第3話 珈琲銀河堂

 なにもする事がない。

 梅雨が何処かへ流れて行って、すっかり夏の陽気になってしまった。

 元々南国だから暑いに決まっているのだが、それでも夏の暑さと云うものはある。私の部屋は日当たりが悪いから、その分涼しくてよさそうなものだが、風通しも悪いから、空気がこもって、暑い。

 別にこんな所にいなくたっていいけれど、他に行く所もないから、黙ったまま、目白が塩を舐めたように膨れていると、窓から西馬音内にしもないが入って来て、センセイの所で集まりをするから来いと云う。行ってもいいと答えた。西馬音内は是非来給えと云った。私は行くよと答えた。しかし中々動かないから、西馬音内は黙ってしまった。

 それで、行こうと云う気になったから、立ちかけると、窓から夜宵やよいが入って来た。


「話は聞かせてもらった、ぜ……」

「おや、夜宵君」

「その宴会、わたしも連れて行っておくんなまし。です」

「なんだ、退屈なのかね」

「まあ、ね」

「はっはっは、そいつはいい。いいとも、遊びに来給え。若い女の子がいるだけで、場も華やぐと云うものだからね。なあ、何樫君」

「そうかね」


 それで三人連れ立って一階に降りて、玄関で靴を履いたら夜宵が「あ」と云った。


「どうしたの」

「靴、うちの下宿の玄関じゃないとない、です」

「わははは、そう云えば夜宵さんはこの下宿の住人ではなかったね。靴がないのも当然の道理と云うわけだ」

「仕方がない……外で待っていて下され、です」

「別にいいよ。その辺の下駄でもつっかけて行けば」

「そうなんです? じゃあお借りするです」


 そう云って夜宵は下駄箱の中から適当なサンダルを引っ張り出した。ペラペラのゴム草履である。

 外に出ると、日が暮れかけた。影が長くなって、しかしもったりとした空気がそこいらに漂っている。陽を受けた石造りの建物が熱を溜め込んでいるらしい、何となく足元から熱気が上がって来るような気がした。

 ゴム草履をぺたぺた云わしながら、夜宵はしきりに額に浮かぶ汗を拭っている。来て日が浅いから、暑さになれていないのだろう。


 センセイは町の外に住んでいる。

 百姓をしながら、週に何度か学院の方へ勤めに出ておられるそうで、その他にも農業技術研究局などにも顔を出す事も多いそうである。しかしそんな事は私には何の関係もない。

 いいお天気で、暮れた空には星々が瞬いている。

 繁華街を抜け、周囲の明かりがなくなるほどに、星の光が強くなるように思われた。

 風は生ぬるいけれど、陽射しがなくなった分だけ肌に心地よい。そこいらが土で、コンクリートのように蓄熱しないから、夏の盛りであろうと夜になればそれなりに過ごしやすい。


 町を出て、海に沿った道をてろてろと歩いて行った。

 潮風が左から吹き付けて、髪の毛がしきりに暴れまわる。私も西馬音内も気にしないが、夜宵は気ぜわしく何度も髪の毛を撫でつけていた。

 そうして少しずつ右の丘を登り始め、段々になった畑の間の道を上がって行くと、木造りのお屋敷が見えて来た。古民家式のこの家がセンセイの住まいである。かつてここいらに入植した開拓農民の家を手直ししたものらしい。


 家の前にざるが積んである。

 蒸気式の手押し耕運機が置いたままになっている。

 開け放された障子の向こうで、蚊燻しの煙が揺れていて、センセイだろう、誰かがいる気配がある。

 御免なさいと土間から声をかけると、台所から書生の多聞たもんが顔を出した。ずんぐりした背の高い体を薄茶色の作務衣で包み、前掛けをかけている。多聞は慇懃に頭を下げた。


「皆さん、ようこそいらっしゃいました」

「よう多聞君、ご苦労様。センセイは」


 と西馬音内が云いかけると、座敷の方から「多聞、西馬音内は帰せ」と大きな声がした。西馬音内君はげらげら笑い出した。


「おい何樫君、センセイと来たら、あんな風に照れ隠しをしているよ」

「どうかな」

「僕程度の人物に恐れを為すのはセンセイらしくないが、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、僕如きにはセンセイの考えを推し量るなぞ到底できないね。さて、ともかくお邪魔しよう」


 そう云ってせかせかと上がって行った。夜宵が面白そうな顔をしている。


「西馬音内さん、面白い、です」

「なに、うるさいだけさ。多聞君、お邪魔しますよ」

「ええ、どうぞ」


 座敷に行って見ると、卓袱台を挟んでセンセイと西馬音内が向き合っている。センセイの前には湯呑みがあり、西馬音内の前にも湯呑みがある。中身は空である。卓袱台の真ん中には本が置いてある。はてなと思う。


