第23話 写真
大好きなメロディーが、俺の意識をまどろみから現実に引き寄せる。懐かしい80年代のグループサウンド。あの頃はよかったな。そう、あの頃、そうだ、この着信音は、地元の仲間に設定してるんだったっけ。大好きだけど、なかなか鳴ることのない着信音。
--何だろう?何かあったのか?--
俺とは別の生き物のように枕元をまさぐった右手が、スマートホンの画面を眼前へ据える。
<<井川 則夫>>
-ノリちゃんか、緊張が緩む。
「お~、ノリちゃん。こないだはありがとう。助かったよ」
『いいよ、いいよ~。なんてことないよ。それにしても・・・・・・ツラかったな』
そう、ツラかった。ノリちゃんは、俺がどれだけ車好きで、そしてあの車をどれだけ大切にしてきたかを知っている。車検に部品交換・・・・・・20年以上ノリちゃんに世話になった車だった。
「まあね。ずっと乗ってたからな。俺自身あんなに長く乗り続けられるとは思ってもなかったよ。ノリちゃんのメンテナンスのおかげだよ。ありがとう」
『なあに、ザキさんの手入れが良かったんだよ。いつも綺麗にしてたもんな・・・・・・そろそろ落ち着いたかい?』
「おかげさんで。ずっと置きっぱなしにして悪かったな」
『なんてことないよ~。で、どうする?やる、やらないは別として、念のためエンジンを解体屋にあたってるんだけど。なかなか出てこない』
「ありがとな。金の問題もあるけど、そもそもモノが手に入りずらいもんな」
『そうなんだよ、でも、いつまでも土の上に置いておくと、土から蒸発した水分が車の下回りで結露して、その繰り返しで錆ちゃうんだよ。ウチはコンクリートの場所が狭くて、お客さんの車でいっぱいだし、土の上でいいならいくらでも置いておくけど、アパートまで持っていこうか?あそこなら駐車場アスファルトだろ?』
八郷からみなと市まで、50キロ。車で1時間以上掛かる、個人経営で忙しいノリちゃんにこれ以上迷惑はかけられないし・・・・・・もうあのアパートへは行きたくない・・・・・・そうだ、あの土地
-実家の隣に買った土地
「ノリちゃん、地面からの蒸発を防げればいいんだよな?ブルーシートを下に敷けばいけるかな?」
『それなら大丈夫だね。風でバタつかないようにすれば完璧だ』
「よし、それじゃ、実家の隣に買わされた俺の土地、あそこに置くよ。悪いけど、そこまで運んでもらえるかな」
『買わされた。ってそりゃあ言い過ぎだっぺ。運ぶのはオッケーだよ』
久々に聞く、ノリちゃんの笑い声に釣られて俺も笑う。笑うことが心の澱みを拭ってくれる感触。幾つになっても、どこで何ををしていても、家族のように無条件の情をくれる友に、幾度救われてきたことか。
明日は日曜日だからと遠慮したが、久々に昼飯でも食べながら、と言って笑う井川に感謝して車を運んでもらうことにした。
真夏の日差しに目を細めつつ、のんびりと普通列車に揺られながら車窓を楽しむ。石岡駅までなら、帰宅する距離の半分だ。
中学を卒業してからすぐに親元を離れて寮生活を送った俺にとって、石岡駅は「帰ってきた」と実感させてくれる最初の場所だった。
駅前開発で1階をバスターミナル、2階を公園にした建物の隣で、肝心の駅舎が時代に置いていかれたように平屋のままだった景色は、いつの間にか橋上化され2階の公園とつながっていた。
-なるほど、これが最終形態だったのか
そこだけ昔のままの一般送迎用駐車場を懐かしく眺めると、黄色地に<<IGAWA>>と赤文字の派手なステッカーを貼った軽ワンボックスの運転席で、井川が盛んに手を振っている。
俺も大きく手を挙げて頭を下げると、足早に車へ向かう。
「日曜なのに悪いね。しかも駅まで迎えに来てもらっちゃって。ありがとな。」
ドアを閉めながら、とにかく礼を言う。エアコンの冷気が心地よい。
「なんてことないよー。1時間に1本のバスなんて待ってらんなねーべよ。」
「助かるよ。ちょっと早いけど、昼飯食ってぐべよ。ノリちゃん何食いたい?」
「なんでもいいよ。あ、そうだ、こんな暑い日は、蕎麦にすっぺよ。」
蕎麦の産地でもある八郷地区には、人口の割には蕎麦屋が多い、ラーメン屋よりも蕎麦屋の方が多いと言えば分かりやすいかもしれない。
何十年か振りで入った蕎麦屋に、馴染みの丼物セットは見あたらない。食欲旺盛な客層が少なくなったのかもしれない。そういえば、八郷地区にあった県立高校は廃校となり、4ヶ所あった中学校も1つに統合されたと聞いた。
ダブル炭水化物。という歳でもないか--
カツ丼セットが健在なら、大好きなカツ丼と冷やしたぬきで即決なのだが、ここの蕎麦も、出汁の利いた味の濃いカツ丼も捨てがたい。だが、蕎麦屋で蕎麦を食べないのは……しかも真夏は冷やしではないか……
「じゃあ俺、天ざる」
「俺も」
相変わらず気持ちいいぐらい即断する井川に後押しされるように俺も天ざるにした。
「こないだ特急で会った時、勉強会に行くって言ってたけど、どんな感じ?」
