第12話

 次に僕が意識を取り戻したのは、学校のようだった。古ぼけた木の机。汚れた黒板。小さな教室だ。僕には学校に通っていたという記憶はない。今までそれはただ失っているだけだと思っていた。しかし、違った。そもそも僕は学校に通った事などなかったのだ。したこともない行動の記憶を持っている方がおかしい。

傾きかけた茜色の太陽が僕達二人を照らしていた。いや、僕は自分が照らされていると思い込んでいるだけなのだ。僕の足元に伸びる影も僕が陽の光を浴びていると自分で思っているから、僕の目にはそう認識されるのだ。

「気がついた?」

 彼女はあくまでどこまでも気高く美しく、微笑んで言った。

 小学生と思われる女子児童一人がロープで縛りあげられ、黒板の前に転がされていた。一年生か二年生といったところか。怯えきった目。しかし、その目が捉えているのはやはり彼女だけだった。

――僕は架空の存在なんだね? 君の想像の中の。

 僕は尋ねた。

「この世界の基準に照らし合わせるなら、そうね」

――基準? 世界の基準なんてものがあるの?

「そうね、私が知っているだけで二つだけ」

 彼女はやはり天使だったのだ。神が遣わした天使。

「この狂った世界の基準と私の基準」

 きっと神はこの間違いだらけの世界を正すための光として彼女を使わしたのだ。

「この狂った世界の基準では、私にしか見つけられない『魔物』なんて存在しないし、そんな化け物に人が喰われて消えるなんて事もない。『魔力』なんてものもなければ、『退魔武器』なんてものもない。もちろん、私にしか見えず、何者にも干渉できない人間なんて存在しない……でもね」

 彼女の澄んだ瞳は確かに僕を捉えていた。

「私の基準ではそれは正しい。『魔物』も居る。『魔力』も『退魔武器』もある」

 彼女は優しく微笑んでいた。茜の太陽が彼女を照らす。ああ、そうだ。こんなにも気高く美しい彼女が嘘を言うわけがないじゃないか。

 この笑顔を見ることができて本当に良かった。

「そして、貴方は確かに存在する」

 間違っているのは彼女を否定する世界で、何もかも正しいのが彼女なのだ。

「私は貴方に触れられるのだから……」

 そして、僕達はぎこちない口づけを交わした。


 きっと君たち読者は彼女の事を狂人と考えるだろう。無理もない事だ。しかし、それは君たちが今居る「狂った世界」の基準に照らし合わせて見ているからだ。

 君が信じている常識は本当に正しいのだろうか。

 太陽は東から昇るものだっただろうか?

 落下物は下に落ちるものだっただろうか?

 幽霊は本当に架空の存在なのだろうか?

 『魔物』は本当に居ないのだろうか?

 『僕』は本当に彼女の妄想の産物なのだろうか?

 君が信じている「世界の常識」をもう一度考え直してほしい。そのためだけに僕は筆をとったのだ。もちろん、直接記述しているのは彼女なのだけど。


「悪いわね、人質になってもらって……」

 彼女は縛られた女子児童に、天使の頬笑みをもって話しかけ、猿轡を外した。恐怖に強張っていった少女の顔が少しだけ緩む。

「貴方は証人よ。もうすぐ私達は消える。貴方にはその証人になってほしいの」

「しょう……にん?」

「見ていてほしいってこと。わかるわ」

 彼女は僕に向きなおって言った。

「私は間違ったこの世界に正しい足跡を残したい」

――うん。

「きっと私よりも貴方が書いた方がいいと思うわ」

――この世界の真実を、ね。

「今まで隠していてごめんなさい。貴方が生まれたのは本当に偶然だから」

 この世界を照らし出す夕日は沈もうとしている。


――どうして僕は生まれたんだろう。

「わからないわ。でも寂しかったのかもね……」

 僕は彼女を孤独の中から救い出す。それこそが僕が生まれた意味。僕の存在意義。

「できれば平穏に生きてほしかったのだけれど。私にしか見えないんじゃ、私と一緒に来るしかなかったわよね」

――もし僕が、この世界の基準でいう「普通の人間」だったとしても、やっぱり君について行ったよ。

 僕が本当に伝えたかった言葉。

――君の隣に居られて良かった……。



 間違っているのは、世界だ。

 正しいのは、彼女だ。

 そのことを本当に伝えられるのは、きっと僕だけだ。

 きっとそのために僕は生まれてきたんだ。

 窓から見下ろすと、多くの人影。

 警察だ。ものものしい盾や車も見える。完全にとり囲まれている。突入も時間の問題だろう。

「さあ、綴りましょう、私達の物語を。書き始めはどうする?」

――そうだな……。


 こうして僕達はこの物語を作り上げた。きっと君たちがこれを読んでくれているとすれば、人質になった女の子が僕らの頼みを聞いてくれたのだろう。もしそうでなくても、立てこもり犯の手記だ。マスコミが放っておかないだろう。

 僕達がこの物語を語るのは世界の真実を伝えんがため。

そして、この物語を読んで、世界の真実を知る人間が一人でも多く現れるのを願ったがため。

僕達はきっとここで終わる。だから、君たち読者の誰かが狂った世界の真実に気付き、僕達の代わりに戦ってくれる事を祈っている。


この狂った世界に生きた正しき者のたった一人の味方より。

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僕達はこの狂った世界に生きている 雪瀬ひうろ @hiuro

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