「誰か来ていたんですか」


 と腰を下ろしながら尋ねると、センセイは仏頂面で「牡蠣矢かきやが来ていた」と云った。


「牡蠣矢って野地のじさんですか。野地さんがどうしたのです」

「また本を出すのだそうだ。その帯の推薦文を書いてくれと云いに来た」


 と云って卓袱台の上の本を顎で示した。


「ははあ、牡蠣矢の奴、文章の方はからっきしの癖に、虎の威を借る事に関しては鼻が利きますからね」と西馬音内はにやにやしている。

「それで、お受けになったんですか」

「受けるもんか。牡蠣矢の文章に推薦するべき所なぞないよ」


 そう云ってセンセイは本を私に手渡した。ぱらぱらと流し読みしたが、到底面白い代物ではない。くだらない内容を文章で誤魔化そうとしているらしいが、文章がお粗末だからそれも上手く行っていない。

 しかし野地の本は売れているらしい。文章の才能は皆無だが、本を売るのは上手いようである。

 いい加減で野地の本をその辺に放り出した。多聞がお銚子を持って来て、場が急に明るくなった。


「結局、神隠しで行く世界は幾つかあるようだ。夜宵君と何樫君が踏み込んだのも、その一つだろう」

「変な所だった、です」

「しかし、この世界だって向こうからすれば別世界でしょう」

「そうだな。よもや空間穿孔装置がこんな所に突き抜けるとは思っていなかったろう」


 二次大戦中、秘密裏に研究されていた空間穿孔技術によって、この世界は発見された。大戦中であるから、亜細亜でしたようにここでも軍部が暴走したが、龍の怒りを買い軍部は灰になった。

 龍は大きな揉め事を起こしさえしなければ他には興味がないようで、こちら側も概ねは日本の領土となっているが、本土でその存在を知っている者は非常に少ない。

 ここでは、人の形をしながら動物の特徴を備えていたり、不可思議な力を自在に行使したりするような連中が住んでいた。そう云う連中が時折何かの拍子に世界を超えて姿を見せる事がある。その連中は妖怪と呼ばれたりしていたようである。私が術を教わった天狗もそう云う連中の一人であった。


 ともあれ、理屈で物事を考えるのは得意ではないし、何より面倒臭い。

 卓袱台の上を盃が盛んに献酬して、多聞が何度もお銚子のお代わりに立つ。


「ところでセンセイ、明日から帝都の方に行かれるそうですが、長いんですか」


 と西馬音内が云った。彼は酒が回ると顔が赤くなる。


「長いかどうだかまだ分からないが、ああ、そうだ」と言いかけてセンセイは思い出したように私の方を見た。「何樫君、貴君に頼みたい事があった」

「はあ」


 頼まれ事は嫌だけれど、センセイの頼みとあれば断れない。

 センセイは多聞に云って台所から袋を持って来さした。卓袱台の上の食器をどけて、袋を置いた。麻で出来た小さな袋である。


「珈琲豆だよ」


 とセンセイが云った。


「数年前に古い地層から発見された種を農技研で育てていた代物なんだ」

「ほう」

「農技研ってなあに? です」と夜宵が口を出した。

「農業技術研究局の事さ。種苗管理や品種改良なんかも請け負っている」

「なーるほど……珈琲も育ててるとは、さすが南国、です」

「気候的には十分に育つからな」

「けど、古い種でよく育ったです、ね」

「ああ、大半は芽が出なかったり大きくなる前に枯れたりしたが、この通り、いくつかは無事に成長して実を着けた。それがこれだよ」

「おお、あれの珈琲豆ですか。たしか5年前に西部地区の建て替え工事の時に出て来た奴ですね。鑑定の結果じゃ300年は下らないくらい昔のものだったらしいが、成る程、こうやってしっかりと実を結ぶまで行きつくとは、センセイのお力の賜物と云うわけですな、ははは」西馬音内は大分回っているらしい。

「俺は別に担当じゃないさ。農技研から何度か相談は受けたがね」

「しかし、この珈琲豆をどうするんです」と私が云った。

「実は農技研で焙煎して飲んでみたんだが、これがたいへん不味かったのだ。香りは非常にいいんだが渋みがとんでもなく強くてな。それであれこれ調べて見た所、特殊な道具を使わなければうまい珈琲が入らないらしい」

