第3話 私とカノジョのクリスマス

 代わり映えの無い講義と休日の日々が過ぎ、先日、今年ある講義の全てが終った。後は正月休みを挟んで一月の授業を残すばかりだ。

 そして、本日は十二月二十四日クリスマスイブ。私とカノジョは二十六日に実家へと帰るつもりなので、今日明日はまだ同棲中の家が寝倉である。

「ジンググベル、ジングルベル、鈴が鳴るー。今日は、楽しい、クリスマスー」

「ヘイ!」

 小さく口ずさんでいたカノジョの歌にテンション高く合いの手を入れながら、私とカノジョは黒と白のトレンチコートを着て新宿へと来ていた。

 クリスマスデートである。

 日が落ちて既に数時間経っていて、息は白く濁っている。

 これで雪でも降ればホワイトクリスマスと都民の我々のテンションは上がる物なのだが、生憎、本日は綺麗な星空である。

 数え切れないほど利用してきたが、新宿駅はやはりダンジョンの一種だろう。何より出入り口が多すぎる。北口へ向かおうとして東口に出る事などざらであり、高校生の頃は良く迷った。

 デパートや本屋やゲームセンターが並ぶ界隈はクリスマス一色となっていて、サンタの格好をした売り子や、私達のようにデートをしているカップルなどが歩いている。

「あ、飛鳥。見て。あそこの二人」

 カノジョが指した場所を見ると、高校生ほどの二人の男女が手を繋いで歩いていた。

 付き合いたてなのだろう。彼らの歩みはぎこちなく初々しい。

 少年と少女はチラチラと互いを見ていて、目が合うと笑い合う。

 いじらしく、とても幸せそうだ。

 彼らの姿を見て、カノジョが短く息を吐いた。

「懐かしいわね。わたし達も付き合い始めた頃はあんな感じだったわ」

「……そうだっけ?」

「そうよ。覚えてないの? 飛鳥とわたしが手を繋ぐのに三ヶ月かかったのよ?」

 そんなに時間がかかったのか。

 私は思い出してみたが、初めて望月風香と立花飛鳥が手を繋いだのが何時だったのか、ついぞ分からなかった。

 だが、ここで覚えていないと正直に答えるのはまずいだろう。それくらい私にも分かる。

「そうだったね。ほら中々タイミングってのが掴めなくてね」

「わたしは何時でもウェルカムだったのだけれどね」

 カノジョが可愛らしく頬を膨らませ、私はそれに笑いながら、カノジョの左手を握った。

「それじゃあ今日はこうして手を繋ごうか」

「よろしい」

 私達の前を歩く先の彼らはそのまま十字路を右に曲がった。その先にあるイルミネーションを見に行くのだろう。

「さっきの子達。幸せになれるかしら?」

「どうなるにしても満足して終れれば良いと思うよ」

「不幸せなのは嫌だわ」

「仮に最後が幸せじゃなくても、満足して納得がいっていれば、それは価値がある事だと思うよ」

 気付いたらカノジョの言葉にそう答えていた。視界に映ったデパートのイルミネーションに心を奪われていたからだ。

 私は常々思うのだ。我々は〝幸せ〟を絶対化し過ぎている。

 別に良いではないか、幸せでなくとも。

 今の自分の在り方に納得し、それに満足しているのなら、きっと地獄に居ても私達は笑える。

 笑えるのなら良いではないか。

 幸せを追い求めて不幸せに成ったのだとしても、笑えるのなら、地獄でも私達は楽しく生きていけるはずだ。

 楽しいのなら良いではないか。

「わたしはやっぱり幸せである事は必要だと思うわ。飛鳥の言うとおり私達は不幸でも笑えるだろうし、楽しいだろうけど、何時か壊れる。なら、たとえ満足で無くても納得して無くても、わたしは幸せなのが良い」

「ま、そこは個人個人の考え方だよ。俺達バカップルでも意見が合わない事があるさ」

 と、気付いたら私達は目的地のカフェの前に着いていた。落ち着いた雰囲気の喫茶店で、私達はデートの時度々此処を利用している。

 本日はこの店でクリスマスイベントをやるらしいのだ。

「ねえ。飛鳥」

「何?」

 カフェに入ろうと私がドアノブに手をかけた時、私の右手がギュッと握られた。

 見ると、カノジョは真顔でこちらを見ている。

「飛鳥は今、幸せ?」

 正直に答えた。

「……俺は今、納得して満足して幸せだよ」

「うん。なら良いわ」

 私達は少し笑い合い、今度こそ店内へと入った。


 事前に貰っていた招待券を見せて、私とカノジョはカフェの一角に腰掛けていた。着ていたコートは近くの壁のハンガーに掛けてある。

 見てみると、私達と似たようなカップルなどが八組ほど来ていた。彼らもこのカフェのマスターから招待券を貰った口だろう。

 木製の丸テーブルに置かれたミルクティーからは紅茶の良い匂いがする。

「今日はここで何があるんだっけ?」

「確か、アカペラとかギター演奏とか、後はお客も交えたダンス。飛鳥は踊れた?」

「いや、まったく。ソーラン節しかできない」

「クリスマスイブに踊るにはアグレッシブ過ぎるわ」

 聖夜に踊るソーラン節。クリスマスプレゼントは大漁旗だろう。

「まあ、テキトーにくるくると回ってようよ。雰囲気雰囲気」

「適当な踊りでは無いかもしれないけど、それはそれで面白いかもしれないわね」

 と、こんな会話をしていると、隣のテーブルに腰掛けていた男女が話しかけてきた。

 似たような明るい茶色に髪を染めた私達と同じ年頃のカップルである。

「こんにちは。あなた達も今日のイベントに?」

「そうですよ。あなた方もですか?」

 男の言葉に頷くと、彼らは火を切った様に喋り始めた。

「やっぱりですか。僕達、このカフェの常連なんです。デートの度に利用させてもらってて。ここのアップルパイ美味しいですよね」

 確かにマスターの作るアップルパイは絶品の一言である。爽やかでそれでも後を引く芳醇なリンゴの味、しっとりとした生地、二人で食べるのに丁度良いサイズ。どれを取っても文句の付け様が無い。