蕎麦を待つ時間は短い。昔話は後でゆっくりするとして、俺は気になる近況を聞いてみた。柏へ戻る特急の中、偶然会った井川は確かインバータの勉強だと言っていた。インバーターなら世話になってる井川の相談に乗れる話だ。
「協会でメーカーの技術者を呼んでインバータとかの勉強会をやってるんだ。今の車ってさ、電気だらけ、しかもハイブリットやEVなんかが主流になってきてるじゃんか、そりゃあ今までだって、メーカーは競うように電装系を進化させて、いろんなセンサーや快適装備が増えたでしょ。複雑なモノで種類も多いけど、壊れたら極端な話、電源さえ来てれば車側は異常ないわけで、部品を取り替えればいい。あんなモノはなくても車は走るし」
井川は、表面が結露で水滴まみれの丸みのないガラスのコップの水を一口啜ると。手に付いた水気をお絞りに押しつけながら言葉を継ぐ。
「ところが、ハイブリッドやEVは、走ることに電気を使ってるから、壊れたら車としての用をなさない。くそ高い診断ツールはあるが、あんな高いモノ持ってても、意味がわからなきゃ宝の持ち腐れだ。どこが、どんなふうに壊れていて、どんな修理が必要か、お客が納得いく説明だってできやしない」
「そうだよな、ひとことで『インバーター』といっても、その中身にはIGBTや平滑コンデンサ、モーターを回すための波形を作るスイッチング回路があるし、……車の場合は、その前段にバッテリーがあるわけだろ、そうすると、バッテリーの保護回路とかもあるし、充電回路なんか複雑なんだろうな―」
「ちょっと待った。ちょっと待った。なんでそんなポンポン出てくんのさ」
ハーハッハ、と豪快に笑う井川が、ハッと気づいたように目を丸くする。
「そういえば、ヒロちゃんって電気関係の開発やってんだよね?何作ってんの?」
「話題のインバータ。まあ今は東京で営業やってるけどね」
「うわ、そうだったんだ~。じゃあ今度教えてくれよ。」
テーブルをポンと叩いて井川が言った。
「お、いいよ。そういうのは任せといてくれ」
と笑い声が弾んだところで、海老の尻尾が天を突くようにそびえ立った盛りのいい天ざるが運ばれてきた。
井川の店でキャリアカーに乗り換えると、数百メートル離れた駐車場に移動する。
「早いとこ、コンクリートで固めたいんだけどね」
と言いながら、運転台からひょいっ、と飛び降りる井川に不慣れな俺がワンテンポ遅れてついて行く。固く踏み固められた土だが雨が降れば泥だらけとなるだろう。整然と並ぶ、色褪せた車たちの中に、たった1台シルバーのシートを被る、四角張ったシルエットは、正に俺の愛車ジムニーだった。
「おっ、こんなに丁寧に-」
礼の言葉を言い切る間もなく、シートをはずしに掛かる井を手伝う。
「いやー、こんなに丁寧に保管してくれて、ありがとう」
慣れないシートを、引っ掛けて破かぬように慎重に外しながら礼を言う。
「なんのなんの、お安い御用さ、動かなくても大事な車だろ」
慣れた手付きでシートを外しながら井川が笑う。
もう一度礼を言った俺は、あのときのままの愛車を撫でた。
俺は後ろから、井川は運転席のドアを開けてハンドル操作をしながら2人で愛車を押していく。驚くほど軽く動く愛車だが、荷台ごと斜めになったキャリアカーまでの、わずか数mで汗だくだ。ウィンチを繋いで荷台に引っ張り上げると、井川のレバー操作で荷台が動き出し、トラックらしい形に戻る。
冷房が効いたトラックの運転台に乗り込むと、冷水に飛び込んだように体の隅々まで一瞬にして冷やされる。
「あ、んだんだ、これ。忘れる前に渡しとくよ。」
タオルで汗を拭っていた井川が、思い出したようにツナギの胸ポケットからビニールに包まれた物を取り出すと「おっと、ごめんよ」といいながら、俺の前のティッシュボックスから、一枚取ると、ビニールについた汗を拭き取り、その中からさらにビニールシートに入った葉書のようなものを俺の目の前に差し出した。
「懐かしいべー」
差し出されたのは、写真だった。眩しく輝く濃紺のジムニーと、その前に立ち、ピースサインをする幼児と、後ろから包み込むように抱いて写真に映る若き日の俺。
「おお-、懐かしいねー。これって、この車の納車のときだよね」
「そうなんだよ。記念に撮ってあげたのに、ずっと渡すの忘れててさ。悪いねー。こんときの雄人君って、何歳よ?」
井川の丸顔に刻み込まれた皺が、笑顔を作る。皺が増えても子どもの頃から変わらない、思いやりに満ちた笑顔。
「うーん、確か3歳だったな、ちょうどジュニアシートが使えるようになったときだったからね」
「ってことは、この車が19年目だから、大学4年かい?いやー、あっという間だなー。ん、ってことは、来年は就職かい?」
満面笑顔の井川が目を丸くする。
「そうなんだよ。あっという間だよなー。いやー、写真ありがとう」
-あの頃はよかったな-
俺は、今の状況など想像もできないであろう幸せの笑みを向ける、写真の中の俺に語りかけた。
ひこうき雲 篠塚飛樹 @Tobuki
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