第11話

「話を聞かせてもらってもいいかな……」

 短く苛立ったようなノックの後、彼女の病室に現れたのは、スーツを着たうだつの上がらない男と眼鏡をかけた真面目そうな男だった。どうみてもこの二人は医者ではない。そして、僕達を見舞う人間など当然居るはずもない。すぐにまずい相手であることはわかった。

「警察です」

 予想はしていたことだった。僕達はおたずね者だ。もちろん、足がつかないように細心の注意を払ってはいるが、いつまでも逃げ切れるものではない。だから、いつもは足が着く前に早く次の町に移動していた。しかし、今回は思わぬ怪我で身動きが取れなくなっている。状況は非常にまずい。

 僕は彼女の様子を見た。彼女は落ち着き払っていた。なんとか切り抜ける手立てがあるのかもしれない。情けないことだが、彼女に任せるしかない。

「○○○○さんですね」

 うだつの上がらない男は言った。真面目そうな男は後ろで黙って立っている。

「そうです」

「ご入院されてるところ悪いんですが、窃盗事件とペット殺害事件の事でお話をお聞かせ願いたいんですよ」

 窃盗事件はともかく、ペット殺害? そう言えばそんなニュースを新聞を読んだ彼女が言っていた気がする。

「何を言えばいいのでしょう?」

 彼女は毅然と言った。特にすごんだわけでもない。ただ堂々と受け答えしただけだ。しかし、普通の人間が相手だったのならひるんでしまったのではないだろうか。それくらい彼女の態度は堂に入ったものだった。

 しかし、相手の刑事もただものではなかったようだ。ひるむことなく応える。

「貴方に窃盗とペット殺害による器物破損の容疑がかけられています」

「何を証拠に?」

 ペット殺害はいいがかりとしても窃盗をしたことは確かだ。よくあんなにも堂々とした態度をとれるものだ。尊敬する。

「目撃証言が出ています。貴方が空き巣被害にあった高林さんの家の近くに何度か出没していたのを見た住民が居ます」

 入念な下見は確かにこうしたリスクがある。ただでさえ彼女は目立つのだ。特に身内意識の強い田舎ではよそ者は記憶されやすい。当然わかって居たことであったが、かといって何の下見もせずに空き巣を行うわけにもいかない。

 それにしても目撃されたのは彼女だけなのだろうか。僕も常に一緒に居たのに……。

「それだけで決めつける気ですか?」

 彼女はあくまで強気の姿勢を崩さない。

「もちろん、任意です。しかし、それとは別件で貴方、捜索願が出されています。ご実家からです。精神病院に入られるところを逃げ出したとか……」

 精神病院? そんな話は聞いたことがなかった。

「ですからどっちにしても、退院次第、署には来ていただきます」

「わかりました」

 まずい。さすがにこの状況から言い逃れる方法があるとは思えなかった。彼女はどうするつもりなのだろう。しかし、僕には何の方策も浮かばない。

 だからといって全てを彼女に背負わせるわけにはいかない。僕も同罪なのだ。最悪彼女が逮捕されるとしたら僕だけ逃げるわけにはいかない。僕だけでも逃れて、あとで彼女を逃がそうなんていう考えは、このとき、浮かばなかった。

――彼女を連れていくなら僕も!

 僕は叫んだ。

 しかし、刑事たちは何の反応も示さなかった。

 違和感。しかし、こんな感覚を僕は何度も味わってきたような気がしていた。

 ファミレスに行ったとき、店員は僕達二人にどうして「一名様ですか?」と聞いたのか。

 彼女はどうして僕の「ハンバーク」というオーダーを店員に復唱したのか。

 そもそもあのとき僕は「ハンバーグ」を食べただろうか。記憶にない。

 それ以前に僕は物を食べた事などあっただろうか。

 僕が物質に干渉できた事などあっただろうか。

「それ以上考えるのはやめなさい」

――え? でも。

「貴方は確かに居るのよ! 私が言ってるのだから、正しいに決まっている!」

 突如激昂し、声を荒げた彼女に対して刑事が言った。


「君は誰と喋っているんだ?」


 僕は彼女に出会う前の事は何も覚えていない。それは記憶喪失という言葉で片づけても良いだろう。では、彼女と出会った後の事はどうだろうか? 僕には「彼女と二人で旅をしてきたという記憶」がある。では、それは具体的にどんな記憶なのだろうか。わからなかった。

 では普段、どうやって生活してきたのか。「窃盗で生計を立てていたという記憶」はある。では、僕は具体的に何かしただろうか。彼女がガラスを切り、鍵を開け、侵入するのを僕は見ていた。だが、僕が具体的に何かを盗み出した事があっただろうか。

 普段の食事も僕は「何を食べようとしたのかという事実」は覚えている。四日前の昼はファミレスでハンバーグを食べようとした。では、それはどんな味だったかというと……わからない。そもそも口に運んだ記憶がなかった。

 病院に来てからも僕は治療を受けただろうか。自分が重傷だった記憶はある。しかし、自分が治療された記憶はない。そもそも医者は「まさか君みたいな少女が一人で熊を撃退したとは」と言っていなかっただろうか。確かに実際は彼女が一人でやったようなものだが――――普通、血まみれの二人が病院に辿り着いたら、二人がかりで撃退したものと思わないだろうか?

 僕は彼女以外と会話したことがあっただろうか?

――すいません、刑事さん。僕の声、聞こえてます?

「もうやめなさい。いつものように引っ込んで」

――ねえ、刑事さん! ねえ!

「ああ、もう! コントロールが効かない! 私が動揺してるとでも言うの! 都合が悪い時、貴方はいつもみたいに私の中に引っ込めばいいのよ!」

「君は一体何を……」

 さしもの刑事も動揺したのだろうか、二人で顔を見合している。

 僕は彼女のベッドを乗り越えるようにして、刑事に触れた。


 僕の身体は刑事の身体をすり抜けた。


 一瞬遅れて、僕は事実を認識する。僕は部屋に置いてある花瓶に触る。触れる。いや……今度は僕はそれを床に落とそうとする。……できなかった。つまり、「僕が何かに触れていると思い込むことはできても実際に物理的干渉を行う事はできない」。

 僕は存在しない人間だ。

「君、さっきから何を一人で……」

 ずっと黙っていた眼鏡をかけた方の刑事が呆気にとられたようにして呟く。それに答えて、うだつの上がらない刑事が言う。

「たぶん、例の発作だ。家出する前からこんな風だったらしい。なんでも近所の野良猫を殺して『『魔物』を殺した!』って喚いてたんだと。たぶん、ここらのペット殺しもこいつの仕業だ! こいつは真正の……」

 間違っているのは、世界か、彼女か。

「キチガイだ」 

 どっちだろうか?

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