 私が男の言葉に同意していると、女の方がカノジョへと話しかけていた。

「大学生ですか?」

「ええ。Y大に通っています」

「Y大!? すごいじゃないですか。頭が良いんですね! 私とこいつはT大なんですよー」

 T大はY大から駅三つほど離れた所にある大学で、Y大より一ランクほど偏差値的には低い大学である。

「いやいや、頭なんて良くないですよ。ねえ、飛鳥?」

「そうだね。先週もレポートで悩んでたしね」

「いやいや、レポートとか言ってる時点で頭良いですよー」

 と、適当に私達が談笑していると、女は忘れていたように、「あっ」と呟いて、今更ながら自己紹介を始めた。

「私の名前は松原理恵って言います。T大の社会学部の二年です。バンドやってます」

「僕は田口正弘です。理恵と同じT大の社会学部の二年です。今日はよろしくお願いします」

 名乗られたのだから、こちらも言葉を返すしかないだろう。

 しかし、どう自己紹介したものか。

 チラッとカノジョを見ると、

「わたしは望月風香と言います。彼が私の彼氏の立花飛鳥です。こちらこそよろしく」

 カノジョの自己紹介が終わった所で、松原とカノジョがガールズトークを初めてしまった。

 カノジョには女友達が少ないため、こういう機会は貴重である。

「カノジョ達取られちゃいましたね」

 田口の言葉に私は笑いながら頷いた。

「まあ、良いじゃないですか」

 後十分もすればイベントの開始である。それまでは久しぶりにボーイズトークと洒落込むとしよう。


 イベントが始まり、見慣れたこのカフェのマスターが年齢を感じさせない足取りで、店の中央へと歩いてきた。

 見ると、そこにはいつの間にか置いてあった小さめのピアノがある。

「本日はお越しいただいてありがとうございます。趣味で始めたこの店がここまで続いたのも一重に皆様方のおかげでございます。今日はささやかながらこの聖夜の催しを存分にお楽しみください」

 と、店の奥からサンタ服を着た初老の男性達が各々楽器を持って出てきた。アコーディオン、バイオリン、フルート、オーボエにクラリネットと様々である。

 その中で一人、二十代半ばほどの女性が中央に置いてあったピアノの席に着いた。

「では、初めは私の知り合い達によるクリスマスソングメドレーです。料理を摘みながら、どうぞお聞きください」

 マスターの言葉が終って少し、一拍の間を挟んで、キラキラ星が流れ始めた。

 聞き慣れた優しいメロディが鼓膜を撫でる。

「きれいね。飛鳥」

「そうだな」

 見ると、田口と松原を含めた他のテーブル席に座るカップル達も私達の様に手を繋いでいる。

 彼らは一体どの様な恋をして、この聖夜を迎えたのだろう?

 ふと、思った。

 恋と言っても色々ある。甘酸っぱく綺麗な恋もあれば、苦く醜い恋もあるだろう。中には恋が愛に変わる事もあるだろうし、愛から恋をした者も居るはずだ。

 ここに居る彼らカノジョらの中には一体どんな恋物語があったのか。

 私はそれが気に成った。


 キラキラ星からクリスマスキャロルに曲が移る頃、私はマスターが運んできたフライドポテトを口に運んだ。適度な塩気で実に美味い。

「風香。あーん」

 何と無しに唐突にバカップルをする事にした私は、左手で持ったフライドポテトをカノジョの口元へと運んだ。

「あーん」

 カノジョは少しだけ恥かしそうにしながら、小鳥のように口を開き、私の手のフライドポテトを食べた。

「うん。美味しい。飛鳥も、ほら、あーん」

 お返しとばかりにカノジョも机にあった骨なしチキンを私の口元へと持ってきた。せっかくなのでいただく事にする。

 バカップルぶりにも大分慣れた。


「今日は楽しかったわ」

「そうだな」

「飛鳥、本当に踊るの下手なのね」

「だからソーラン節しか踊れないんだって。小学生の時に習ったのがそれだけなんだって」

 歌ったり踊ったりのクリスマスイベントも終わり、そろそろ日を跨ぐかと言う時間帯、私とカノジョは既に帰宅していた。

 今はソファに座りながら何となしにだらだらとしている所である。

 テレビも付けていない空間はとても静かで、私達の息の音が聞こえる程だ。

 気付いたらカノジョが私の右手を握っていた。

 それに私は眼を細める。

 こうしてカノジョとクリスマスを祝うようになって四年になる。

 思えば色々あった。

 カノジョの彼氏に成った当初はあまり上手く彼氏を出来ていなかったと思う。

 カノジョにどう接すれば良いのかが分からず、何度も失敗し、何度も危ない場面があった。

 それでも、とりあえず今日この日を迎えるまで彼氏を続ける事が出来た自分を私は褒めて良いのだろう。

「ねえ、飛鳥」

 カノジョが静寂を破った、とても静かな声で。

「何?」

 カノジョに顔を向けると、私達の眼が合う。

 カノジョの瞳の中に私の姿が写っていた。

「キス、して」

 カノジョは瞳を閉じ、私は口元を笑わせた。

「喜んで」

 ああ、確かに今の私は幸せである。

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