「僕がその道具を探すのですか」

「いや、そう云う無理を云うつもりはない。実は銀河堂の魔女がその道具を持っているらしい事が今日分かった。だから俺の代わりにこの豆を銀河堂に持って行って欲しいのだよ」


 なんだ、そんな事ならばお安い御用である。快く請け負って、それからまた大いに飲んで帰路に着いた。夜宵がべろべろになって歩けなかったので背負って帰らねばならなかったのだけは参った。

 翌日、昼過ぎまで寝ていると、窓から夜宵が入って来た。


「何樫さん、珈琲屋に行く、です?」

「行くよ」

「わたしもご一緒したい、です」

「そうかね」


 大学はいいのかと思ったが、私には関係がないので、放っておく。

 夜宵の闖入が良い折になったから、出かけた。今日もいいお天気である。些か暑すぎるきらいがないではないが、そんな事を気にしても仕様がない。

 銀河堂は水没横丁を傍に見た四番街の、入り組んだ路地裏の一角にある。ステンドグラスで飾られた分厚い木造りの扉があって、その脇にランプが吊るしてあるが、昼間だから火は灯っていない。ランプの下に、「珈琲銀河堂」と書かれた小さな看板がぶら下がっている。

 夜宵が「おお……」と感嘆したような声を出した。


「素敵なお店、です」

「そうかね」

「ここに、魔女さんが?」

「そうだね」


 扉を押し開けると、からんからんと鈴が鳴って、珈琲の匂いのする空気が溢れて来た。

 銀河堂はさほど広い店ではない。カウンターに4席、4人掛けのテーブルがひとつ、2人掛けのテーブルがふたつあるだけである。

 ただでさえ狭いのだが、壁や棚、天井に、店主があちこちで買い集めたらしい不思議な装飾の道具が飾られているから、余計に狭苦しいような印象がある。

 どうやったのだか、硝子で出来た球体に水が入ったものがいくつも天井からぶら下がっていて、その中にそれぞれ一匹ずつ赤い金魚が泳いでいる。そこに天井窓から差した日が当たって、床や壁に揺らめく水模様を映していた。


 カウンターの向こうで豆を炒っていたらしい女性が、顔を上げた。私を見ておやと物珍しそうに目を瞬かせ、そうしてにっこり笑った。長い銀の髪がさらさらと揺れた。


「あら、何樫さん。いらっしゃい」

「ご無沙汰ですな、静子しずこさん」


 私と夜宵はカウンター席に腰かけた。


「ごめんなさい、これ途中で止められないのよ」と豆を炒る手を止めずに、静子さんが云った。

「構いませんよ、押しかけたのはこちらですし」

「そちらのお嬢さんは?」

「霧坂夜宵と申す、です。大学生で、何樫さんとは部屋がお隣の友達です、よ」

「これはご丁寧に。わたしは森屋もりや静子しずこです、ここ銀河堂の店長をしています。よろしく、夜宵さん」


 静子さんは気さくな笑顔を浮かべた。夜宵は頬を染めてもじもじした。静子さんは美人である。

 私共はカウンター席に座ったまま、静子さんが珈琲豆を炒り終えるのを待った。夜宵は面白そうな顔をして、椅子に膝立ちになって焙煎の様子を眺めていた。こう云う事が好きなのかも知れない。

 珈琲豆の薄皮が火に燃える香ばしい匂いが店中に漂ったところで、静子さんは焙煎網を手にしたまま早足で窓の所に行き、窓を開けた。たちまちそよ風が店の中に吹き込んで、飾られた装飾品の中でも、軽いものが揺れて音を立てた。

 静子さんは豆を広げるようにして窓際に網を置いた。


「よし、と」


 そうしてこちらを見た。


「お待たせしました。珈琲でも淹れましょうか」

「いや、僕はお金を持っていない」


 私が云うと、静子さんは愉快そうにくすくす笑った。


「何樫さんからお金を取るなんて罰当たりな事できませんよ。わたしが飲みたいだけですから、付き合って下さいな」

「そう云う事なら、お付き合いしましょう」


 静子さんは戸棚の缶から豆を出して、ガリガリと挽き出した。音が耳に小気味よい。夜宵が変な顔をして私を見ている。


「何樫さんは、仙人さんだったんです、か?」

「違うよ」


 しばらくして珈琲が出て来たのでいただく。久方ぶりである。嫌いではないが、自分で飲もうと思うほど好きでもない。しかしこうやってたまに飲むとうまい。

 夜宵は一口飲んで砂糖を入れ、もう一口飲んでまた砂糖を入れ、また一口飲んでクリームを入れた。


「それで」静子さんがカウンター向こうから云った。「今日はどういうご用事?」


 私は持って来た珈琲豆の袋をカウンターに置いた。静子さんは身を乗り出すようにして袋を見、手を伸ばして中身を掴んだ。


「ふむ、豆ですか」

「農技研で育てていたものらしいのですがね」

「ああ、新聞で読みました。古代の地層から出て来た豆だそうですね」

「ええ、そうです。農技研で焙煎して淹れてみたそうですが、渋みが強くて飲めなかったそうで」

「そうでしょうね。これは、確か」


 と云いながら静子さんは立ち上がってカウンターから出て来て、据え付けられている本棚から年季の入った分厚い本を取り出した。そうして私共の隣に腰かけて、本をカウンターに広げた。


