過ごして欲しいと言う気持ちが僕の中にある。けれど、僕達は娘が壊れてしまった時、何も出来なかった。そんな風香を救ってくれたのは紛れも無く君だ。何も出来なかった僕達が君に何か言う資格は無いだろう。だから、君の思うとおりにしてくれて構わない。それだけの恩を僕達一家は君から貰っている」

「はい。ありがとうございます」

 私は頭を下げた。

「僕達の台詞だよ。ありがとう。……それじゃあ下に行こうか。風香が待っているし」

「はい」

 私達は小さく笑い合って、寝室を出た。

 これで話すべき全員には話した。

 後は行動に移すだけだ。


 二十三半時頃、私とカノジョは大国主神社を訪れ、私達と同じ様に初詣に来た長蛇の列に並んでいた。毎年の事ながら良くこれだけの人数が一箇所に集まる物である。

 神社に多数出没した屋台で買った焼き鳥やタコスやらを食しながら、手持ち無沙汰に辺りを見渡していると、ふと知った顔を二三見かけた。小学生時代の同期達である。彼らもまたこの寒い中初詣に来たようだ。

 カノジョもまた私と同じ様に辺りを見渡していたらしく、急に声を出した。

「あ、美代ちゃんだわ」

「美代ちゃん?」

「小学生の時の友達よ。とても可愛い女の子だったの。ほら、あの人」

 カノジョが指差した方向を見ると、屋台近くで寒そうに髪を短くした栗色の髪の女性が居り、その人に寄り添う様にスポーツ刈りの背の高い男が居た。

 偶然にも男の方には見覚えがあった。

 小学校の頃の友人、坂井健太だ。

……どうしたものか。

 少し困った。

 どうやら私達に見られている事に気付いたようで、坂井が美代ちゃんなる女性に引っ張られるようにこちらを向き、私達の姿に気づいた。

 彼らは少し驚いた表情をして、こちらへと歩いて来た。

「……立花か?」

「久しぶりだな。坂井」

 私と坂井が久方ぶりの挨拶をしている一方で女性陣も挨拶をしていた。

「風香ちゃん。おひさー。いやぁ、綺麗に成ったね」

「久しぶり、美代ちゃん。美代ちゃんもすごく可愛く成ったわ」

 女性達は女性達で話し始めてしまったので、とりあえず私は坂井と話す事にした。

「坂井、あの人はカノジョさん?」

「ああ。神田美代さん。大学のサークルで知り合った」

「サークルって確かバトミントンだっけ?」

「そう。俺がサークルに入った時、美代さん幹事やっていてな。まあ、そこから色々あって恋人になった。今、美代さんは院生。尻に敷かれてるよ」

 やれやれと首を振る坂井だが、その口元から笑みを隠しきれていない。

 よほど神田さんに惚れ込んでいるのだろう。

「で、立花の連れの人は?」

「望月風香さんって言って、俺は風香さんの彼氏」

「やったじゃん。お前にカノジョが出来るとは正直思わなかったわ」

「どういう意味だ。俺だって人に惚れるぞ」

 適当に言葉を交わし、一段落した頃、坂井と神田さんはその場から去る事にした。どうやら他の場所で知り合いを待たせているらしい。

「んじゃ、またな立花。今度ラインとか送るわ」

「じゃあ風香ちゃん。彼氏さんによろしく。またねー」

 神田さんに引っ張られるように人混みの中に消えていく坂井の背を見送り、スマートフォンで時間を見ると二十三時五十分。そろそろ今年も終わりである。

 少しばかり寒くなってきたので、私はカノジョを行列に残し、暖かい甘酒を再び買って来た。

「温まるわね」

「そうだな」

 あっさりとした甘さが喉を通り、体を温める。一気飲みするには熱すぎるため、ちびちびと飲むしかないのが難点といえば難点である。

「早く、本物のお酒が飲みたいわね」

「……後十日ぐらいでどっちも二十歳を越えるんだからそれまで我慢だな」

 息を吐いてみると、煙の様に真っ白な気体が宙へと消えていった。


 程なくして花火が上がる以外のイベントも無く今年が終了し、新年となった。

「「あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」」

 定型文と成っているやり取りを終えて、やっと私達が並んでいた行列が動き始める。

 行列という物は動きが無い間は長く感じる物だが、いざ動き出してしまえば待ち時間が短く感じる物であり、体感的にはあっという間に私とカノジョがお賽銭を投げ入れる番と成った。

 大国主神社の賽銭箱の周りには届かなかった小銭の山々が築かれていて、それらを回収する神社の人々の苦労が忍ばれる。

 ここはしっかりと賽銭箱に五円を入れたいものだ。

「「せーの」」

 私とカノジョは掛け声を合わせて、カノジョは右手で私は左手で五円玉を投げた。

 二つの五円玉は放物線を描いたが、一つだけが賽銭箱に届き、一つが届かなかった。

「あらら」

 届かなかったのは私の五円玉である。

 まあ良い。そういう事もあるだろう。

 その場で二礼二拍手一礼を行い、私は今年の願いを告げた。

 内容は決まっている。


〝しっかりと全てを終らせられますように〟


 一年の始まりに全ての終わりを願うなどやや矛盾しているかもしれないが、今のところ願いがこれしかないのだから仕方ない。

 願いを終えた私とカノジョは脇に逸れ、おみくじを買った。

 カノジョは大吉であり、私は末吉である。

「大吉だわ。幸先が良いわね」


「俺、末吉なんだけど」

「まだまだ運が上がるという意味なのだからこれもまた幸先が良いわよ」

 カノジョのおみくじ論を聞きながら私達は人の流れに従って神社を後にした。

「じゃあ、家まで送るよ」

「ええ。エスコートよろしく」

 深夜の時間帯、うら若き女性を一人で帰すなど彼氏として失格である。


 立花家に帰宅した時には既に丑三つ時と成っていた。

 家族は皆全員寝ているであろうという私の予想とは裏腹に、欠伸を噛み殺して帰宅した私を迎えるように二階からトントントンとつぐみが下りてきた。

「おかえり、兄ちゃん。あけおめ、ことよろ」

「ただいま。あけおめ、ことよろ。寝なくて良いのか?」

「冬休みは基本的に夜更かしするの。若さの特権だね。そろそろ寝るけど」

 風呂は朝に入る事にして私も寝る事にしたが、その前にやる事がある。

 私は居間へと入り、ある一角の前で正座した。

 そこには線香とマッチに香典が置かれている。

 私はマッチで火を点した線香を立てて、チーン、と鈴を鳴らす。

「あけましておめでとうございます」

 手を合わせて眼を瞑る私の脳裏には見慣れた彼の姿がはっきりと浮かんでいた。

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