最終話 世界の半分を、君と

 日が過ぎ、夜が過ぎた。


     *


「これからどうするのだ、勇者よ」


 少女魔王は少女のように鏡台の前に腰掛け、少女のように髪を櫛付ながら鏡越しに勇者に問うた。


 ふたりの奇妙な共同生活はもうひと月に及んでいる。


「いつまでこうして私を縄で結び合っているつもりだ。別に首級を挙げずとも私を生け捕りに人界に帰ればよかろう」


「迷っている」


「迷う? 何を」


「魔王、お前のいうように殺さず人界へ戻る方法もあるだろう」


「だったら迷うことなど」


「それでもぼくは人界で封印されるだろう。強力過ぎる兵器は平和の世には不要だ。ましてやぼくは人の意志を持つ神兵だ。人の子らは喜び、やがて恐れるだろう。勇者の帰還を」


「ならばそやつらも皆殺しにしてしまえ。人界を支配する王になるのというのはどうだ。力を貸すぞ」


 どうせできぬに決まっている勇者をせせら笑う魔王はしかしすぐに気勢を削がれた。勇者は反論も怒りを示すこともなくただ苦悩を示すのみだった。


「どうした。ずいぶん気弱なことだな、勇者よ。そのようなことができるか魔王よ! と張り上げて縄の力で私を屈服させたらどうだ」


「したいのか?」


「何だと?」


「ぼくに屈服させられたいのか魔王。して欲しいならしてやるが、ぼくはそれほどでもない」


 そう言うと勇者はひと月の間決して手放すことのなかった銀の縄を投げ捨て、肩をすくめて魔王を見た。悲しげな目。勇者の名に相応しくない雨に打たれた孤児のような目をしていた。


「……なぜ手放す勇者よ。私を恐れているのではないのか。いまさら油断を装うと?」


「ぼくはお前の首などもう刎ねられない。それに要らない」


「要らない?」


「人界の指導者は魔王軍の侵攻が止みさえすれば未帰還の勇者をわざわざ連れ戻しには来ないだろう――少なくとも太平の世が確たるものになるまでは」


「それは私を殺すことも身柄を人界に引き渡すこともせぬということか勇者よ」


「そういうことになろのかな。たぶんそうしたいんだろう」


「たぶん? 曖昧なことだ。ならばその間どうするつもりだ。人界からの追手がいずれ迫ってくるとしてその間は」


「そんなことお前に心配してほしくない」


 勇者の投げやりな言葉に魔王は唖然として二の句が継げなかった。心配。私が身を案じているというのか。宿敵のことを?


「魔王」


「……なんだ」


「頼みがあるんだが」


「頼み。頼みか。面白い。言ってみろ」


「この城でもう少し暮らしたい」


     *


 食事の作り方がわからぬと魔王が言った。


 ぼくだってよくわからないと勇者は答えた。


 ふたりは見よう見まねで簡単な料理を自分の分だけ作りお互い勝手にもそもそと食べた。


 相手のほうが美味しそうに見えたので次の日には交換して食べた。


 次の日には同じ料理をささやかな食卓で一緒に食べた。


     *


 勇者はこれまで仲間たちと血みどろの旅を続けついには全員を失った。


 魔王は勇者に配下の軍勢を皆殺しにされついには魔王城は己ひとりの空城と化した。


 もう話し相手がいないんだと勇者が言った。


 私もだと魔王が言った。


 どうすればいいのか考え同じ結論に達した。


 勇者と魔王は無人の城で朝から晩まで対話を続けた。


 不思議と話題は尽きなかった。


     *


 肉の身体を持つことも性別を持つこともこれまでなかった魔王は興味がわいたので勇者の肉に抱きついてみた。


 戯れのつもりだったが勇者は体をこわばらせ離れろと苦しげに言った。


 勇者の言葉に魔王は素直に従った。


 暖かかった。


 胸が、高鳴った。


     *


 口づけをした。


     *


 時間の経過は少し曖昧になった。


 対話することが少なくなったからだろう。


 勇者は朝から晩まで魔王を抱いた。


 魔王は同じ時間だけ勇者に抱かれた。


 勇者と魔王は互いを必要だと感じた。


 勇者と魔王は同じ感情を抱いた。


 幸せだった。


     *


 いつかそれは壊れるかもしれない。


 人界から勇者を連れ戻そうとするものが現れあるいは争いが起こるかもしれない。


 勇者は力を奪われ魔王は殺されるかもしれない。


 その可能性は決して低くない。


 でもそんな未来はあくまでひとつの可能性だ。


 他に何か別のものを掴み取ることができるかもしれないしそのための努力を惜しむつもりはない。


 勇者は隣にいる少女の手を握り彼女の目を覗きこんで笑った。


 少女は隣にいる少年を見つめ返し微笑んだ後に爪先立ちで口づけをした。


 魔王城のテラスから見える魔界の風景は歪で奇異であったがそれでもそこには生命の営みがあった。


 少年はできることならそれを奪いたくなかったし少女は少年に奪わせたくはないと思った。


 いつか別れの時が来るとしても。


 それが確実だとしても。


 勇者と魔王はともに手を携えふたりの心をふたりの世界を半分づつわけあって生きていくことに決めた。


 誰に祝福されることもない魔界の鉛の空の下で。




(おわり)


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魔王のままではいられない ミノ @mino_ky

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