「ええと、そう、これですね」


 広げられたページには珈琲豆の絵と、硝子で作られているらしい不思議な装置の絵が描いてあった。珈琲豆には小さな星型の模様があるらしい。生豆の状態では分からないが、焙煎すると星の模様が浮かんで来るようである。

 装置の方は珈琲を淹れる道具らしい。サイフォンのようであるが、硝子の管が幾つも連なって、フラスコのようなものも沢山付いている。そのフラスコの中で小さな火山が火を噴いていた。


「この装置で淹れるのですか」

「ええ、そうですね。もう随分使ってない装置ですけど、多分倉庫にあったと思いますよ。見てみましょう」

「しかしお店があるのではないですか」

「開いてようが閉まってようが同じような店ですから」


 静子さんはくすくす笑いながら、私共を店の奥へと誘った。

 店の裏口から出て、中庭の向こう側の倉庫に行った。倉庫の中は薄暗く、埃っぽかった。


「確かこの辺に……」


 静子さんがごそごそと荷物を出す。倉庫の中だけで動かせないから、後ろにいる私や夜宵がそれを受け取って倉庫の外まで運び出した。

 装置は分解されて幾つかの箱に分けて仕舞われていた。箱に納められていたとはいえ、何処となく埃っぽいので、静子さんが持って来た濡れ布巾を使って三人で丁寧に拭った。


「割っちゃいそうで緊張する。です」

「気を付けなけりゃいかんぜ、替えがないんだから」


 拭って綺麗にした部品から組み立て始めた。木と金属の骨組みを組んで、そこに硝子のフラスコや管を取りつけて行くのである。

 静子さんが設計図を見ながら指示を出す。


「これは……こっちですね」

「ここです?」

「そうそう」


 夜宵が張り切り出して、せかせかと働く。だから私は手持無沙汰でぼんやりと眺めていた。ふとそれを見とめたらしい静子さんが云った。


「そうだ何樫さん、火山の種を買って来てもらえませんか」

「火山の種ですか。何型の何号を幾つ」

「成層型の……そうですね四号をふたつ、あとマール型の二号をひとつ」


 お金を預かって店を出た。曲がりくねった裏路地を通り抜けて表に出る。人通りが多くなって、喧騒が私を包んだ。

 通りを西側に下り、また裏路地に入った所に火山屋がある。二階建ての建物で、元は白亜の壁だったのが煤けて灰色になり、その上ひび割れてあちこちがはがれかけている。そうして開け放った窓からもうもう噴煙が立ち上っていた。何がしたいんだか分からない。

 ともかく火山屋に入った。硫黄の匂いが立ち込めている。床のそこかしこから大小の火山が突き出して、それがどれも噴煙を上げているから暑い事この上ない。

 カウンターの向こうで曖昧な顔の店主が汗をだらだら流して座っていた。扇風機が回っているけれど、吹く風も熱いから意味を成していない。因果な商売だと思う。


「種が欲しいのだが」

「はあ」

「成層型の四号をふたつ、それにマール型の二号をひとつ」

「はあ」


 奥の瓶に入った種を出して、それぞれ紙袋に入れて寄越した。

 用を済ました以上こんな暑い所にいつまでもいられるものではない。足早に店を出ると、来る時は暑く感じた往来が大変涼しいような気がした。


 果たして銀河堂に戻ると、中庭に装置が組み立てられて立っていた。ガラスがきちんと磨かれてピカピカ光っている。夜宵が満足げに立ってそれを眺めていた。


「お帰りなさい、です。何樫さん」

「綺麗に組み立てられたね」

「頑張った、です」

「静子さんは」


 と云いかけると、奥の方から静子さんがザルを抱えて出て来るところであった。


「あ、お帰りなさい何樫さん」

「買って来ましたよ。これでいいですか」


 私が種を渡すと、静子さんは一つずつ検めてにっこり笑った。


「結構です。さあ、珈琲を淹れてみましょう」


 静子さんの持っていた笊には、焙煎した珈琲豆が入っていた。私が出掛けている間に焙煎したのだろう。茶色くなって、香ばしく良い匂いがしている。よく見てみると、確かに小さな星の模様があるように思われた。

 静子さんはフラスコを幾つか取り外し、成層型の種をフラスコに入れて、上から土をかける。

 夜宵が面白そうな顔をして見ている。


「火山って種がある、です?」

「あるさ」


 静子さんはまた幾つかのフラスコには水を入れ、真ん中の大きな硝子の筒にネルフィルターを置いて挽いた豆を入れた。そこにマール型の火山の種をうずめる。


「さて、行きますよ。少し離れていて下さいね」

「どうするのです」

「起動にはちょっとした魔法が要るんですよ」

「魔法!」と夜宵が目を輝かして身を乗り出した。「静子さんが魔女と言うのは本当だったんです、ね! えくせれんと! です!」

「ふふ、星巡りのお姫様みたいにはいきませんが、わたしも魔法使いの端くれですからね」


 静子さんは分厚い本を手に機械の前に立った。そうして歌うように口ずさむ。


「箱の底に一つ、星の根を引き二つ、水は連なり三つ、焔は砕けて、流れを唄う」


 一本突き出た硝子の管の先に、透明な泡のようなものが集まって、コポコポと音を立てた。それが吸い込まれて管の中を流れて行くらしい。そうして、集まった水が火山の種をうずめた土にぽたぽたと垂れてしみて行った。

 すると、しみた所からしゅうしゅうと煙が上がり、ぼこりぼこりと土が盛り上がったと思うや、ドッと音を立てて噴煙が立ち上った。そうして小さな三角形の成層型火山の形になる。

 熱は管を伝って行くようで、あちこちのフラスコの水が沸騰して管を上った。

 そうして真ん中の大きな管に落ちる。するとそこでも噴火が始まる。


「おおおお、めっちゃ凄い! です!」


 夜宵が興奮したように両手をぶんぶん振っている。確かに見ていて面白い。

 マール火山は噴火した後、円形に広がった火口に水が溜まる。

 この機械でもそうなって、つまり珈琲が火口部に溜まり、それがネルフィルターを通して下に落ちる仕組みらしい。面白い事を考えるものだと感心した。


 すっかり噴火が治まって、火山はどれもぼろぼろと崩れてしまった。下に置かれたポットにはまっ黒な珈琲が溜まっている。静子さんはポットを外してにっこり笑った。


「さあ、飲んでみましょう」

「わーい、です」


 中庭のテーブルに座って、カップに珈琲を注いだ。香ばしく、しかしどこか甘いような不思議な香りがする。決して悪い匂いではない。

 センセイの話では香りは大変良かったが、渋みが強いと云う事である。さて、どうであろうか。

 少し緊張しながら一口すすった。じわりと舌の上に苦みが走り、しかし微かに芳醇な甘みも感ずる。酸味は弱い。渋みはまるでない。


「うまい」

「おいしい、です」

「ふふ」


 色々と準備に手間取ったせいで日が暮れかけている。

 表から誰かが呼ぶ声が聞こえた。お客が来たらしい、静子さんが「はぁい」と返事をしてぱたぱたと店に行った。

 私と夜宵は並んで座ったままぼんやりと珈琲を飲んでいた。


「わたし、珈琲はお砂糖とミルクが欠かせないのですけど」

「はあ」

「これはブラックで行ける、です。わたしってば、大人。うふふ」

「そうかね」


 暮れかけた空に星が瞬き出した。夜宵が見上げて「ほえー」と変な声を出す。


「相変わらず、星がすっごい、です」

「あちらはあまり見えないからな」


 日が沈むまでは長いけれど、沈むと暗くなるのは早い。たちまち辺りを宵闇が包み、日中の熱気が次第に薄れてきたような気がする。

 珈琲をもう一杯いただこうと思ってポットを見ると、何やら中でちらちらと小さな光の粒が光っている。おやおやと思って手に取って見てみると、さながら星が瞬いているように見える。夜空が映っているわけでもない。


「貴君、なんだろう」

「むむう」


 夜宵もまじまじとポットを覗き込んだ。光の粒は微かな明滅を繰り返しながら、次第に小さく渦を巻くようにしてポットの中で動いている。


「あ」

「なんだね」

「銀河系、です」


 成る程、確かにそうかも知れない。珈琲の黒の中で幾つもの小さな銀河系がくるくると回って、近づいたり離れたりしているらしい。


 腹の底で小さな銀河が回っているような気がして、つい腹を押さえた。

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さよなら、ワンダフル・ワールド 門司柿家 @mojikakiya

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